とける

田中葵

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フラッシュの前で息をする

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レンズの前に立つとき、
誰ももう、ポーズを取らなかった。

「え、どうする? 立つ順番とか」
「なんでもいいよ。背の順でも、くじ引きでも」
「私、後ろでいい。顔のコンディションが今日、いまいちだから」
そう言いながらも、
笑いが重なって、
もう誰も、無理に整えようとはしなかった。

少し風が吹いた。
髪が乱れる。
誰かがそのままにして、
誰かが手で直そうとして、
途中でやめた。

「……これでいいか」
その声が、合図のように響く。

カメラマンがシャッターを構えた瞬間、
一人ひとりの呼吸が、
かすかに音を立てて揃った。

あやは、思った。
「もう、“映える自分”を作らなくていい」
職場で“きちんとした女性”を演じるうちに
どこかで呼吸を失くしていた日々が、
少し遠くに霞んでいく。

えみは、静かに胸に手を置いた。
母の葬儀以来、初めての外出。
何も飾らずにこの場に来られたこと自体が、
自分への小さな贈り物だった。

なおは、離婚届を出したばかり。
“自由”という言葉の輪郭をまだつかめずにいる。
それでも――
今は、誰とも比べず立てていることが、
妙に心地よかった。

ミキは、いつも場を和ませようと
冗談を言う側だった。
でも今日は何も言わなかった。
静かな沈黙が、
“笑いを取らなくてもここにいていい”という安心に変わっていく。

シャッター音が鳴った。
カメラマンが「もう一枚いきます」と言ったが、
誰も構え直さなかった。
一枚で、充分だった。

光の中で、
それぞれの表情が少し滲んで、
まるで「生きてる途中」を写したような写真になった。

撮り終えたあと、
誰かがポツリと呟いた。
「なんかさ、楽だったね」

「うん。……やっと、写真に“写る”ってこういうことなんだね」

風がまた通り抜けた。
誰も振り返らなかった。
そのまま歩き出していく背中が、
光の粒を散らしながら遠ざかっていった。



『余白の光』

小さな喫茶店の棚に、
古びたアルバムが一冊あった。

ページの間から、
光がこぼれるように一枚の写真が滑り落ちた。

拾い上げたのは、大学を出たばかりの若い女性、沙月(さつき)だった。
常連のマスターが言う。
「それね、毎年ここで撮ってたグループの写真なんだ。
 コ○ナの頃から来なくなって、
 もう何年も経つけど――
 置いてったままなんだよ」

写真には、
同じ方向を見ているでも、
同じ笑顔をしているでもない女たちが写っていた。
みんな少し風に揺れて、
でも確かに、ここに“在る”感じ。

沙月は思わず見入った。
完璧じゃない。
でも、目を離せなかった。

「……この人たち、なんか、安心してる顔してる」
気づいたら、そう呟いていた。

マスターはうなずいた。
「不思議だよな。
 なんでもない集合写真なのに、
 なんか“自由”が写ってる」

沙月はその言葉を聞きながら、
自分がこの一年、
SNSに上げるためだけの笑顔ばかり作っていたことを思い出した。

“映える”という名の鎖。
“感じよく”という名の仮面。

でもこの写真の人たちは、
どこかでそれを外して、
呼吸を取り戻したあとみたいな顔をしている。

「この写真、もらってもいいですか?」
「いいよ。どうせ、持ち主ももう取りに来ないだろう」

その日から、
沙月の部屋の壁に、
その写真が貼られた。

部屋に帰って疲れたとき、
ふと視線がその一枚に触れる。
何も言わず、何も求めないその人たちの姿に、
少しだけ息が整う。

「無理して決めなくていい」
そう言われた気がして、
彼女は深く、ひとつ呼吸をした。

部屋の窓から夕陽が差し込み、
写真の端に小さな光が跳ねた。
それはまるで、
あの日のシャッターの残響が、
時を越えて呼吸しているようだった。



『再会』

春の光が、
ガラス越しにやわらかく揺れていた。

沙月は、その喫茶店に再び立ち寄った。
例の写真は、今も彼女の部屋の壁にある。
忙しい日々の中で何度も目にして、
そのたびに「今日も大丈夫」と、
見えない手に支えられてきた気がした。

カウンターに座ると、
見慣れない女性が奥のテーブルにいた。
歳は五十代くらい。
穏やかな目元で、
ひとりコーヒーを飲みながらノートを広げている。

ふと視線が合う。
女性が軽く微笑んだ。

沙月も会釈を返した瞬間――
胸の奥で、何かが弾けた。

(……あ)

あの写真の中。
左端、風に髪をなびかせていた人。
その表情と同じ光を、この人は持っていた。

勇気を出して声をかけた。
「すみません……もしかして、この写真に写ってる方ですか?」

バッグから、
少し色あせた一枚を取り出す。
女性は目を見開き、
指先でそっと触れた。

「……懐かしい。
 まだ持ってる人がいたなんて」

その声には、
時間の厚みと、
少しの驚きと、
そしてあたたかい誇りが混ざっていた。

「この写真、店に落ちてて。
 もらってから、ずっと部屋に貼ってるんです。
 なんか、見てると呼吸が整うんです」

女性は静かに笑った。
「そう……うれしいな。
 あの日ね、私たち、やっと“無理しない顔”で撮れたの」

沙月は、その言葉を胸で転がした。
“無理しない顔”――
それは、自分が長いこと探していたものだった。

「この写真に、救われてた気がします」
「写真ってね、撮られる時より、見つけられた時のほうが生きるのよ」

その言葉に、
沙月の胸がじんわり熱くなった。

女性――なおは、
手帳に一枚のポストカードを挟んで差し出した。
「来月、またみんなで集まるの。
 よかったら、来てみる?」

カードにはこう書かれていた。
“また、フラッシュの前で息をしよう。”

沙月はカードを受け取りながら、
小さくうなずいた。
「……行きます」

店を出ると、春風が頬を撫でた。
あの写真の風と、同じ匂いがした。



『もう一度、シャッターの前で』

春の午後。
小さな公園の芝生に、
あの日の女たちが少しずつ集まっていく。

白髪が混じりはじめたなお。
髪を短くしたえみ。
仕事帰りの服のまま駆けつけたあや。
そして、その輪の中に新しく加わる沙月。

「初めまして」と言った瞬間、
誰も“どういう関係の人?”なんて聞かなかった。
ただ微笑みが交わって、
「来てくれてうれしい」とだけ言葉が流れた。

カメラマンは、あの頃と同じ人だった。
「立ち位置、どうします?」と尋ねる声に、
誰かが冗談めかして答える。
「風の向きでいいんじゃない?」

笑いが広がる。
その響きに、
もう“合わせよう”とする緊張はなかった。

沙月は、少し離れた場所で立っていた。
この輪の中にいてもいいのかと、
ほんの少し迷っていた。

そのとき、なおが手を伸ばした。
「こっちおいで。風がちょうどあなたの方から吹いてる」

手を取った瞬間、
胸の奥がほどけていくのを感じた。

シャッターが上がる。
誰も構えない。
誰も笑顔を“作らない”。

カメラマンが合図をする前に、
一陣の風が吹いた。
花びらが舞う。
みんなの髪が少し乱れる。

「……いま!」
カメラマンの声が重なった。

シャッター音。
その音は、まるで呼吸のように柔らかかった。

フラッシュが光る。
瞼の裏に、一瞬の白が残る。
けれど、誰も目を細めなかった。
そのままのまなざしで、光の中に立っていた。

撮影が終わると、
誰からともなく、拍手が起こった。
それは祝福でも賞賛でもなく、
ただ「生きてここにいる」ことを確かめ合う音だった。

沙月は空を見上げた。
少し眩しい。
でもその光は、もう“眩しすぎるもの”ではなかった。

そっとつぶやいた。
「無理しないって、ちゃんと写るんだね」

なおが隣で微笑んだ。
「うん。生きてる途中の顔が、一番きれいなの」

春風がふたたび吹いて、
フラッシュの白と、花びらの舞いと、
誰かの笑い声が混ざって消えていった。

その一瞬を、
誰かがまた拾って、
数年後、どこかの誰かが息を整えるかもしれない。

光は、そうして続いていく。​


(了)
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