婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ

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第49章|黒幕ざまぁ(決着)

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 王宮裁定が終わっても、空気は軽くならなかった。

 リディアが失脚した。
 バルドが引きずられた。
 汚名は撤回された。

 ――それでも“狼”はまだ生きている。

 火は消えたのではない。火元が残っている。
 火元を潰さなければ、次は必ずもっと大きく燃える。

 禁域の事件から一夜明けた朝、レイヴンは近衛詰所の奥で、手袋の裂けた指を見下ろしていた。
 包帯の下で掌が疼く。
 だが痛みは、剣の痛みではない。

 セシリアを抱き上げた瞬間の発作。
 封印刻が光った瞬間の恐怖。
 「器回収」という言葉の吐き気。

 あれは“研究”ではない。
 人間を道具にする行為だ。

 扉が開いた。

 ガイルとセドリック、そして古文書管理官エマが入ってくる。
 エマは顔色が悪い。手袋をした指が紙束を握りしめている。

「殿下」

 ガイルが低く言った。

「禁域の石蓋の封蝋、刻印、光写し具材。
 すべて宮廷魔術師長オスカーの管理印と一致しました」

 一致。
 その言葉が、決着の音になる。

 セドリックが続ける。

「禁域周辺の出入り記録も押さえました。
 “誰も入っていない”記録の裏に、魔術部の裏札が残っている。
 消しきれてません」

 現場主義の勝ちだ。
 現場の汚れは、いくらでも残る。

 エマが震える声で言った。

「……封庫の周辺記録だけでなく、封印契約の付属条文に“器回収”という語がありました。
 王家の名で封じられていたはずの条文が――魔術部の写しに混じっている」

 レイヴンの瞳が冷えた。

「盗んだのか」

 エマが小さく頷く。

「盗みました。
 そして、改竄の痕跡があります。
 “器として固定する手順”が追記されている」

 追記。
 つまり、オスカーは封印契約を研究し、利用し、書き換えた。

 ――王家の封印を、勝手に。

 レイヴンは立ち上がった。

 椅子が鳴る。
 その音が、決断の音になる。

「逮捕する」

 ガイルが一歩前へ出る。

「殿下。魔術師長は王宮内で権力が強い。表から踏み込めば抵抗します。
 禁呪の使用もあり得る」

「だから少数で押さえる」

 レイヴンの声は冷たく、迷いがない。

「王宮の規律で押さえる。
 “研究”ではなく、“王権への侵害”で」

 セドリックが短く頷いた。

「やれます」

 レイヴンはガイルを見た。

「近衛を動かせ。封庫と魔術部の出入口を塞げ。
 逃げ道を残すな」

「は」

 そして、エマへ言う。

「証拠は封蝋付きで三部。国王、王妃、王女へ。
 “記録”として残す」

 エマの目が潤む。

「……はい」

 記録係は、最後に勝つ。



 宮廷魔術部の研究棟は、昼でも薄暗かった。

 窓が小さい。
 光よりも、火と薬品が支配する建物。
 空気が乾き、紙と硝子と金属の匂いが混ざる。

 レイヴンは先頭に立ち、扉を開けた。

 中は静かだった。
 静かすぎる。

(気づいている)

 ガイルが低く囁く。

「殿下、奥で魔力の揺れ。……準備しています」

 準備。
 抵抗の準備。逃走の準備。禁呪の準備。

 レイヴンは足を止めず、奥へ進んだ。

 研究室の扉の前で、セドリックが片手を上げる。

「開ける」

 近衛が一斉に位置につく。
 息が揃う。

 扉が開いた瞬間――空気が歪んだ。

 机の上で、黒い箱が淡く光っている。
 花と星の刻印。
 禁域で見た印。

 オスカーがそこに立っていた。

 金縁の眼鏡。無機質な目。
 微笑は薄く、しかし余裕を装っている。

「……王太子殿下。随分と荒々しい訪問ですね」

 レイヴンは剣を抜かない。
 ここは剣の場ではない。
 記録の場だ。

「宮廷魔術師長オスカー。
 禁域侵入、封蝋破壊、封印契約の盗用・改竄、ならびに王宮内での実働指揮。
 ――王権への侵害で拘束する」

 オスカーが笑った。声のない笑い。

「拘束? 証拠は?」

 レイヴンが視線を投げる。
 ガイルが封蝋付きの証拠袋を持ち、机に置いた。

 封蝋。刻印。筆跡。
 慈善金の支出先。祈祷記録の改竄。禁域の封蝋の破壊痕。

 オスカーの目が、ほんの一瞬だけ細くなる。

(効いた)

 だが彼は引かない。
 引けば終わりだ。

 オスカーは指先を黒い箱に置いた。

「……王権、ですか。
 あなた方は“封印”に頼って国を維持している。
 その封印を理解し、運用できる者が必要でしょう」

 必要。
 その言葉が、過去の物語を思い出させる。

 “必要だから置いている”
 “道具扱い”と誤解させた言葉。

 レイヴンの瞳が冷える。

「運用ではない。人間を器にする行為だ」

 オスカーは眉を上げた。

「器。……言い方が悪い。
 彼女は“資源”です。
 核を安定させ、狼を呼び、狼を制御すれば、国は百年安泰になる」

 資源。
 その瞬間、レイヴンの中で何かが切れた。

「黙れ」

 声が低く落ちる。

 オスカーは肩をすくめ、続けた。

「あなたは感情で動く。
 だから婚約破棄をした。
 だから忘れさせた。
 でも結局、抱き上げた。封印は揺れた」

 レイヴンの拳が震える。
 血の滲む掌が痛い。

 オスカーは薄く笑った。

「ねえ殿下。あなたが守ろうとするほど、彼女は器になる。
 あなたが触れるほど、彼女は発動する」

 その言葉が、最も残酷な真実として刺さる。

 ――だからこそ、レイヴンは言い切る。

「器にはさせない」

 レイヴンは一歩前へ出た。
 近衛が一斉に間合いを詰める。

 オスカーが指を鳴らした。

 黒い箱が光り、空気が歪む。
 禁呪の前兆。
 室内の温度が一段落ちる。

 セドリックが叫ぶ。

「下がれ!」

 だがレイヴンは下がらない。
 下がれば、禁呪が完成する。

 レイヴンは、剣ではなく――封蝋の袋を持ち上げた。

「お前の改竄は記録された。
 禁呪を使えば、その瞬間、お前は“王宮の敵”として確定する。
 教会も、お前を切る。
 ――お前が頼れる物語は、もうない」

 オスカーの目が僅かに揺れる。
 彼は“物語”を使う側だった。
 使われる側に落ちる恐怖を知らない。

 そこへ、ガイルが低く言った。

「包囲完了。逃げ道なし」

 オスカーが一瞬で判断する。

 禁呪を完成させるには時間が足りない。
 完成させれば自分が終わる。
逃げ道もない。

 オスカーは黒い箱から指を離し、眼鏡の奥で冷たく笑った。

「……王太子殿下。あなたは彼女を人として守ると?」

 レイヴンは答えた。

「守る。彼女は器ではない。人だ」

 その言葉が、オスカーにとっては敗北の宣告だった。

 近衛が一斉に動き、オスカーの腕を取る。
 拘束具がはめられ、指先が封じられる。
 魔術を使えない形で。

 オスカーは抵抗しない。
 抵抗する価値がないと判断した顔。

 だが最後に、低く囁いた。

「……狼は、あなたの中にもいる」

 レイヴンの瞳が一瞬、暗くなる。

 狼。
 封印。
 そして――嫉妬。

 オスカーは連行されながら、振り返らずに言った。

「彼女を守るほど、あなたは壊れる。
 壊れた王太子が、国を守れると思うな」

 扉が閉まる。

 研究室に静けさが戻った。

 レイヴンは深く息を吐き、目を閉じた。

(終わった)

 終わった。
 ひとまずの決着だ。

 セドリックが低く言う。

「殿下。これで“器回収”は止まる」

 ガイルが頷く。

「残るは後始末と、裁定の再開です」

 レイヴンは頷いた。

 そして、心の中で一番大事な言葉を確認する。

(彼女は器じゃない)

 その確信が、次の章の未来を変える。

 ――セシリアは“人”として守られる。
 王宮は“噂”ではなく“記録”で正義を作る。
 そして最後に残るのは、選び直す恋だけだ。
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