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《91》チューリップ
しおりを挟む「すみません、ウォルター先輩の部屋をご存知ですか?」
クリーム色の髪を後ろに撫で付けた、優しげなマスクの持ち主だ。
相手はたちまち驚いた顔をし、ノワのつま先から頭の先を一瞥する。
「驚いたな」
「え?」
「ああ、いや····ロイドがプライベートな所に後輩を呼ぶなんて珍しいから」
詳しくは、不在中に配られた合宿参加書類を届けるため、勝手にロイドの所へ向かうところだ。
案内してあげるよと微笑んだ上級生に礼を言い、ノワは彼の後に続いた。
「君、綺麗な顔してるね」
相手が世間話をするかのように告げる。
そう言う彼は、こっちよりもずっと背が高くて顔立ちのくっきりした好青年だ。
女みたいな顔つきだという皮肉だろうか?目の前の男の後頭部を睨むが、除き見えた横顔から悪意は感じられない。
(あれ、どっかで見たことある顔····)
「ところで、昨日は休んでたみたいだけどどこか調子が悪かった?」
「昨日?」
首を傾げる。
記憶を遡ったノワは、やっと彼を思い出した。
剣練部の副監督、レイゲル・シェラック・ヴァーヴ。
風紀委員会委員長を務め、何をするにも模範的で下級生にも親切なところから、教師よりも教師らしい学生と言われている。
ただ、特徴がないため、時折空気と化すのが問題だ。
「家の事情で、一日休暇をいただいていました」
慌てて取り繕うノワ。
落ち着いた眼差しが頷く。こちらが彼を認識していなかったことをお見通しのようだが、その上で指摘をしないらしい。
ここは暗黙に甘えず、正直に謝る方が好感的だろう。
「ヴァーヴ先輩、申し訳ありません。急いでいたために····」
あたりざわりない理由を述べ、頭を下げる。
申し訳なさそうな表情も完璧だ。
しかし彼は廊下の突き当りで立ち止まると、ふとノワの肩へ手を置いた。
剣を持ち慣れ鍛えられている者の手だ。優しげな顔つきとのギャップに驚いた時、彼は軽く首を振った。
「君、俺の話を聞いてなかったな?」
「えっ」
「レイゲル。俺の事は名前で呼ぶように、入部歓迎会の時に伝えたはずだよ」
盛大に墓穴をほったようだ。
ノワは白目を向きかけた。
「レイゲル副教官·····」
「あはは、そんなに落ち込まないで。怒ってないよ」
朗らかに笑う彼を見ながら、心の中で涙を流す。
色素の薄いブラウンの瞳は優しげだが、目つきは洗練された者の眼差しだ。
剣練部の副教官。それもヴァーヴ家紋といえば、格式の高い皇帝派家紋として有名である。
豊富な鉱山とその採掘権を持ち、採掘された硬度の高い鉱石は、騎士団の防具や武器に使われている。
影の権力保持者といったところだろう。
彼の存在が、将来何かしらの影響を与える可能性は無きにしも非ずだ。
ノワは彼を重要人物に指定した。
「以後気をつけます」
詫びながら、彼を見つめ返す。
再び、先程既視感にかられた。
彼を見た事があるのは、当たり前のことだ。剣練部の副監督なのだから、見たことがないことの方がおかしい。
しかし、それよりももっとずっと前に、彼を見た事がある気がしたのだ。
(いつだったっけ····気のせいかな?)
思い出そうとしても、記憶にはモヤがかかり、答えは見つかりそうにない。
「おいで」
いつの間にか足が止まっていた。呼び掛けられ、現実へ引き戻される。
「はい!」
ノワは再び彼の後に続いた。
ロイドが扉から顔を出した時、ノワはレイゲルの存在感が空気と化す理由を理解した。
例えるなら、薔薇の隣に咲くチューリップだ。
同じように、副教官は、補佐として教官の隣にいることが多い。
美しく目を惹く薔薇を前にすれば、その隣に何の花が咲いていたかなど記憶できない。ましてやチューリップの色を記憶しておくことなど不可能に等しい。
シャワーを浴びていたのだろうか。水滴を滴らせながら出てきた彼は、ベルトの外れたスラックスのみを身につけていた。
鍛え上げられた上半身。
日焼けした肌には、あちこちに古傷がある。
「パトリック?」
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