私とラジオみたいな人

あおかりむん

文字の大きさ
12 / 29

むちゅう【夢中】

しおりを挟む


むちゅう【夢中】何か一つの事に心を奪われて、それ以外の事には全く関心を示さない様子だ。



 長い長い移動時間を終えて、ようやく別荘の最寄りの駅に到着しました。汽車を下りた瞬間から涼しい風が吹き抜け、まるで別世界のようだと思いました。駅の外には別荘の管理人だという男の人が車で迎えに来てくれていて、その人の奥様も肇様と私がやって来るのを楽しみにしていたと言っていました。開けた駅前からしばらく走り、林の中の細い道の途中で車は左に曲がりました。車から降りると、木々の向こう側に建物がありました。『玄関までは車で入れないから少し歩くよ』と言った肇様の腕にほとんど反射的に腕を絡め、私は初めて森の中というものを見ました。うるさいくらいに鳴く蝉、どこからか聞こえてくる知らない鳥の声、真夏なのに少し肌寒さを感じる気温、土みたいな木みたいな不思議な匂い、晴天なのに湿った地面、苔や見たことない形の大きな草。転ばないように肇様にしがみついて歩く間も一歩進むごとに知らないものがあって耳も目も足りないと思いました。肇様は玄関までの道をゆっくりと歩きつつ、しきりにくすくす笑っていました。時間をかけて玄関までたどり着くと出迎えてくれた管理人さんの奥様にご挨拶をして、別荘の中を端から見て回りました。和室も洋室も何部屋かあってお風呂も大小二か所ありました。大きい方のお風呂は湯船からお湯が溢れっぱなしになっていて慌てて管理人さんに知らせに行こうとしたところ、温泉はそういうものなのだと一緒に回っていた松田さんが教えてくれました。ゲンセンカケナガシという仕組みらしいです。そしてなによりも素晴らしかったのは、居間にラジオが置いてあったことです。斎明寺家のお屋敷を出て行ってからずっと聞きたいと思っていたラジオに私は思わず飛び跳ねそうになりました。さっそく居間のソファに寝転んでいた肇様にラジオを使っていいか尋ねると『ラジオ? 別に好きに聞いていいが、使い方はわかるのかい?』と言われたので適当に頷いてラジオの前に椅子を据えてチューニングを始めました。そしてスピーカーから聞こえてきたくぐもって罅割れた音に心底安心して目を瞑りました。絶え間なく続く平坦で感情の無い声に時間を忘れて聞き入っていました。恐らく一時間ほど経った頃に『起きてる?』と頭の上から肇様の声がしました。私が目を開くと肇様はラジオの左右に手をついて後ろから私に覆いかぶさるようにして立っていました。『少し休めたし庭でも歩こう』と言われたので私は首を横に振りました。ラジオを聞いていたからです。肇様は小さな声で『そう』と言って居間を出て行きました。邪魔もなくなったので私はまたラジオに集中しました。そうしているうちに夕食の時間になったようで松田さんが私を呼びに来ました。肇様は夕食中に明日はどこそこに行こうとかなにかれをしようなどと話していましたが、私は首を横に振ってラジオを聞いていると答えました。夕食を終えると肇様の次にお風呂に入りました。肇様は『温泉はすごいぞ、普通の湯とは全然違う』と言っていましたが、私にはあまりよくわかりませんでした。それよりも家のお風呂の何倍も大きな湯船に一人で浸かれることに驚いてしまいました。湯から上り用意されていた浴衣に着替えながら、そういえば滞在中にどこの部屋を使っていいか聞くのを忘れていたことを思い出しました。肇様に聞かなければと考えつつ脱衣所を出るとその肇様が戸の前で仁王立ちをして私を待ち構えていました。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです

沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

処理中です...