孤独の水底にて心を知る

あおかりむん

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これまでのこと

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「僕らは魔法が使えるので体術なんて必要ないと思われがちです。しかし、貴族を襲ってやろうと考えるような人たちは当然魔法で抵抗されることは織り込み済みです。そう考えると魔法なしでも己の身を守れるだけの心得はあっても損はないと思えてきませんか? ここでは、護身術をはじめとして少し応用的なこともやったりしています」


 大勢の見学希望者の前で堂々と話すヘンリーの横でミオはかちかちに固まりながら気をつけの姿勢で立っていた。これは自意識過剰ではないと思うのだが、話をしているヘンリーよりもただ立っているだけの自分に視線が集まっている気がする。


「まずは簡単な護身術をやってみます。ヘイノラ君」

「あっ、はい」


 ヘンリーに名前を呼ばれてミオはハッと我に返った。彼が差し出してきた腕を軽く掴む。


「たとえば、こんなふうにいきなり腕を掴まれたら。手の甲が上になるように腕を捻って、自分の方に引き寄せるみたいにすると、抜けます」


 ヘンリーはひとつひとつの動作に説明を加えながらゆっくりと実演をする。彼の説明した通りにミオの指の隙間から掴んでいた手が抜けていくのを見ていた見学者からおお、という感嘆の声が上がった。


「それじゃあ早速やってみましょう。2人1組になって」


 わいわいとペアを作った見学者たちが次々に護身術を実践しはじめる。そんな彼らの端の方に目を止めたミオはおや、と思う。すぐに辺りを見回してそれぞれのペアの間を歩き始めていたヘンリーに向かってやや大きな声で呼びかけた。


「ヘンリーさん、1人余ってるみたいなんで、俺行ってきます」

「ん? ああ、ありがと」


 1人きりで困ったようにきょろきょろと周りを見ている小柄な生徒に小走りで近付く。駆け寄るミオを見つけたその生徒はパッとわかりやすく顔を輝かせた。


「ごめん、申し訳ないけど人数が足りないから俺が相手になるよ」

「……『俺』っていうんだ……」

「え?」


 ぼそりと何か言ったように聞こえてミオが聞き返すと、彼はぶんぶんと頭と両手を振って「なんでもないです!」と勢いよく否定した。


「あの、ぼく、レミ・ブーケといいます。よろしくお願いします」

「あっ、ミオ・ヘイノラです。こちらこそよろしく」


 お互いに自己紹介を終えるとレミがおずおずと腕を差し出してきた。なぜか彼がミオに向ける目は部活の見学に来たにしては妙に輝いていて。ミオは奇妙に思いながらもレミの腕を掴んだ。


「えっと、手の甲が上になるようにして、自分の方へ引き寄せる! あれ?」

「単に引き寄せるんじゃなくて、相手の親指と人差し指の隙間を意識してそこから自分の親指を抜くイメージで」


 ミオのアドバイスにこくこくと素直に頷いたレミは掴まれたままの腕に再び力を入れて引き寄せた。今度は難なくミオの手から逃れて喜色満面の笑みを浮かべる。

 おそらくミオよりも1つか2つは年下だと思われるレミの屈託のない笑顔を見て、妙にむずむずするような感覚がしてミオは意味もなく頭を掻いた。

 その後もいくつか初歩的な護身術を一緒に行った。レミに触れるたびに芯がないような心もとない身体や柔らかい肌の感じがミオにそこはかとない恐怖を抱かせた。

 これまで自分より身長も体格も大きな相手としかやり合ったことがないミオにとって、練習とはいえ小柄で華奢なレミ相手に掴みかかったりすること自体に抵抗感がある。

 ミオがその気になれば彼を引き倒すことなんて文字通り赤子の手を捻るよりも簡単なのだ。

 そんなことを考えていたせいで、レミの胸倉を掴んだ手に思ったより力が入ってしまった。よろけたレミを支える手も咄嗟に出なくて彼は派手に床に倒れこんだ。


「……いた……」

「ご、ごめん! 大丈夫か?!」


 むくりと起き上がったレミはゆっくりとミオの顔を見上げて引きつったように笑った。けれどその笑顔はすぐに歪んで目になみなみとした涙の膜が張る。

 ぎくり、と身体を硬直させたミオからレミは視線を外して俯くとぱたぱたと床にしずくが落ちた。


「えっ、泣い、えっ、そん、そんなに痛、ど、どうしよ……」


 時折肩を揺らしながらさめざめと泣き始めたレミに盛大におろおろしていると、騒ぎを聞きつけたヘンリーが駆け寄ってきた。


「どうしたの? 怪我した? どこか痛い?」

「……」


 膝をついて背中をさすりながらそう尋ねたヘンリーにレミは無言のまま首を横に振った。それにヘンリーはちょっと小首を傾げてからミオの方を向いた。


「じゃあ、落ち着くまで端っこで休もうか。ヘイノラ君、付き添ってあげて」

「はっ、はい!」


 レミはヘンリーに支えられて立ち上がるとふらふらと部屋の隅へと歩き始めた。付き添いを命じられたミオはしかし、手の貸し方もわからなくてレミから付かず離れずの距離を歩く。

 壁際まで至り膝を抱えて座り込んだレミから少し離れてミオも床に腰を下ろした。腕に顔をうずめたまま鼻をすする音に紛れてレミがくぐもった声を出した。


「……ごめんなさい、急に泣いたりして……」

「いや、俺がちょっと考え事してて手が出なかったせいだ。ごめんね」


 ミオの謝罪を聞いたレミは顔を上げてこちらを見つめてくる。真っ赤な目の縁をぐるりと囲む長い睫毛が涙で濡れそぼっていた。ゆっくりと瞬きをした拍子にぽろりと残った涙が頬の上にこぼれ落ちる。

 その様を見て、なんといえばいいのか、何だかじっとしていられないような気持ちになってミオは胡乱に視線を彷徨わせた。


「情けない奴だって思ってますよね……? ちょっと転んだだけでめそめそして……」

「そんなことは……」

「いいんです。僕、昔からそうなんです。運動はからきしだし、兄さんたちには泣かされてばっかりだし」


 レミはミオの言葉を遮ると少し自嘲を含んだ声色で話始めた。


「それでも勉強だけは他の兄弟たちよりも多少できたから、両親はこんなダメな僕を優秀だっていつも褒めてくれるんです。せめて期待には応えようって頑張ってきたけど、得意なはずの勉強だってここじゃ人並み程度だし……。結局、どうあがいても僕が情けない泣き虫なのは変えようがないんです」


 ぎゅっと自分の膝を抱え込んだレミは遠くを見るような目で競技場の真ん中あたりを眺めていた。ミオがその目線をたどると、他の見学者たちがヘンリーの指導に真面目に聞き入っている。


「ミオさん、競技大会で弓術の寮代表でしたよね?」


 ミオに視線を向けたレミがそう尋ねてくる。なぜそんなことを聞いてくるのかわからないままミオは小さく頷くだけで答えた。


「3年生でチーム内でも小柄で細いのに、他の選手たちに全く引けをとってなかった。それがすごくかっこよくて、僕もミオさんみたいになれたらって思ったんです。多分、今回見学に来てる人たちもみんなそうだと思う」


 そんなふうに見られていたなんて全く知らなかった。ミオは馬鹿みたいに口を半開きにしてレミと見学者たちに交互に視線を向けた。その様子にレミはふ、と苦しそうに笑った。


「もしかしたら何か変われるかもと思って、ここに来てみたけど、結局情けない姿をみんなに見られただけだった……」


 そう言ったきりレミは黙り込んでしまった。丸まった背中から、その苦しげな横顔から、拭いきれない落胆を垣間見て、ミオは彼から目を離せなくなる。

 ぽつぽつと語られるレミの言葉を、どうしてか何の抵抗もなく受け入れている自分がいた。まるで、心の隙間にすっと入り込んでいくような、そんな感じがした。ついさっき会ったばかりの、お互いの名前しか知らないような相手との会話がどうしてこんなに自然と受け入れられるのだろう。

 ──ああ、おなじなんだ。

 そう思ったら急にすべてが理解できた。他人から期待される自分と本当の自分の乖離に苦しんでいて、それでも寄せられる期待には答えたくて、でもどうすればいいのかわからなくて、そういう自分と同じわだかまりを、目の前の彼も抱えているのだ。ミオはなんだかたまらなくなって勝手に口が動いた。


「わ、わかるよ。お世辞とかじゃなくて、ほんとうに。俺も同じこと思ってた。だから……レミ君の気持ち、すこしわかる」


 パッと顔を上げたレミは少し驚いたような顔でミオを見つめた。いまだに涙に濡れている目をぱちぱちとさせて少し首を傾げた。


「ミオさんが?」


 こくりと頷くとレミの表情がぱあっと一気に明るくなる。そして、膝を抱えていた手をほどいて床についていたミオの手にそっと重ねてきた。手の甲に伝わる柔らかな感触に心臓がどきりと跳ねる。


「なんだろ、こんなこと言うの良くないのかもしれないけど、すっごくうれしいです……」


 喜びの滲むレミの言葉にミオも控えめに笑うのだった。

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