推しの幸せが私の願い(のはず)! ~勘違い令嬢は、伯爵様の「溺愛」に気づかない~

柴田はつみ

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第一章:推しの命日は、私の誕生日

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 鳴り響くクラクション。鼓膜を震わせる鋭い金属音。
 視界が白く塗り潰される直前、私の脳裏を占めていたのは――家族への遺言でも、未払いの光熱費への後悔でもなかった。
(……最悪。今日、単行本の発売日なのに……!)

 大人気ファンタジー小説『聖女と銀の騎士』。その最新刊を胸に抱えたまま、私の意識は暗転した――はずだった。

「……おぎゃあ……あぁーっ!」

 自分の口から飛び出したのは言葉ではなく、肺を震わせる産声。
 まばゆいシャンデリアの光、鼻を刺すおしろいと高級な香水の匂い。視界はひどくぼやけているが、豪奢な装飾が施された天蓋だけははっきりと見えた。

「お生まれになりました! 公爵様、美しいお嬢様です!」

「おお……エルセ。私の愛しいエルセ・フォン・ローゼンバーグ……」

 がっしりとした腕に抱き上げられ、私は確信する。
 どうやら私は死んでしまったらしい。そして――あろうことか、前世で読み耽っていた小説の世界に、公爵令嬢として転生してしまったのだ。

 それから十年が過ぎた。
 鏡に映るのは、透き通るようなプラチナブロンドと、意志の強さを宿したスミレ色の瞳を持つ美少女。
 ローゼンバーグ公爵家の至宝――それが、今の私、エルセである。

 ただし中身は、筋金入りのオタクだ。

「お嬢様、アルフレッド様がお見えです」

 侍女の声に、心臓が跳ねる。
 私はドレスの裾を翻し、客間へ続く廊下を全力で駆けた。

「アルフレッド様! お待ちしておりましたわ!」

 客間で待っていたのは、漆黒の髪を無造作に遊ばせ、冷ややかでありながらどこか憂いを帯びた瞳を持つ少年。

 アルフレッド・フォン・ベルンシュタイン。
 将来、冷徹な軍神として名を馳せる伯爵家の子息――そして、私の最推し。

「……エルセ。淑女がそんなに走るものじゃない」

 立ち上がったアルフレッドが、呆れたようにため息をつく。その低く心地よい声に、私の脳内は即座に狂喜乱舞した。
(今の低音聞きました!? 『淑女が~』って、ファンブックの台詞そのまま! 尊い、尊すぎて網膜が焼ける……!)

「申し訳ありません。あまりに嬉しくて」

「……何が」

「アルフレッド様にお会いできることが、ですわ」

 満面の笑みを向けると、アルフレッドは一瞬だけ視線を逸らし、拳で口元を覆った。耳の付け根が、ほんのり赤い。
(ああ、可愛い。今はこんなに純情なのに……でも知っているわ。この数年後、彼は“運命の女性”に出会ってしまうのよね)

 原作のアルフレッドは、隣国の王女か、あるいは男爵令嬢――とにかく「運命のヒロイン」に心を奪われるキャラクターだった。
 公爵令嬢である私・エルセは、原作では名前すら出てこないモブ。精々、婚約者候補として冷たくあしらわれる端役だ。

「エルセ、聞いてるのか?」

「ええ、もちろんですわ!(一文字も聞いてなかったけれど!)」

 少し躊躇するような仕草を見せた後、アルフレッドはポケットから小さな包みを取り出した。

「これ……やる。街で見かけて、君の瞳の色に似ていると思ったから」

 差し出されたのは、スミレ色の宝石があしらわれた髪飾り。
 私の胸が激しく高鳴る。

(推しからの供給!? 直筆サインどころか直接手渡し!? 死んでもいい……いや、これを守るために生きる!)

「ありがとうございます! 一生――いえ、墓場まで持っていきますわ!」

「大袈裟だ……。気に入ったなら、いい」

 わずかに口角を上げる彼。その破壊的な美貌に、私の思考は一瞬停止した。

 ――しかし。

 幸せな高揚感の中、ふと視界に映り込んだのは、窓の外を歩く一人の令嬢。
 中庭の花を愛でる、可憐な商家の娘・カトレア。

 その瞬間、アルフレッドの視線が私から外れ、彼女へ向かう。
 その瞳には、さきほどとは違う、真剣で、どこか焦りを帯びた光が宿っていた。

(……あ。)

 私は悟ってしまった。

 この髪飾りは、私のためのものではない。
 きっと、カトレアのような可憐な少女への贈り物を探す過程で、ついでに「幼馴染の私」の分も選んだだけ――。

 原作の強制力。
 彼が恋をする相手は、私ではない。

「アルフレッド様、カトレア様はとてもお綺麗ですわね」

 私の言葉に、アルフレッドの肩がびくりと揺れた。

「……ああ、そうだな。彼女には、相談に乗ってもらっていることがあって……」

 言い訳のように視線を泳がせる彼を見つめながら、胸の奥がチクリと痛む。
 それでも私は、その痛みを「ファンとしての使命感」で押し潰した。

(そうよ。推しの幸せこそ、ファンの幸せ。私がすべきなのは、彼を繋ぎ止めることじゃない。
 彼が心から愛する人と結ばれるよう、全力で支えること……!)

「応援しておりますわ、アルフレッド様。あなたの恋が実りますよう、私、何でもいたします!」

 決意を込めて彼の両手を握ると、
 アルフレッドは――まるで幽霊でも見たかのような、絶望に染まった表情を浮かべていた。
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