嘘の誓いは、あなたの隣で

柴田はつみ

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第6章 消えた手紙

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 風が冷たくなりはじめた。
 王都の空には、秋の兆しが漂っていた。

 ミッシェルはその朝、机の上に封じた手紙を置いていた。
 白い封筒には金の縁取り。
 筆跡は慎ましく、けれど心を尽くした一文字一文字だった。

「あなたの傍にいられない日々が続いても、
わたしはあなたの祈りを信じています。
どうか、あなた自身を失くさないでください。」

 それだけを書いて、封を閉じた。
 愛を告げることも、恨みを述べることもできなかった。
 それでも——伝わると信じていた。

 彼女は手紙を侍女に託す。
 「王宮のカルバン公爵にお届けして」
 侍女は恭しく頷き、手紙を懐に入れて出ていった。

 それが、運命を変える朝だった。



 翌日。
 ミッシェルのもとへ、ルシアン皇太子の訪問が告げられた。

「また、会っていただけますか」
 玄関に立つルシアンの微笑みは、柔らかかった。

「もちろんです、殿下」

 応接室に入ると、ルシアンはすぐに話を切り出した。
「王宮で噂を耳にしました。
 聖女殿とカルバン公爵のことを」

 その言葉に、ミッシェルはわずかに眉をひそめた。
「……噂、ですか?」

「ええ。二人が並んで祈祷を行うたび、
 “まるで神と天使のようだ”と。
 人は光るものにすぐ惹かれる。けれど、その陰に誰がいるかは、見ようとしない」

 ミッシェルは沈黙した。
 彼の言葉は、静かな優しさで包まれていたが、
 その中に確かな痛みもあった。

「あなたは……強い方ですね」
 ルシアンがそっと言った。
「それほどの痛みを抱えても、微笑んでいる」

 ミッシェルは微かに笑った。
「笑わないと、涙が出てしまいますもの」

 ルシアンの視線が、彼女の指先に落ちた。
 白い手の指の間に、うっすらと小さな赤い跡がある。
 彼女が夜な夜な手紙を書き、ペンを強く握りしめた痕だった。

「それでも、あなたはまだ信じている」
「……ええ。信じることしか、できませんから」

その言葉にルシアンの胸が痛む。
 ルシアンは何かを言いかけ、

 けれど、静かに口を閉ざした。
 窓の外で、風が白薔薇を揺らしている。
 散る花弁が、まるで雪のようだった。



 その頃——王宮の執務室。

 カルバンは机の上の文書に目を通しながらも、
 何度も扉の方に視線を向けていた。

 使いの者が来るはずだった。
 ミッシェルからの便りが届くはずだった。
 だが、その日も、次の日も、手紙は届かない。

 彼は胸の奥で小さく呟いた。

「……やはり、君は……。」

 思考の中で、あの日のミッシェルの表情が蘇る。
 笑っていた。

 けれど、その笑みの奥に、かすかな哀しみを見た。

 “君は強い人だ。信じて待っていてほしい”
 そう言った自分の声が、今では虚しく響く。

 彼女はもう、待つことをやめたのかもしれない。
 そして、誰かの手を取ったのかもしれない。
 皇太子の噂が脳裏をよぎり、
 胸の奥がざらついた。

「俺は……何を守ったつもりでいた?」

 呟きながら、机に置いた指先を強く握る。
 拳が震え、書類の端が皺になる。
 外の鐘が鳴る音が、やけに遠く響いた。



 一方その頃。

 ミッシェルの侍女は、手紙を胸に抱えながら神殿へ向かっていた。
 王宮への道が封鎖されていると聞き、
 近道のつもりで裏通りを選んだ。

 だが、途中で神殿の使者と鉢合わせた。

「おい、そこの娘。その封筒は王宮宛か?」
「は、はい! カルバン公爵へのお手紙でございます!」

「……ああ、だったらこちらで預かろう。
 公爵は今、聖女殿のもとに詰めておられる。
 我々が届けよう」

 侍女は疑いもせず、手紙を差し出した。
 だが、その封筒が公爵の手に渡ることはなかった。
 神殿の管理官の机の上に積まれたまま、
 他の書状に紛れ、
 誰にも読まれぬまま、日だけが過ぎていく。



 数日後。
 ミッシェルは庭のベンチで、届かぬ返事を待っていた。
 風が薔薇の花びらを運び、
 膝の上に落ちる。

「……届いたかしら」

 呟きながら、空を見上げる。
 けれど、どこにも答えはない。
 胸の奥で、かすかに声がした。
 ——もう届かなくても、仕方がない。
 そう思おうことにした。
 けれど、思えば思うほどに痛みは強くなる。



 夜。
 ルシアンの執務室で、宰相が報告書を差し出した。

「ローザリンド公爵家の娘が、体調を崩されているとか」

「……そうか」

 ルシアンは視線を伏せる。
 彼女の姿が脳裏に浮かんだ。
 白い花のような微笑み。
 触れれば崩れてしまいそうな、繊細な強さ。

「彼女の傍には、誰もいないのか?」

「はい。公爵カルバン殿は聖女殿の護衛で、王都を離れられません」

 その言葉に、ルシアンの瞳が一瞬揺れた。

「……そうか」

 机の上に視線を落とすと、書類の端に薔薇の模様が刻まれていた。
 それが、彼女の庭の花を思い出させる。

 彼はゆっくりと立ち上がった。

「必要以上の詮索はするな。ただし——」
 扉の前で、声を落とす。
「彼女が本当に一人で泣いているなら、それだけは知らせてくれ」

 月明かりの中、ルシアンの横顔は静かだった。
 その瞳の奥に、淡い光が宿っている。



 一方、カルバンの夜もまた静かだった。
 書きかけの手紙が机に置かれ、筆は止まっている。

『ミッシェル。君の沈黙が、俺への答えなのだろうか。
それでも、俺は祈る。君が笑っていられるように。
たとえ、俺ではなくても——。』

 書き終えた後、彼は手紙を封じることもできず、
 ただその紙を握りしめた。
 灯火が揺れ、窓の外で夜風が唸る。

 ——届かない想いと、届かぬ手紙。
 ふたつの沈黙が、同じ夜にすれ違っていた。
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