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第1章
シャルワールとライノア
しおりを挟むシャルワールは、呼吸も整わないまま馬を走らせていた。
アルフォルトに言われた通り全力で走って、厩に繋いだ馬に跨り、城へと急ぐ。
──兄を置いてきてしまった。
身体が弱く、戦えないのは目に見えてわかるのに、アルフォルトに「行って」と言われたら、不思議と逆らえなかった。
(俺が残って戦ったら······いや、兄上を守りきれない)
応戦しようとしたが、剣に伸ばした指は震えていた。剣術大会では何度も優勝したし、腕におぼえはある。でもそれは、あくまで型にはまった上での戦い方だった。
実戦経験は勿論ない。そもそも王族は先陣を切って戦うことは無い。まして、戦時下でもない平和な今、シャルワールは人を殺した事などなかった。
(兄上は大丈夫だと言っていたが、本当に無事だろうか?何故俺はあの時無理にでも残らなかった?)
一人残してきたアルフォルトが心配で、嫌な汗が背中を伝う。呼吸も浅く、まともな思考ができなくなっているのが自分でもわかる。
焦りだけが頭を占めて、心臓が早鐘を打つ。
(今からでも戻って──)
馬を引き返そうと手網を引きかけたシャルワールは、目の前から黒い馬が駆けて来るのが視界に入る。
馬上の人物はシャルワールを見つけると、速度を緩めた。
「ライノア!」
名前を呼ばれ、アルフォルトの従者は辺りを見渡した。目的の人物が見当たらない為か、表情に焦りが見える。
「アルフォルト様はどちらに?」
置いてきた兄を探す姿に、シャルワールは息が詰まる。
「······湖の所のヴィラにいる。武装した男が数人いて、兄上が時間を稼ぐから衛兵を連れてこいと」
シャルワールの言葉に、ライノアは目を見開いた。病弱な兄を置いて来た事を怒鳴られるかとビクリとするが、ライノアは深く息を吐き出すと「わかりました」とだけ言った。
「すまない、俺が弱いばかりに。本当は俺が残るべきだったんだ······怒鳴られても罵られても俺は何も言えない」
シャルワールは俯いて震える声で吐き出すが、ライノアはため息を吐いただけだった。
「アルフォルト様がそうしろと判断されたなら、私からは何も申す事はございません。それに、シャルワール様を罵ったら、私がアルフォルト様に怒られます」
おそるおそる顔を上げれば、ライノアは複雑そうな表情を浮かべていた。
「ライノア?」
「衛兵も今こちらへ向かっております。シャルワール様は合流したら護衛をつけて城へお戻り下さい。アルフォルト様の事は私に任せて」
湖の方へライノアは馬で駆けて行く。
「兄上を頼む!」
走り去る背中に声を掛けると、ライノアは右手を軽く上げる。
シャルワールも再び、城へと馬を走らせた。
♢♢♢
(アルフォルトは無事だろうか)
無意識に息を詰めていた事に気付き、ライノアは深く息を吐いた。シャルワールが一人で戻って来たのを見つけた時、心臓が止まるかと思ったが、アルフォルトの指示だと聞いて少しだけ安堵する。
アルフォルトが自分で残ると言ったのなら、一人で対処できると判断したのだろう。繊細そうに見えるが、見た目を裏切る武闘派で、口よりも先に手が出るタイプだ。
なにより、勝てない戦はしない。
ライノアが湖に到着すると、ヴィラの方に馬車が停まっていて人影が見えたが、こちらに気づいた様子はない。
東屋の陰に馬を繋ぎ、走らせ続けた馬体を労るように撫でた。
「お前はここで待ってろ」
ライノアの言葉を理解した訳ではないのだろうが、静かに愛馬は嘶いた。
東屋のすぐ脇の生垣に何か光る物が見え、ライノアはそっと拾い上げる。
よく見慣れたそれは、アルフォルトがいつも着けている仮面で、仮面の近くには金色のカツラも落ちている。
隠すように、それでいて誰かが見つけやすいように落ちていたそれらを、ライノアは外套の中に大切にしまう。
(王子とバレないように仮面を外したのか)
人前に顔を晒す事を極端に嫌がるアルフォルトは、城下へお忍びで出かける時ですら、野暮ったい眼鏡をかけるくらいだ。今相当無理をしているのが推測できる。
ライノアは胸が締め付けられ、こんな事になるなら早く謝ってアルフォルト達を影から警護するべきだったと酷く後悔した。
城の管轄内なら安全だと、自分をはじめ宰相ですら信じていた考えの甘さが招いた結果だ。やり場のない憤りを覚え、よりによって今日現れた侵入者を恨んだ。
「どうか無事でいてくれ、アルフォルト」
ライノアは祈るように呟くと、ヴィラへと駆け出した。
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