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言わなかった、けれど
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最初に声を荒げたのは、誰だったのか。
その場にいた全員が、あとになってから思い出そうとして、失敗した。
店内は、いつも通りだった。
平日の午後。客はまばらで、空調の音が少し大きく感じられる時間帯。
レジの前に立っていた男性が、何かを言いかけて、途中で言葉を飲み込んだ。その沈黙が、引き金だったのかもしれない。
「……で?」
従業員は、返事をしなかった。
正確には、返事にならない返事をした。
「確認します」
その声は小さく、感情がなかった。
怒ってもいないし、謝ってもいない。ただ、仕事の途中に挟まれる、いつもの手順の一つのようだった。
「いや、確認ってさ。もう説明したよね?」
男性の声が少しだけ大きくなる。
店内の空気が、薄くなる。
従業員は画面を見つめたまま、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「確認します」
適当だった。
そう言われても、反論できないくらいには。
周囲の客が、視線を上げる。
誰も止めない。誰も加勢しない。
ただ、「面倒な場面」に遭遇した人間特有の、距離の取り方だけが一斉に発生した。
「それ、さっきも言ったよね」
「はい」
「いや、“はい”じゃなくて」
「……確認します」
従業員は、歯向かわなかった。
反論もしなかった。
マニュアルにない感情だけを、きれいに削ぎ落とした顔で、そこに立っていた。
男性は、そこで初めて声を荒げた。
「話、聞いてる?」
聞いていなかったわけではない。
ただ、聞いた結果、何も返さない選択をしただけだった。
その選択が、怒りを加速させた。
「責任者、呼んで」
「確認します」
また同じだ、と誰かが思った。
同じ言葉、同じ態度、同じ無反応。
数分後、別の客がスマートフォンを取り出した。
録画か、通話かは分からない。
その仕草を見て、男性の声はさらに大きくなった。
「今の対応、普通だと思ってる?」
従業員は、少しだけ首を傾けた。
考えているようにも見えたし、考えていないようにも見えた。
「……確認します」
その瞬間だった。
「もういい。警察呼ぶ」
言葉が落ちたあと、店内が静まり返る。
従業員は、初めて画面から目を離し、男性を見た。
「呼んでいただいて構いません」
それは、許可でも挑発でもなかった。
ただの事実確認のような声だった。
通報は、淡々と行われた。
誰かが大声で状況を説明することもなく、誰かが暴れることもなく。
ただ、「話が通じない」「態度が悪い」「適当だ」という言葉だけが、少しずつ重なっていった。
警察官が到着したとき、店内には十数人がいた。
全員が、落ち着いていた。
全員が、苛立っていた。
「何がありましたか」
警察官の問いに、最初に答えたのは男性だった。
「対応が、あまりにも雑で」
次に、別の客が続いた。
「さっきから、同じことしか言わないんです」
従業員は、黙って立っていた。
反論しなかった。
弁解もしなかった。
社長に連絡が入ったのは、その少し後だった。
「トラブル? どんな?」
電話口の声は、眠そうだった。
「いえ、大きなトラブルでは……ただ」
“ただ”のあとに続く言葉が、見つからない。
暴力はない。
罵声も、限界を超えてはいない。
規則違反も、今のところ見当たらない。
しかし、誰もが同じ違和感を抱えていた。
――この場にいる全員が、何かを間違えた気がする。
それが何なのか、まだ誰も言葉にできていなかった。
その場にいた全員が、あとになってから思い出そうとして、失敗した。
店内は、いつも通りだった。
平日の午後。客はまばらで、空調の音が少し大きく感じられる時間帯。
レジの前に立っていた男性が、何かを言いかけて、途中で言葉を飲み込んだ。その沈黙が、引き金だったのかもしれない。
「……で?」
従業員は、返事をしなかった。
正確には、返事にならない返事をした。
「確認します」
その声は小さく、感情がなかった。
怒ってもいないし、謝ってもいない。ただ、仕事の途中に挟まれる、いつもの手順の一つのようだった。
「いや、確認ってさ。もう説明したよね?」
男性の声が少しだけ大きくなる。
店内の空気が、薄くなる。
従業員は画面を見つめたまま、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「確認します」
適当だった。
そう言われても、反論できないくらいには。
周囲の客が、視線を上げる。
誰も止めない。誰も加勢しない。
ただ、「面倒な場面」に遭遇した人間特有の、距離の取り方だけが一斉に発生した。
「それ、さっきも言ったよね」
「はい」
「いや、“はい”じゃなくて」
「……確認します」
従業員は、歯向かわなかった。
反論もしなかった。
マニュアルにない感情だけを、きれいに削ぎ落とした顔で、そこに立っていた。
男性は、そこで初めて声を荒げた。
「話、聞いてる?」
聞いていなかったわけではない。
ただ、聞いた結果、何も返さない選択をしただけだった。
その選択が、怒りを加速させた。
「責任者、呼んで」
「確認します」
また同じだ、と誰かが思った。
同じ言葉、同じ態度、同じ無反応。
数分後、別の客がスマートフォンを取り出した。
録画か、通話かは分からない。
その仕草を見て、男性の声はさらに大きくなった。
「今の対応、普通だと思ってる?」
従業員は、少しだけ首を傾けた。
考えているようにも見えたし、考えていないようにも見えた。
「……確認します」
その瞬間だった。
「もういい。警察呼ぶ」
言葉が落ちたあと、店内が静まり返る。
従業員は、初めて画面から目を離し、男性を見た。
「呼んでいただいて構いません」
それは、許可でも挑発でもなかった。
ただの事実確認のような声だった。
通報は、淡々と行われた。
誰かが大声で状況を説明することもなく、誰かが暴れることもなく。
ただ、「話が通じない」「態度が悪い」「適当だ」という言葉だけが、少しずつ重なっていった。
警察官が到着したとき、店内には十数人がいた。
全員が、落ち着いていた。
全員が、苛立っていた。
「何がありましたか」
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「対応が、あまりにも雑で」
次に、別の客が続いた。
「さっきから、同じことしか言わないんです」
従業員は、黙って立っていた。
反論しなかった。
弁解もしなかった。
社長に連絡が入ったのは、その少し後だった。
「トラブル? どんな?」
電話口の声は、眠そうだった。
「いえ、大きなトラブルでは……ただ」
“ただ”のあとに続く言葉が、見つからない。
暴力はない。
罵声も、限界を超えてはいない。
規則違反も、今のところ見当たらない。
しかし、誰もが同じ違和感を抱えていた。
――この場にいる全員が、何かを間違えた気がする。
それが何なのか、まだ誰も言葉にできていなかった。
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