似紫の境界線

柏木あきら

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淡い色彩

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果てた後しばらく体を休めながら、柳は真一の頬を撫でていた。先ほどの荒々しい行為が嘘のようにゆっくりとした空気が寝室を包む。
「柳さん、作品は順調にすすんでいるの?」
「うん。……見る?」
「え?」
柳が自分の作品を見せるなんて初めてのことだ。真一が驚いていると、柳は身体をゆっくりと起こしてパジャマを羽織る。
「本当はあの作品、完成したあとにどうも気に入らなくてね。破棄するつもりだったんだ。でも今更納品しません、なんて画廊の人に言えなかったから。対の作品描きたいって言えば諦めると思ってたんだけどね」
真一も身体を起こし、背中を向ける柳を見ている。
(元々、対の作品を描きたかったわけじゃないのか)
納品するのが嫌で嘘をつくだなんて、律子が聞いたらどんな顔するだろうか。想像するとおかしくなってしまう。
独白のように、柳はそのまま話す。
「元々描く気なんてないから、長い間キャンバスは真っ白だったんだ。どう誤魔化すか考えてたけど、だんだん描きたいものが決まってきてね。集中して描いてたから、最近篭ってただろう?」
モデルとしての泉が必要なく、アトリエに入れなかった理由。聞いてみれば拍子抜けだったが、真一は少し安堵していた。
「元の絵と一緒に明日、見せてあげるね」
優しく微笑んでいるのにどこか寂しそうなその柳の顔を真一は見つめた。

翌日。遅めの朝食後のコーヒーを啜る。
今日は午後から来客があるので、柳は久しぶりの着物だ。こう見ると画家だなぁと感心しながら見ていると柳が笑う。
「この着物、気に入ってるんだ。似紫色って言うんだけど。江戸初期は本紫が禁じられていてね。これが紫に似せた色だから『似紫』っていうらしい」
「博学ですね」
「一応画家だからね」
真一が思っていたことを見透かされていたかのような気がして、苦笑いした。

長い廊下を二人で歩いてアトリエに向かう。
ギィ、と扉を開く。真一は久々にアトリエに入る。以前来たときは、泉をモデルにした絵を見つけた。それを思い出し、眉をひそめた。
「こっちだよ」
柳に呼ばれ、真一がテーブルに置かれたキャンバスに目を向けた。

置かれていたキャンバスは二つ。
一つはこの屋敷に初めて来た時に見た、作品だ。余白をふんだんに使って、人物が描かれている。その人物は以前見た泉が描かれた絵と似ている。これもきっと泉なんだろう。真一はチクリと胸を痛める。
そしてもう一つのキャンバスに視線を移すと、同じように余白があり人物も描かれているが、どうやら一つめとは別人のようで、タッチがかなり異なっている。そして何より違うことがある。
(色がついている)
画廊にある作品も、検索して出てきた作品も全て淡墨。色がついていたのはアトリエの奥にしまってあった、泉を描いた絵のみ。それなのに、最新のこの作品が淡い色彩で描かれているのだ。
何か心境の変化があったのだろうか。そう考えて真一は気づく。

(泉が、戻ってきたから……?)
正確には真一が泉に『なりすまして』いるのを柳が戻ってきたのだと思っているのなら、淡墨の作品を描く前の作風に戻ってもおかしくないのだ。
胸がえぐれるような感覚に襲われ、真一は息を呑んだ。

「追加して描いた方は、色をつけたんだ」
真一の背後で、柳がゆっくりと話し始めた。
「俺は確かにずっと待ってたよ。泉をね。だから……目が覚めて泉がいてくれて本当に嬉しかったんだ」

胸を抑えながら、真一はもうその場に崩れそうになった。唇を噛みながら、柳の言葉を聴いている。泉になろうとして、なりきれない自分にもう限界を迎えていた。

昨日愛し合ったことは、結局身代わりだったのだろうかと、胸が痛む。握りしめた拳は震えていた。うな垂れた真一。
アトリエの大きな窓から差し込む日光は、暖かく降り注いでいるのに、今のこの状況は何て残酷なんだろう。どこまで耐えればいいのだろう……

その時、背後から柳がふわっと真一の身体を抱きしめた。鼻をくすぐる白檀の香り。
「ごめん、俺は君を利用していたんだ」
耳元で、囁かれた柳の震えた声に、真一が顔をあげた。
利用? どういうことなんだろうか。そしてなぜいま柳は自分に謝っているのか。
真意が分からず混乱していると、ぽつりと柳が呟く。

「俺はお前が『泉』じゃないってこと、分かってるんだ。真一」
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