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《266》大公領地

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忙しなくも陽気な雰囲気だ。仕事に追われて駆け回る人々の表情は、希望に満ち溢れていた。


「───様、ノワ様」


目の前に日焼けした手が伸びる。
ノワは驚いて後ずさった。


「申し訳ありません、何度もお呼びしたのですが」


斜め向かいに座ったロイドだった。


「お顔を·····」


「?」


彼の手が、ノワの頬に触れるか触れないかの宙を滑る。
謎にドキリとするが、対するロイドは少し眉をひそめ、硬い面持ちで続けた。


「出すのはお控えください」


イアードを厚く信仰する大公国民の間には、教皇に対する不信感が強まっていた。
婚姻を交わしたにもかかわらず、数ヶ月が過ぎても訪問してこない。さらに大公国での結婚式典を省略したのだから、当然だ。

一部では「偉大な教皇は、庶子である皇子のシュテルン大公を蔑ろにしている」という噂が流れている。
誤解をとくためにも、彼とは良い関係を築かなければいけない。
そう息巻いて来たノワだが、城に近づくにつれ、不安感は大きくなっていった。

雨の日、こちらを見つめていた瞳が頭から離れない。
凄惨なほど美しくて、氷のように冷ややかな眼差しだ。
あの瞬間、恐ろしくて、ノワはまるで声が出なかった。


「到着いたしました」


いつの間にか、長く続いていた林が開ける。
塀の向こうに城が見えてきた。

シュテルン大公爵邸は、自然に囲まれた厳かな建物だった。
門をくぐり、馬車が滑らかに止まる。
城へ真っ直ぐに続く広場に、使用人たちがずらりと並んでいた。

ノワが馬車から下りると、彼らはいっせいに頭を下げた。


「ようこそおいでくださいました」


代表して初老の男性が前に出てきた。
彼は自分を家令のバンスだと名乗り、今一度恭しく礼をした。

ノワは内心安堵した。
大公国の民全員に毛嫌いされているわけではないと分かってはいるが、歓迎されるか少々不安だったのだ。
少なくとも、邸の使用人達は心配無さそうだ。
この頃はそう思っていた。

ノワの馬車に続き、三台の馬車が到着する。
大公爵邸の使用人は、数人、不振そうに顔を見合せた。


(忘れてた)


ぞろぞろと降りてきた皇族使用人達を振り返り、ノワは冷や汗をかく。
ここにはたくさんの人がいる。誤解を産む前に弁解しておいた方が良い。
ノワが口を開くより先に、穏やかな声が告げた。


「ジョセフ、他の方をお部屋にご案内してさしあげなさい」


バンスが他の使用人に指示をする。


「畏まりました」


使用人の群れの中から、二十代後半程の男が返事をした。
客の案内を任せるということは、恐らく上級使用人なのだろう。











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