29 / 30
第二十九章 王宮が“察し始める”
しおりを挟む
王宮の空気が、微妙に変わり始めたのは――
誰かが声高に噂を流したからではなかった。
むしろ、その逆だ。
噂が、止まった。
朝の謁見前控え室。
貴婦人たちは、いつものように扇を揺らし、微笑を貼り付けて集っている。
けれど。
「……最近、リネア様をお見かけしませんわね」
ぽつりと落とされたその一言に、
空気が一瞬だけ、凍った。
「ええ……そういえば」
「王太子殿下のお側にも……以前ほどでは……」
誰も名指しはしない。
誰も断定しない。
だが、全員が同じ方向を見ている。
――“察している”。
一方で。
キャロルは、以前と変わらぬ立ち位置にいた。
王妃候補として、
礼節を保ち、距離を保ち、感情を滲ませない。
ただ一つ、違うのは。
彼女が、もう何も説明しなくなったことだった。
「キャロル様……最近、とてもお静かですのね」
慈善委員会の席で、年長の侯爵夫人が探るように言う。
キャロルは、穏やかに微笑む。
「そうでしょうか。
私はいつも通りでございますわ」
それ以上も、それ以下もない声。
言い訳しない。
弁明しない。
誰かを非難しない。
――だからこそ、周囲は気づく。
(ああ、この方はもう“争っていない”のだ、と)
(争う必要のない位置に、戻ったのだ、と)
王太子・クリスの変化も、
宮廷の目は見逃さなかった。
以前より口数が少ない。
判断が遅れる。
そして何より――
誰かの名を、呼ばなくなった。
「殿下、こちらの件ですが」
「……ああ。後で」
執務官の声にも、上の空。
その視線は、無意識のうちに
回廊の向こう、キャロルの姿を探している。
だが彼女は、近づかない。
追えば逃げ、
追わなければ――そこにいる。
その距離が、
クリスを静かに追い詰めていた。
そして。
もっとも、空気に敏感な者たちが、最初に察する。
――王妃教育責任者、ミレイア。
彼女は、ある日、静かに侍女に言った。
「リネア様の配置、見直しなさい」
「……理由は?」
「理由が“説明できない”ときほど、
配置は見直すものよ」
それだけだった。
だがそれは、
宮廷において“答え”と同義だった。
その夜。
キャロルは、自室で一通の書類に目を通していた。
それは、彼女が自ら動いて集めたものではない。
――自然に、集まってきたもの。
小さな齟齬。
記録の食い違い。
善意として行われた行動の、微妙な重なり。
(……やはり)
キャロルは、静かに目を伏せる。
(王宮は、もう気づいている)
(誰が“無理をしていたのか”)
(誰が“守られていたのか”)
そして――
(誰が、真実を語らずに立っていたのか)
キャロルは、立ち上がり、窓辺に立つ。
夜の王宮は静かで、
遠くの灯が、星のように瞬いている。
彼女は、微笑んだ。
それは勝ち誇る笑みではない。
確認の微笑だった。
(もう、私が何かをする必要はない)
(王宮が、自分で答えに辿り着く)
――これが、一番美しい復讐。
血も涙も流させず、
ただ“位置”を正す。
キャロルは、そっとカーテンを閉じた。
翌朝。
王宮は、さらに静かになる。
だがその静けさは――
嵐の前ではなく、決着の前だった。
誰かが声高に噂を流したからではなかった。
むしろ、その逆だ。
噂が、止まった。
朝の謁見前控え室。
貴婦人たちは、いつものように扇を揺らし、微笑を貼り付けて集っている。
けれど。
「……最近、リネア様をお見かけしませんわね」
ぽつりと落とされたその一言に、
空気が一瞬だけ、凍った。
「ええ……そういえば」
「王太子殿下のお側にも……以前ほどでは……」
誰も名指しはしない。
誰も断定しない。
だが、全員が同じ方向を見ている。
――“察している”。
一方で。
キャロルは、以前と変わらぬ立ち位置にいた。
王妃候補として、
礼節を保ち、距離を保ち、感情を滲ませない。
ただ一つ、違うのは。
彼女が、もう何も説明しなくなったことだった。
「キャロル様……最近、とてもお静かですのね」
慈善委員会の席で、年長の侯爵夫人が探るように言う。
キャロルは、穏やかに微笑む。
「そうでしょうか。
私はいつも通りでございますわ」
それ以上も、それ以下もない声。
言い訳しない。
弁明しない。
誰かを非難しない。
――だからこそ、周囲は気づく。
(ああ、この方はもう“争っていない”のだ、と)
(争う必要のない位置に、戻ったのだ、と)
王太子・クリスの変化も、
宮廷の目は見逃さなかった。
以前より口数が少ない。
判断が遅れる。
そして何より――
誰かの名を、呼ばなくなった。
「殿下、こちらの件ですが」
「……ああ。後で」
執務官の声にも、上の空。
その視線は、無意識のうちに
回廊の向こう、キャロルの姿を探している。
だが彼女は、近づかない。
追えば逃げ、
追わなければ――そこにいる。
その距離が、
クリスを静かに追い詰めていた。
そして。
もっとも、空気に敏感な者たちが、最初に察する。
――王妃教育責任者、ミレイア。
彼女は、ある日、静かに侍女に言った。
「リネア様の配置、見直しなさい」
「……理由は?」
「理由が“説明できない”ときほど、
配置は見直すものよ」
それだけだった。
だがそれは、
宮廷において“答え”と同義だった。
その夜。
キャロルは、自室で一通の書類に目を通していた。
それは、彼女が自ら動いて集めたものではない。
――自然に、集まってきたもの。
小さな齟齬。
記録の食い違い。
善意として行われた行動の、微妙な重なり。
(……やはり)
キャロルは、静かに目を伏せる。
(王宮は、もう気づいている)
(誰が“無理をしていたのか”)
(誰が“守られていたのか”)
そして――
(誰が、真実を語らずに立っていたのか)
キャロルは、立ち上がり、窓辺に立つ。
夜の王宮は静かで、
遠くの灯が、星のように瞬いている。
彼女は、微笑んだ。
それは勝ち誇る笑みではない。
確認の微笑だった。
(もう、私が何かをする必要はない)
(王宮が、自分で答えに辿り着く)
――これが、一番美しい復讐。
血も涙も流させず、
ただ“位置”を正す。
キャロルは、そっとカーテンを閉じた。
翌朝。
王宮は、さらに静かになる。
だがその静けさは――
嵐の前ではなく、決着の前だった。
226
あなたにおすすめの小説
彼は亡国の令嬢を愛せない
黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。
ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。
※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。
※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。
【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています
22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」
そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。
理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。
(まあ、そんな気はしてました)
社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。
未練もないし、王宮に居続ける理由もない。
だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。
これからは自由に静かに暮らそう!
そう思っていたのに――
「……なぜ、殿下がここに?」
「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」
婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!?
さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。
「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」
「いいや、俺の妻になるべきだろう?」
「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」
元婚約者からの嫌がらせでわたくしと結婚させられた彼が、ざまぁしたら優しくなりました。ですが新婚時代に受けた扱いを忘れてはおりませんよ?
3333(トリささみ)
恋愛
貴族令嬢だが自他ともに認める醜女のマルフィナは、あるとき王命により結婚することになった。
相手は王女エンジェに婚約破棄をされたことで有名な、若き公爵テオバルト。
あまりにも不釣り合いなその結婚は、エンジェによるテオバルトへの嫌がらせだった。
それを知ったマルフィナはテオバルトに同情し、少しでも彼が報われるよう努力する。
だがテオバルトはそんなマルフィナを、徹底的に冷たくあしらった。
その後あるキッカケで美しくなったマルフィナによりエンジェは自滅。
その日からテオバルトは手のひらを返したように優しくなる。
だがマルフィナが新婚時代に受けた仕打ちを、忘れることはなかった。
悪役令嬢に転生したと気付いたら、咄嗟に婚約者の記憶を失くしたフリをしてしまった。
ねーさん
恋愛
あ、私、悪役令嬢だ。
クリスティナは婚約者であるアレクシス王子に近付くフローラを階段から落とそうとして、誤って自分が落ちてしまう。
気を失ったクリスティナの頭に前世で読んだ小説のストーリーが甦る。自分がその小説の悪役令嬢に転生したと気付いたクリスティナは、目が覚めた時「貴方は誰?」と咄嗟に記憶を失くしたフリをしてしまって──…
記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~
Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。
走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。
すれ違う思い、私と貴方の恋の行方…
アズやっこ
恋愛
私には婚約者がいる。
婚約者には役目がある。
例え、私との時間が取れなくても、
例え、一人で夜会に行く事になっても、
例え、貴方が彼女を愛していても、
私は貴方を愛してる。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 女性視点、男性視点があります。
❈ ふんわりとした設定なので温かい目でお願いします。
戦場から帰らぬ夫は、隣国の姫君に恋文を送っていました
Mag_Mel
恋愛
しばらく床に臥せていたエルマが久方ぶりに参加した祝宴で、隣国の姫君ルーシアは戦地にいるはずの夫ジェイミーの名を口にした。
「彼から恋文をもらっていますの」。
二年もの間、自分には便りひとつ届かなかったのに?
真実を確かめるため、エルマは姫君の茶会へと足を運ぶ。
そこで待っていたのは「身を引いて欲しい」と別れを迫る、ルーシアの取り巻きたちだった。
※小説家になろう様にも投稿しています
夫は私を愛していないらしい
にゃみ3
恋愛
侯爵夫人ヴィオレッタは、夫から愛されていない哀れな女として社交界で有名だった。
若くして侯爵となった夫エリオットは、冷静で寡黙な性格。妻に甘い言葉をかけることも、優しく微笑むこともない。
どれだけ人々に噂されようが、ヴィオレッタは気にすることなく平穏な毎日を送っていた。
「侯爵様から愛されていないヴィオレッタ様が、お可哀想でなりませんの」
そんなある日、一人の貴婦人が声をかけてきて……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる