売名恋愛

江上蒼羽

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波紋と余波⑥

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「……最後に一つ聞かせて下さい」


ドアノブに手を掛けた彼が、背を向けながら言う。


「森川さんは、芹沢の事が好きなんですか?」


感情が汲み取れない、抑揚のない声だった。

それに対して、私は「いえ……」と首を振る。


「………好きという感情はありません。どっかの誰かの所為で、人を好きになる事が怖くなったので」


刺々しく本心をさらけ出すと、彼は「そうですか……」と、これまた抑揚のない声で返してきた。


「すみません、やっぱりもう一つだけ……」

「………はい?」


忍足さんは、少しだけ言い渋るように間を開けてから、声を発する。


「もし……ドッキリを仕掛けたのが、俺とは別の人間だったとしても……森川さんは同じ感情を抱いていましたか?」


私の理解力がないのか、その質問の意味がよく分からなかった。


「それは……つまり…?」

「………今回、偶々俺だったけど……俺が断っていたら、相手が芹沢になっていたかもしれない。そうしたら、芹沢を好きになっていましたか?」


ドッキリを仕掛けた相手が忍足さんとは違う別の誰かだったら……と仮定して、脳内でイメージしてみる。

偶々、今回忍足さんが相手だった。

彼の演技にすっかり騙されて、うっかり恋してしまった。

けれど、それが別の誰かだったなら……


「………同じ顛末だったんじゃないですか?」

「………」

「だって、そういうシナリオなんだし。私が相手に恋をするよう、ホンコンシューズのフトシが画策するだろうから」


誰が相手であろうと、過程も結果も同じ。

恋をして傷付くという展開に変わりはない。


「なので、忍足さんだから好きになった訳じゃありません」


私の答えに納得したのか、しなかったのか……

忍足さんは、笑いを含ませながら「……聞くんじゃなかった…」と、呟いた。

そんな彼の背中に向かって言う。


「………記事の通りです」


別に見栄を張りたかった訳じゃない。


「あの記事の通り、私……芹沢さんとホテルに行きました。行って、そういう事……してきました」


ただ、彼を試したかっただけ。

どんな反応を見せるか、興味があっただけ。

なのに忍足さんは、何も言わずに、ゆっくりとドアノブを回す。

そして、最後にもう一度だけ私の方へ振り返り、柔らかい笑顔を作ってみせる。


「………俺の出演する覆面ライダーの映画の公開が近付いたら、チケット送りますね。迷惑なら、またいつものように送り返して下さって結構ですので」


彼は「失礼します」と、軽く頭を下げ、部屋を後にした。

バタン、と閉じられたドア。

それを見詰めていると、忍足さんと入れ替わるようにして川瀬さんが入室してきた。

彼女の手には、500mlのペットボトルが握られている。


「話は済んだ?」


その場に立ち尽くす私を横目に、キャップを捻り、ミネラルウォーターで喉を潤す川瀬さん。

彼女は、ぷはっ……と、息を吐いてから言う。


「彼、スペシャルドラマの番宣で、局内のあらゆる番組をジャックしているみたいよ。大変よね」


他人事のように笑う川瀬さんに対し、私は何とも言えない気持ちを抱えていた。

忍足さんに大嘘を吐いてみせた自分がとんでもなく嫌な人間に思える。

しかも、すぐにバレてしまうような馬鹿な嘘を。


「さっきも、情報番組に出演して来たらしいし………って、森川?」


忍足さんに、言いたい事を思いっ切り吐き出せた。


私が浴びた分の屈辱を、彼にそっくりそのまま返してやった。

これである程度はスッキリ出来る筈なのに……

どうして…

どうして、こんなに胸が苦しいんだろう……?


「ちょっ……あんた、何泣いてんの?!」

「え……」


川瀬さんの言葉で、自分が涙を流している事に気が付いた。


「メイク落ちるわよ!これから収録だってのに…」


川瀬さんは、大慌てでティッシュを持って来て、メイクが落ちないよう慎重に私の涙を吸い取る。


「一体全体、何があったの?」


川瀬さんの問いに、私は「自分でも分かりません……」と首を左右に振るしか出来ない。

涙が止まらないばかりか、胸の苦しさは増す一方。

忍足さんに堂々の決別宣言をして、楽になれる筈だった。

なのに、楽になんかなれなくて……

この、説明しようがない謎の現象の理由……

それは、本人である私にもさっぱり分からない。
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