山伏と狼

柏木あきら

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 西洋医学がまだ浸透していなかった江戸時代、山伏の薬は重宝されていた。

 深い山に分け入り、修行を重ねる山伏たちは修行の傍ら山野に自生する薬草の知識を身につけ薬を調合していた。そして下山し檀家を廻り人々に分け与えに行っていたのだ。

 シャリン、と浅間あさまが歩くたびに錫杖しゃくじょうが鳴る。じわりと汗が滲み、思わず額の汗を拭った。真夏を超えたとはいえ、まだまだ汗は出る。山での修行は一旦、紅葉したころに終え、雪が降る前にまた山へ籠るのだがその間に檀家に薬を届けねばならない。修行と同時に収穫も行うのだ。
 しばらくして目当ての山野草を見つけると、一礼し、根から引っこ抜き籠に入れた。もう夕七つ(十六時頃)になる。日が暮れてからの山歩きは危険だ。
 (そろそろ戻るか)
 砂利を踏み締め、振り返ると、目の前に人がいて一瞬、浅間は肝を冷やす。
 子供だ。歳の頃は十五くらいだろうか。黒々した髪は肩まで伸びているが、男子だった。肌は褐色、みすぼらしい着物を着て、ジッと浅間を見つめていた。こめかみに大きな傷跡がある。
 こんな時間に、こんな場所に子供が一人でいるなんて、と浅間は警戒する。
 (物怪もののけの類いだろうか)
 錫杖を握った時、子供の方から声をかけてきた。
「その薬、くれ」
 手を伸ばし、無表情で浅間に言う。片言の言葉、やはり人間では無いようだ。
「何者だ」
「頼む」
 言葉がわからないのか、子供は尚も手を伸ばす。その目がどんどん浅間を睨みつける。この瞳を見たことがある、と浅間は目を逸らすことなく考え、ふと思い出した。
 (狼か)
 この山には狼が住んでいる、と檀家が言っていた。浅間も一度狼に遭遇し、この瞳とよく似た狼を見たのだ。狼は人を襲うと噂されているが、目の前の子供は襲うような素振りはない。ただずっと、薬をくれと浅間に滲みよる。
「……お前ではなく、別の者が良くないのか?」
 二人の膠着こうちゃく状態が一瞬、緩んだ。
「頼む、ついてきて」
 狼と分かっていながらもこの姿では無碍むげにすることはできない。浅間はため息をつく。
「どうしてもいるのならば、案内しろ」

 獣道を走り、暫くすると大きな洞穴に到着し、子供はそこで止まり、浅間の方を向いた。
「薬、お母さんに」
 子供の後ろの洞穴で横になっているのは、二尺はあろうかという巨大な狼。ぐったりしていたが浅間の気配に突然耳をピンと立てて、眼を開くと浅間を睨みつけ咆哮ほうこうする。そのまま飛び出してくるかと、身構えたが狼はそれ以外動こうとしない。どうやらかなり弱っているようだ。舌を出してハッハッと苦しそうに息をしていた。
 (これが母というなら、この子は薬を飲ませるために私を呼び寄せたのか)
 浅間は、驚きながら子供の姿をした狼を見る。山伏が薬を持っているということを、どこで学んだのか。この巨大な狼も、子も、やはり物怪もののけのようだ。
「薬」
 子供の声で浅間は息を呑んだ。人に効く薬学はある程度分かるが、それが狼に効くかは分からない。だが親を思う子の気持ちを考えると浅間は胸が痛む。
 浅間はその場に背負っていたカゴを下ろし、中を確認してみた。
 (これならいけるかもしれない)
「安心しろ」
 子供のポンと頭を撫でると、彼は不思議そうな顔をしたが浅間が取り出したものをみて安堵の表情を見せた。

 それから浅間は仲間のもとに戻らず、洞穴で親子狼と共に暮らした。檀家へ渡すはずだった薬の元となる山野草を調合し、器に入れ、子供が母の狼に飲ませる。初めは飲ませるたびに苦味を感じて暴れていたが、だんだんと反抗しなくなった。
 何日かすると、出会った頃よりは息苦しそうな素振りを見せることが少なくなって、浅間は安堵した。
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