1001通目の真実 〜捨てられた王妃と、私を捨てた騎士王〜

柴田はつみ

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第六章:氷の女王の誕生

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青いインクが絨毯に広がり、最愛の人へ宛てた手紙が灰となったあの夜。
ミリアの中で、何かが決定的に壊れ、そして別の形に再構成された。

翌朝、心配して駆けつけたサラは、ベッドに腰掛けるミリアの姿を見て息を呑む。

「お嬢様……? お熱は……」

ミリアは答えなかった。
ただ、自分の指先を見つめている。青いインクと赤い血が混じり合い、爪の間までどす黒く染まっていた。

彼女はゆっくりと立ち上がり、鏡の前に立つ。
そこに映るのは、やつれ果て、蒼白な幽霊のような女。
だが、その瞳だけが、凍った湖の底のように鋭く、深い光を宿していた。

「サラ……お湯を持ってきて。一番熱いやつを」

ミリアは熱湯で執拗に指を洗った。
皮膚が赤くなるまで擦り続け、三年の孤独も、惨めな期待も、すべて洗い流すかのように。

その日から、彼女は二度と青い封筒を手に取らなかった。



離宮の空気は、目に見えて変わった。

ミリアは、自分を蔑んできた執事や侍従たちを、言葉もなく凝視するようになった。
罵声を浴びせられても、食事を抜かれても、眉ひとつ動かさず、ただ死神のような冷たい視線を返す。

「な……なんだ、あの女……気味が悪い……」

使用人たちは次第に口を噤み、怯えるようになった。
もはやそこに、涙に沈む弱々しい王妃の姿はない。



一方、本宮では、アルティスの心が限界を迎えていた。

側近バルカスは、最後の一押しとばかりに、さらに歪んだ報告を吹き込む。

「陛下、離宮のミリア様はついに正気を失われました。壁に向かって陛下への呪詛を吐き、復讐の機会を伺っているとか。……これ以上、彼女を王妃として置くのは、王家の恥でございます」

「……黙れ。彼女がそうなったのは、私が……会いに行かなかったからではないのか……?」

「いいえ。彼女は最初から隣国の内通者なのです。このままでは、陛下のお命が危ない。……そろそろ、ご決断を」

アルティスは震える手で、白紙の書類を握り締めた。

守りたかった愛する妻が、今や「王を滅ぼす毒」として語られている。
彼の胸には、愛と恐怖と絶望が絡み合っていた。

(ミリア……君は本当に、私が消えれば幸せになるのか……?)



離宮で、ミリアは枯れたリナリアの鉢を手に取っていた。
彼女は、その細い茎を、根こそぎ引き抜く。

「……愛なんて、毒でしかなかったわ」

胸の奥で、最後の優しさが切り捨てられていく感覚。
飢えには耐える術を。
沈黙で人を支配する術を。
彼女は、静かに学び始めていた。

「見ていなさい、アルティス。あなたが私に与えたこの絶望……何倍にもして返してあげる。
あなたも、私が過ごした三年間の地獄を味わうのよ」

床に残る「リナリアの青」の染みに、黒いドレスの裾が重なる。

清楚で控えめだった少女は死んだ。
今この場所で、憎しみによって覚醒した――氷の女王が生まれたのだ。



その一週間後。
ついに本宮から、一人の使者が離宮の門を叩いた。

それは、運命を終わらせるための――最後の一撃だった。
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