忘れな草の約束を胸に抱く幼なじみ公爵と、誤解とすれ違いばかりの婚約までの物語

柴田はつみ

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第十八章 最後の攻防

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 侯爵家からの書状は、分厚い羊皮紙に金糸で縁飾りが施され、封蝋には誇らしげな紋章が押されていた。
 執事が両手で差し出すと、応接間の空気がぴんと張りつめる。
 エドガーが封を切ると、硬質な紙の匂いと共に、流麗な筆跡が目に飛び込んできた。

《本日の式典における両家の親密なる様子を受け、改めて縁組を正式にご提案申し上げる》
《詳細は別紙の通り。近日中のご返答を切望いたします》

 別紙には、持参金や屋敷の条件、婚礼の暫定日程まで記されていた。
 ——これは「提案」というより、「承諾を前提とした通告」だった。

 父は低く息を吐き、母はわずかに首を振る。
「……向こうは本気で押し通す気ね」
「だが、もう家としては承認を与えた。ここからは——」父の視線がリディアに向けられた。「君とエドガーが、はっきりと公に答える番だ」

     

 翌朝、王都の社交紙は前日の式典の写真で賑わっていた。
 壇上で並び立つリディアとエドガーの姿。
 その下に、侯爵家の新提案の記事が早くも載っている。
 「縁談再浮上か」「式典で育まれた新しい関係」という見出しが踊り、通りの人々の話題になっていた。

 リディアは記事を閉じ、青い布切れを指で押さえた。
 この布の結び目が解けない限り、自分の答えは変わらない——そう心に刻む。

     

 その日の午後、公爵家と侯爵家の代表者が評議会の会議室に集まった。
 高い天井と大理石の柱に囲まれた空間で、両家の視線が火花を散らす。
 侯爵家当主は笑顔を崩さずに口を開いた。
「昨日の場をご覧になった皆様が、二人の将来に期待しておられる。これを流すのは惜しいと思いませんか」

 エドガーが即座に返す。
「惜しくない。——俺は彼女を、縁談の道具にはしない」
 当主の笑みがわずかに硬くなる。
「ならば、どう説明するのです? あれだけ人前で寄り添った後で、何もないなどと」
 リディアが一歩前に出た。
「説明は簡単です。——私は公爵様を選びました。ですが、それは“婚姻の形”ではなく、“互いの意思”によるものです」

 会議室が静まり返る。
 彼女は続けた。
「侯爵家との縁談はお断りいたします。昨日の式典は慈善事業のための場であり、縁組の場ではありませんでした」

     

 数秒の沈黙の後、侯爵家当主は肩をすくめ、笑みを戻した。
「なるほど……はっきりしたお返事、確かに承りました」
 その口調には敗北を悟った響きがあったが、同時に何かを含んでいた。
「ですが、社交界は残酷です。——どうぞお気をつけて」

 その言葉を最後に、侯爵家の一行は静かに去っていった。

     

 会議室を出ると、春の風が頬を撫でた。
 エドガーが横で小さく笑う。
「……これで終わったな」
「ええ。でも、これからも何か言われるでしょう」
「そのたびに、隣で全部言う。遮らずにな」

 青い布切れが、午後の陽射しで淡く光った。
 その結び目は、もう解く理由を失っていた
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