ライゴット戦記 -LEG GODT CHRONICLE- 銀海の章

刄拔ゆい

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其之四 仲間

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 ヴィル王国は、ヴィラニク大陸の南部を統治している国家だ。大陸自体が南極の側にある為、一年中雪の溶けることのない極寒の大地に存在している。
 当然、人の住み易い環境ではなく、この大地を主として生活する民族は少ない。むしろ悪党、海賊や盗賊、暗殺集団の隠しアジトとして需要のある大地である。
 ヴィル王は、神話の時代に聖戦を戦い抜き世を平定に導いた聖騎士の末裔で、その聖なる力は今も宿るとされている。
 しかし、代々ヴィル王族は温和で臆病な一族であった為、国土は悪党の蔓延る、悪の楽園と化してしまった。先住民族は次々に殺され、今では古代種は一人種しか生き残っていない。
 ヴィル王国の南西部には巨大な密林が広がっている。ザルジュの森である。数多の木々が樹齢百万年を超えていて、森の中は五メートル先も見通すことができない。
 ザルジュとは、先住民族の言語で「人喰い」。この森に足を踏み入れた者が一度たりとも帰ってきたことがない為、この名が付けられたという。
 この森に人知れず住みついている民族がいる。現在、唯一生き残っている古代種、先住民族のザラロナ族だ。彼らは、ウッドエルフである。
「ど、どういうことだよ、これ……耳が……」
 ジルーロはダルの腕を強く掴んだ。
 時が凍りついたようだった。
 寒さが一気に蘇る。
 浮かれていた熱が逃げていく。
 痛いくらいに、冷気が身体に沁み込んでくる。
 ジルーロは震えていた。ダルの震えが伝染したのか、自身の震えなのか、分からない。
「あり得んことじゃ、こんなこと……不吉な……」
 エルフの一番の特徴といえば、先の尖った独特の耳だろう。他にも体質や感覚も人間など他種族とは大きく異なるが、それは実際に対峙して体感しないと分からない。肌の色も様々であるが、とにかく、耳がエルフを容易に判別する一番の身体的な特徴である。
 だが、この赤ん坊は、ルディコは、その耳が、人間と同じ丸みを帯びたものだった。大多数の者が、この姿を見て、人間であると称するだろう。この子は人間、エルフではない、と……。
「何故じゃ……あり得ん、断じて、あり得んぞ! 我らザラロナ族万年を超える歴史の中で、このようなことは……未だ嘗て、一度たりとも起こったことはないぞ!」
 目を見開いて天を仰いだお婆は、何故じゃ、何故……と、声にならない声で呟き続けた。
 ジルーロがお婆の両肩に縋って言った。
「と、突然変異じゃ、ないのか? ただのよ……」
「……確かに、我らは近親交配をしておる……その劣性遺伝のリスクとして異形の赤子が産まれることは有り得なくもない、じゃが……昔から我らはその発現を呪術で抑えてきた、今回も同じじゃ、抜かりはない、今までと何も変わらん、まったく同じことをしておるのじゃ……」
「本当にその呪術は成功してたのか? 呪術を施したのは?」
「長老じゃ、長老が施すと決まっておる」
「あんな死に体のジジイどもじゃ、失敗も、あるんじゃないか?」
「ジルーロ、不敬なことを言うでない! 懲罰ものぞ! わしも長老の一人じゃ、わしのことも信用ならんと言うとるんか」
「う……すまん」
「ま、待ってくれよ、お婆、何だってんだよ……この子は、この森で生まれた、この俺の子だ……不吉だなんて……」
 静寂が走る。エリザは不安そうな顔でルディコを見つめている。
 ジルーロは腕を組み、ゆっくりと言った。
「この森で生まれたエリザとダルの子だぜ? 二人とも普通のエルフ、純粋なウッドエルフだ、他の部族に居るような、他人種とのハーフエルフってことはまずない、だってそれがこの森の掟だろ? この子が……耳の形が違うくらいで、そんな深刻な顔をする必要ないんじゃないか? なあ、ダル」
「……そうだよ、お婆……呪術が効かなかったんだよ、そういうことだって……あ、じゃあ、あれじゃないか、隔世遺伝ってやつ、長い歴史の中には、他人種とのハーフがここにもいたんじゃないか……」
 ダルは懇願するように、お婆を見つめた。
 お婆は首を振って、搾り出すように言った。
「……考えられることが、ひとつだけ、ある」
「な、なんだ?」
「……エリザが、人間と、まぐわった場合じゃ」
 お婆がそう言い終わるのと同時に、ダルがお婆の襟首に掴み掛かった。年寄りの力では敵うはずもなく、そのまま引き寄せられて二人とも床に倒れ込んだ。
 お婆の顔が青く染まる。ダルがお婆に馬乗りになったが、咄嗟にジルーロが止めに入った。ジルーロに羽交い絞めに押さえ込まれたダルは身動きができなくてもがいている。
 その騒ぎに驚いたルディコがまた泣き始めた。先ほどとは違って悲しい泣き声だった。エリザも動揺して、ルディコをあやすのを忘れている。
「あるはずが……そんなことが、あるはずがねえだろうが! ババア!」
「ゴホッ、ゴホッ、だが……それしか考えられん」
「お婆……いくら森の長老でも、軽率にそんなこと言ってもいいのかよ? よく考えろよ、絶対に、そんなこと起こらないだろ、な?」
 まるで子供を叱った後に優しく諭す親のように、ジルーロは言った。
「本人に聞けば分かることじゃ……エリザよ、真実を述べるのじゃ、人間とまぐわったのだな?」
「わ、私は……」
 エリザは狼狽した様子で、言葉が続かない。
「クソババア! 何を根拠に言いやがるんだ! あるはずがねえだろうが! 結婚して三年、ずっと一緒に、ずっと一緒に居たんだからよ!」
「ダル! やめろ!」
「クソが……!」
 ジルーロの怪力にダルは成す術がなかった。ろくに身をよじることもできない。
「真実を言うのじゃ」
「わ、私は……そんなこと、してない! してないわ! 信じて!」
「エリザ……」
「信じて……お願い……」
「エリザ、俺は信じてるぞ! クソババア!」
「ダル!」
 お婆は溜息をついた。
「エリザよ、言わなければ裁判になるだけじゃ、森中に知れ渡るぞ、それに……長老のカルサ爺を知っておるな? あやつは過去を探る呪術を使える、偽証は重罪、追放……言うなら今しかないのじゃ、エリザ……」
「う、うう……うぅ!」
 エリザとルディコの泣き声が響き渡る。悪魔の二重奏……何故か、ダルにはそう思えた。
「エリザ……」
 噛み締めていた唇から血が滴り落ちた。ダルはその血を拭うことなく、ただただエリザを見つめていた。エリザの言葉を待つしかなかった。
「……去年……薬草を摘みに行った時のことよ……」
「嘘だ……嘘だろ……エリザァァァァァァ!」
「ダル!」
「エリザ……続きを」
「……カ、カルルとサミーンと……三人で薬草を摘みに行った時のこと……なかなか目当ての草が見つからなくて、手分けして探すことにしたの……それでもなかなか見つからなくて、ずいぶん探したわ……そしたら、いつの間にか、結界を越えていたみたいなの……」
 エルフの中には人間など他人種との接触を極端に嫌う者もいる。エルフにはない欲深さや残忍さ、凶悪さに精神が打ち負けて、それらに侵されてしまう恐れがあるからだ。
 他人種との接触を断つ為に、目に見えない強力な結界を張るエルフもいる。ザラロナ族がまさにそうだった。
 その結界にエルフ以外の他人種が触れれば、たちまち炭と化す。通常は触れる前に結界の力によって思考が改竄され、近づこうと思わなくなる。
 こうしてザラロナ族は他人種との接触を避けてきたのだ。
 ただ、この結界はエルフ自身にも見えない。あまりに強力な結界の為、エルフにも感じ得ない高位の次元に張られている。現世の次元では自然の理を侵し森を腐らせてしまうからだ。
 結界を張った位置は原始的な方法で覚えていなければならない。結界は日常的に行き来しない彼方の遠方に張る為、通常は越えるようなことはない。
 だが、エリザは越えてはならない境界を、知らず知らずの内に越えてしまったのだ。
「……その時、逢ってしまったのよ……あの人に……」
 エリザの顔が青白く変色していく。
「人間だったのじゃな」
「……傷だらけで、倒れていたわ……雪に体温も奪われていて、もう死ぬ寸前だった……初めて見る人間に、動揺していたのかもしれない……つい、助けてしまったのよ……でも、でも……傷ついている人を助けるのは、当然のことでしょ……!」
「……」
 誰も何も言わなかった。いつの間にか、ルディコは泣き止んでいた。まるで話を聞き入っているかのように、ルディコは澄ました顔をしていた。
 ダルはそれが恐ろしく思えてならなかった。この子は――。
「……とっさに、身体を温めてあげたの……手当てをして、どれぐらいだったかしら……暫くして、彼が目を覚ましたの……そして、声を掛けたら……いきなり、覆い被さってきて……うう……」
「もういい! もうやめろ!」
「ダル……」
「嘘だ! ババアに誘導されたんだ! 嘘だぁぁぁ!」
「その時、子が宿るとはのう……」
「嘘だ……」
「彼は、その時に……殺したわ……うう……こんなことに、なるなんて……」
「……忌み子じゃ」
 そのお婆の言葉に、一同は耳を疑った。
 ……イミゴ?
 ルディコが、悪魔の子――。
「そ、そんな……ルディコは、私の子よ……忌み子だ、なんて……」
「エリザァァァ……ほん、本当、なのか……どうなんだぁぁぁ……?」
 ダルの問い掛けに、エリザは答えなかった。ただ、青ざめた顔で、涙を流している。
「ダルよ、この子を連れて、断罪の岬へ行け、今すぐじゃ」
「……何故、そんな所へ……?」
「この子をそこから投げるのじゃ、祟りが起こらぬ前に」
「な、何、言ってんだよ、お婆……」
 お婆はルディコを睨みつけた。
「この子は間違いなく、忌み子じゃ、間違いなくな、この数日の猛吹雪は単なる自然現象ではないぞ、必然的に起こされた災いじゃ、このままこの子をこの森に置いておけば、さらにとんでもない事態が起こる、その凶兆じゃ、それこそ、一族滅亡に関わることじゃ……」
「や、やめて、そんなことしないで! ルディコは私の子よ! 普通の子よ! 純粋なウッドエルフよ! 忌み子なんかじゃない!」
「それと、エリザよ……おぬしもじゃ、人間とまぐわった以上、この森に置いておくことはできん、すぐに出て行くがよい」
「……ババア、ババア! さっきから聞いていたら、勝手なことばかり……俺は、ルディコが、人間の子などとは信じていない、よく考えたら、証拠なんてないからな……この子は、俺とエリザの子で、純粋なウッドエルフだ!」
「あなた……」
「ダルよ、従わなければ森中に知れ渡ることになるぞ、同胞の手で、そなたたちを殺させたいか!」
「冗談じゃない、俺も、エリザも、ルディコも、誰も死なない! 殺されてたまるか!」
「森の為じゃ、一族の為じゃ、そなたらの我が儘に付き合える次元の話ではないのじゃ!」
「ジルーロ、放せ! ジルーロ!」
「ダメだ、放したら、ダル、お前、お婆を殺しちまう」
「放せ! ジルーロ! 放せ!」
 その時、押さえていたはずの扉が、勢いよく倒れた。吹雪はさらに激しくなっていた。一瞬、部屋中が闇に飲まれた。荒ぶる吹雪が闇をも連れてきたようだった。
「イャガ! どうした!」
 扉はイャガが押さえていたはずだ。扉が外れたということは、イャガが扉から離れたということだ。
 ダルは暗闇を見渡した。イャガ、何処かへ行ったのか、外か、まさか、長老たちに知らせに――。
 闇が晴れた。ジルーロが扉を押さえている。いつの間にか、ダルの体から離れていた。
「イ、イャガ……お前……」
 ダルは目を疑った。この時、初めて、今日のことが全て夢であってほしいと願った。ルディコも生まれていない、昨夜の悪夢であってほしかった。
「お、おのれ……イャガよ……う、う、必ず……わ、災いが……祟りじゃ……」
 お婆の足元が、赤黒く染まっていく。
 イャガの袖を両の手で掴んだまま、お婆は跪いた。
 イャガは震えていた。だが、その表情は恐ろしいほどに静かだった。その震えはお婆のものだったのかもしれない。
 そのまま仰向けに倒れたお婆の目は、血が走り切り現世の者とは思えなかった。
 イャガはお婆の手を振りほどこうとしたが、その手は掴んだまま離れなかった。お婆を刺した短剣で、イャガは掴まれているお婆の指を淡々と全て切断した。
 ダルには、忌み子と呼ばれたルディコよりも、イャガの方が不吉な者に思えてならなかった。まるで別人だと思った。扉が倒れて、闇に乗じて、別人にすり替わったのではないか。
 ただ、どうしても拭えない思いがある。
 これは、全て、ルディコが引き起こしたことなのかもしれない……ダルは否定するしかなかった。これは偶然だ、そんなはずがない、お婆は、ここで殺される運命だった、ただ、それだけなんだ、忌み子――そんなはずがない。
「……ダル、ジルーロ、エリザ、これは、事故だ」
 悪寒が走った。落ち着き払ったこの男は、本当にイャガなのか。
 ダルは身体の体温が一気に抜けていくのが分かった。
「吹雪によってお婆が飛ばされた、たまたま転がっていた割れた酒瓶に勢いよく突き刺さり、死んだ、無事、この子、ルディコは産まれた、何事もなく、長年に渡る近親交配のせいで耳に変形を生じているが、何も問題ない、母子ともに健康……ダル、エリザ、ルディコという新たな家族が、今日、できた、むしろ、お婆の魂が、この子を祝福して、保護してくれている」
 この男は何を言っているのか……という思いの反面、それしかないとダルも思った。
 今日のことを誰一人、一切他言しなければ、何も起こらなかったということに等しい。
 ルディコも、忌み子ではなくなる――。
「イャガ……お前がお婆を殺しちまうとは……ガキの頃から虫も殺せないような臆病だったお前が、まさかな……だが、お前の言う通りにするしか、なさそうだ……」
 ジルーロはお婆の亡骸に布を掛けて、そっとお婆の瞳を閉じた。
「……俺は、エリザにあったことが例え事実だったとしても……この子は、ルディコは俺の子だと信じて疑わない、お婆の言っていたことは根も葉もないデタラメで、帰り際に吹雪による事故で死んでしまった、これで通せる……よな?」
「ああ」
 ジルーロは、お婆の肩に触れながら、頷いた。
「エリザも分かったよな、なに、心配することはない、この子は俺たちの子だ、俺に対して罪悪感を持つことはない、間違いなくルディコは俺たちの子だ、気にするな」
「え、ええ……わかった……」
「俺たちはガキの頃からの仲だ、他言するなんて有り得ない、そうだろ?」
 イャガはそう言うと、血のついた自分の服を暖炉で燃やした。
 短剣も綺麗に拭き取り、火で炙っている。
 散らばった指は、お婆と一緒に布でくるんだ。
 雪刃で切れることもある、イャガはそう言って少し笑った。
 不気味だった。その手際の良さも。
 イャガだけはもう、仲間とは思えないかもしれない、ダルはそう思ってしまうことを、否定できずにいた。
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