20 / 25
第三章 記憶と緩まる封印
鬼丸と七緒②
しおりを挟む
「は……? 何を言って……現に俺の腹には封印の紋が深く刻まれているのだぞ。最小限に抑えた妖力で何ができると言うのだ」
急激に口内の水分が干からび、喉奥が張り付く感覚に襲われる。
「うんにゃ。自分で一番分かっているんだろう? 君の膨大な妖力に、封印が限界を迎えつつあることに」
鬼丸が自分に言い聞かせるように発した言葉は、七緒にゆるりと否定された。
鬼丸が瞳を泳がせ、言葉を紡げない間にも、七緒は推論を続ける。
「そもそも、あやかしが何年も隠世に戻ることなく現世に留まっていること自体が異様なんだよ。他の使い魔は呼ばれた時にだけ、こちらにやってくるだろう? 僕だってそうさ。境界が曖昧になるこの時間だけ、迷えるお客人と戯れるために店を構えているけどさ、それ以外は向こうにいるのだから」
七緒の言う通り、鬼丸は自らの膨大な妖力を抑えるために、自らの意思で封印の紋を刻んだ。それも全て、結衣の側に居るために。
「封印の紋が締め付けるような痛みをもたらすのは、さっきが初めてじゃないんだろう? うん、やっぱり随分と濃厚な揚力が漏れ出ているねえ」
うーん、と七緒は唸りながら顎に手を添えて鬼丸の臍のあたりを凝視する。
「このままにしておくと、君が苦しむことになる。さっさと封印を解いてしまったらどうだい?」
「それは……できない」
からりと簡単に宣う七緒に対し、鬼丸の表情は暗い。唇をキツく噛み締め、鋭い眼は床を睨みつけている。
七緒の言わんとすることは理解できる。他の使い魔と同じように、必要な時にだけ呼びかけに応じればいいのだ。わざわざ力を封じてまで現世に固執する鬼丸の考えが理解できないのだろう。
だが、鬼丸の封印が解けること、それはすなわち、結衣が記憶を取り戻すことを意味する。
結衣の使い魔として、現世に住まう決断をした時に自ら課した制約だ。その条件で、呪詛師に封印の紋を刻んでもらった。膨大な妖力を封じた反動で、姿形が随分と幼くなってしまったが、元の姿だと結衣の記憶を刺激する可能性があるので好都合だった。
「どうして頑なに拒むんだい? 彼女は君が側でずっと見守らなければならないほど弱くはないだろう」
どら焼きを食べ終え、ちびちびと茶を啜っていた七緒が、何もかも見透かすような琥珀色の瞳でゆっくりと鬼丸を見据える。
「そうまでして、彼女の側に居たいのかい? あやかしと人間は、結ばれはしないよ」
「……分かっている」
分かっているのだ。痛いほどに。七緒に言われるまでもない。
今の関係でいい。唯一無二の存在で、結衣の側に居ることができれば、それでいい。
もし封印が解かれてしまったら、鬼丸は本能的に結衣を求めてしまうだろう。
封印によって封じているのは、妖力だけではない。結衣に対する燃えるような恋情をも封じているのだから。
それでもなお、結衣を愛しく、大事に想う気持ちは残っている。長年燻らせている決して淡いとは言えない恋心を今更どう扱えというのだろう。
結衣を傷つけるわけにはいかない。そのためにも封印を解くことはできないのだ。
それに、鬼丸は怖かった。
結衣が力を失った原因が、自分にあることがバレてしまったら――
そのことを知りながら、これまで黙って結衣のそばにい続けたことがバレてしまったら――
きっと結衣は鬼丸を拒絶するだろう。鬼丸は、何よりもそれが恐ろしくて仕方がないのだ。
「まあ、君がいいなら僕からとやかく言うことはできないけどさ。君の封印はもうギリギリだよ。それだけしっかり理解しておくことだねえ」
煙管に再び火をつけて、ぷはぁと白煙を立ち上らせる。深刻な話をしているというのに、七緒はどこまでもゆったりと自らのペースを崩さない。
「……肝に銘じておこう」
鬼丸はすっかり冷えた茶で喉を潤し、残りのどら焼きを一気に頬張ると七緒の店を出た。
「また困りごとがあったらいつでも訪ねておいでねえ」
ひらひらとやる気のない見送りの手が視界の端にチラつく。鬼丸は硬い顔をしたまま、そろそろ結衣が戻っているであろう屋敷へと足を向けた。
結衣が記憶を取り戻さなければ、鬼丸の封印が完全に解かれることはない。
だから、少し腹痛を辛抱すれば、これまでの生活を守ることができる。
境界の綻びも、辰輝が数日もすれば綺麗に修復するだろう。
「ふん、俺が結衣に愛を求めることは端っからできないんだよ」
鬼丸の自嘲めいた呟きが、冷たく乾燥した空気に吸い込まれていく。
その時、頬に冷たいものが舞い降りた。
「雪か……これは積もるだろうな。明日は雪かきの依頼が増えそうだ」
鈍色の分厚い雲を背に、はらりはらりと舞い落ちる雪の花弁。
肌に触れては吸い込まれるように消えていく雪の儚さを感じながら、鬼丸はゆっくりと屋敷へと歩みを進めた。
急激に口内の水分が干からび、喉奥が張り付く感覚に襲われる。
「うんにゃ。自分で一番分かっているんだろう? 君の膨大な妖力に、封印が限界を迎えつつあることに」
鬼丸が自分に言い聞かせるように発した言葉は、七緒にゆるりと否定された。
鬼丸が瞳を泳がせ、言葉を紡げない間にも、七緒は推論を続ける。
「そもそも、あやかしが何年も隠世に戻ることなく現世に留まっていること自体が異様なんだよ。他の使い魔は呼ばれた時にだけ、こちらにやってくるだろう? 僕だってそうさ。境界が曖昧になるこの時間だけ、迷えるお客人と戯れるために店を構えているけどさ、それ以外は向こうにいるのだから」
七緒の言う通り、鬼丸は自らの膨大な妖力を抑えるために、自らの意思で封印の紋を刻んだ。それも全て、結衣の側に居るために。
「封印の紋が締め付けるような痛みをもたらすのは、さっきが初めてじゃないんだろう? うん、やっぱり随分と濃厚な揚力が漏れ出ているねえ」
うーん、と七緒は唸りながら顎に手を添えて鬼丸の臍のあたりを凝視する。
「このままにしておくと、君が苦しむことになる。さっさと封印を解いてしまったらどうだい?」
「それは……できない」
からりと簡単に宣う七緒に対し、鬼丸の表情は暗い。唇をキツく噛み締め、鋭い眼は床を睨みつけている。
七緒の言わんとすることは理解できる。他の使い魔と同じように、必要な時にだけ呼びかけに応じればいいのだ。わざわざ力を封じてまで現世に固執する鬼丸の考えが理解できないのだろう。
だが、鬼丸の封印が解けること、それはすなわち、結衣が記憶を取り戻すことを意味する。
結衣の使い魔として、現世に住まう決断をした時に自ら課した制約だ。その条件で、呪詛師に封印の紋を刻んでもらった。膨大な妖力を封じた反動で、姿形が随分と幼くなってしまったが、元の姿だと結衣の記憶を刺激する可能性があるので好都合だった。
「どうして頑なに拒むんだい? 彼女は君が側でずっと見守らなければならないほど弱くはないだろう」
どら焼きを食べ終え、ちびちびと茶を啜っていた七緒が、何もかも見透かすような琥珀色の瞳でゆっくりと鬼丸を見据える。
「そうまでして、彼女の側に居たいのかい? あやかしと人間は、結ばれはしないよ」
「……分かっている」
分かっているのだ。痛いほどに。七緒に言われるまでもない。
今の関係でいい。唯一無二の存在で、結衣の側に居ることができれば、それでいい。
もし封印が解かれてしまったら、鬼丸は本能的に結衣を求めてしまうだろう。
封印によって封じているのは、妖力だけではない。結衣に対する燃えるような恋情をも封じているのだから。
それでもなお、結衣を愛しく、大事に想う気持ちは残っている。長年燻らせている決して淡いとは言えない恋心を今更どう扱えというのだろう。
結衣を傷つけるわけにはいかない。そのためにも封印を解くことはできないのだ。
それに、鬼丸は怖かった。
結衣が力を失った原因が、自分にあることがバレてしまったら――
そのことを知りながら、これまで黙って結衣のそばにい続けたことがバレてしまったら――
きっと結衣は鬼丸を拒絶するだろう。鬼丸は、何よりもそれが恐ろしくて仕方がないのだ。
「まあ、君がいいなら僕からとやかく言うことはできないけどさ。君の封印はもうギリギリだよ。それだけしっかり理解しておくことだねえ」
煙管に再び火をつけて、ぷはぁと白煙を立ち上らせる。深刻な話をしているというのに、七緒はどこまでもゆったりと自らのペースを崩さない。
「……肝に銘じておこう」
鬼丸はすっかり冷えた茶で喉を潤し、残りのどら焼きを一気に頬張ると七緒の店を出た。
「また困りごとがあったらいつでも訪ねておいでねえ」
ひらひらとやる気のない見送りの手が視界の端にチラつく。鬼丸は硬い顔をしたまま、そろそろ結衣が戻っているであろう屋敷へと足を向けた。
結衣が記憶を取り戻さなければ、鬼丸の封印が完全に解かれることはない。
だから、少し腹痛を辛抱すれば、これまでの生活を守ることができる。
境界の綻びも、辰輝が数日もすれば綺麗に修復するだろう。
「ふん、俺が結衣に愛を求めることは端っからできないんだよ」
鬼丸の自嘲めいた呟きが、冷たく乾燥した空気に吸い込まれていく。
その時、頬に冷たいものが舞い降りた。
「雪か……これは積もるだろうな。明日は雪かきの依頼が増えそうだ」
鈍色の分厚い雲を背に、はらりはらりと舞い落ちる雪の花弁。
肌に触れては吸い込まれるように消えていく雪の儚さを感じながら、鬼丸はゆっくりと屋敷へと歩みを進めた。
0
あなたにおすすめの小説
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
没落寸前でしたが、先祖の遺産が見つかったおかげで持ち直すことができました。私を見捨てた皆さん、今更手のひらを返しても遅いのです。
木山楽斗
恋愛
両親が亡くなってすぐに兄が失踪した。
不幸が重なると思っていた私に、さらにさらなる不幸が降りかかってきた。兄が失踪したのは子爵家の財産のほとんどを手放さなければならい程の借金を抱えていたからだったのだ。
当然のことながら、使用人達は解雇しなければならなくなった。
多くの使用人が、私のことを罵倒してきた。子爵家の勝手のせいで、職を失うことになったからである。
しかし、中には私のことを心配してくれる者もいた。
その中の一人、フェリオスは私の元から決して離れようとしなかった。彼は、私のためにその人生を捧げる覚悟を決めていたのだ。
私は、そんな彼とともにとあるものを見つけた。
それは、先祖が密かに残していた遺産である。
驚くべきことに、それは子爵家の財産をも上回る程のものだった。おかげで、子爵家は存続することができたのである。
そんな中、私の元に帰ってくる者達がいた。
それは、かつて私を罵倒してきた使用人達である。
彼らは、私に媚を売ってきた。もう一度雇って欲しいとそう言ってきたのである。
しかし、流石に私もそんな彼らのことは受け入れられない。
「今更、掌を返しても遅い」
それが、私の素直な気持ちだった。
※2021/12/25 改題しました。(旧題:没落貴族一歩手前でしたが、先祖の遺産が見つかったおかげで持ち直すことができました。私を見捨てた皆さん、今更掌を返してももう遅いのです。)
子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました
もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
明日結婚式でした。しかし私は見てしまったのです――非常に残念な光景を。……ではさようなら、婚約は破棄です。
四季
恋愛
明日結婚式でした。しかし私は見てしまったのです――非常に残念な光景を。……ではさようなら、婚約は破棄です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる