孤独の水底にて心を知る

あおかりむん

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これまでのこと

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 閉じた瞼の向こうに光を感じて目を開けた。窓から入ってきた夕日が顔のあたりを照らしていたらしい。お気に入りのクッションにつけていた頬を持ち上げると、少し離れた炊事場で艶やかな黒髪をきれいに結い上げた母様が忙しなく動き回っているのが見えた。

 気付いてくれないかな。そう思ってその背中を見つめていると、パッとこちらを振り返った母様が夕食の準備の手を止めてぱたぱたとこちらに駆け寄ってきてくれた。


「ミオ、目が覚めた? どんな夢を見ていたの?」


 母様はひどく優しい声でミオの名前を呼ぶと、目元にかかった前髪を掬って耳にかけてくれる。そのまま頭に手を置いてゆっくりと撫でてもらえるのが嬉しくて自然と顔がほころぶ。

 母様にさっきまで見ていた素敵な夢の内容を伝えようとする。魔法の勉強をする学校に通って、親友ができて、生まれた時に一度だけ会ったという母様の弟と暮らして──。でも、なぜだか喉が詰まって声が出せない。

 にこにこと微笑んだまま母様は後ろを振り返る。そこにはいつの間にか帰ってきていた父様が立っていた。

 母様と同じように優しく微笑んでミオを見下ろす父様におかえり、と声を掛けようとする。しかし、その言葉も音にならない。喉が締め付けられるように苦しくなって、俯いてごほごほと咳き込んだとき。ごとん、と鈍い音がした。

 のろのろとその音の方に目を向ける。ごろりと転がった頭がこちらを向く。いつも優しげな皺を目尻に寄せてミオを見つめてくれた父様の穏やかな瞳は恐怖に見開かれ、柔らかな焦げ茶色はひたすらに虚ろでもう何も映してはいなかった。


「ミオ」


 ひどく優しい声で名前を呼ばれる。母様に視線を向けると、彼女は微笑みを浮かべたまま口から止めどなく溢れ出る真っ赤な血で下顎を染めていた。顎の先からぽたぽたと血の雫がしたたり落ちる胸にはナイフが深々と突き立てられている。母様が大好きだった綺麗な青い色の服の胸元にじわじわと赤いしみが広がる。

 派手な音を立てて母様と父様が床に崩れ落ちた。ソファから転げるように降りて2人に縋る。なんとか、なんとかしたくて床に転がる父様の頭に手を伸ばす。それを母様に折り重なるように倒れている胴体にくっつけようとしたが、そんなことできるわけない。

 不自然に引き攣る呼吸と妙に滲む視界の中で、今度は母様の胸に突き立てられたナイフの柄を両手で握る。手についた血がぬるぬるとしてうまく引き抜けない。それでもなんとか抜き去ると、ナイフの刺さっていた傷口から血が一気に溢れ出す。慌ててそれを両手で抑えるが、生温かい血が次から次に指の間から零れ落ちてゆく。

 呆然として手を離した。床にへたり込んで目の前で息絶えている両親を見つめる。
 そうだ。そうなんだ。もう、どうにもならない。知っている。
 なにをしたって、もう取り返しなどつかないのだ。





 ミオは今度こそ目を開けた。消毒液の匂いのするベッドの上だった。身体中に嫌な冷たい汗をかいている。どくどくと早鐘を打つ心臓が他人のもののように感じられる。

 シーツの下から両手を引き摺り出して目の前に持ち上げる。醜い蚯蚓腫れがいくつも走り、小刻みに震えるその手には一滴の血も付いてはいない。

 けれど。

 けれどこの両手はあの日から何百もの命を奪ってきた手だ。

 あの日、一番大事なものを守れなかった腹いせに、誰かの大事なものを何百、何千と奪い取ってきた手だ。

 もう、もう取り返しなどつかないのだ。

 記憶にかかった霞は、嘘みたいに晴れ渡っていた。


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