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《26》同じ穴のムジナ
しおりを挟む神経を撫でるような掠れ声。
聞き覚えがある。
青臭い匂いが鼻腔を掠める。暗闇に目が慣れてくると、そこは茂みの中だということが理解できた。
(なんでここに、こいつが·····?!)
耳元に、後ろの男の吐息がかかる。
ぞくぞくと、微電流が背中を駆け抜けた。
ノワは身じろぐ。
「動くな」
抵抗と勘違いした男が忠告する。
あまりにも至近距離だ。ノワは浅い呼吸を保ちながら、僅かに頷いた。
「だれもいないじゃないか」
「おかしいな。声が聞こえた気がしたんだが·····」
「おいおい、しっかりしてくれ」
「お前の方こそ、今にも瞼が閉じそうだぞ」
言い合いながら、警備の声が遠のいてゆく。
しばらくすると、彼らの話し声は完全に聞こえなくなった。
「まだだ」
前世では、密かにイケボカテゴリーの男性声優にもハマっていたノワ。
認めたくなくて前々から気付かないふりをしていたが、彼の声は、油断すれば腰が砕けそうになるほど良い声だ。
(頼むから、耳元で喋るな!)
もしも口を塞がれていなければ、変な声が出るところだった。
耳元が熱い。
「ぷはっ!」
しばらくすると口元は彼から開放された。
ノワは思い切り息を吸い込み、茂みから飛び出す。
「椅子だけじゃ足りず、とうとう押し入りかよ」
月を背景に、死神──否、リダルが佇んでいた。
「気でも狂ったか?」
「そんなわけ·····!」
大声で反論しかけ、口を噤む。
今はこんな話をしている場合ではない。
「お前、重犯罪者だぜ」
リダルはこめかみの辺りを掻きながら、面倒そうに言った。
赤い瞳が、ひとつの生物のように冷たく輝く。
「いや、いや…」
ノワは力なく首を振った。
何が重犯罪者、だ。
お前も同じ穴の狢だろうが。
数々の言葉は、ため息とともに消える。
ノワはジロジロとリダルを眺めた。
ワイシャツとズボン。あまりにもラフな服装だ。
「お前の方こそ、なんでここに…!」
ノワは小声で訴えた。
ここは第三宮殿。
どんなミラクルがあって、彼と鉢合わせるなんてことがあるのだろうか。
果たして、返答は至極シンプルだった。
「んなのどうでもいいだろうが」
どうでもいいとは。
ノワは頭を抱え込んだ。
「残念だったな」
こちらの心境などお構い無しに、彼はズカズカと近づいてくる。
リダルはノワの顔を覗き込んできた。
「フィアンはここにはいねえよ」
「…そんなこと、分かってる…」
彼は、恋に狂った変質者ノワが、フィアンの部屋の侵入を試みたとでも思っているのだろう。
「ふーん」
リダルはどうでも良さそうに呟く。
「じゃ、何しに来たんだよ?」
「…。」
なぜ彼は、さも当たり前のように会話を続けようとするのだろうか。
「リダル、ここがどこだか分かってる?」
「宮殿の庭だな」
「そうじゃなくて·····いや、そうだけど·····」
彼のペースに付き合っていては、頭がおかしくなってしまいそうだ。
(こんなところで油を売っている場合じゃ無い)
リダルがなぜここにいるのかとか、彼が自分に対して全くもって見当違いな誤解をしているとか、そんなことはこの際もうどうでもいい。
時間がないのだ。
「僕急ぐから」
ノワは本来の目的を果たすため、考えることを放棄する。
リダルは今も気だるげにこちらを観察していた。
(いいや、もう気にしない、気にしない)
頼むから邪魔だけはしないでくれ。
ノワは塀よりも高い木に足をかけた。
せっせことよじ登り、塀に飛び移る。幸い、運動神経は悪くない。
あとは公爵邸の庭に飛び降りるだけだ。
地面を見下ろし、ノワはピタリと固まった。
(え、こんなに高かったっけ····?)
数メートル下の草原は、予想よりもずっと遠くにある。
宙ぶらりんの脚先がひりつく。
冷えた煉瓦が、尻の骨までを冷やすようだった。
飛び降りるなんて、とても無理だ。怖すぎる。死ぬかもしれない。
ノワは不甲斐なさに打ちひしがれた。
不意に、ガサリと音がした。
「·····?」
気配もなく、隣に人影がしゃがみ込む。
「ちょ──」
ノワが声をかける前に、リダルは塀から飛び降りた。
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