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第13章|宰相の条件
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王宮の門をくぐった瞬間、空気が変わった。
香りが薄くなり、温度が一段下がる。
ここは“言葉”が命を決める場所だ。
私は外套の襟を整え、背筋を伸ばした。
指には青石の指輪。冷たい鎖が今日も私を締める。
廊下の奥で、待っていたのは王妃ミレーヌ――ではなかった。
「公爵夫人リュミエール殿。こちらへ」
案内したのは、宰相グレゴールの直属の書記官。
声は丁寧だが、拒否を許さない。
私は小さく頷き、歩いた。
ミナはいない。
ここへ“単身”で来るよう命じられている。
護衛のガイは遠巻きに影のように付くが、王宮の内側には入れない。
(離された)
胸の奥が冷える。
離された途端、私は“ひとり”になる。
案内されたのは、王妃の私室ではなく、宰相府に近い小部屋だった。
窓が小さく、陽の光が薄い。
壁に掛かるのは王家の紋章ではなく、行政の印――秩序の印。
扉が閉まる音がした。
「座れ」
声が落ちた。
低く、乾いている。
宰相グレゴールが、机の向こうに座っていた。
髪は白く、背は曲がっていない。
年老いてなお、目だけが鋭い。
私は一礼し、椅子に腰を下ろす。
膝の上で手を重ね、震えを隠す。
「本日は……王妃様より――」
「王妃は関係ない」
宰相は言葉を切った。
その一言で、私は理解する。
今日の呼び出しの本体は、王妃ではない。
宰相だ。
国の影を握る男だ。
「単刀直入に言う」
宰相は机の上に、一通の書状を置いた。
羊皮紙。封蝋。
――王命書の形に似ている。
私の胸が、嫌な予感で締まる。
「お前の“真実”についてだ」
喉が凍った。
(真実)
それをこの口に出したことはない。
出してはいけない。
出した瞬間に、国が揺れる。
宰相は私を見たまま、淡々と言った。
「お前が何者か、世に出れば混乱が起きる。政敵は王家を裂く刃にする。王妃は辱められ、国王は弱く見える」
一つひとつが、冷たい事実。
否定できない。
私は息を吸うことさえ怖かった。
宰相は続ける。
「ゆえに、お前は沈黙しろ」
沈黙。
私はずっと沈黙している。
なのに、それでも足りないと言うの?
「……私は」
言いかけた私の声を、宰相は指先ひとつで止めるように遮った。
「言うな」
その声は小さいのに、刃だった。
「真実を言えば、あなたが死ぬ」
空気が、完全に止まった。
死ぬ。
その二文字は、恐怖としてではなく、決定事項として響いた。
脅しではない。予告だ。
私は唇の内側を噛んだ。
血の味が薄く広がる。
「……誰に、殺されるのですか」
問いは震えていた。
でも、聞かずにはいられなかった。
宰相は少しだけ笑った。笑ったというより、唇が動いただけ。
「誰に、ではない」
目が、冷える。
「“どうやって”だ」
私の背筋が凍る。
事故。病。毒。
“自然”に見える死はいくらでも作れる。
第六章の香るお茶が、脳裏を過ぎる。
(あれも……)
宰相は私の震えを愉しむでもなく、ただ淡々と続ける。
「お前は生きたければ、黙れ。
黙って、汚名を受けろ。
妾の噂を盾にしろ。
それが最も安い代償だ」
安い。
命と尊厳を天秤にかけて“安い”と言う。
私は息が苦しくなった。
胸の奥が痛い。
でも涙は出ない。泣いたら負ける。
「……私は、公爵夫人です」
震える声で言う。
必死で、今の自分の立場にすがる。
宰相の瞳が、ほんの僅かに細くなる。
「だからこそだ」
宰相は机の上の書状を指で叩いた。
「公爵アランは、お前の“盾”になる。
だが、盾になればなるほど、敵は公爵を狙う。
お前が真実を言えば、公爵は巻き添えで死ぬ」
その言葉で、私の心臓が跳ねた。
(アランが……死ぬ?)
その瞬間、私の中で選択肢が消える。
自分が死ぬより、彼が死ぬ方が怖い。
彼は私のせいで“気の毒”と言われ続けているのに、命まで奪うなんて――。
宰相は、私の顔色の変化を見て、初めて満足そうに息を吐いた。
「理解したな」
私は声が出なかった。
「……公爵には、何も言うな」
宰相は念を押すように言う。
「夫婦で秘密を共有すれば、隙ができる。
隙は噂屋が嗅ぎ、政敵が刺す。
お前の沈黙は、お前のためではない。国のためだ」
国のため。
その言葉は、いつも正しい顔をしている。
正しい顔のまま、人を殺す。
私は膝の上で指を握りしめた。
青石の指輪が指を締めつける。鎖が痛い。
(言えない)
(言ったら、彼が死ぬ)
宰相は最後に、紙片を一枚差し出した。
そこには小さく、記号のような数字が並ぶ。
青石の指輪の内側にあった刻印と似ている。
「これは合図だ。
呼ばれたら来い。拒むな」
拒むな。
また命令。
また鎖。
私は紙片を受け取らなかった。
受け取れば、“従う”ことを認めた気がした。
宰相の声が冷える。
「受け取れ」
私はゆっくり手を伸ばし、紙片を指先で掴んだ。
冷たい。紙なのに冷たい。
「……はい」
返事は、声ではなく呼吸だった。
宰相は立ち上がり、扉へ向かいながら言った。
「お前は生きろ。
そして、黙って朽ちろ」
扉が開き、廊下の明るさが差し込む。
その光が、やけに眩しかった。
私は席に残ったまま、紙片を見つめた。
手が震える。
震えを止められない。
――沈黙を選ぶしかない。
それは、私の命綱。
そして、私とアランの間に増えていく“疑惑の鎖”。
私はやっと気づいた。
王妃の招待状は、始まりに過ぎない。
宰相の条件が、本当の牢屋の鍵だと。
香りが薄くなり、温度が一段下がる。
ここは“言葉”が命を決める場所だ。
私は外套の襟を整え、背筋を伸ばした。
指には青石の指輪。冷たい鎖が今日も私を締める。
廊下の奥で、待っていたのは王妃ミレーヌ――ではなかった。
「公爵夫人リュミエール殿。こちらへ」
案内したのは、宰相グレゴールの直属の書記官。
声は丁寧だが、拒否を許さない。
私は小さく頷き、歩いた。
ミナはいない。
ここへ“単身”で来るよう命じられている。
護衛のガイは遠巻きに影のように付くが、王宮の内側には入れない。
(離された)
胸の奥が冷える。
離された途端、私は“ひとり”になる。
案内されたのは、王妃の私室ではなく、宰相府に近い小部屋だった。
窓が小さく、陽の光が薄い。
壁に掛かるのは王家の紋章ではなく、行政の印――秩序の印。
扉が閉まる音がした。
「座れ」
声が落ちた。
低く、乾いている。
宰相グレゴールが、机の向こうに座っていた。
髪は白く、背は曲がっていない。
年老いてなお、目だけが鋭い。
私は一礼し、椅子に腰を下ろす。
膝の上で手を重ね、震えを隠す。
「本日は……王妃様より――」
「王妃は関係ない」
宰相は言葉を切った。
その一言で、私は理解する。
今日の呼び出しの本体は、王妃ではない。
宰相だ。
国の影を握る男だ。
「単刀直入に言う」
宰相は机の上に、一通の書状を置いた。
羊皮紙。封蝋。
――王命書の形に似ている。
私の胸が、嫌な予感で締まる。
「お前の“真実”についてだ」
喉が凍った。
(真実)
それをこの口に出したことはない。
出してはいけない。
出した瞬間に、国が揺れる。
宰相は私を見たまま、淡々と言った。
「お前が何者か、世に出れば混乱が起きる。政敵は王家を裂く刃にする。王妃は辱められ、国王は弱く見える」
一つひとつが、冷たい事実。
否定できない。
私は息を吸うことさえ怖かった。
宰相は続ける。
「ゆえに、お前は沈黙しろ」
沈黙。
私はずっと沈黙している。
なのに、それでも足りないと言うの?
「……私は」
言いかけた私の声を、宰相は指先ひとつで止めるように遮った。
「言うな」
その声は小さいのに、刃だった。
「真実を言えば、あなたが死ぬ」
空気が、完全に止まった。
死ぬ。
その二文字は、恐怖としてではなく、決定事項として響いた。
脅しではない。予告だ。
私は唇の内側を噛んだ。
血の味が薄く広がる。
「……誰に、殺されるのですか」
問いは震えていた。
でも、聞かずにはいられなかった。
宰相は少しだけ笑った。笑ったというより、唇が動いただけ。
「誰に、ではない」
目が、冷える。
「“どうやって”だ」
私の背筋が凍る。
事故。病。毒。
“自然”に見える死はいくらでも作れる。
第六章の香るお茶が、脳裏を過ぎる。
(あれも……)
宰相は私の震えを愉しむでもなく、ただ淡々と続ける。
「お前は生きたければ、黙れ。
黙って、汚名を受けろ。
妾の噂を盾にしろ。
それが最も安い代償だ」
安い。
命と尊厳を天秤にかけて“安い”と言う。
私は息が苦しくなった。
胸の奥が痛い。
でも涙は出ない。泣いたら負ける。
「……私は、公爵夫人です」
震える声で言う。
必死で、今の自分の立場にすがる。
宰相の瞳が、ほんの僅かに細くなる。
「だからこそだ」
宰相は机の上の書状を指で叩いた。
「公爵アランは、お前の“盾”になる。
だが、盾になればなるほど、敵は公爵を狙う。
お前が真実を言えば、公爵は巻き添えで死ぬ」
その言葉で、私の心臓が跳ねた。
(アランが……死ぬ?)
その瞬間、私の中で選択肢が消える。
自分が死ぬより、彼が死ぬ方が怖い。
彼は私のせいで“気の毒”と言われ続けているのに、命まで奪うなんて――。
宰相は、私の顔色の変化を見て、初めて満足そうに息を吐いた。
「理解したな」
私は声が出なかった。
「……公爵には、何も言うな」
宰相は念を押すように言う。
「夫婦で秘密を共有すれば、隙ができる。
隙は噂屋が嗅ぎ、政敵が刺す。
お前の沈黙は、お前のためではない。国のためだ」
国のため。
その言葉は、いつも正しい顔をしている。
正しい顔のまま、人を殺す。
私は膝の上で指を握りしめた。
青石の指輪が指を締めつける。鎖が痛い。
(言えない)
(言ったら、彼が死ぬ)
宰相は最後に、紙片を一枚差し出した。
そこには小さく、記号のような数字が並ぶ。
青石の指輪の内側にあった刻印と似ている。
「これは合図だ。
呼ばれたら来い。拒むな」
拒むな。
また命令。
また鎖。
私は紙片を受け取らなかった。
受け取れば、“従う”ことを認めた気がした。
宰相の声が冷える。
「受け取れ」
私はゆっくり手を伸ばし、紙片を指先で掴んだ。
冷たい。紙なのに冷たい。
「……はい」
返事は、声ではなく呼吸だった。
宰相は立ち上がり、扉へ向かいながら言った。
「お前は生きろ。
そして、黙って朽ちろ」
扉が開き、廊下の明るさが差し込む。
その光が、やけに眩しかった。
私は席に残ったまま、紙片を見つめた。
手が震える。
震えを止められない。
――沈黙を選ぶしかない。
それは、私の命綱。
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