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第23章|従妹の一言
静養三日目。
“休む”という言葉は、思ったより難しい。
寝台に横たわっても、頭の中は勝手に動く。
廊下の足音、遠くの馬車、屋敷の扉が開く音。
すべてが「何かが起きる」と告げているみたいで、心が休まらない。
リリアーヌは窓辺の花瓶を見た。
薄紫と白。
淡い色は優しいのに、胸が痛む。
ヴィオラが薬湯の入ったカップを運んでくる。
「お嬢様。今日は少し温度を下げました。飲みやすいかと」
「……ありがとう」
飲みやすい。
そう言いたいのに、舌がうまく動かない。
カップに唇を当てると、扉がノックされた。
控えめで、軽い音。
屋敷の中で、この音を立てるのは限られている。
「リリアーヌ! いる?」
明るい声。
ロザリー。
従妹ロザリーは、春の花みたいに屈託がない。
悪意を知らないわけではない。
ただ、悪意がなくても人は人を刺せることを、彼女は知らない。
ヴィオラが即座に口を開く。
「ロザリー様、お嬢様は静養中で——」
「わかってるわ。だから長居しない。
ねえ、顔だけ見せて?」
その“顔だけ”が、いつも大事なものを連れてくる。
リリアーヌは小さく頷いた。
「……通して」
ロザリーはふわりと入ってきた。
淡い黄色のドレス。
髪には小さなリボン。
小鳥みたいに軽い。
「まあ……顔色が本当に悪いじゃない。
ねえ、大丈夫?」
大丈夫——その言葉を、もう何度聞いただろう。
そのたびに、自分の中の“大丈夫”が削れていく。
「大丈夫よ」
微笑みは薄い。
薄い微笑みは、今日も役に立つ。
ロザリーは花瓶を見つけ、目を丸くした。
「あ、きれい。これ、誰から?
……ブランシュ卿?」
視線が鋭いわけではない。
ただ、気づくのが早い。
彼女の“可愛い”は情報に強い。
「ええ。お見舞いに」
「へえ……」
ロザリーは花の色を覗き込み、突然ぱっと顔を上げた。
「ねえ、これ。あなたの好きな色でしょう?」
心臓が跳ねた。
好きな色。
それを、また言われる。
リリアーヌは何も返せず、カップを握る。
温度のあるものに縋らないと、手が冷える。
ロザリーは悪気なく続けた。
「ブランシュ卿って、やっぱり優しいのねえ。
それに……あなたが少し笑ってる」
笑ってる。
笑ってしまった。
それを他人の口から言われると、罪みたいになる。
「……そんなこと」
「あるわよ。ほら、ここ。目の端が柔らかい。
——ねえ、それでさ」
ロザリーは、言ってしまう。
“それでさ”の先に、刺があることに気づかずに。
彼女は首を傾げ、無邪気に言った。
「公爵様の恋って、エリザ様なの?」
——音が止まった。
カップの中の薬湯が揺れたのに、部屋の空気だけが凍る。
その名前が出た瞬間、胸の奥にあった重い石が、ゆっくりと沈み切った。
エリザ。
未亡人。
守られるべき人。
公爵が動く案件。
外套。
回廊。
——片思いの相手。
リリアーヌの視界が、少しだけ白くなる。
「……どうして、そう思うの」
声が、思ったより低かった。
泣き声ではない。
泣き声ではなくなった声は、危ない。
ロザリーは、なぜ怒られているのか分からない顔で笑う。
「だって皆言ってるもの。
“公爵様は未亡人をずっと気にかけてる”って。
それにこの前ね、王宮で——」
「ロザリー様」
ヴィオラが、鋭く遮った。
いつもの侍女長の声ではない。
刃の声。
ロザリーはきょとんとする。
「え? 何? 私はただ——」
「“ただ”で人は傷つきます」
ヴィオラの言葉が、室内を切った。
ロザリーはやっと顔色を変えた。
自分の無邪気が地雷だったと理解した瞬間の、遅い驚き。
「ごめん……私、そんなつもりじゃ……」
そんなつもりじゃない。
その言葉がいちばん残酷だ。
リリアーヌはロザリーを見た。
怒りたいのではない。
責めたいのでもない。
ただ、“確信”が欲しかった。
その確信が、今手に入ってしまったような気がした。
——みんな、そう思っている。
——噂はそういう形をしている。
——そして、公爵は否定しない。
否定しないのは、否定できないから。
否定できないのは、当たっているから。
リリアーヌは、微笑を作った。
けれどそれは、薄い微笑ではない。
整った微笑。
礼節の微笑。
“終わらせる”微笑。
「謝らなくていいのよ」
ロザリーの目が潤む。
「でも……」
「本当に、大丈夫」
その“大丈夫”は、救いの言葉じゃない。
距離の言葉だった。
ロザリーは何か言いかけて、結局言えずに俯いた。
そして小さく礼をして、部屋を出ていく。
扉が閉まった瞬間、リリアーヌはカップを置いた。
手が震えていたのに、心は不思議と静かだった。
ヴィオラが背後に立つ。
「お嬢様……」
「ヴィオラ」
リリアーヌは、窓辺の花瓶を見ながら言った。
「ねえ。
噂って、どうして“当たっているように”育つのかしら」
ヴィオラは答えない。
答えは簡単だ。
当人が黙るから。
リリアーヌは、静かに息を吐いた。
「……もう、いいわ」
“もういい”は、諦めではなく決意だった。
“休む”という言葉は、思ったより難しい。
寝台に横たわっても、頭の中は勝手に動く。
廊下の足音、遠くの馬車、屋敷の扉が開く音。
すべてが「何かが起きる」と告げているみたいで、心が休まらない。
リリアーヌは窓辺の花瓶を見た。
薄紫と白。
淡い色は優しいのに、胸が痛む。
ヴィオラが薬湯の入ったカップを運んでくる。
「お嬢様。今日は少し温度を下げました。飲みやすいかと」
「……ありがとう」
飲みやすい。
そう言いたいのに、舌がうまく動かない。
カップに唇を当てると、扉がノックされた。
控えめで、軽い音。
屋敷の中で、この音を立てるのは限られている。
「リリアーヌ! いる?」
明るい声。
ロザリー。
従妹ロザリーは、春の花みたいに屈託がない。
悪意を知らないわけではない。
ただ、悪意がなくても人は人を刺せることを、彼女は知らない。
ヴィオラが即座に口を開く。
「ロザリー様、お嬢様は静養中で——」
「わかってるわ。だから長居しない。
ねえ、顔だけ見せて?」
その“顔だけ”が、いつも大事なものを連れてくる。
リリアーヌは小さく頷いた。
「……通して」
ロザリーはふわりと入ってきた。
淡い黄色のドレス。
髪には小さなリボン。
小鳥みたいに軽い。
「まあ……顔色が本当に悪いじゃない。
ねえ、大丈夫?」
大丈夫——その言葉を、もう何度聞いただろう。
そのたびに、自分の中の“大丈夫”が削れていく。
「大丈夫よ」
微笑みは薄い。
薄い微笑みは、今日も役に立つ。
ロザリーは花瓶を見つけ、目を丸くした。
「あ、きれい。これ、誰から?
……ブランシュ卿?」
視線が鋭いわけではない。
ただ、気づくのが早い。
彼女の“可愛い”は情報に強い。
「ええ。お見舞いに」
「へえ……」
ロザリーは花の色を覗き込み、突然ぱっと顔を上げた。
「ねえ、これ。あなたの好きな色でしょう?」
心臓が跳ねた。
好きな色。
それを、また言われる。
リリアーヌは何も返せず、カップを握る。
温度のあるものに縋らないと、手が冷える。
ロザリーは悪気なく続けた。
「ブランシュ卿って、やっぱり優しいのねえ。
それに……あなたが少し笑ってる」
笑ってる。
笑ってしまった。
それを他人の口から言われると、罪みたいになる。
「……そんなこと」
「あるわよ。ほら、ここ。目の端が柔らかい。
——ねえ、それでさ」
ロザリーは、言ってしまう。
“それでさ”の先に、刺があることに気づかずに。
彼女は首を傾げ、無邪気に言った。
「公爵様の恋って、エリザ様なの?」
——音が止まった。
カップの中の薬湯が揺れたのに、部屋の空気だけが凍る。
その名前が出た瞬間、胸の奥にあった重い石が、ゆっくりと沈み切った。
エリザ。
未亡人。
守られるべき人。
公爵が動く案件。
外套。
回廊。
——片思いの相手。
リリアーヌの視界が、少しだけ白くなる。
「……どうして、そう思うの」
声が、思ったより低かった。
泣き声ではない。
泣き声ではなくなった声は、危ない。
ロザリーは、なぜ怒られているのか分からない顔で笑う。
「だって皆言ってるもの。
“公爵様は未亡人をずっと気にかけてる”って。
それにこの前ね、王宮で——」
「ロザリー様」
ヴィオラが、鋭く遮った。
いつもの侍女長の声ではない。
刃の声。
ロザリーはきょとんとする。
「え? 何? 私はただ——」
「“ただ”で人は傷つきます」
ヴィオラの言葉が、室内を切った。
ロザリーはやっと顔色を変えた。
自分の無邪気が地雷だったと理解した瞬間の、遅い驚き。
「ごめん……私、そんなつもりじゃ……」
そんなつもりじゃない。
その言葉がいちばん残酷だ。
リリアーヌはロザリーを見た。
怒りたいのではない。
責めたいのでもない。
ただ、“確信”が欲しかった。
その確信が、今手に入ってしまったような気がした。
——みんな、そう思っている。
——噂はそういう形をしている。
——そして、公爵は否定しない。
否定しないのは、否定できないから。
否定できないのは、当たっているから。
リリアーヌは、微笑を作った。
けれどそれは、薄い微笑ではない。
整った微笑。
礼節の微笑。
“終わらせる”微笑。
「謝らなくていいのよ」
ロザリーの目が潤む。
「でも……」
「本当に、大丈夫」
その“大丈夫”は、救いの言葉じゃない。
距離の言葉だった。
ロザリーは何か言いかけて、結局言えずに俯いた。
そして小さく礼をして、部屋を出ていく。
扉が閉まった瞬間、リリアーヌはカップを置いた。
手が震えていたのに、心は不思議と静かだった。
ヴィオラが背後に立つ。
「お嬢様……」
「ヴィオラ」
リリアーヌは、窓辺の花瓶を見ながら言った。
「ねえ。
噂って、どうして“当たっているように”育つのかしら」
ヴィオラは答えない。
答えは簡単だ。
当人が黙るから。
リリアーヌは、静かに息を吐いた。
「……もう、いいわ」
“もういい”は、諦めではなく決意だった。
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