上 下
29 / 342

《26》同じ穴のムジナ

しおりを挟む






神経を撫でるような掠れ声。
聞き覚えがある。

青臭い匂いが鼻腔を掠める。暗闇に目が慣れてくると、そこは茂みの中だということが理解できた。


(なんでここに、こいつが·····?!)


耳元に、後ろの男の吐息がかかる。
ぞくぞくと、微電流が背中を駆け抜けた。

ノワは身じろぐ。


「動くな」


抵抗と勘違いした男が忠告する。

あまりにも至近距離だ。ノワは浅い呼吸を保ちながら、僅かに頷いた。

「だれもいないじゃないか」

「おかしいな。声が聞こえた気がしたんだが·····」

「おいおい、しっかりしてくれ」
 
「お前の方こそ、今にも瞼が閉じそうだぞ」


言い合いながら、警備の声が遠のいてゆく。

しばらくすると、彼らの話し声は完全に聞こえなくなった。


「まだだ」


前世では、密かにイケボカテゴリーの男性声優にもハマっていたノワ。

認めたくなくて前々から気付かないふりをしていたが、彼の声は、油断すれば腰が砕けそうになるほど良い声だ。


(頼むから、耳元で喋るな!)


もしも口を塞がれていなければ、変な声が出るところだった。
耳元が熱い。


「ぷはっ!」


しばらくすると口元は彼から開放された。
ノワは思い切り息を吸い込み、茂みから飛び出す。


「椅子だけじゃ足りず、とうとう押し入りかよ」


月を背景に、死神──否、リダルが佇んでいた。


「気でも狂ったか?」

「そんなわけ·····!」


大声で反論しかけ、口を噤む。
今はこんな話をしている場合ではない。


「お前、重犯罪者だぜ」


リダルはこめかみの辺りを掻きながら、面倒そうに言った。

赤い瞳が、ひとつの生物のように冷たく輝く。


「いや、いや…」


ノワは力なく首を振った。

何が重犯罪者、だ。
お前も同じ穴の狢だろうが。

数々の言葉は、ため息とともに消える。

ノワはジロジロとリダルを眺めた。
ワイシャツとズボン。あまりにもラフな服装だ。


「お前の方こそ、なんでここに…!」


ノワは小声で訴えた。


ここは第三宮殿。
どんなミラクルがあって、彼と鉢合わせるなんてことがあるのだろうか。

果たして、返答は至極シンプルだった。


「んなのどうでもいいだろうが」


どうでもいいとは。
ノワは頭を抱え込んだ。


「残念だったな」


こちらの心境などお構い無しに、彼はズカズカと近づいてくる。
リダルはノワの顔を覗き込んできた。


フィアンあいつはここにはいねえよ」

「…そんなこと、分かってる…」


彼は、恋に狂った変質者ノワが、フィアンの部屋の侵入を試みたとでも思っているのだろう。

「ふーん」


リダルはどうでも良さそうに呟く。


「じゃ、何しに来たんだよ?」

「…。」


なぜ彼は、さも当たり前のように会話を続けようとするのだろうか。


「リダル、ここがどこだか分かってる?」


「宮殿の庭だな」


「そうじゃなくて·····いや、そうだけど·····」


彼のペースに付き合っていては、頭がおかしくなってしまいそうだ。


(こんなところで油を売っている場合じゃ無い)


リダルがなぜここにいるのかとか、彼が自分に対して全くもって見当違いな誤解をしているとか、そんなことはこの際もうどうでもいい。

時間がないのだ。


「僕急ぐから」


ノワは本来の目的を果たすため、考えることを放棄する。

リダルは今も気だるげにこちらを観察していた。


(いいや、もう気にしない、気にしない)


頼むから邪魔だけはしないでくれ。
ノワは塀よりも高い木に足をかけた。

せっせことよじ登り、塀に飛び移る。幸い、運動神経は悪くない。

あとは公爵邸の庭に飛び降りるだけだ。
地面を見下ろし、ノワはピタリと固まった。


(え、こんなに高かったっけ····?)


数メートル下の草原は、予想よりもずっと遠くにある。

宙ぶらりんの脚先がひりつく。

冷えた煉瓦が、尻の骨までを冷やすようだった。

飛び降りるなんて、とても無理だ。怖すぎる。死ぬかもしれない。
ノワは不甲斐なさに打ちひしがれた。


不意に、ガサリと音がした。


「·····?」


気配もなく、隣に人影がしゃがみ込む。


「ちょ──」


ノワが声をかける前に、リダルは塀から飛び降りた。











しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ある工作員の些細な失敗

大衆娯楽 / 完結 24h.ポイント:908pt お気に入り:0

金になるなら何でも売ってやるー元公爵令嬢、娼婦になって復讐しますー

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:519pt お気に入り:125

溺愛ゆえの調教─快楽責めの日常─

BL / 連載中 24h.ポイント:227pt お気に入り:1,515

宇宙は巨大な幽霊屋敷、修理屋ヒーロー家業も楽じゃない

SF / 完結 24h.ポイント:170pt お気に入り:65

幼馴染に色々と奪われましたが、もう負けません!

BL / 完結 24h.ポイント:362pt お気に入り:4,353

パスコリの庭

BL / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:27

狂愛アモローソ

BL / 連載中 24h.ポイント:234pt お気に入り:5

1人の男と魔女3人

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:312pt お気に入り:1

処理中です...