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第1章
兄と弟
しおりを挟むそれは珍しいお誘いだった。
「シャルワール様と遠乗り、ですか」
髪を整えてくれるライノアの手が止まった。
溜まっていた書類仕事を片付けていたアルフォルトは、ライノアの目を盗んで息抜きに庭園を散策していた所、シャルワールと偶然会った。
どうやら弟も息抜きに出てきたようでせっかくだから、と二人で庭園を歩いていたらシャルワールに提案されたのだ。
「今、ローザンヌ王妃が御実家の領地へ戻られてるから、二人で出かけるなら今しかないって」
正直、シャルワールから誘って貰えるとは思わなくて、アルフォルトは嬉しくてニヤけそうになるのを抑えられずにいた。二人で出かけるのなんて、何年振りだろうか。最近は会話も増えて前よりも気を許してくれているのがわかり、アルフォルトは弟が可愛くて仕方がなかった。
「公務も今は落ち着いてるし、ローザンヌ王妃もいないし······行ってもいいよね?」
鏡越しにライノアを見つめると、渋い顔をしているのがわかり、アルフォルトは頬を膨らませる。
「シャルルが成人したら今まで通りにはいかないと思うんだ。こんな機会、もう無いかもしれないんだよ?」
「お忍びで二人だけなんて、危険すぎます」
ライノアは険しい顔のまま、髪を整えるのを再開する。手つきは丁寧だが、心做しか動きがぎこちなくなっている。
「大丈夫、いざとなったらシャルルは僕が守るし、遠乗りと言ってもほんの一、二時間だよ。危ない所には行かないしさ」
「許可できません」
ライノアは首を振った。頑なな態度に、アルフォルトはムッとして鏡に映る従者を睨む。
「ライノアは、シャルワールが嫌いなの?僕の弟なのに」
「今は好きとか嫌い、といった話ではないでしょう」
聞き分けの悪い子供を相手にするようなライノアの態度に、アルフォルトはカチンと来た。フン、と鼻を鳴らして鏡越しの従者を見据える。
「どうかなぁ。シャルルに対してお前は基本的に冷たいし、僕が弟の話をすると不機嫌になるよね」
「それはアルフォルト様の主観では?」
アルフォルトの挑発など意に介さないようで、淡々と仕事をするライノアに無性に腹が立つ。
ライノアは怒るとアルフォルトに敬称を付けて諌めてくる。
「弟と仲良くして何が悪いの」
「仲良くするなとは申しておりません。ただ、御立場を考えて行動して下さい、と申してるんです」
いつもより固い言い回し、感情の籠らない声。
髪を梳く指先も鏡越しの視線も冷たく、アルフォルトの感情の昂りとは裏腹で余計に腹が立った。
「わかった」
「アルフォルト様」
「······もう、いいよ」
アルフォルトはライノアが整えた髪をぐしゃぐしゃに掻き回すと、椅子から立ち上がってそのまま部屋を後にした。
勢い任せに閉めたドアの音に重なるように、ライノアが自分を呼ぶ声が聞こえたが、アルフォルトは聞こえない振りをした。
♢♢♢
城の西側の門を出ると、王家が所有する森がある。森の中程に小さな湖があり、季節によって様々な花が咲くそこは風通しが良く、避暑地に最適だ。王家の所有地で一般の人は立ち入り禁止となっている。
アルフォルトとシャルワールは約束通り二人だけで森の中を進んでいた。
「晴れて良かったね」
シャルワールと馬を並べて走らせながら、アルフォルトは大きく息を吸った。肺に満たされる早朝の空気は澄んでいて気持ちが良い。
「······アルフォルト兄上は馬に乗れたんだな」
意外そうに呟いたシャルワールに、アルフォルトは苦笑いする。
「引き込もりだから乗れないと思ってた?」
イタズラに笑うアルフォルトの返答に、シャルワールは気まずそうに視線を逸らし、やがて小さく頷いた。
弟の素直な様子に、アルフォルトは眉尻を下げて微笑んだ。
「体力が無いから長時間は厳しいけど、王子だし一応ね」
──全くの嘘である。
普段から城下に行く時は目立たないように馬で移動するし、敵の追跡を躱しながら丸1日馬に乗っていた事もある。なんなら城の衛兵よりも馬術は上だと自負しているが、念の為病弱設定は貫いておこう、とアルフォルトは思う。
シャルワールは納得したのか、小さく「そうか」とだけ呟いた。
「ところで兄上、体調は大丈夫か?具合が悪くなったらすぐ言ってくれ」
シャルワールの気遣いに、アルフォルトは微笑んだ。
「大丈夫だよ、ありがとう」
他愛もない事を話しながら暫く馬を走らせていると、青い屋根に白い外装のヴィラと目的地の湖が見えてきた。
湖面に朝日が反射し、映る木々や色とりどりの夏の花が淡く輝いてみえる。波打つ度に水面が揺れると、まるで万華鏡のようでアルフォルトは思わずため息が零れる。
「久しぶりに来たけど綺麗だね」
「あぁ、美しいな」
鐙に足を掛け、アルフォルトは軽い足取りで馬から降りる。
ヴィラの北側にある厩に馬を繋ぎ、アルフォルトとシャルワールは湖のほとりにある東屋へ移動した。
まだアリアが存命の頃、夏場は毎年ここのヴィラで過ごしたが、今では殆ど訪れる事はない。
一応シーズンになるといつでも使えるように、定期的に管理人がメンテナンスをしているようだが、今日は来訪の予定を伝えていない。よって鍵の類いは持ち合わせていないのでヴィラは使えない。
「宰相に一応報告はしたが、あまり長居は出来なさそうだな」
「そうだね、ゆっくり来ちゃったから」
シャルワールは椅子に座ると、大きく伸びをした。お忍びとはいえ、王子が二人揃って城から消えるのはまずいので、念の為宰相に相談した。
案の定オズワルドは渋ったが、ローザンヌ王妃が不在なのを強調した所、城の管理下で近場、早朝の二時間で戻る事を条件に許可を貰った。
アルフォルトも目深に被ったフードを外すと、シャルワールの隣に腰を下ろした。
お忍びとはいえ、いつ何があるかわからないので、カツラと仮面は外さない。
やはりそこが気になっているのか、シャルワールはアルフォルトをじっと見つめると眉間に皺を寄せた。
「俺と二人きりでも、仮面は外せないか」
「うん、ごめんね」
アルフォルトが仮面を着けるようになって五年が経つ。身内の前でも仮面を外せないのを申し訳なく思うが、いつどこで誰が見ているかわからない状況だ。ローザンヌの事もある。とりわけシャルワールには見せない方がいいだろう。
「僕はほら、シャルルと違って不細工だし顔の傷は醜いからさ、恥ずかしくて」
俯いて足元に視線を落とすと、シャルワールのため息が聞こえる。
顔に傷なんてないが、この嘘はつき通すつもりだ。
「別に俺は不細工でも傷があっても気にしない」
シャルワールの手がそっとアルフォルトに伸ばされる。指先が仮面に触れそうになり、アルフォルトは思わず手を弾いた。
「シャルルは良くても、僕はダメなんだ!」
パシッと軽い音が響く。
目を見開いたシャルワールの表情がいたたまれず、アルフォルトはハッとして頭を下げた。
「ごめん!思わず叩いちゃった······」
一度払ったシャルワールの手を取り、そっと撫でる。
「······いや、こちらこそすまない。兄上の気持ちも考えずに勝手だった」
「シャルルは悪くないよ!」
ガバッと顔を上げると、シャルワールと目が合う。至近距離で見つめ合う形になり、どちらともなく笑いが零れた。
「······すまない、これは嫉妬だ」
シャルワールは自分の髪をかきあげながら、目を閉じた。
「兄上の今の素顔を俺は知らないのに、あの従者は知っているだろ?」
「······ライノアは、僕の世話をしてくれてるからね」
シャルワールを見つめると、耳が赤いのに気づく。思わず指先で触れると、ビクリと肩を震わせた弟が可愛いくて、アルフォルトは微笑んだ。
「もしかして二人だけで出かけたのも、仮面が関係ある?」
「······二人だけなら、兄上も仮面を外して出かけられるかと思っただけだ。毎日着けていて煩わしくないかと」
ボソボソと答えるシャルワールに、アルフォルトは胸が締め付けられる。アルフォルトは両手でシャルワールを抱きしめた。
「なっ?」
「ありがとう、僕の事を考えて誘ってくれたんだね。······嬉しい!」
ぎゅっと抱き締める身体は、アルフォルトよりもずっと逞しい。
細身に見えるが、シャルワールもしっかりと鍛えているのがわかる。その努力を人に見せない弟が誇らしいと、アルフォルトは思った。
「いちいち抱き締めるな!」
腕の中でジタバタと暴れるシャルワールの頭を撫でる。父親譲りの金髪はサラサラと指の間をすり抜ける。王家の人間にふさわしい、神々しい髪色を純粋に美しいと思った。
「今まで交流出来なかった分を少しでも補いたい兄心だよ。······大きくなったね、シャルル」
「兄上は昔に比べて小さくなりましたね」
「なっ!······僕が小さいんじゃなくて、シャルルが大きくなりすぎたの!」
心無い一言に、アルフォルトは弟の頬をひっぱる。「痛い」と抗議するが、その声は楽しそうに弾んでいて、アルフォルトもつられて笑った。
暫くじゃれあっていたが、ふ、とシャルワールが遠くを見つめた。
アルフォルトの腕から逃れて、シャルワールはボソボソと呟いた。
「······今日の兄上は、少し元気がないな」
「そ、そんな事ないよ?」
弟に指摘され、ドキリとする。取り繕った言葉はおそらくぎこちないのだろう。シャルワールが苦笑いした。
「嘘だな。ふとした時にぼんやりしてる」
よく見ているな、とアルフォルトは感心すると同時に恥ずかしくなった。上手く隠しているつもりだったが、弟にはバレていたようだ。
「······ライノアと喧嘩でもしたか?」
思わず無言になったアルフォルトに「当たりか」とシャルワールはため息を吐いた。
「今日の遠乗りの件でちょっと揉めてね」
アルフォルトも深くため息を吐く。シャルワールとの遠乗りの話をしてから三日、ライノアとはろくに口を聞いていない。アルフォルトは今日の為に前倒しで書類仕事をしていたし、ライノアも宰相から仕事を押し付けられてあまり顔を合わせていない。かろうじて朝と夜の挨拶はきちんとしているが、今朝はライノアが起こしに来る前に城を出た。
ライノアの言い分もわかるが、アルフォルトにだって譲れない事はある。自分が我儘を言っている自覚がある分、正論で説き伏せようとするライノアに反発してしまった。
「立場を考えろって怒られちゃった」
あまり落ち込まないように、努めて明るい声で話すアルフォルトに、シャルワールは意外そうな表情を浮かべた。
「あの人は兄上に意見するんだな」
目を見開くシャルワールに、アルフォルトはきょとんとする。
「ライノアは口煩いよ?しょっちゅう喧嘩するし」
今ここにいない従者を思い浮かべてアルフォルトは肩をすくめた。何も言わずに出てきてしまったから、今頃探しているだろうか。
(······いや、まさかな。多分淡々と仕事してる)
一応メリアンヌには、シャルワールと遠乗りすると昨日のうちに伝えてある。
探して欲しい訳では無いが、気に止めて貰えないのも寂しい気がする。
(いやいやいや、僕は子供か!)
頭を左右に振り、アルフォルトは思考を追いやった。
「意外だな。とてもそんな風には見えない」
シャルワールにライノアはどう見えているのだろうか。
せっかくだから聞いてみようとしたアルフォルトだが──視線の先、ヴィラの影で何かが動いた気配がした。
「······誰かいる」
目を凝らして訝しむアルフォルトに、シャルワールもヴィラの方を見据えた。
蠢いたのは人影で、どうやら複数人いるようだ。
「部外者は立ち入り禁止なのだが······管理人か?」
シャルワールの疑問は尤もで、本来なら一般の人間は立ち入れない。
次第にこちらに近づいてくる人々の格好は、凡そ管理人とは程遠い荒くれ者のような装いで、美しい湖とは不釣り合いなものだ。
「管理人は盗賊団も兼業してるのかもね」
ため息を吐いて笑うアルフォルトに、シャルワールは目くじらを立てた。
「冗談言ってる場合か!」
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