とける

田中葵

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ワケワカメ―コンテクスト至上主義さようなら

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第1章 静けさの中の会話

 カフェの窓際、佐藤と浜田はノートPCを挟んで向かい合っていた。
 新しい企画の打ち合わせ、という名目の、ほぼ雑談。

「えっと、この提案書なんですが、方向性としては“体験価値の最大化”というか、いわば──」
 佐藤が話し始めると、浜田がうんうんと頷いた。

「うんうん、そうそう。なんか、“ぬるっと”感じるやつだよね」
「……ぬるっと?」
「そう。言葉にすると固くなるけど、温度みたいな……あの感じ」

 佐藤は苦笑した。
 浜田は感覚で話す。佐藤はロジックで話す。
 そしてどちらも、相手をわかろうとするたびに疲れていく。

 沈黙。
 コーヒーの湯気が、間の悪い空気をなだめるように揺れている。

「なんか、静かだね」
 浜田が言った。
「うん。でも、静けさの中にも“会話”ってある気がする」
「へえ」
「ただ、ないと困るのも確かで……深刻になる」

 ふたりは笑い合った。
 それが、今日いちばん自然な呼吸だった。

 会話が少し落ち着いたころ、佐藤がぼそりとつぶやく。
「もう、説明しなくていいかも」
 浜田は一瞬目を丸くして、ゆっくり笑った。
「うん、なんか伝わった」

 何が伝わったのかは、どちらにもわからない。
 けれど、ふたりの間に小さく湧いたぬるい笑いの中で、
 佐藤がぽつりと冗談めかして言った。

「ワケワカメだな」
 浜田が声を立てて笑う。
 その音が、沈黙よりずっと穏やかだった。



第2章 悪を注視するとき

 数週間後。
 SNSで浜田の投稿が炎上しかけていた。

 「感じるままに発信するのも表現のうち」
 そんな曖昧な言葉が、思わぬ方向で解釈され、攻撃的なコメントが並んだ。

 佐藤がメッセージを送った。
「浜田、それ、誤解されてる。ちゃんと説明したほうがいい」
「でも、説明したらしたでまた別の誤解が生まれるよ」
「それでも、黙ってたら“悪い側”に見られる」
「悪い側って、誰が決めるの?」

 やり取りの間に、既読マークがついたまま沈黙が流れる。
 互いに“正しさ”を守ろうとして、相手を悪く見てしまう。
 その視線が、じわりと心を蝕む。

 浜田が最後に送ったメッセージは短かった。
「ねぇ、ワケワカメって便利な言葉だったね」

 佐藤はしばらく画面を見つめ、指を止めた。
 “ワケワカメ”――
 意味はなくても、今だけはその音の曖昧さに救われる気がした。

 翌朝、佐藤はコメント欄をそっと閉じた。
 悪を注視することが、時に悪を増やす。
 だから今日は、何も言わないことにした。



エピローグ コンテクスト至上主義さようなら

 夕暮れ。
 再び同じカフェで、佐藤と浜田は向かい合っていた。

 話すでもなく、スマホを見るでもなく、ただ座っている。
 静けさが、以前より柔らかい。

「ねぇ」
 浜田が言う。
「“ワケワカメ”って、もうちょっと残しておこうか」
「うん。意味のない言葉も、使い道あるし」

 佐藤はカップを傾けた。
 言葉が壊れても、人は残る。
 そのことに気づいたとき、ようやく、息がしやすくなった。

 外では街灯が灯りはじめる。
 理解できなくてもいい。
 理解しようとしすぎないことが、少しだけ優しい世界をつくる。

 “コンテクスト至上主義さようなら”
 その言葉を胸の奥で呟いて、ふたりは小さく笑った。


(了)​
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