孤独の水底にて心を知る

あおかりむん

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これまでのこと

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「サミュエル、今日うちに晩ご飯食べに来ないか?」

「は? やだよ」


 王城で顔を合わすなり、ミオから発せられた柄にもない誘いにサミュエルは片方の眉を吊り上げた。考える間もなくその誘いを断ると、ミオは口をへの字に曲げてこちらを見上げてきた。


「美味しいご飯あるよ」

「人をお前と同じ食いしん坊と思うなよ」


 それで自分を釣れると本気で思っているのだろうか。珍しく食い下がってきたミオに冗談交じりの返答をしつつ、彼の額をぺちんと軽くはたいた。


「で? 唐突にどうしたんだよ?」

「今日、サミュエルと会うって話したらおばあさまが夕飯に招待したいって」

「ああ、そゆこと?」

「おじいさまもサミュエルと話したいって」


 ミオの言葉に思わず顔が曇った。


「おまえんとこのおじいさま、怖ェんだよな……」


 サミュエルの脳裏に幾本もの深い皺を刻んだ古木を思わせる厳めしい顔が浮かぶ。眉雪たれども全く衰えを感じさせない老侯爵を前にして萎縮せずにいられる者がどれほどいるのだろうか。想像のみで緊張の走るサミュエルの顔を下から覗き込んでいたミオは少し考えるように小首を傾げて言った。


「俺も緊張する時はあるけど、基本的には優しいよ」


 いまいちフォローになっていない発言をするミオを見下ろしながらサミュエルは考えを巡らせる。ベーヴェルシュタムの屋敷へは何度か招待されているが、ミオにここまで熱心に誘われたことは無い。ミオの少し期待の含んだ窺うような眼差しに2、3度瞬きをしたあと、観念したように息を吐いた。


「んー、まあ、せっかくだから行くわ」


 サミュエルの返答を聞いた途端、ミオはほんと! と声を上げ嬉しそうに顔を綻ばせた。その自然な表情にサミュエルはわずかに目を見張る。

 グラントリー校に転入してから半年。いつもどこかぎこちなさを含んでいたミオの表情は随分と柔らかくなった。それが同世代の学友との交流のおかげか、彼が灯火を分けてもらった先輩のおかげかは分からないけれど。



---



 グラントリー校は2度目の長期休業である春休みに入っていた。冬休みと同様に王都へ帰省しているサミュエルとミオは、2人連れ立って王立魔法工学技術研究所、通称魔技研を訪れていた。運用開始から半年が経過した通信用魔道具であるピアスのメンテナンスが本日の訪問の目的である。


「先に父さんに挨拶すっから」

「うん」


 王城の敷地内に位置する魔技研は、リスタット王国における魔術機関の研究・開発を一手に担っている。世界でも抜きん出ている王国の魔工学技術の中枢である魔技研は、王国の抱える様々な組織の中でも最も重要な施設のうちのひとつである。

 魔技研は魔術機関の開発部門を主として、それに類するいくつかの研究部門を抱えている。それらに属する大勢の研究員たちの長である所長を務めているのが、サミュエルの父であるローレンス・アトウッド子爵だ。



 魔技研の建物は長年、増改築を繰り返してきたため、古くからある王城と似た装飾的な造りと比較的新しい簡素な造りが混在している。独特な雰囲気の建物内をミオとともに進みながら、時折顔見知りの研究員と挨拶を交わす。魔技研へは片手で数えられるくらいしか来たことのないミオは、忙しく廊下を行き来する研究員たちを興味深そうにきょろきょろと眺めていた。

 そうこうしているうちに目的の部屋の前へと至ったサミュエルは足を止めた。大きな扉の前に立ち、ノックをする。中から返事が聞こえてきたのを確認してから扉を開いた。


「サミュエルです。ミオが挨拶に来てます」


 広い室内に立ち並ぶ本棚に向かって声を掛けると、その隙間からサミュエルと同じ真っ赤な髪の人物が顔を覗かせた。


「ああ、もうそんな時間でしたか」


 赤髪の男性──ローレンスは手に持ったままだった本をぱたんと閉じてこちらへ歩いてくる。それを見たミオがわずかに緊張した面持ちでローレンスに挨拶をした。


「お久しぶりです」

「うん、最後に会ったのは年始に挨拶に来てくれた時だったかな」


 ローレンスのゆったりとした口調も相まって、場違いに穏やかな空気が部屋に流れる。サミュエルはそれを振り払うように声を出した。


「父さん、今日はピアスをメンテナンスしてもらう予定だから」

「セラフィンさんには話が通っていたんでしたか?」


 数日前に確かに伝えたはずのことを問い返してくるローレンスにはもう慣れたもので、特に何も思わずに答える。


「もちろん。ラウラが今日がいいって言ったんだよ」


 ローレンスはサミュエルの返答ににっこりと笑って頷くとミオに視線を向けた。


「ミオさんは少し見ないうちに背が伸びましたか?」

「……いや、伸びてないです」

「よその子どもは育つのが早いと言いますが、本当ですね」


 ミオはローレンスの問いかけにどこか悔しそうな声音で答えた。しかし、ローレンスはその返答を聞いていないかのように見事に的外れなことを言う。


「育つのが早いといえば、エヴァンス大で植物の成長促進の魔法が実用段階に入ったらしいですね」

「それ昨日も聞いたよ」


 サミュエルの制止にそうでしたか? と答えながらもローレンスは成長促進魔法ついて滔々と語り出してしまった。こうなると話が終わるまで止まらない。隣に立っているミオにちらりと目を向けると、存外興味深そうにしていたので、サミュエルは大人しく2回目となるローレンスの語りを聞くことにした。



---



 その穏やかな口調とは裏腹に俊敏に飛び回るローレンスの話題の切れ間を突いて彼の部屋を辞した。ローレンスから会話を切り上げることはほとんどないため、聞き手がうまく立ち回らなければならない。そうしないと、比喩ではなく本当に日が暮れるまで話し相手をつとめる羽目になるのだ。


「父さんはまじで話長ェんだよなァ……」

「今日の話は結構面白かったよ。ものすごく話題が飛ぶから途中でわかんなくなっちゃったけど」

 
 サミュエルとミオの2人は予定よりも随分と時間がずれ込んでしまったため足早に次の目的地へ向かっていた。所長室のある建物から渡り廊下を渡った先の別棟へと移動する。いくつも並んでいる扉のうちのひとつを開ける。


「あっ! サミー! ミオちー! こっちこっち!」


 部屋に入るなり弾けるような声が2人に届く。声の主は室内に置かれているデスクの間を縫ってぱたぱたとこちらに駆け寄るとサミュエルに飛びついた。


「うおっ! おいラウラ! ひっつくんじゃねェよ!」

「にゃにを~生意気言いおって、このクソがきゃ~」


 今日、ピアスのメンテナンスを頼んでいるラウラ・セラフィンは片腕をサミュエルの首に巻きつけながら、腹あたりを殴るそぶりをする。相変わらず過多なスキンシップに辟易としながら、ブロンドの髪を無造作にくくっている彼女の頭を鷲掴みして身体を引き剥がした。


「あ~ん、これがレディに対する態度~?」

「あんたがレディなら俺でも立派なレディになれるわ」


 ラウラは大学に籍を置きながら魔技研の研究員を兼任している。比較的齢が近いこともあり、魔技研の中では一番気安い相手である。彼女との付き合いはサミュエルが魔技研へ出入りするようになってすぐ始まったので、なんだかんだ長い付き合いになる。そんなラウラの奇行にミオは呆気に取られて固まってしまっていた。それに気付いた彼女は固まったままのミオにへらりと笑いかけた。


「やっほ~、ミオちーもおひさ! ねね、髪の毛どんなお手入れしてるの?」

「えっ、いや、とくになにも……」


 戸惑いつつ答えたミオに対してラウラはじっとりと目を細めた。


「これってあれ? 美人が特別な事は何もしてません~って言っちゃう系のやつ?」

「意味わかんねェし、こいつはほんとに何もしてねェよ。髪乾かさんことも多いし」

「……ミオちーのヘアケア事情にサミュエルが詳しいの、なんかえろくない?」

「ほんとあんたは一回黙れ」


 変人ぶりを遺憾なく発揮しているラウラは口を尖らせながらサミュエルに抗議の視線を送ってくる。年上にそんなことをされても何も思わない。ふと、彼女は何かを思い出したかのようにあたりをきょろきょろと見回し始めた。本当に忙しない。


「今度はなんだよ?」

「今日は魔導騎士団副団長様の付き添いはないのん?」

「叔父さんは忙しいみたいで。サミュエルも一緒ですし」


 ミオの返答を聞いたラウラはあからさまにがっくりと肩を落とした。


「え~あの造形美、定期的に摂取していきたい~」

「ぞうけい? せっしゅ?」

「ミオちー、知んないの? ケイ・ベーヴェルシュタムといえば、顔良し家良し恋人無しの三拍子揃った超人気株よ? 貴族の御令嬢はもちろん、王城勤めの連中もワンチャン狙って舌舐めずりしてんだから!」

「いや、ほぼ身内のそんな話聞きたくねェんだけど……」

「なに? 思春期特有の性的なことが不潔だと感じるやつ? いやいや、愛の話っすよ。でも至る所でコナかけられてるはずなのに、一向に浮いた話もないから今でも忘れられない恋人がいるとか、あちらの方にさわりが……っいたい!」

「聞きたくねェって言ってんだろ」


 話がどんどん下世話な方向へと転がっていくのを見かねてサミュエルはラウラの頭を強めにはたいた。この手の話に免疫がないであろう友人を見やると、ミオは目を瞑ってあーーーと声を出しながら耳に手を当てたり離したりを繰り返している。


「おいミオ、何して……ちょ、ミオ?」


 サミュエルの声も聞こえていないようで、ミオは不審な行動をやめない。仕方なくミオの腕を掴んだ。


「ミオって!」

「あ、叔父さんの話終わった?」

「終わらせた」


 ぱっと目を開けたミオは、自分の手を掴んでいるサミュエルにそう尋ねてからふうと息を吐いた。サミュエルとミオのやり取りを少し離れて見ていたラウラはそろえた指先で口元を隠しながらぷすぷすと笑っていた。そのからかうような仕草を思い切り睨みつけると、ラウラはさらに機嫌良さそうに笑みを深めた。


「ラウラ、もういいから早くメンテナンス始めてくれよ」

「あ~い」


 不機嫌さを隠しもしないサミュエルに一切怯むことなく発せられたラウラの軽やかな返事が室内に跳ねた。





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