王の影姫は真実を言えない

柴田はつみ

文字の大きさ
16 / 40

第16章|香るお茶の中の針

しおりを挟む
その日の茶会は、王妃の名で開かれた。

――正確には、“王妃の後ろ盾を匂わせた”茶会。
主催は伯爵夫人。出席者は、噂が好きな女たち。
そして、私が「断れない」と知っている者たち。

王宮帰りの私に、社交界はすぐに網をかけた。
招待状には丁寧な言葉が並び、断れば「やはり妾だから」と囁かれる。
出れば出たで、傷つく。

私は外套の留め具を直し、馬車を降りた。
ミナは不安げに私の後ろにつく。
護衛のガイは少し離れた位置に立ち、周囲を見張る。

会場となる伯爵邸のサロンは、花で満ちていた。
白い百合、淡い薔薇、香草の束。
甘い香りが重なり、頭がふわりと軽くなる。

(香りが強い……)

“香るお茶”が、嫌な形で蘇る。
でも私は笑って入った。
公爵夫人としての顔を崩さない。

「公爵夫人、ようこそ」

伯爵夫人が微笑み、周囲の貴婦人たちが扇で口元を隠して笑う。
目が笑っていない笑い。
噂を楽しむ笑い。

「本日はお招きに預かり光栄です」

私は礼儀正しく答え、席に着く。
椅子の背が硬い。
背筋を支えてくれるどころか、背を刺すようだ。

ほどなくして、茶が運ばれた。

琥珀色の液体。
湯気。
そして――甘く濃い香り。



私は息を止めそうになり、ゆっくり呼吸を整えた。
香りの奥に、針の匂いがある。
“甘さ”の中に混じる、金属のような冷たさ。

(また……)

ミナが私の隣で小さく首を振った。
飲まないで、という合図。

でも、私が飲まなければ。
彼女たちは必ず言う。

――ほら、罪があるから飲めないのよ。
――妾の証拠を隠したいのね。
――王妃に呼ばれた後ろめたさがあるのよ。

私は笑みを作った。

「香りが、とても素敵ですわ」

言いながら、杯を持ち上げる。
指先が冷える。
青石の指輪が、光を受けて沈むように輝いた。

貴婦人の一人が、わざとらしく言った。

「まあ、その指輪……国王陛下から?」

くすくす、と笑いが広がる。
針が刺さるような笑い。

「王宮からの……贈り物ですわ」

私は嘘ではない答えを選んだ。
真実ではない答え。

伯爵夫人が微笑み、視線を私の杯へ落とす。

「さあ、公爵夫人。冷めてしまいますわよ」

逃げ道を塞ぐ声。
優しいふりの命令。

私は杯を唇へ運んだ。

香りが鼻腔を満たす。
甘い。
甘すぎる。

(――飲みたくない)

本能が叫ぶ。
けれど私は飲んだ。
一口だけ。
たった一口。

次の瞬間、舌の奥に、細い痛みが走った。

針。

刺されたような、微かな痛み。
甘いのに、喉が焼ける。

私は瞬きをした。
視界が一瞬だけ揺れた。

(……おかしい)

胸が苦しい。
息が浅くなる。
心臓が、速く打つ。

ミナが私の袖を掴んだ。
必死に、私の目を見ている。

「奥様……」

私は微笑もうとした。
大丈夫、と言うために。
でも笑みが作れない。唇が重い。

周囲の貴婦人たちは、笑っている。

「まあ、公爵夫人、顔色が……」

「お疲れなのでは? 王宮は緊張するものね」

「それとも……罪の意識?」

最後の言葉が、耳を裂く。

私は立ち上がろうとした。
逃げるためではない。
倒れないために姿勢を正そうとした。

けれど、膝が力を失った。

椅子の脚が鳴り、世界が傾く。
床が近づく。

(倒れる――)

倒れたら、噂が勝つ。
倒れたら、公爵がまた“気の毒”と言われる。

そう思った瞬間、誰かの腕が私を支えた。

硬い腕。
軍人の腕。

「……奥様」

ガイの声。
護衛騎士ガイが、サロンに踏み込んでいた。
“単身”など関係ないと言わんばかりに。

貴婦人たちの笑いが、一瞬止まる。

「失礼します。公爵の命により、奥様をお連れします」

丁寧なのに、拒否を許さない声。

私はガイの腕に支えられながら、必死に意識を保った。
けれど視界の端が白く滲む。
耳鳴りがする。

外の空気が冷たい。
冷たさが、肺に刺さる。

馬車に運び込まれる途中で、私は遠くの誰かの声を聞いた。

「……あら、やっぱりね」

「妾は、毒にも慣れているはずなのに」

笑い声。

世界が暗くなる。
私の意識が沈む。

――暗闇の底で、ひとつだけ思う。

(アラン公爵……ごめんなさい)

(またあなたが、“可哀想”と言われる)



目を覚ましたのは、公爵邸の寝室ではなく、医務室だった。
鼻に刺さるのは薬草の匂い。
甘い香りではない。救いの匂い。

侍医エレナが私の脈を取りながら、低く言った。

「……微量ですが、毒の反応があります」

その言葉で、心臓がまた跳ねた。
毒。
やはり。

「命に関わる量ではありません。ただ――」

エレナの瞳が鋭くなる。

「繰り返せば、必ず倒れます。次は“偶然”では済まされない」

偶然では済まされない。
つまり、誰かが意図している。

私は唇を噛み、天井を見た。
涙が出ない。
泣く余裕がない。

(誰が、私を)

答えは怖い。
でも逃げられない。

香るお茶の中に、針があった。
そして針は、確かに私を刺した。

疑惑の鎖が、また一本増えた。
今度は“噂”ではなく――“命”で。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

第二王女と次期公爵の仲は冷え切っている

山法師
恋愛
 グレイフォアガウス王国の第二王女、シャーロット。  フォーサイス公爵家の次期公爵、セオドア。  二人は婚約者であるけれど、婚約者であるだけだった。  形だけの婚約者。二人の仲は冷め切っているし冷え切っている。  そもそも温度など、最初から存在していない。愛も恋も、友情も親しみも、二人の間には存在しない。  周知の事実のようなそれを、シャーロットもセオドアも否定しない。  お互いにほとんど関わりを持とうとしない、交流しようとしない、シャーロットとセオドアは。  婚約者としての親睦を深める茶会でだけ、顔を合わせる。  親睦を深める茶会だというのに、親睦は全く深まらない。親睦を深めるつもりも深める意味も、二人にはない。  形だけの婚約者との、形だけの親睦を深める茶会。  今日もまた、同じように。 「久しぶりに見る君が、いつにも増して愛らしく見えるし愛おしく思えて、僕は今にも天に召されそうなほどの幸福を味わっている。──?!」 「あたしのほうこそセオ様とお顔を合わせること、夢みたいに思ってるんですからね。大好きなセオ様を独り占めしているみたいに思えるんですよ。はっ?!」  顔を合わせて確認事項を本当に『確認』するだけの茶会が始まるはずが、それどころじゃない事態に陥った。  

お認めください、あなたは彼に選ばれなかったのです

・めぐめぐ・
恋愛
騎士である夫アルバートは、幼馴染みであり上官であるレナータにいつも呼び出され、妻であるナディアはあまり夫婦の時間がとれていなかった。 さらにレナータは、王命で結婚したナディアとアルバートを可哀想だと言い、自分と夫がどれだけ一緒にいたか、ナディアの知らない小さい頃の彼を知っているかなどを自慢げに話してくる。 しかしナディアは全く気にしていなかった。 何故なら、どれだけアルバートがレナータに呼び出されても、必ず彼はナディアの元に戻ってくるのだから―― 偽物サバサバ女が、ちょっと天然な本物のサバサバ女にやられる話。 ※頭からっぽで ※思いつきで書き始めたので、つたない設定等はご容赦ください。 ※夫婦仲は良いです ※私がイメージするサバ女子です(笑) ※第18回恋愛小説大賞で奨励賞頂きました! 応援いただいた皆さま、お読みいただいた皆さま、ありがとうございました♪

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

冷遇夫がお探しの私は、隣にいます

終日ひもの干す紐
恋愛
愛人がいるなら、さっさと言ってくれればいいのに! 妻に駆け落ちされた、傷心の辺境伯ロシェのもとへ嫁いでほしい。 シャノンが王命を受け、嫁いでから一年……とんでもない場面に立ち会ってしまう。 「サフィール……またそんなふうに僕を見つめて、かわいいね」 シャノンには冷たいの夫の、甘ったるい囁き。 扉の向こうの、不貞行為。 これまでの我慢も苦労も全て無駄になり、沸々と湧き上がる怒りを、ロシェの愛猫『アンブル』に愚痴った。 まさかそれが、こんなことになるなんて! 目が覚めると『アンブル』になっていたシャノン。 猫の姿に向けられる夫からの愛情。 夫ロシェの“本当の姿”を垣間見たシャノンは……? * * * 他のサイトにも投稿しています。

【完結】嘘が匂いますね、公爵様〜愛を騙る夫の後悔〜

終日ひもの干す紐
恋愛
一目惚れ──その言葉に偽りはないのに、彼の愛の囁きは嘘に塗れている。 貧乏伯爵家の娘ウィステルのもとへ、突然縁談が舞い込む。 相手はキャスバート公爵家当主フィセリオ。彼は婚姻を条件に援助を申し出る。 「一目惚れとはいえ、私はウィステル嬢を心から愛している。必ず大切にすると、キャスバートの名に誓いましょう」 けれど、ウィステルには『嘘を匂いで感じ取る』秘密の力があった。 あまりにもフィセリオに得のない縁談。愛もなく、真意は謎に包まれたまま、互いに秘密を抱えて時間を重ねる。全ては信頼される妻になるために。 甘い嘘で“妻を愛する夫”を演じきる公爵と、夫の嘘を見抜き、共犯者になると決めた令嬢の恋愛物語。 * * * ※主人公ウィステル以外の視点の話は【】にそのキャラを表記しています。同じ話の別視点ではなく、基本的に物語は進行していきます。 他のサイトでも投稿しています。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...