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これまでのこと
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しおりを挟むある日の放課後、ミオは寮に戻ったその足で庭園へと向かった。まだ雪の残っていた篝火祭の翌日にペーターと一緒に植えた花の苗が、連日の暖かさでいよいよ花を咲かせようとしているのだ。
ミオは水遣りのたびに、少しずつ、しかし確実に膨らんでいく蕾をどこか浮ついた気持ちで見守っていた。ジョウロから降り注ぐ水の粒が穏やかな陽光をきらきらと反射させながら葉や地面を打つ静かな音に耳を傾けていると、遠くからざわめきといくつかの足音が響いてきた。
「あ! ミオくん、今から宴会やるからおいでよ。サミュエルも来るよ」
「宴会?」
「この時期に毎年やってるんだ。お酒は出ないけどね。こっちこっち」
数人で連れ立って庭園へ入ってきたペーターが水遣りをしていたミオを見つけて声を掛けた。腕いっぱいに荷物を抱えながら器用に手招きするペーターに空になったジョウロを花壇の隅に置いてついていく。
いくつか荷物を引き受けながらあまり入ったことのない庭園の奥へと導かれるまま進む。背の高い生け垣に挟まれた迷路のような細い通路を抜けた先には視界を埋め尽くすほどの幻想的な紫の景色が広がっていた。
「すごい……」
朽ちかけた石造りの建物を半ば飲み込むようにして紫色の霞のような花が咲き誇っている。風にそよいでゆったりと揺れるさまは大きな滝のようにも見えた。近付いてよく見てみると、垂れ下がった花の房にいくつもの小さな花がついていて、豊かな芳香が鼻腔を満たす。圧巻の光景にぽかんと口を開けて見上げていると後ろからくすくすと笑い声が聞こえた。
「すごいよね。僕もこんな立派な木を見たのはここが初めてだった」
ペーターはミオの隣に並ぶとどこかうっとりとしたような表情で花を見上げる。
「……花が滝みたいだ」
「ウィスタリアっていうツタ性の木で、こうやって建物の壁面に這わせたり、棚仕立てにするんだ。ここまで大きいと、樹齢100年くらいにはなるんじゃないかな」
「ひゃ、ひゃくねん……」
途方もない数字に開いた口がますます塞がらない。そんなミオの様子にペーターは再び笑い声を上げると背中を軽く叩いて言った。
「花は逃げないからさ。宴会の準備手伝ってくれる?」
ペーターの言葉に頷いてウィスタリアの木の傍に広げられた敷物の方へと2人で向かった。
ミオたち下級生が中心となって寮の食堂で用意してもらった軽食や飲み物を準備していると次々と寮生たちが集まってきた。その人数は次第に増えてゆき、最終的には4、50人ほどにまでなった。こういった場を率先して仕切る副寮長のアーネストは今回は不参加なようで、集まった寮生たちは各々勝手に飲み食いを始めていた。
なんとなく出来上がったグループでそれぞれ会話に花を咲かせていたところで、一際騒がしかったグループからミシェルとダニエルの双子が抜け出し、パンパンと手を叩きながらウィスタリアの花を背にして注目を集める。わざとらしく神妙な顔を作った双子は何事かと視線を向ける観衆を前にして大きく息を吸う。
「第1回! 紫寮大宴会! チキチキ王様だ~れだ選手権!」
一部のグループから野太い歓声が上がる。それを面白がった他の寮生たちも手を叩いて盛り上がる。
「参加希望者は前に集まれい!」
「3年生以下は強制参加ね! 早く集合!」
ミシェルの強引な言葉に下級生からブーイングの声が上がるも、双子に揃ってにこにことした笑顔を向けられるとそれもすぐに収まってしまった。
「はあ? よくわからんけど絶対ろくでもないゲームじゃん」
「あはは。宴会なんだから頭空っぽにした方が楽しいよ」
双子に怯むことなくしっかりと渋るサミュエルの背中をペーターが笑いながらぐいぐいと押す。ミオもその2人の後に続いて双子の前にできた寮生の集団に加わった。
20人ほど参加者が集まったところで、双子は手のひらくらいの金属の板を配り始めた。
「去年はいちゃもんつけてくる奴が多かったのでー、今年はナサニエルに『王様だ~れだ確率機』を作ってもらいましたー。文句があったらナサニエルに言ってくださーい」
「俺たちがこのボタンを押すと今配った白金板にランダムに数字か王様って表示されるので、王様になった人は数字を指定したうえでなんでも命令できます」
「命令はなんでもいいよ~」
双子は交互に緩い口調で説明をする。その内容に疑問を覚えてミオはサミュエルを挟んで向こう側に座っていたペーターに尋ねる。
「第1回なのに、去年もやったのか?」
「いつも第1回なんだよ」
それなら回数を付ける必要がないのではないか。よくわからない適当さにまあそんなものかと納得した自分もかなりこの寮に染まってきているのかもしれなかった。
「王様だ~~~れだ!!」
大声で叫んだミシェルはダニエルの手に乗った赤いボタンを勢いよく押した。それと同時に手元の白金板に目を落とすと目まぐるしく数字が流れていく。徐々にその速度が落ちていったかと思うと数字が表示された。
「よっしゃー!! 王様ー!!」
参加者の1人がガッツポーズをして立ち上がった。周りの寮生が面白そうに笑いながら悪態をついている。
「えー、どうしよっかなー」
指名された王様は己の白金板を見せびらかすように顔の近くで持って、にやにやとしながら参加者を見渡す。
「早くしろや! むっつり!」
「お前なんて王の器じゃないんじゃ!」
「うるせー!」
王様は飛んでくる野次に怒鳴り返すとごほんと咳ばらいをした。
「6番と11番で野球拳!」
「俺かよぉ! やだよ! 需要ないだろ?!」
「いつも風呂で見てんじゃんかよ!」
「もう一人誰だ!」
「あ、俺ですね」
11と表示された白金板を手に立ち上がったミオを見るや、賑やかな会場が水を打ったように静まり返った。数秒してから王様を含めた寮生たちが頭や手を横に振りながら口々に喋り始める。
「だめだめ、ヘイノラはいかん」
「そういうのだめな感じじゃん。笑えない感じじゃん」
「ヤキュウケンってなんですか?」
「ほらぁ。ヘイノラは座ってな。ね?」
「誰かルイス呼んで来いよ。脱ぎたがりじゃん、ルイス」
そうだそうだという声を採用して、『王様だ~れだ』には参加せずに同級生たちと談笑していたルイスをダニエルが引っ張って連れて来る。状況を全く把握できずにいるルイスを数人で取り囲んで事情説明が始まる。ルイスも勢いに流されるままそういうことなら、と満更でもなさそうに承諾した。
そうと決まれば寮生たちの動きは速かった。誰かがどこからともなく持ってきたヴァイオリンと太鼓で演奏を始める。珍妙な音楽に合わせて2人が踊り出したかと思うと、よよいのよいでじゃんけんをする。じゃんけんに負けたルイスがばさりとジャケットを脱ぎ捨て、歓声が上がる。
いったい何が始まったのか分からず、目をパチパチとさせながらペーターを見ると音楽に合わせて楽しそうに手を叩いている。一層混乱を極めて縋るようにサミュエルに視線を向けると腹に手を当てて大笑いしていた。こんなに笑っているサミュエルを見たのは、激怒した叔父が団長を背負い投げした時以来だった。
しばらくゲームに参加していない者も一緒になって野球拳を観戦していたが、双子たちが飽きたようで『王様だ~れだ』が再開された。新たに王様に指定された寮生たちは比較的良心的で好みのタイプを言うとか、尻で文字を書くといった平和な命令が続いた。前に立つ双子は目に見えて退屈そうにしていた。
そして、誰もが恐れていた悲劇がついに起きてしまった。何回目かでついにミシェルが王様になったのだ。会場から上がったいくつもの悲鳴を意にも介さずミシェルはぴょんぴょんと跳ねながら水を得た魚のようににっこりと笑う。その嫌な予感しか感じさせない笑顔に下級生たちは震えあがる。
「やったー! じゃあねぇ、3、8、15番! ナサニエルを連れてきて!」
安堵の溜め息と絶望の悲鳴が会場に渦巻く。番号の発表を聞いたきり硬直したサミュエルを不審に思ってミオが白金板を覗き込むと、そこには15と表示されていた。サミュエルの顔を見上げると、頬を引きつらせたまま虚ろな目をしている。
なかなか名乗り出ない15番にしびれを切らした周囲がお互いの番号を確認し始める。そして、サミュエルが15番であることがばれると、ダニエルに首根っこを掴まれ引きずられていった。
「やだよ! 絶対ぶっ飛ばされるじゃねェか!」
「サミー! 王様の命令は絶対だから! 早くいきな!」
3番と8番の2人が諦めたように首を横に振りながらサミュエルの両脇を抱えて寮へ歩いていく。それを見届けた双子の指示で数人が彼らを追いかけて姿を消した。
サミュエルが心配でそわそわと寮の方向を窺っていたミオをペーターが手招きする。ミオに大きめのビスケットを手渡してからペーターは生け垣の向こうに見える個人棟を指さした。
「ナサニエルさん、今年は角部屋だからここから見えるはずだよ」
ビスケットをかじりながらペーターの言葉に首を傾げたところでバリンと大きな音が響いた。音のした方にパッと視線を向けると、4階の窓を突き破ってサミュエルを含んだ3人が外へ放り出されたところだった。
「サミュエル!」
ミオは思わず悲鳴を上げて咄嗟に宙に浮き上がるとサミュエルが落ちた辺りに飛んでいった。窓から放り出された3人は用意周到に準備されていたマットの上に倒れこんでいた。それに一応は安息してから、地面に降りてサミュエルに駆け寄ると、彼は頭をさすりながら上半身を起こす。
「いってェ……。思い切りぶつけた」
「たんこぶになってる」
サミュエルの後頭部に触れると血こそ出てはいないが熱を持って少し腫れ始めている。そうこうしているうちに、わらわらと後から双子を先頭に寮生たちが集まってくる。みな、大いに笑いながら口々に3人を讃えていて怒る気持ちも薄れてしまった。
宴会会場へ戻ると、まだ続いていた野球拳の決着がようやく着いたらしい。上半身裸になったルイスが筋骨隆々とした身体を惜しげもなく晒しながら様々なガッツポーズを披露している。観客も面白がって手を叩いて歓声を送る。その盛り上がりに答えるように音楽を担当していた寮生が楽し気な曲を演奏し始めた。それを聞いた寮生たちが音に乗って踊り始めた。
たんこぶを氷嚢で冷やしながら端の木陰で休むサミュエルの横でミオは膝を抱えてその楽し気な様子を眺める。みんなが思い思いに飛んだり跳ねたり回ったりしながら笑い合っている様子がひどくキラキラして見えた。ぼうっとそれを見ていたミオの背中がぽんと軽く叩かれた。のろのろとサミュエルを見上げる。
「行って来いよ」
そう言ったサミュエルの言葉をすぐに理解できなくて目を瞬かせていると、もう一度、今度は優しくさするように背中を押された。おずおずと腰を上げて踊りの輪の外側に加わって、見よう見まねで踊ってみる。ぎこちなく踊る姿を見つけた双子はすぐさまミオの元へと駆け寄り喜色満面で跳ねるような声を上げる。
「ミオくん! 笑って! もっと楽しく踊ろ!」
輪の中心で王都で見かける大道芸人のような不思議な踊りをしていたミシェルとダニエルがミオの近くで踊り始める。すこし戸惑いながら今度は双子の動きを真似して踊ってみる。
「上手! センスあるよ!」
ミシェルがミオの手をとって上へ持ち上げる。促されるままにくるりと回ると、まわりから笑い声が上がって背中や肩をばしばしと叩かれる。痛いのにどうしてか気分が高揚する。楽しい輪の中にごく自然に馴染めている気がして、なんだか自分がちゃんとした人間みたいに思えて、腹の底から楽しい気持ちが溢れ出しそうになる。
「あはは!」
「ひえー! ダニエル! ダニエル、みて! ミオくんめっちゃ笑ってる! かわいい!」
「見てるって。俺らの努力が報われる日がついに来たな……」
興奮するミシェルと目頭を押さえるダニエルにリードされながら、息が上がり汗が滲むまでミオは夢中で踊った。
音楽が途切れたタイミングで双子に片手ずつ握られていた手をするりとほどいて、木陰で休憩するサミュエルの隣に倒れこんだ。サミュエルは息を切らすミオの頭にぽんぽんと手を置いた後、冷たい紅茶を差し出した。それを一気に飲み干す。
「ねえ! サミュエルも踊ろう! すっごく楽しい!」
「いや俺はいいよ、そんなん柄じゃな、ちょっ……ミオ!」
サミュエルの手から奪い取った氷嚢をその辺に放り投げて腕を取る。驚くサミュエルの手を引いてまた新しい音楽のかかる輪に駆けていく。
時間が経つもの忘れて、日が暮れるまで美しい花の下で踊り続けた。
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