『話さない王妃と冷たい王 ―すれ違いの宮廷愛

柴田はつみ

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第4章 孤独の夜会

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 夜会の始まりを告げる鐘が鳴った。
 王宮の大広間には、百の燭台が灯り、光の海が広がっている。
 絹のドレスが波のように揺れ、楽団が奏でる旋律が天井を震わせた。

 ――けれど、そのきらめきの中に、彼女の居場所はなかった。

 リディアは、王妃として招かれた来賓に微笑みながらも、心の奥では別の鼓動が鳴っていた。
 冷たく乾いた音。
 何かが静かに壊れていく音だった。

 「陛下、今宵はお隣国のイザベル殿下をご同伴とのこと」
 侍女のマリアが、声を潜めて告げる。
 「……そう。聞いているわ」

 ドレスの裾を整えながら、リディアはわずかに目を閉じた。
 深呼吸をしても、胸の痛みは収まらない。
 鏡の中の自分が、他人のように見えた。

 薄い藤色のドレス。
 首筋には、アレクシスが戴冠の夜に贈ってくれたサファイアの首飾り。
 “これからの人生、君を照らすために”――そう言って微笑んだあの夜の言葉が、今は痛いほど遠い。

 (どうしてあの笑顔を、信じてしまったのかしら)

 自嘲のように唇が歪んだ瞬間、扉の向こうからざわめきが起こった。
 群衆の視線が一斉に入口へ向かう。

 アレクシスが現れた。
 その隣には――やはり、イザベル。

 彼女の金髪が光を浴びて輝く。
 淡い緑のドレスが揺れ、王の腕に手を添えていた。
 完璧な二人。
 まるで絵画から抜け出したように美しい“王と姫”。

 大広間のざわめきが、祝福のように響く。
 リディアは微笑みを作り、頭を下げた。

 「お帰りなさいませ、陛下」
 「ありがとう、リディア」

 短い言葉。
 それだけで、彼の視線はもう彼女の肩越しに過ぎていった。
 イザベルが隣で柔らかく笑う。
 その微笑を受けて、王の瞳が優しく細められた。

 胸の奥が、音もなく沈む。



 夜会は、いつもより長かった。
 音楽が流れ、人々は笑い、杯が交わされていく。
 その中心で踊る二人を、誰もが見つめていた。

 「……まるで夢のようね」
 公爵夫人の言葉に、リディアは静かに頷いた。
 「ええ。本当に」

 それ以上、何も言えなかった。
 笑顔のまま、心だけが遠のいていく。

 ふと、背後から貴族の小声が聞こえる。
 「王妃陛下はお寂しいでしょうね……」「でも、あの姫は陛下にふさわしい」
 まるで自分の存在を否定するような囁き。
 振り返ることもできず、ただ背筋を伸ばした。

 「――王妃様、陛下がお呼びです」
 侍従が告げた。

 「……わかりました」

 静かに立ち上がり、ゆっくりと歩く。
 会場の中央、光の輪の中。
 アレクシスがイザベルと踊り終え、彼女を優しく席へ導いたところだった。

 王の瞳がリディアを捉える。
 その視線に、一瞬、何かがよぎった。
 けれどそれは、すぐに王の表情の奥へ沈んでいった。

 「陛下」
 リディアは恭しく頭を下げた。
 「お疲れでしょう。どうぞお休みを」

 「……君も休むといい」

 たったそれだけ。
 形式的な会話。
 夫婦の言葉ではなかった。

 リディアが背を向けようとした瞬間、イザベルの声が重なる。
 「王妃陛下、いつかお二人の馴れ初めをお聞きしたいわ。とても素敵なお話でしょう?」

 柔らかい笑顔。
 悪意など、どこにもない。
 だからこそ、余計に痛かった。

 リディアは微笑んで答えた。
 「ええ……いつかお話しできる日が来れば、きっと」

(いつかなんて……こないわ)
心の中で呟く

 “いつか”‥‥リディアの心に寂しく響いた。

 

 夜会が終わったころ、月が高く昇っていた。
 人々の笑い声が遠ざかり、広間には片付けの音だけが残る。

 リディアは一人、窓辺に立っていた。
 ガラス越しに見える夜空が、やけに澄んでいる。

 誰もいない静寂の中で、ようやく仮面を外した。
 胸の奥から、熱いものが込み上げる。

 「……どうして、こんなに痛いの」

 ぽつりと零れた声。
 答える者はいない。

 ふと視線を上げると、バルコニーの向こう、王の部屋の灯りがまだ点いていた。
 その窓辺に、誰かの影が見えた。
 細い肩の線――女性。

 リディアは息を呑む。
 目を凝らしても、霧が揺れて見えづらい。
 それでも、心はもう理解していた。

 (……ああ、もう、私は終わったのね)

 手にしていた扇を落とす。
 床に落ちた音が、やけに大きく響いた。

 マリアが駆け寄る。
 「王妃様!」
 「大丈夫よ」
 微笑みながら言うと、頬を伝う涙が光った。
 「……ほんの少し、疲れただけ」

 涙を拭いもせず、彼女はゆっくりと背を向けた。

 廊下の向こう、冷たい風が吹き抜ける。
 その風に髪がほどけ、宝石の飾りが落ちる。

 拾おうとは思わなかった。
 ――王妃の誇りは、もう床に落ちたまま。

 その夜、リディアは寝室の扉を閉め、鏡に向かって微笑んだ。
 「おめでとうございます、陛下。……ようやく、お幸せですね」

 その声は震えず、涙も流れなかった。
 けれど、心の奥の何かが完全に凍りついた。

 冷たい月の光が彼女を照らす。
 その光の下で、リディアはひとり――“王妃”という名の孤独を抱きしめてい
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