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第二章 間に合わなかった夕刻
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辺境伯領への視察は、予定では三日で終わるはずだった。
だが現地の橋の修復工事が遅れ、領主との協議が一日延び、その後の雨で街道がぬかるみ、さらに一日遅れた。
その間、胸の奥では別の時計が、彼女との距離を刻んでいた。
——夕刻、泉にて。
出発前、どうしても渡したかった短い文を、懐に忍ばせていた。
文字にすれば簡単だが、それを手渡す瞬間に込める覚悟は、思った以上に重かった。
あの青い布切れと同じくらいに。
帰路の馬車は、車輪が泥を弾く音ばかりが耳に響く。
窓の外、森を抜けた先の遠くに、王都の屋根が見えたとき、胸が高鳴った。
——まだ間に合うかもしれない。
泉の縁に立つ彼女を想像し、手紙を握りしめた。
しかし、日が傾く速度のほうが早かった。
城門をくぐる頃には、空は茜から群青へと変わり、夜の匂いが漂い始めていた。
焦りで馬車を降り、泉まで走ろうかとさえ思ったが、理性がそれを止めた。
もし今行っても、すでに彼女はいないだろう——そう自分に言い聞かせた。
屋敷の自室で、手紙を取り出す。
折り目が汗で少し湿っていた。
開いて読む必要はなかった。書いた言葉は、何度も心の中で繰り返していたから。
《夕刻、泉にて》
それだけだった。
それだけでよかった。
それだけで、足りなかった。
机の上に置いた手紙は、そこにあるだけで責めてくるようだった。
(もし彼女が呼んでくれていたら——)
想像は、自己嫌悪と同じ速さで胸に広がった。
翌日、泉の近くを通った。
忘れな草が夜露に濡れ、淡く光っている。
その間に立つべき影はなく、あるのは風と水音だけだった。
自分の足音が無駄に響く。
遅れたという事実が、言い訳よりも重く沈んだ。
そして、あの「関係ない」という言葉が、また胸の奥で疼いた。
だが現地の橋の修復工事が遅れ、領主との協議が一日延び、その後の雨で街道がぬかるみ、さらに一日遅れた。
その間、胸の奥では別の時計が、彼女との距離を刻んでいた。
——夕刻、泉にて。
出発前、どうしても渡したかった短い文を、懐に忍ばせていた。
文字にすれば簡単だが、それを手渡す瞬間に込める覚悟は、思った以上に重かった。
あの青い布切れと同じくらいに。
帰路の馬車は、車輪が泥を弾く音ばかりが耳に響く。
窓の外、森を抜けた先の遠くに、王都の屋根が見えたとき、胸が高鳴った。
——まだ間に合うかもしれない。
泉の縁に立つ彼女を想像し、手紙を握りしめた。
しかし、日が傾く速度のほうが早かった。
城門をくぐる頃には、空は茜から群青へと変わり、夜の匂いが漂い始めていた。
焦りで馬車を降り、泉まで走ろうかとさえ思ったが、理性がそれを止めた。
もし今行っても、すでに彼女はいないだろう——そう自分に言い聞かせた。
屋敷の自室で、手紙を取り出す。
折り目が汗で少し湿っていた。
開いて読む必要はなかった。書いた言葉は、何度も心の中で繰り返していたから。
《夕刻、泉にて》
それだけだった。
それだけでよかった。
それだけで、足りなかった。
机の上に置いた手紙は、そこにあるだけで責めてくるようだった。
(もし彼女が呼んでくれていたら——)
想像は、自己嫌悪と同じ速さで胸に広がった。
翌日、泉の近くを通った。
忘れな草が夜露に濡れ、淡く光っている。
その間に立つべき影はなく、あるのは風と水音だけだった。
自分の足音が無駄に響く。
遅れたという事実が、言い訳よりも重く沈んだ。
そして、あの「関係ない」という言葉が、また胸の奥で疼いた。
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