孤独の水底にて心を知る

あおかりむん

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これからのこと

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 時は一刻を争った。
 湖のほとりでミオは一連の魔力濃度上昇の原因を視た。もともとこの土地には東に聳える山から湖を通り街へと流れる『水脈』が存在しており、その魔力量が異常に増加していた。特に湖周辺で魔力の流れが滞留しており、顕著な魔力濃度の上昇を起こしているのだと考えられた。『水脈』の魔力も湖の魔力だまりも、この土地が湛えうる魔力量をとっくに超えている。本来であれば、この不均衡を解消するために過剰な魔力は押し流されるはずなのだ。それをさせずに土地に魔力をとどめている何かがある。

 それは、おそらく『精霊』と呼ばれるものの仕業だ。動物よりも、植物よりも、ずっと生命の根幹近くに彼らは在る。その意志は人間などにはくみ取れず──いや意志さえ介在するかもわからない、ほとんど自然現象そのものといっていいほどに原始的で圧倒的な魔力の塊だ。だから、今回のことにも理由なんてない。大雨が地表を浚うように、雷が天を割るように、なんの理由もなくただ起こるだけなのだ。

 ミオは山の頂に座したの精霊の姿を思い起こす。ひたりとこちら睥睨する姿に根源的な畏れを感じるとともに、直感的に理解したことがある。押しとどめられた膨大な魔力はもういくらもせずに堰を切るということだ。

 『水脈』の魔力とともに流れ込んできた激しい焦燥は一体何なのか。なぜ敢えてミオに己の姿を見せたのか。疑問は数多くある。しかし、今そのことを考えている時間が無いということだけは明らかなのだ。


「ぉうあっ! あっ! いだっ!」

「若先生、大丈夫ですか?」

「ごっ、ごめん! 平気!」


 診療鞄を抱えて向かいの座席にしがみついている若先生に声を掛けてから、ミオは猛スピードで走る馬車の扉を開けた。車輪が石畳を撥ねるせいでひどく揺れる馬車から身を乗り出して御者席に座るセバスチャンに大声を出した。


「セバスチャン! 街の人たちが一番言うこと聞くのってだれ?!」

「ミオ様! 何をなさっているのですか?! 中へお戻りください!」

「いいから! 誰の言うことなら聞く?!」

「ッ……! サンプソンでしょう!」

「わかった!」


 セバスチャンの返答にまた大声で返して、ミオは周囲を見渡す。馬車はちょうど街の入り口を通り過ぎて中央広場へと向かっている途中だ。おおよそ街の中心近くになるはずとあたりをつけて右手側にある丘の上にある別邸までの距離を目測する。そしてごく薄く自身の魔力を周囲へ放った。

 ──街の人口は500名ほど。そのうち魔法を扱える程度に魔力を持つ者は片手で収まるほどしかいない。そのうちの1人がサンプソンだ。魔力の界面が走査してゆく気配をひとつずつ選別してゆきすぐにサンプソンを見つけた。


「セバスチャン! サンプソンさんは役所にいる!」

「ええ! もう目の前ですよ!」


 思い切り手綱を引かれた馬が鋭くいなないて馬車の速度が落ちる。完全に停止するより早くミオは地面に飛び降りて走り出した。若先生に馬を頼んだセバスチャンが追いかけてくる気配を感じつつ、何事かと集まり始めた住民たちの中を突っ切って真っすぐ役所の正面玄関を目指す。


「あいつは……!」

「ひ、ひいっ……!」


 猛然と走るミオに慌てて道を開けた住民が悪態や悲鳴を上げるのに内心舌打ちをしながらも、役所の前までたどり着き蹴破る勢いで正面扉を開け放った。それと同時に再び魔力を周囲へと放ち、入り口正面にある階段を昇り始める。


「な、なんだ君、ぅぐっ……!」


 階段を昇り切ったところで文官らしき男が進路に立ちふさがった。ミオよりも上背はあるが体格は普通、こちらに対して身体が開いているから体術の素養はない。そう判断して速度を落とさないまま歩み寄り、意味なく向けられた両腕をすり抜けて手のひらで顎を掴んだ。後ろにバランスを崩した男のふくらはぎを払って床に転がし、起き上がってくるよりも早く先へ進んだ。

 その様子を見ていたらしい他の者たちはおとなしくミオに進路を譲り、あっという間にサンプソンのいる部屋まで行き着いた。正面扉と同様に勢いよく扉を開け放つと、驚きに目を丸くしたサンプソンと数人の文官が揃ってこちらを見た。


「は……?」

「サンプソンさん。大事なお話があります。今すぐです」

「なっ、なんですかいきなりっ……! 誰がここに通したのです?!」

「街の人たちに避難を指示してください」

「勝手に話を始めないでください!」


 サンプソンは少々ヒステリックに叫んで包帯が巻かれた頭を片手で押さえた。彼以外の文官たちは困惑を隠さないまま、サンプソンとミオを見比べている。


「時間がないんです。すぐに尋常じゃない量の魔力がこの街になだれ込みます。でもそれは俺が何とかするから、とにかく街の人を一か所に集めて避難させてほしいんです」

「いきなり避難と言っても何かしら根拠がなければできません! そもそも昨日の件であなたに反感を抱いている住民も少なくないんですよ!」

「言ってるじゃないですか! 魔力がなだれ込むって! 俺の言うことなんて聞いてもらえないからこうして頼んで……っ!」

「ミオ様、落ち着いてください」


 こちらの話を全く聞き入れてくれないサンプソンに苛立って思わず声を荒げたところで、聞き慣れた声とともに背中に手を添えられた。反射的に声のした方を見上げると、汗を滲ませたセバスチャンがサンプソンを見据えて立っていた。


「サンプソン、ミオ様は先ほど『水脈』をご覧になりました。この街に災厄が迫っていることは間違いない。しかし、あなたの言う通り、そのことを住民に理解させるのは難しく、そのような時間もありません。なれば、湖の水源近くで大規模な土砂崩れの恐れがあるとでも理由をつけて避難を指示しなさい」

「し、しかし、いくらなんでも急すぎます……! 住民たちは避難を今までの生活を捨てることだと考えているのですよ!」

「10年ほど前にも同じ災害が起きていたはずです。記憶している者も少なくないでしょう。今必要なのは筋道立った論拠ではなく、誰も死なぬという結果です。街に何かあればベーヴェルシュタム家が補償をすると約束もしましょう。決断なさい」


 セバスチャンの厳しい声にサンプソンは数秒の間押し黙った。そして両手を強く握り締め、わずかに伏せて視線を勢いよく上げると、事の次第を無言で見守っていた文官たちに大声で指示を飛ばした。


「大規模土砂崩れが街へ流入する可能性ありとして避難指示を出せ! 避難先は役所庁舎とし、病人怪我人老人子どもを優先すること! そのほかの対応は通信用魔道具をもって都度私に指示を仰げ!」


 サッと部屋の空気が変わった。おろおろとしているだけだった文官たちは口々に了解の返事をするとともに部屋を飛び出していった。その変わりように半ば呆気に取られていたミオの目の前にサンプソンが歩み寄る。


「ミオ様。私の決断は長年ベーヴェルシュタム家の家令として領地経営にご尽力くださったセバスチャン様のお願いがあってこそです。正直、あなたの言うことはまだ信用しきれていない……」

「サンプソン!」

「セバスチャン、いい。黙ってて」


 咎めるように鋭い声を上げたセバスチャンを制して、ミオは強い意志をもって向けられたサンプソンの視線を真正面から受けた。ミオとてほんの1ヶ月ほどしか滞在しておらず、街の住民とも悪い意味での関わりしか持てていない今の状況で信用しろなどと言うつもりは毛頭ない。己の我儘で彼らを振り回している自覚さえある。


「もちろん避難は行いますし、出来得る限りの協力はします。そのかわりあなたには……我々の途方もない不安とそのなかでの行動を無駄にさせないでほしい。……ここになだれ込むという魔力、必ずや何とかしてくださいませ」


 そう言い切ったサンプソンの声は少しだけ震えていた。彼は自身の決断に数百人の命運がかかっていることをわかっているのだ。ミオのように否応なくではない。それがどれほどの重荷か承知の上で自ら背負っているのだ。ミオはなんだか不思議な気持ちでサンプソンを見詰めて、緊迫した部屋の空気には似つかわしくないとは思ったけれど、そっと微笑んだ。

 ミオの笑顔にたじろいだサンプソンと一瞬で距離を縮めると、彼の腕を掴んで大股で広場に面した大きな窓へ向かう。


「言われなくても絶対何とかしますよ。ところでサンプソンさんは拡声魔法を使えますか?」

「はっ? つ、使えますが」

「ならよかった。俺は術式わかんないから」


 両開きの窓を開いて桟に足を掛け、動揺するサンプソンの腕を掴む力を強めたところで、ミオはくるっと首だけでセバスチャンを振り返った。


「セバスチャン、助けてくれてありがと」

「お役に立てたようで何よりでございます」

「あとさ、この建物にあるだけでいいから魔石を集めておいてくれる?」

「ええ、かしこまりました」


 胸に手を当てて恭しく礼をした彼から視線を外して、ミオは窓の桟を蹴って外へと飛び出した。と同時に浮遊魔法で自身とサンプソンの身体を宙に浮かせ避難を始めた住民たちが集まりつつある中央広場の真上まで音もなく移動する。

 辺りはすでに宵闇が迫り、あれほど赤々と輝いていた西の空は山の稜線の真上を除いて藍色に染まっていた。相対する東の空には真円の月が顔を覗かせている。昼と夜の境目の時間、黄昏の薄暗がりでは頭上高くに飛ぶ人間が誰かなんてきっとわからないだろう。


「サンプソンさんの拡声魔法を街中に届くくらい俺が増強させます。思い切り避難指示をどうぞ」

「……ッ! もうめちゃくちゃだ……!」


 どこか恨めしげにそう絞り出してサンプソンは己の喉に手を当てた。彼の体内で魔力が拡声魔法の術式に流れるのを確認してから、ミオは喉を押さえる手に人差し指で触れる。彼の術式を妨げることなく、魔力流動に無色の魔力を重ねた。


『全住民に通達します──』


 サンプソンの声は三方を山に囲まれた街の隅々まで響き渡った。夕食時、家族との穏やかな時を過ごすはずだった街の至る所から動揺と困惑のざわめきが無数に湧き立つのを肌で感じる。掴んだままだったサンプソンの腕の筋肉がわずかに硬直したのが分かったけれど、ミオは何も言わずもといた部屋の窓までゆっくりと空中を移動した。

 サンプソンを部屋の中へと下ろしたところで、すかさずセバスチャンが両手で収まるくらいの袋を差し出してきた。


「申し訳ございません、取り急ぎ集められた魔石はこれだけになります」

「うん、ありがと」


 桟から床に降り立ってセバスチャンが差し出した袋を受け取ると、ミオはすぐに中身を確かめた。中にはクルミ程度の大きさの魔石が10個ほど入っている。街の規模を考えてもこれくらいの量があれば十分だろう。ひとり頷いたところでサンプソンが疑わしげな視線を向けていることに気が付いてミオは口を開く。


「これで結界を──」


 しかしミオの言葉はそれ以上続かなかった。
 夜の帳を引き裂いて、悲鳴とも叫喚ともつかぬ強烈な咆哮が轟き、満ちる空気すべてを鳴動させた。

 それはあらゆる生命に根源的な畏れを抱かせる──『精霊』の叫びに違いなかった。

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