孤独の水底にて心を知る

あおかりむん

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これまでのこと

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※残酷描写があります。ご注意ください。


 這々の体で王都へ帰還したケイはすぐさま案内役として襲撃を受けた村の調査隊の一員に組み込まれた。排他的な村の出身者など王都中を探してもケイくらいしかいなかったからだ。

 小隊規模の調査隊はまず軍用列車で村の最寄りの街まで向かった。魔術機関車の線路は国の中心に位置する王都と東部を隔てる急峻な山々を迂回するように敷設されている。そのため、王都から東部の街まで至るのに2日を要した。
 ようやく麓の街に到着したのは日も暮れようかという刻限だった。あらかじめ連絡を受けて街で待機していた、村の様子を見たという東部支部の騎士団員に話を聞いた。

 それは身を切るような冷たく強い風の吹く夜のことだった。空に垂れこめていた雲が風に流されて消え入りそうな細い月が冴え冴えと天高く輝いていた。風が建物の窓をがたがたと揺らすなか、突如としてほのかな月光を消し去るような強烈な光が村のある山の中腹辺りに見えたという。たっぷりと時間をかけて徐々に光が消えていった後、同じ場所から火の手が上がった。風の強い夜である。周りの山林への延焼の可能性が大いに考えられた。麓の街の人々は大急ぎで東部支部のある街まで早馬を駆った。

 翌日の夜明けすぐ、通報を受けた支部は団員数人を村へと向かわせた。箒に乗って村に向かった彼らが空から見た時には村にもその周辺にも火の気はなかったという。昨夜の不審な光について話を聞くために村に足を踏み入れた団員たちが見たのは、異様な光景だった。

 屋外に数人の人間が倒れている。彼らには刃物でつけられたとみられる大きな傷があり何者かに殺害されたことは明白であった。また、村の家屋も目が届く範囲だけでも大半が燃え落ちていた。

 これらの状況に輪をかけて異様と思えたのが、村内に残る非常に強力な魔力の気配である。それはこの村の中で発動した魔法の残滓でしかないはずなのに、訓練を受けた騎士団員でさえも、その場に立っているのがやっとといった有様であった。結局、十分な装備のなかった彼らはそれ以上の調査を断念し村を後にした。そして、本部に指示を仰ぐことになった。



 ケイを含む調査隊はおのおの魔力遮蔽を施し、翌朝早くに街を出発した。いまだ雪深い季節だ。山中の行軍を避けて、箒で村に向かう。箒を飛ばすこと2時間、村の入り口付近に降り立つ。村の周囲には常時攻勢結界が張られており、入り口以外からの侵入は不可能だからだ。もっとも、村が壊滅的な被害を受けた今となっては結界だけ無事だとは思えなかったが。

 村へと続く林道は新たに降り積もった雪に覆われていたものの、踏み荒らされた地面や人為的に折られた木々の枝といった大勢の人間の通過した痕跡が残っている。雪中を行軍する調査隊は村に近付くにしたがい、強い魔力の気配を感じ始める。魔力遮蔽を施してあるはずの装備を突き抜けて直接肌に突き刺さるような気配だった。
 そしてついに調査隊は目的の村へと至った。

 村に到着した調査隊の目の前に広がっていたのは、後にも先にも二度と見ることのないであろう光景だった。
 村内だけまるで周りの森から切り取ったかのように、雪がひとかけらも落ちていない。地面はところどころ何かを燃やしたように真っ黒に焦げている。そして、血と肉の焼ける匂いが戦場よりもよほど濃く漂っていた。

 その光景を目にしたケイは上官の制止する声も聞かず、姉夫婦の暮らす家へと一目散に駆け出していた。村の奥へと駆け抜ける間、家の中となく外となく倒れている人々が目に入る。彼らはみな遠目からでもすでに息絶えていることが分かった。

 永遠のように長く感じられた道のりを経て、ようやく目的の家の前へたどり着く。入り口の扉は破られたのか蝶番が外れかけ、ギシギシと嫌な音を立てる。家に一歩足を踏み入れたところで床に広がる大きな血だまりが目に入り足がすくむ。浅い呼吸を何度も繰り返し、意を決して室内を見回す。家財は荒らされ、倒れたテーブルや椅子の周りには棚から落ちたのか割れた食器が散乱している。

 それらを避けながら、家の奥へと進む。荒れ果てた居間に人の姿はない。広くはない家である。居間を除けば、あとは浴室と寝室があるだけだ。固く閉ざされた寝室の扉を見る。それを開けようとドアノブに伸ばしたケイの手は笑ってしまうほど震えていた。

 ドアノブを捻ると扉は何の抵抗もなく開いた。寝室は窓からわずかに光が入るだけで薄暗い。居間のように荒らされた様子はないが、濃い血臭が鼻をつく。

 ひりつくような静寂に包まれた部屋の奥にひっそりとベッドが置かれている。その上に誰かが横たわっていた。一切の身じろぎもしないその人たちにケイは目をこらすが、暗くてよく見えない。からからに乾いた喉で唾を飲み込み、床に根が張ってしまったように動かない足をなんとか引きはがして近付く。

 近付くにつれて薄暗闇にぼやけていた徐々に輪郭がはっきりとしてくる。そして、横たわる2人の顔を認めた瞬間、ケイはその場に崩れ落ちた。

 上体を折り曲げて詰まってしまった気道で必死に呼吸をする。数秒ののち、自分が獣のように慟哭していることに気付く。その場にはいられず、這うように家を飛び出して地面の上にうずくまった。

 ベッドに横たえられていたのは、間違いなく最愛の姉とその夫だった。
 姉はきちんと結われていたであろう髪の毛を乱し、青色の服を着た胸元を赤黒い血でべっとりと汚していた。隣に並ぶ夫は首を切り落とされていた。その首は胴体ともう一度くっつけるように枕の上に置かれていた。2人とも、目を閉じ、腹の上で手を組んでいた。

 冷たい汗が全身から噴き出し身体が勝手に震える。逆流しそうになる胃液をなんとか押しとどめながらわずかに顔を上げたケイは、家の前に何かが打ち捨てられていることに気付いた。

 はじめは森でとらえた獣を中途半端に解体したまま放置したのかと思った。しかし、よく見ればその肉塊は兵士が身に着けるような鎧にまとわりついている。そして、獣にしては小ぶりな下顎の骨が混じっていた。

 ──人間だ。

 いや、正確に言うなら、人間だったものだ。
 その肉塊の正体に思い至ったケイはついに胃の中身をすべて地面にぶちまけた。




 村内の状況は酸鼻を極めていた。
 村民は魔法や刃物を用いて1人残らず殺害されていた。彼ら彼女らは殺された時の格好のまま家の中や屋外に打ち捨てられ、ケイの姉夫婦のまるで弔うかのようにベッドの上に横たえられていた様子とは完全に異なっていた。

 村を襲った賊と思しき人間は村の中心の広場に集められていた。
 彼らの誰一人として生きている者はいない。すべて首が斬り落とされ、彼らが装備していた剣に数個の頭部がまとめて刺し貫かれている。それが村の神木の周りにいくつも突き立てられている。その顔はひとつの例外もなく苦痛や恐怖に歪んでいた。

 首が切り離された胴は外傷もなく転がっているものもあれば、切り裂かれているものや真っ黒な炭のように焼かれたものもあった。しかし、いずれもケイが見たような原形をとどめないほどに損壊されているものはなかった。

 比較的損傷の少ない死体を見分するとおかしなことが分かった。盗賊や山賊といったならず者にしては装備が整いすぎている。全員が防具を身に着け、剣を持ち、そのうえ箒の残骸が至る所に散らばっている。そして、賊の身に着けていた装備品は国章こそついてはいないが、アウベニア共和国軍で用いられているものに酷似していた。

 魔法によってその命を奪われた村民たち。
 整った装備。

 そこから考えられるのは、村を襲ったのは魔導騎士団のように魔法によって戦う訓練を受けたアウベニアの兵士だという可能性だ。戦争下で一部隊が単独で国境を超える危険を冒してまで小さな山村を襲ったというのか。

 ケイの胸に嫌な予感が広がる。そこまでしてこの村を襲うなど、ヘイノラ家の存在を熟知していなければ思いつきさえしないのではないか。いずれにせよ、この襲撃をただの賊の仕業とするには不審な点が多すぎた。

 そして──。

 村を襲った賊を鏖殺おうさつし、姉夫婦の死体を整えたのは果たして誰なのか。
 ケイは村中を探しても死体の見つからなかった幼い甥を想った。




 事件の真相は明かされないまま数年が経った。姉を失った悲しみは未だ昨日のことのように胸に迫る。それを紛らわすためか、がむしゃらに働いたケイは団長付きの副官にまでなっていた。ここ1年ほどでアウベニア共和国との戦争はリスタット王国の優位に戦況が傾き、ついには王国の勝利で幕が落とされることとなった。

 戦後処理に追われる中で、軍上層部から騎士団へ極秘裏の命令が下された。それは、泥沼化したアウベニアとの戦況を切り開いた要因を探せ、というものだった。急激に勝利へと転がった戦局に、軍内部ではまことしやかに最新鋭の魔導兵器が開発されていたとか、伝説の魔法生物を手なずけたとか一笑に付してしまうような噂が流れていた。

 実際に苛烈を極めた前線ではしばしば空中に青い光が現れ敵部隊を殲滅したという目撃談も聞かれたが、その正体を知るものは1人としていなかった。

 その戦況を切り開いた要因の正体を聞かされた団長とケイは耳を疑った。

『黒髪黒目、黄味がかった肌の10歳前後の少年』

 これを聞いた団長はたちの悪い冗談かと思ったし、ケイもそんなまさかとすぐには信じられなかった。しかし、半信半疑の団長とケイとは裏腹に上層部はこの問題に関して相当な神経質さをみせた。その態度こそが少年が戦争の勝利をもたらした存在であることを物語っていた。

 己とも一致する少年の特徴に、当然ケイはあの冬から行方知れずのままの甥のことを思い起こした。リスタット王国内でその容姿の特徴を持つ人間はごく限られている。何かしら、ケイの村と関わりのある人物の可能性が高い。それに、もしあの事件で甥が生き残っていたとしたら、ちょうど10歳になったころである。そして彼は精霊の祝福を受けた存在である。想像を絶する魔法を使えても不思議はない。

 多忙な業務の合間を縫って、ケイと団長はその少年を探していたさなか、団長の知り合いでアウベニアとの国境近くに設置された野外病院で働く医者から、探している特徴と合致する少年兵が1人入院しているとの連絡があった。

 連絡をくれた医者によるとどうにも己の名前すら憶えていない有様だが、確かに黒髪黒目で黄色みがかった肌をしているという。そして、その身体から強い魔力の気配をさせているとも。

 ケイと団長すぐさまその少年に会いに行った。列車を乗り継ぎ、箒に乗り、数日をかけて国境近くの野外病院へとたどり着く。そこには開けた平地にいくつも大きな白いテントが並んでいた。知り合いの医者に会って問題の少年兵のいるテントへと案内される。

 野外病院のはずれに建てられたやや小さいテントの前で医者は足を止めた。彼は入り口の脇に立ち顎で中を示す。ケイと団長の2人は促されるままそのテントに足を踏み入れる。中にはベッドが5つ並べられている。その一番奥のベッドの上に彼は座っていた。

 狭いテント内でいつもより大きく見える団長のせいで、彼に続いてテントに入ったケイからは膨らんだ足元のシーツしか見えなかった。団長のでかい図体を横に押し込めたことで初めて少年の姿がケイの目に映った。
 そしてケイは衝撃のあまり硬直した。


 ──ユキ……。


 1つの魂を分け合って生まれてきたと笑い合った、距離などでは到底隔てることはできないと約束した、あの日の幼い姉がそこにいた。

 突然固まったケイの肩を団長が叩いた衝撃で目からポロリと水滴が落ちた。
 愛想笑いすらしない、故郷を失ってからさらに頑なになった副官の様子に今度は団長が固まる番だった。
 団長に凝視されたケイは我に返って慌てて涙をぬぐった。落ち着け。ユキがここにいるはずがない。彼女はあの日、夫ともに村の墓所にこの手で葬ったのだ。

 ケイは改めてベッドの上の少年を見た。顎を引いて上目遣いで睨むように突然現れた2人の男を見据える少年は体のあちこちを痛々しく包帯で巻かれ、右腕は三角巾で首に吊り下げられている。その胸元に青い石の首飾りを見つけたケイは確信する。

 彼の警戒心ゆえか、テント内は不穏な魔力の気配に満ちている。ケイはゆっくりと彼に歩み寄り、ベッドの脇で片膝をついて跪いた。少年はケイを警戒しながらも、己と似通った特徴を持つ男に困惑しているようだった。彼の青みのある黒い瞳を見つめ返しながら、ケイの胸に万感の思いが込み上げる。

 すべてを失って、天涯孤独の身となったと思っていた。甥のことだって心のどこかではもうとっくに諦めていた。それが、最愛の姉の忘れ形見が、こうして今目の前に現れた。再びこぼれた涙を今度はぬぐうことはしなかった。

 ケイは自分を見下ろす傷だらけの少年に手を伸ばす。その小さな背中に腕を回すと彼は身体をこわばらせたが抵抗はしなかった。少年をケイは強く抱きしめた。そっけない消毒液の匂いがする。次から次へと溢れ出る涙をとどめることが出来ない。思わずしゃくりあげたケイに戸惑いながらも少年はおとなしく抱きしめられていた。ケイの背中を団長の節くれだった大きな掌がさする。ケイは震える声で彼の名前を呼ぶ。

「ミオ……」

 ──もう決してこの子を離すまい。最愛の姉が残した忘れ形見を今度は絶対に何があっても守り抜く。

 このとき、真っ暗だったケイの人生に新たな光明が生まれた。



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