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《280》事件
しおりを挟むこれはごく当たり前の事だ。
目下の者が目上の者に何かをするのは当然の習わしだが、逆は無に等しい。
ただ一言声をかけるだけでも、彼らに十分強烈な感動を与えることが出来る。
ノワと使用人なら尚更、効果は大きかった。
「厨房に行きたいです」
ノワの言葉に、ジョセフは今度こそ不安げな顔をした。
「ノワ様にお立ち寄りいただくような所では····」
困らせてばかりで申し訳ない。自分の世話係になったジョセフには同情するが、譲るわけにもいかないのだ。
ノワが厨房に顔を出すと、使用人達は皆ギョッと目を向き、慌てたように頭を下げた。
少し迷ってから、食事の礼を言うことにした。
昨日の晩餐と朝食の簡単な感想を添えて、ニコリと微笑む。彼らはぽかんとしてから、互いの顔を見合せた。
「どうぞ、お気遣いなく」
ノワは、その後も厨房の者達と少しずつ言葉を交わした。
緊張した面持ちの使用人たちも、雪解けのように笑顔が増えてゆく。地下を出る時には、ノワはすっかり彼らと打ち解けていた。
そんなノワを眺めながら、ジョセフは心底分からなかった。
貴族にとって──ましてや彼のような身分の者にとって、使用人は道具に過ぎないはずだ。
そもそも、ノワはこの地に来るのを酷く嫌がっていたのでは無いのだろうか。
イアード大公を忌み嫌い、たぶらかした皇帝を利用して、宮殿で贅沢な生活をしていたという。
しかし、初めて出会った時から今まで、彼は礼儀正しい。
横柄な態度は一切なく、更には誰に対しても愛想が良いのだ。
(それに、昨日目にした無数の鬱血後)
あんな辱めを黙って受けていたと言うなら、ノワが皇帝や公爵を上手く利用していたとは考えにくい。
「ジョセフ?」
ノワが首を傾げる。
気がつけば、まじまじと見てしまっていた。
「いいえ····ノワ様、何故わざわざ使用人たちを気にかけるのですか?」
ジョセフはそれとはなしに問いかける。
「僕のことを知ってもらうためには、僕が彼らを知ろうとしないと」
「···············」
前を向いたままの横顔がふにゃりと笑った。
頭上に浮かぶ余り毛を見ると、妙に気が抜ける。ジョセフは庭を眺めた。
ノワは、情報とは違う人物なのかもしれない。
「───こっちです!」
突如、廊下の向こうから、二、三人の使用人が駆けてきた。
「誰か、担架を!」
「お医者様を呼んでください!」
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