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1巻 寮長になったつもりが2人のイケメン騎士の伴侶になってしまいました

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   プロローグ


「この騎士団の寮長になるってことは、二人の『伴侶』になるってことなの?」

 僕の大きな声が王立第二騎士団寮のだだっ広い敷地に響き渡る。
 目の前では第二騎士団の団長――レオナードが不敵に笑っていた。
 レオナードの隣では、副団長のリアがきょとんとした顔で僕を見つめている。
 ひょっとして、こっちの世界では男が男二人の伴侶になるっていうのは常識なんだろうか。背中に変な汗が噴き出してきてしまう。
 二人はたっぷり沈黙しお互いに目を合わせると、こちらを向いて同時に答えた。

「そうだ」
「そうだよ」

 二人の返事に、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
 僕がこの世界に迷い込んだのはつい先日のこと。そしてあれよあれよという間に王立第二騎士団の寮長になって、さらにはレオナードとリアの伴侶にもなるなんて!
 そりゃあ背が高くて筋骨隆々の二人に比べたら僕は小さくて女の子っぽいかもしれない。
 でも僕はれっきとした男なんだよ?
 さらに伴侶となる相手がレオナードとリアの二人って……僕の頭はもうパニックだ。

「ふ、複雑……」
「それほど複雑じゃないさ。寮長になった君には私とレオナード、二人の伴侶がいる。それだけのことだよ」

 リアにあっさりそう言われてしまっては、パニックになっている僕が逆におかしな人みたいだ。
 だいたい、伴侶になったとして男同士で何をするっていうのだろうか。
 そんな僕の心の声が分かったのか、レオナードがにやりと笑った。隣でリアも口角を上げている。

「子作りするんだよ、俺たちとお前で」

 僕とレオナードとリアの三人で子作り――いやいや、無理無理!!

「あのー僕、まさか寮長が団長たちの伴侶になるとは、これっぽっちも考えてなくってですね。今からやっぱりお仕事を辞退するわけには……」
「却下」
「却下だね」

 二人に揃って却下されてしまった。
 ああ、困った……。本当に……どうしてこんなことになっちゃったんだーっ!!



   第一章 異世界と二人の伴侶


「いったぁ……」

 背中に痛みを感じて目をゆっくりと開けると、僕の四方を深い緑色の葉をたくさん付けた枝が囲んでいた。背中からお尻にかけて硬くてゴツゴツとしたものが当たっていて居心地が悪い。
 葉の隙間からちらりと見える空は青く晴れ渡り、穏やかな日差しが、冷え切った僕の身体を温めてくれている。

「あ、れ……おかしくないか?」

 今日は一月一日。東京はせっかくのお正月に水を差すような、生憎の曇り空だったはずだ。こんな夏の日差しが降り注ぐわけがない。
 ぼんやりとかすむ頭を左右に振って、僕はなんとかさっきまでの出来事を思い返そうとした。
 ……たしか僕は、元日のバイトを終わらせてアパート二階の自宅に戻ったところだったはず。
 バイト先の先輩たちが五百円ずつお年玉をくれたから、僕は思わぬ臨時収入に浮き立っていた。
 家に帰って鍵を開けようとポケットから手を出した拍子に、うっかり五百円玉を地面に落としちゃって、慌てて追いかけたら階段から落ちた――いや、そう思っていたら突然目の前が眩しく光って……

「あっ! ご、五百円玉は!?」

 慌てて起き上がって確認したら、ちゃんと五百円玉は三枚とも右手で握っていた。
 ……よかった、千五百円もの大金をなくしちゃったら立ち直れないよ。

「で、ここどこだろう?」

 記憶を振り返ってみても、今いる場所の見当がつかない。僕はとりあえずあたりを見渡して、そのまま硬直してしまった。
 お尻に感じるゴツゴツと硬いものは枝で、僕は背の高い木の上にある太い枝にまたがる形で座っていたようだった。
 少しでも動いたら、確実に落ちてしまう!

「なんでこんな木の上に……?」

 冷静になればなるほど、自分の置かれた状況が不可思議すぎて寒気がしてきた。少しずつ血の気が引いていくのが分かる。まずい、ここで失神したら地面に向かって真っ逆さまだ。

「と、とりあえずここから下りよう!」

 じわじわと遠のいていく意識を引き寄せるように声を上げ、意を決してもう一度下を確認した。
 僕のいる木の周りは芝生が敷いてあるようで、見えるのは一面の緑だ。周りを見ても人は歩いていないから助けを求めるのは難しそうだ。
 困ったな、と思いながら目を凝らしていると、木の根元に誰かの脚があるのに気がついた。どうやらこの木の幹にもたれかかって昼寝でもしているようだ。

「た、助かったぁ……」

 他に人も見当たらないし、あの人に声をかけてなんとか下ろしてもらうしかない。
 こんなにいい天気だ、さぞ気持ちよくお昼寝をしているんだろう。そんな人を僕のために起こしてしまうのはちょっとだけ気が引ける。
 でも、しょうがないよね。ごめんなさい、後でお礼はちゃんとしますから。
 僕は下を向いて、助けを求めようと大きく息を吸い込んだ……
 ――その瞬間。

「うわっ、何、この風……!」

 とんでもない突風が吹き上げてきた。
 風は小さく渦を巻き、まるで意思を持つかのように僕の身体を包み込む。枝葉がばさばさと悲鳴をあげながら風に巻き上げられていくのが見える。巻き上げられた枝や葉が頬に思いっきり当たって痛い。
 あまりの恐ろしさに必死になって木の幹にしがみつくが、ついに僕の身体がぐらりと揺れた。
 ――まずい、落ちる!

「た、た、助けてーっ! 死ぬーっ!」

 必死の思いで叫びながら、僕は木からずるっと落ちた。
 人は死ぬ前に走馬灯をのように思い出が浮かぶと言うけれど、あれは本当のようだ。
 母さんと貧しくとも楽しく暮らしていた記憶が次々と脳裏を巡る。お金を貯めて豪邸に住むって母さんと約束したけれど、結局果たすことはできなかった。
 頑張って五十万円も貯めたのにこれでおしまいだなんて……すっごく大変だったんだぞ!
 遠くで誰かが叫ぶ声が聞こえた気がするけれど、その声に耳を澄ます余裕はない。僕は死を覚悟して目をギュッと閉じた。
 どさっと全身に強い衝撃が走る。激痛を予想していたけれど、不思議とそれほど痛くはない。

「軽いな……。おい、大丈夫か?」

 耳元で誰かのささやきが聞こえて、閉じた目をそっと開ける。目の前には見知らぬ青年の顔があった。
 肩近くまで伸びた、燃えるような真っ赤な髪。前髪の間から見える瞳は濃い灰色で、キリッとした目と眉は意志の強さを感じさせる。形のいい鼻梁びりょうの下には、髪と同じく真っ赤で厚みのある唇。
 まるでおとぎ話に出てくる王子様みたいな顔の人だ。
 この人は誰だろう。真っ赤な髪に灰色の目はどう見ても日本人じゃない。
 ……あ、もしかしたら死神だろうか。ひょっとしてお願いしたら僕を生かしてくれるかな。

「あの、僕、まだ死にたくない……!」

 必死の思いで、僕を抱える死神の肩のあたりをキュッと掴む。今さら懇願したって無駄かもしれないけれど、もしいい死神だったら願いを聞いてくれるかもしれない。
 いや、目の前にいる死神に祈るほかに、方法が思い浮かばなかっただけなんだけど!

「いやこの程度じゃ死なねぇだろう、ちょっと擦り剥いてはいるが。それともどこか痛いのか?」
「……えっ?」

 死神にそう言われて、僕は自分の身体をぺたぺたと触ってみる。腕はどこも痛くない。足も動く。お腹も背中も無事だ。頭はちょっとクラクラするし手の甲にかすり傷があるけれど、それ以外は至って健康だ。

「あ、なんともない……。ひょっとして僕、生きてるの?」
「あはっ、お前面白いなぁ」

 僕の独り言を聞いた死神は赤髪を揺らしながら笑った。
 すごい。綺麗な顔の人が笑うと、星が瞬くように見えるんだ。目の前の死神が眩しすぎて頭が朦朧もうろうとしてきた。
 そんな僕を見て一瞬で真顔に戻った死神は、一応怪我がないか確認するか、と言って僕を抱えたまま全身をくまなく確認し始めた。
 母さんが死んだ二年前から、節約のためにご飯は夕飯だけの一日一食生活。それ以外は水を飲んで飢えをやり過ごしていた。そのせいで僕の身体は青年男性の平均体重からするとだいぶ軽い。
 それに比べて目の前の死神は明らかに体格がよかった。座っているからはっきりとは分からないけれど、身長はかなり高い……百九十センチくらいはありそうだ。
 黒い詰襟のコートを着ていても、僕のお腹や足に触れる腕はこんもりと筋肉が盛り上がっているのが分かる。背中に感じる腿もゴツゴツと硬い。
 こんなことなら筋トレでもしておけばよかったなぁ。貧弱な身体を触られるのがなんだか少し気恥ずかしくなって、僕は全身を縮こめた。

「身体は大丈夫そうだな。それにしても、本当に黒髪に黒い瞳とは……。つむじ風と共に空より舞い降りる黒の旗手、か。予言通りではあるが、想像よりずいぶん幼いな」

 青年はよく分からないことを口にしながら、驚きの表情で僕の顔を覗き込んできた。するすると僕の黒髪をく長い指が妙になまめかしい。
 珍しい灰色の瞳にまじまじと見つめられて、心臓が高鳴った。日々の生活に手一杯で恋愛経験が全くない僕は、たとえ相手が男の人であってもスキンシップに耐性がない。
 お願いだから色っぽく触るのはやめていただきたい! 

「お前、名前は?」 

 スキンシップに慌てふためいていたら、死神が名前を聞いてきた。

蒼太そうた、です。かしわ蒼太。あの、柏木が苗字で蒼太が名前です」
「カシ、ワ、ギ……ソウタ、ね。ふぅん。珍しい名前だな」

 柏木蒼太なんて名前はそれほど珍しくない。もしかしたらここは日本ではないのかもしれない。いや、ひょっとして地球ですらないのでは……とも思ったけれど、あまりにも怖すぎるので慌てて頭の中から排除した。

「しかしこいつは予想外だ。てっきり一騎当千の大男が来るのかと。この細腕で果たして団旗だんきを振れるのか……」

 死神は僕の顔を凝視して何かを呟いている。そのうちに、だんだんと僕の頭も冴えてきた。
 どう見ても家の近所じゃないのは確定だ。それに、僕が死んでないとしたらこの男の人は死神なんかじゃないわけで。
 まずここがどこなのか聞かなくてはいけない、と彼に色々と聞こうとした、ちょうどその時。

「レオナード!」

 誰かの声が聞こえた。
 声のするほうに目を向けると、先にある森から男の人がこちらにやってきていた。

「ものすごい突風だったが、もしや……!」

 森から現れたのは大きな男の人だった。
 赤髪の人と同じく、かなりの長身でがっしりとした体躯の持ち主だ。短く刈り込まれたピンク色に近い金髪。瞳は澄んだ紫色で、垂れ目気味の目尻が優しそうな印象を受ける。鼻筋はしっかりとしていて、男らしい。
 男の人は、レオナードと呼ばれた赤髪の人に抱えられている僕を見て、大きく目をみはった。

「まさか君が、黒の旗手……なのか」
「え、黒の旗手? ……いえ、僕は」

 さっき赤髪の人もそんなことを呟いていた気がする。それがなんだか知らないけれど、残念ながら僕はただのフリーターだ。僕がそう答える前に、赤髪の人――レオナードさんが先に返事をした。

「間違いない、こいつが黒の旗手だ。つむじ風と共に『聖木せいぼくマクシミリアン』から舞い降りてきた」
「そうか、ついに……。ついに、この日が来たんだな、レオナード……」
「ああ、そうだな、リア……。俺とお前の、いやレイル領民の悲願がようやく叶う……!」

 二人は感慨深そうに顔を見合わせながら大きく頷いている。あの、何やら感動の場面のようなのだが、当の本人が全然事態を把握できないんですけれども……
 僕は完全に蚊帳の外で、ぽかんと口を開けながら二人のやりとりを見守るしかなかった。

「それにしても、想像よりもなんというか……」

 リアと呼ばれた金髪の人が顔を寄せてきて、僕をまじまじと見つめてくる。レオナードさんと同じく異様に距離が近い。

「なんか、思ったよりずいぶんちいせえよな。腕も小枝みてえだし」

 レオナードさんは、あはは、と笑いながら僕の頭をがしがしと撫でる。
 しょ、初対面なのに失礼な! 僕が小さいんじゃなくて、あなたたちが大きいだけです!

「ああ、幼いな……屈強な大男を想像していた。これではあと数年は待つことになるかもしれない」
「それならそれで、待つだけさ」
「たしかに。とはいえ、これほど愛らしい子とは想像だにしていなかった。しかし、この華奢きゃしゃな身体で持ち上げられるかな……」
「時間はあるし、鍛えれば大丈夫だろ。さて、と」

 失礼な赤髪の死神は右手で頭をかきながら、くあっと大きなあくびを一つする。そうして、僕を横抱きにして抱き上げつつゆっくりと立ち上がった。

「うわっ、ちょっとあの……!」
「ソウタ」
「は、はい」
「俺は王立第二騎士団団長のレオナード・ブリュエルだ。お前の身はこれより我ら第二騎士団が保護する」
「はあ……?」

 見た感じちゃらついた印象だけど、騎士団長ってことはめちゃくちゃ偉い人なのか!
 いや、それ以前に、騎士団なんてファンタジーの世界でしか聞いたことがないんですが……
 放心状態で間の抜けた返事しか返せない僕を見ながら、レオナードさん……もといレオナード団長はニヤッと悪そうな笑みを浮かべる。

「ようやく出会えたな、俺たちの黒の旗手。まあちょっと予想外だが、これから面白くなりそうだ。俺たちがちゃんと可愛がってやるから安心しな」
「……っ!」

 至近距離で見るイケメンの悪そうな笑顔は破壊力がすごい、ということを初めて知った。
 レオナード団長の色気に倒れそうになっていると、リアさんが目の前にやってきた。僕と同じ目線の高さになると、そっと僕の右手を握る。
 彼の手は大きくて節くれだったマメだらけの手だった。重ねられた手からじんわりと伝わる温もりは、不思議と僕の心を落ち着かせてくれた。

「私の名はリア。王立第二騎士団で副団長を務めている」
「あ、蒼太です。よろしくお願いします……」
「ソウタ……。そうか、君はソウタと言うのか……」

 リアさん――リア副団長は、何度も僕の名前を噛み締めるように呼ぶ。

「ソウタ。騎士の名のもとに、御身は我々が命をかけて守ろう。大事にすると約束するよ」

 リア副団長は穏やかな微笑みを浮かべ、僕の手の甲に唇をそっと押し当てる。ひんやりと湿り気のある感触に、一気に顔が真っ赤になってしまう。リア副団長は上目づかいで僕を見て、にっこりと微笑んだ。
 き、騎士だ……。本物の騎士がいる! かっこいい!

「おや、ソウタ。頬に傷が……」
「あ、さっき木から落ちる時に擦っちゃったみたいで……」
「それはいけない。早く手当てをしなくては」

 リア副団長は僕の顔の擦り傷を見て、凛々しい眉を心配げにひそめた。

「おいおいリア、早速保護者気取りかよ。先が思いやられるぜ……」
「レオナードこそ、ずいぶんと優しくソウタを抱きかかえているじゃないか」
「俺はいつでも、誰にでも優しいだろうが」
「よく言うよ……」

 レオナード団長とリア副団長の掛け合いから、二人の仲のよさが伝わってくる。まだ状況を理解できてないけど、この人たちのことは信用しても大丈夫かもしれない。

「それじゃあ、とっとと騎士団寮に戻るとするか」

 レオナード団長が僕を抱えたまま、ゆっくりと丘を下っていく。横ではリア副団長が、穏やかな笑みを僕に送ってくれた。
 このままついて行っていいものか、正直迷う。でも一人で行動するよりは、立派な肩書きのある騎士団に保護されたほうが安全に違いない。とりあえず騎士団寮とやらに連れて行ってもらって、そこから状況を確認しよう。
 二人は丘を降りて、土が固められただけの一本道を歩いていく。両脇には青々とした広大な畑が広がっていた。
 十分ほど歩いたところでようやく街らしきものが現れた。道路はさっきまでの土ではなく石畳できちんと舗装されていて、煉瓦れんが漆喰しっくいの建物が所狭しと並んでいる。
 昔、母さんと持ち帰ったヨーロッパ旅行のパンフレットにこんな感じの街並みが写っていたっけ。小さなお城を巡る旅のプランを、母さんが楽しそうに眺めていたのを覚えている。なんだか初めて見るこの街の景色が、母さんの思い出と相まって懐かしく思えてきた。
 きょろきょろとあたりを見回していると、家々の合間から遠くに綺麗な白いお城が見えた。その佇まいはため息が出るほど美しかった。
 そういえば、騎士団って王様とかに仕えていたりするんだよね? ひょっとしてあのお城に王様が住んでいるのだろうか。
 この街はかなり栄えているようで、人々がひっきりなしに往来し、行き交う馬車や手押し車には色とりどりの野菜や工芸品が積まれている。
 すれ違う人は、不思議と男の人ばかりだ。
 みな金髪に紫の目をしているけれど、たくましい体格の人や華奢きゃしゃで可愛らしい顔をした人など、さまざまだった。街の人は騎士団の二人を見ると丁寧に挨拶をしていく。次いで、みんな一様に興味津々といった様子で僕を見てはにこりと笑いかけてきた。なるほど、さっき団長が黒い髪に黒い瞳だと珍しそうに僕を見ていたけれど、きっとこの地方では僕みたいな色の人が珍しいのだろう。
 僕からしてみれば、金髪に紫色の瞳も、赤髪に灰色の瞳も、十分に珍しいんだけどな。
 そんな調子で街中を五分ほど進むと、突然視界が開けた。
 石造りの立派な門には大きな木の扉があって大きく開け放たれている。柵で簡単に仕切られた敷地には芝生が綺麗に敷き詰められていて、その奥には三階建ての立派な建物が見えた。何十部屋もありそうな横に広い建物だ。
 団長は門の横に立っている門番らしき人に向かってご苦労様、と声をかけた。門番の人は目をまん丸にしながら僕を見て驚いている。

「だ、団長……、その子、黒髪に黒目じゃないですか! ひょっとして……」
「ああ、お前らお待ちかねの黒の旗手だ」
「ええーっ、こんな可愛い子が!? ちょ、ちょっとみんなにすぐ伝えてきます!」

 門番の人は叫びながらものすごい速さで建物の中に消えていってしまった。

「あ、こら、門番の仕事はどうするつもりだ! まったく、勝手に持ち場を離れるなとあれほど言っているのに……」
「まあ、今日は仕方ねえだろうな」

 二人は苦笑気味だ。
 そのうち、建物のほうからものすごい人数の男の人が駆け寄ってきて、あっという間に囲まれてしまった。四、五十人はいるだろうか。濃淡の差はあれど全員金髪に紫色の目をしている。
 服装はレオナード団長やリア副団長と同じ、黒の生地に金色の刺繍がある詰襟のロングコートだ。

「ねえ、君。名前はなんて言うの? 小さくて可愛いね」
「なんて綺麗な黒髪に黒い瞳なんだ! どこから来たんだい?」
「……何歳?」

 ガタイのいい集団に矢継ぎ早に聞かれ、どう答えていいものか分からない。

「おい、うるせえぞお前ら。ちょっと黙れ」

 騒ぎ立てる騎士たちに団長が言うと、みんなぴたりと黙り込んだ。おお、さすが騎士、統率力がある!

「こいつはソウタだ。間違いなく黒の旗手だが、見ての通りまだ幼い。俺たちで成人まで保護するからそのつもりでいろよ」
「はいっ!」

 ――いや幼いって、僕もう二十歳なんですが。
 本当はすぐにでも訂正したかったが、騎士のみんなの熱気がすごくて、結局言い出せなかった。

「ソウタは頬を擦り剥いている。治療をしてから私とレオナードで少し話をするから、お前たちは持ち場に戻りなさい。自己紹介は改めて場を設けよう」

 リア副団長の言葉に騎士のみんなは元気よく返事をした。

「ソウタ、ようこそ我らが王立第二騎士団寮へ!」
「これからよろしくね!」

 そう言って走り去っていく団員たちを見送りながら、団長と副団長は僕を抱えたまま正面の建物へと入っていった。
 入ってすぐに現れたのは大きな玄関ホール。そこを起点に左右に廊下が延び、正面には二階に上がる幅の広い立派な階段がある。四方に取り付けられた窓からは日の光が差し込んでいて、とても立派な建物だ。
 そう、建物自体は素敵で立派なのだ。けれど……

「うっ、けほっ、こほんっ!」

 建物の中はとてもほこりっぽかった。僕はせながらホールを見渡す。本来は白いはずの漆喰の壁は汚れて灰色になっているし、板張りの床にはうっすらとほこりが溜まっている。
 ひょっとして、掃除が行き届いていないのかな。こういう豪華な場所ってお手伝いさんとかがいそうなものだけど。

「ああ、ほこりっぽいか? 悪いな、最近掃除してねえから」

 レオナード団長は平然と言い、ずんずんとホールの左にある廊下を進んでいく。
 ええー、掃除はしないといけないと思うけどな。汚い部屋は万病の元なんだ。いや、でも騎士の人は日々鍛えているから、部屋が汚くても病気にはならないんだろうか。
 団長はとある部屋に僕を運んだ。中には白い服を着た人が一人と、白一色の清潔そうなシーツが敷かれた寝台が三つ。奥の棚には瓶がぎっしりと並べてあった。
 きっとここは保健室みたいな場所なのだろう、消毒液のような匂いがする。
 団長は僕を一番手前の寝台に下ろすと、俺たちは応接室にいるからと言うと、副団長と一緒に出て行ってしまった。
 ポツンと残された僕は手と頬の擦り傷を消毒してもらった後、廊下のさらに奥にある部屋に案内してもらった。
 細かな模様が彫られた木製の扉を開けて中に入ると、部屋の真ん中にローテーブルと座り心地のよさそうなソファが置かれていた。ソファにはレオナード団長と、向かいにリア副団長が座っている。保健室の人は二人に僕の傷の具合を説明すると部屋を出て行った。
 えっと……僕はどうしたらいいのかな。おろおろしている僕に、副団長が声をかけてくれた。

「緊張しないで大丈夫だから、レオナードの隣に座ってくれるかな」

 ちらりとソファに座る団長を見ると、両手を組んで目を閉じていた。まさか、この状況で寝てるんじゃ……。僕が団長の横にちょこんと腰掛けたのを確認すると、リア副団長はにっこりと笑いかけてきた。

「それじゃあ、ソウタ。私から改めて説明しよう」
「はい、よろしくお願いします」
「ああ、その前に。もう自己紹介も済んだことだし、かしこまった言葉で話すのはやめにしようか。私のことも、そいつのことも呼び捨てで構わないよ」

 そう言われても、明らかに身分の高そうな名前がついている騎士団の団長と副団長を呼び捨てにできるはずもない。とりあえず笑顔でごまかしておこう。
 それから、僕がここに来るまでに起きた出来事を話すよう促されて、僕は子細を伝えた。
 ドアの前で落としたお金を拾おうとしていたこと、気づいたら木の上にいたこと、突風に見舞われて木から落ちたこと、団長に助けてもらったこと。
 団長や副団長からしてみたら信じられない話だろう。でも、二人は驚いたり訝しんだりすることなく、じっくりと僕の話を聞いてくれた。

「なるほど……。それでは、君はこの国のことを何も知らないんだね」
「はい、元いた場所とは違いすぎて。あの、できれば教えてもらえると助かるんですけど……」
「もちろんだよ」
「よかった! 僕、どうしようかと思ってて。本当にありがとうございます!」

 僕はようやく肩の力が抜けてふにゃりとソファの背にもたれかかった。副団長はなんだかくすぐったそうな顔をしながら、じっと見つめてくる。

「これは……愛らしいな」

 ぼそっと副団長が何かを呟いたけど、僕にはよく聞き取れない。さらには隣で寝てるはずのレオナード団長がふふっと声を出して笑った。えっ、何……ひょっとして僕、おかしな態度を取っちゃったかな。
 リア副団長はコホンと小さく咳払いをすると、僕が今いる場所のことを教えてくれた。
 ここはライン王国の王都・ヒュースタッドから南に半日ほど馬で駆けた場所にある、レイルという自治領。その距離が果たして遠いのか近いのか、よく分からないけど。
 ところで、僕がさっき見たお城はレイル領主のお城だそうだ。あの大きさで王様のものじゃないなんて、ちょっとびっくりだ。

「あの、どうしてみなさんは王都のヒュースタッドではなくてレイルにいらっしゃるんですか? 王立ってことは国王をお守りするんじゃ……」
「現在、国王陛下と王都の守護は近衛兵団このえへいだんと王立第一騎士団が担っている。このレイルという街は交易の要で、レイルの治安維持は王国の最重要任務の一つなんだ。だから今は、レオナード率いる王立第二騎士団が常駐してその任務についている、というわけだ」
「そう、なんですね……」

 東京の日常とはあまりにも違いすぎる世界に来てしまった。どうしよう、副団長の話を聞いていくうちに、だんだんと心細くなってきた。これで僕が異世界に迷い込んでしまったのは確実だ。
 問題は、元の世界に戻れるかどうか、なんだけど。僕、ちゃんと帰れるのかな……
 もしも……考えたくはないけど、もしも、このまま元の世界に戻れなかったら……
 あ、まずい。泣きそうになってきた。

「ソウタ……」

 リア副団長が僕に優しく声をかけてくれる。だめだ、この人の声は今の僕には優しすぎる。僕は泣かないように身体に力を入れた。それでも、まっすぐに見つめてくる副団長を見ていたら、どんどんいろんな感情が込み上げてくる。
 ついに堪えきれなくなって、ぽろり、と僕の両目から涙が落ちてしまった。
 いったんこぼれ落ちたら、もう止めることはできない。次から次へと涙は流れ落ちて、気がついたら僕は大泣きしていた。
 副団長は静かに席を立って僕のそばに来ると、膝立ちになって背中をさすってくれる。

「君はどうやら、こことはずいぶん違う世界から来てしまったみたいだね」
「ううっ……」
「……実はライン王国には、異世界からの迷い子の話がいくつか伝わっている」
「えっ……!」

 予想外の言葉に、僕の涙はあっという間に引っ込んだ。

「僕の他にも、いるんですか?」
「ソウタ、落ち着いて聞いてほしい。私はこれから君にとても嫌な話をしなくてはいけない」

 副団長の顔が苦しそうに歪む。

「……迷い子は君の他にもいたようだ」

 きっと僕の聞きたくない答えが返ってくる……

「だが、最後の迷い子の報告は、私が知る限りではたしか二百年ほど前だ。その方は天寿を全うした」
「……元の世界に帰ったんじゃなくて?」
「ああ。その方は、ライン王国で亡くなった」
「それじゃあ元の世界に戻る方法は――」

 僕がそう聞くと、いきなり右側から声がした。

「元の世界に戻る方法はない」

 いつの間に起きていたのか、団長が僕を見ながらはっきりと告げた。

「お前は元の世界にはもう戻れない」
「おい、レオナード! もう少し優しく言ってやれ」

 副団長がいさめるけれど、レオナード団長は綺麗な灰色の瞳で僕を見つめるばかりで、それ以上は何も言ってはくれなかった。
 元の世界に戻れないなんて、そんな馬鹿なことがあるだろうか。
 ――どうして僕がこんな目に遭わないといけないのかと思うと、悔しくてたまらない。知らない世界に放り込まれて、これから一体どうしろっていうんだ!
 心の中を掻き回す怒りの大波が一気に押し寄せてきたけれど、団長の灰色の瞳をじっと見ているうちに不思議と少しずつ怒りが引いていく。
 もう、元の世界には戻れないんだ。それだったらもう、泣いても喚いても仕方がない。僕はこの世界で生きていくしかないんだ。

「レオナード団長」
「なんだ」
「ありがとうございます、はっきり言ってくれて。僕、すっきりしました」
「ん」

 レオナード団長は優しく微笑むと僕の頭をそっと撫でてくれる。

「リア副団長、僕にこんな話をするのは嫌だったでしょう? 教えてくれてありがとうございます」
「ソウタ……」

 副団長は少しだけ心配そうに、それでも穏やかな笑みを浮かべると、涙で濡れた僕の頬を指で拭ってくれた。

「僕、いきなりこんな世界に迷い込んじゃって、すごく嫌だったんです。でも、考えてみたら幸運だったなって。だってお二人みたいに優しい人たちに拾ってもらえたので」

 僕は二人に「もう大丈夫」という意味を込めて、今できる目一杯の笑顔を向けた。
 たしかに世界は変わってしまったけれど、海外に引っ越したと思って、心機一転始めればいいじゃないか。
 いつまでもウジウジしてるなんて僕らしくない。

「レオナード団長、リア副団長。僕、決めました。この世界で生きていくしかないんだったら、心機一転、人生のやり直しです!」

 さっきまでの大泣きが嘘のようだ、と呆気にとられる二人を尻目に、俄然がぜん僕は燃えてきた。

「まずは寝る場所と、それから何か仕事を探したいと思います。だけど僕、この世界のことを何も知らなくって。だからあともう少しだけ、手伝ってもらえますか?」

 一文無しからのスタートだけど、僕はやるぞ!

「新しい世界でもいっぱい働いて節約して、僕は絶対にお金持ちになるんだ!」

 そうと決まれば、善は急げ、時は金なり。やることリストを作ろう。

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