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Episode 19 チョコとマラソン
19-6.『かわいい女』
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(覚悟を決めるんだ)
寄り添って、一緒に進んでいくんだ。中川美登利が言ったのはそういう意味なのだと綾香は思った。同じ速度で、焦ったりしない、一緒に進むんだ。
だから綾香が今できることは、
「うん、ありがとう。楽しみに、考えておくね」
明るく明るく、笑うこと。彼のためにかわいい女の子でいること。
「チェーホフの巻?」
「世界文学全集の、二十八巻だけ抜けてるだろう。図書館で確認したらチェーホフの巻だった」
一緒に中川家に向かいながら誠はいつも疑問に思っていたことを訊いてみた。
書斎の本をよく借りるのだが、その本だけがいつも抜けている。
「私の部屋にあるよ。『かわいい女』って読んだ?」
「文庫で読んだ」
「私あの話キライでさ」
「だろうな」
「皮肉で『かわいい女』なんだって思ってたのに、一周回って『かわいい女』だって意見を聞いちゃってさ」
「チェーホフ本人がそうだったらしいな」
「私の読解力が足りないのかと読み返してみるんだけど、やっぱりわからない」
「ああ……」
「あんたの意見は聞かないから安心しなよ」
「それはどうも」
中川家は玄関からもう甘い匂いに満ちていた。バレンタインに幸絵がチョコレートケーキをふるまってくれるのは年中行事になっている。
「お母さん、どう? うまくできた?」
「もちろん。じゃーん、ザッハトルテ」
「ツヤが足りないよ。もっとこう、つやつやじゃないと美しくない。お兄ちゃんのはもっとこう……」
「それなら巽さんを呼べばいいじゃない」
「スミマセン、お母様のが最高です」
今日何口目とも知れないチョコレートを口に入れて美登利は頬をほころばせる。
「そうだ、サプライズを披露しよう」
誠に向かって小さな箱を差し出した。
「今年はトリュフも作ってみました」
小箱にはチョコレートが四つ収まっていた。
美登利は非の打ちどころのない笑顔でにこにこしている。誠は用心深くその顔を観察する。
「念のために訊くが、それの中身はからしとかわさびとか唐辛子とかってオチはないよな?」
笑顔はそのままに彼女は小首を傾げて見せる。
「食べてみろ」
「いやいや」
「た・べ・て・み・ろ」
お茶のポットと一緒に幸絵が別の大きな箱を持ってきた。
「誠くん誠くん、こっちが本物だから。持って帰って食べてね。そっちはほんのお遊び」
「つまんないの。これは宮前にでも持っていこう」
「お父さんにあげればいいじゃない」
「お父さんがこんなもの食べたら入院しちゃうよ」
「そうかしら」
なにを入れたんだ、なにを。母娘の会話を聞きながら誠は幼馴染に向かって心の中で合掌した。
寄り添って、一緒に進んでいくんだ。中川美登利が言ったのはそういう意味なのだと綾香は思った。同じ速度で、焦ったりしない、一緒に進むんだ。
だから綾香が今できることは、
「うん、ありがとう。楽しみに、考えておくね」
明るく明るく、笑うこと。彼のためにかわいい女の子でいること。
「チェーホフの巻?」
「世界文学全集の、二十八巻だけ抜けてるだろう。図書館で確認したらチェーホフの巻だった」
一緒に中川家に向かいながら誠はいつも疑問に思っていたことを訊いてみた。
書斎の本をよく借りるのだが、その本だけがいつも抜けている。
「私の部屋にあるよ。『かわいい女』って読んだ?」
「文庫で読んだ」
「私あの話キライでさ」
「だろうな」
「皮肉で『かわいい女』なんだって思ってたのに、一周回って『かわいい女』だって意見を聞いちゃってさ」
「チェーホフ本人がそうだったらしいな」
「私の読解力が足りないのかと読み返してみるんだけど、やっぱりわからない」
「ああ……」
「あんたの意見は聞かないから安心しなよ」
「それはどうも」
中川家は玄関からもう甘い匂いに満ちていた。バレンタインに幸絵がチョコレートケーキをふるまってくれるのは年中行事になっている。
「お母さん、どう? うまくできた?」
「もちろん。じゃーん、ザッハトルテ」
「ツヤが足りないよ。もっとこう、つやつやじゃないと美しくない。お兄ちゃんのはもっとこう……」
「それなら巽さんを呼べばいいじゃない」
「スミマセン、お母様のが最高です」
今日何口目とも知れないチョコレートを口に入れて美登利は頬をほころばせる。
「そうだ、サプライズを披露しよう」
誠に向かって小さな箱を差し出した。
「今年はトリュフも作ってみました」
小箱にはチョコレートが四つ収まっていた。
美登利は非の打ちどころのない笑顔でにこにこしている。誠は用心深くその顔を観察する。
「念のために訊くが、それの中身はからしとかわさびとか唐辛子とかってオチはないよな?」
笑顔はそのままに彼女は小首を傾げて見せる。
「食べてみろ」
「いやいや」
「た・べ・て・み・ろ」
お茶のポットと一緒に幸絵が別の大きな箱を持ってきた。
「誠くん誠くん、こっちが本物だから。持って帰って食べてね。そっちはほんのお遊び」
「つまんないの。これは宮前にでも持っていこう」
「お父さんにあげればいいじゃない」
「お父さんがこんなもの食べたら入院しちゃうよ」
「そうかしら」
なにを入れたんだ、なにを。母娘の会話を聞きながら誠は幼馴染に向かって心の中で合掌した。
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