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番外編
曽祖母の回顧録②(猫田綾子・談)
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朝方近くまで眠れず、気絶するみたいな流れで寝落ちしたのはコレが初めての経験だった。年中無休で働かされていたから夜更かししたいだなんて思う機会なんか一度も無かったからだ。睡眠の足りていない身では当然過剰に眠く、今日は特に予定も入っておらず、二人でゆっくり過ごすといいと言われている。つまりは寝坊していても支障がないという状況なのだが、習慣とは恐ろしいものだ。まだほんのちょっとしか眠っていないはずなのに、いつもの時間で目が覚めてしまった。
そして、布団の上で私はまた正座をしており、視線の先には熟睡中の旦那様が横なっている。
…… 醜男の定義って、何だっけ?
辞書にはどうか言ってあっただろうか?後でちゃんと調べないと。
というか、彼を『醜男だ』と初めて言った者は、きっと目が腐っていたのね。
体は汗や卑猥な液体の残滓やらで気持ち悪いはずなのに、すやすやと満足そうな顔で眠る夫の顔を見て考えるのはそんな事ばかりだ。
だけど…… じゃあ自分が、『夫はとても美しい人だ』と周囲に話して、あらぬ誤解を解きたいという気になれないのは、私の心が醜いからなんだろうか。そう思うと、申し訳ない気持ちのせいかチリッと胸の奥が痛んだ。
それからもしばらくの間ずっと正座をしたまま秀一さんの顔を見ていたのだが、驚く程に飽きない。彼は今で言うところのイケメンという存在で、贔屓目に見ずとも、世が世なら確実にモデルやアイドルとして世の名声を欲しいままにしていたであろうレベルである。そんな彼の寝顔を間近で見る事が出来ているのだから、此度の結婚は素晴らしい選択であったと言えよう。貪るように何時間もこの身を求められ、女として生まれた喜びをたった一晩で私に叩き込んだ様な人だ。たとえ実際にはどんな性格をしていようが、今更離れる事など出来そうに無いな、とも思う。
そろそろ流石に起こそうか?
きっともう朝ご飯を食べた方がいい時間だ。そういえば私はどうしたらいいのだろう?家事を手伝った方がいい事はわかるが、広い屋敷なので台所がどこかもわからない。匂いをたどって探せば見付かるだろうか?いや、勝手も知らぬ屋敷を昨日今日嫁に来たばかりの者にウロウロされては気分を害するかもしれないから、家人の指示を仰いでから行動しよう。
『…… 秀一さん。朝ですよ?』
声を掛けたが、無反応だ。相当眠りが深いのだろう。昨夜はその…… す、すごく、そりゃもう比較対象の無い私でもわかるくらいに相当激しかったので、無理もない。私だって疲労感やら違和感やらで疲労困憊中なので、すぐにでも二度寝したいくらいだし。
嫁として気に入ってくれたから、激しく抱いてくれたのだったらいいけど…… 。
『秀一さん。起きて下さい。まずは少しでも朝食を召し上がらないと』と言い、そっと彼の頬に触れた瞬間、ぐわっと秀一さんは目を見開き、私の顔を見上げ——
何故かいきなり、彼は私に向かって土下座をしてきたのだった。
◇
『おはよう。おやおや、案の定ひどい寝不足の様だね』
居間で一人寂しく朝食を頂いていると、秀一さんの弟である、猫田弘和さんが部屋まで来て、私に声を掛けてきた。
“漢”という言葉がよく当てはまる風貌の彼は、男女ともに低身長の者ばかりだった当時ではあり得ない体格の持ち主で、三国志の呂布を連想させる程だ。だが性格はいたって温厚らしく、話してみると第一印象ほど怖い人では無かった。
『おはようございます。挨拶もなしにお食事を頂いてしまい、申し訳ありません』
即座に箸を置き、頭を下げて詫びを口にすると、『この屋敷ではそう気を張らずに。私の事は気にせず、食べて食べて』と言ってくれた。
『…… では、ありがたく』
再び箸を手にし、用意してもらった食事を口に運ぶが…… すぐ側に弘和さんがドンッと座り、じっとこちらの様子を見てくる。何か言いた事があるならさっさと言ってくれ!とも思うが、下手な発言をして即離縁に繋がってしまっては悲し過ぎる。ひとまずは、食べてという指示に従おうと考えて食事を続けていると、彼がやっと口を開いてくれた。
『兄さんの顔は、見られたかい?』
崩した脚に頬杖をつき、すっと瞳を細めながらそう訊かれた。
『…… 』
最適解がわからない。彼らがもし何かを隠しているのならば“見ていない”と告げるべきだが、初夜まで過ごした新妻である私がそう答えるのはあまりにも不自然だ。そうなると、“見た”と答えるべきなのだろうかと悩み、声が喉の奥で詰まった。
『兄さんは淡白そうに見えて意外にも激しかっただろうからね。だから、見たでしょ。素顔』
にっと笑われ、私の顔が一気に赤くなった。まさか昨夜の営み…… いや、もう痴態に近いアレを聞かれていたのか?と考えただけで居た堪れない気持ちになってくる。空腹だったはずなのにもう食べ物は喉を通らなくなり、私はそっと箸を置いた。
『あんな、頭からただ被っただけの布が激しく動いても落ちないなんてあるはずが無いからね。あぁ、だたそうかなと思っただけで、別に聞き耳を立てていたわけじゃないので安心して、綾子義姉さん』
義姉さん…… 。
じわりと胸に沁みる言葉を聞き、目の前が涙で霞む。弟達からは一度も呼ばれてこなかった呼び方なせいか、次々に涙が溢れ出し、頬を伝って手に甲を濡らした。
『ど、どうしたの?まさか…… 聞いていて欲しかったとか⁉︎』
『違いますよ!』
大きな声で即答すると、男らしい笑みを浮かべ、子供みたいに頭をガシガシと力強く撫でられてしまった。
『ただ、義姉として呼んで頂けた事が嬉しかっただけです。こんな、年下の小娘でしかない、私を』
『兄の嫁さんなら、その人が何歳であろうが義姉さんだからね』
『ありがとうございます。…… でもあの、そろそろ頭から手を離してもらえますか?』
多少水浴びはしたが、風呂までは借りていないので髪が綺麗だとは言い難い。それにいくら義弟であろうが彼は男性だ、節度ある距離を保たねば。
『あぁ、そうだね』と手を離し、弘和さんが手を元の位置に戻す。そして、『——で?』の一言で答えを求められた。
『…… み、見ました』
『正直な話、どう思った?』
『…… お綺麗だな、と』
視線を逸らし、真っ赤に染まる頬を両手で隠しながらポツリと呟く。すると弘和さんはまたニッと笑みを浮かべ、『だよねぇ!』とキッパリ言い切った。
『私もそう思うよ。というか、両親も、下の弟達もみんなそうだと思っている』
『え…… 。じゃあ何で、あんな…… 醜男だなんて、悪い噂が?全くの誤解じゃないですか』
根も葉もない、完全に悪口でしかない言葉が一人歩きし、私みたいな者しか嫁に貰えない程になっている現状が理解出来ない。何故彼らは噂を払拭しないのだろうか?
『“傾国の美女”って言葉を、綾子義姉さんは知っているかな?』
『はい。その魅力で、王族などを夢中にさせて国を傾かせてしまう程の美人の事ですよね』
『正解。兄さんは…… そうだな、その男性版といったところかなぁ』
『…… 傾国の美丈夫、という感じですか?』
『うん。人はあまりにも美しいとね、周囲に与える影響が強過ぎるんだよ。手に入れよう、自分だけの者にと誘惑も多くなるし、ロクな事にならないからね。実際、兄さんは幼少期の頃に何度も誘拐されかけたり、金を積んで、幼児だろうが一向に構わないから今すぐにでも愛人にしたいと懇願してくる巫山戯た馬鹿共まで過去にはいたんだ』
荒唐無稽な話だと思いたいが、弘和さんの苦々しい表情を見ていると嫌でも事実だとわかる。ロクでない大人には慣れているつもりではいたが、上には上がいたのかとかなり驚いた。多分今は話していないだけでもっと色々なトラブルが秀一さんの周囲では起きていたのだろう。でなければ敢えて長男の評判を落とす必要なんか、商人である彼らにあるはずがない。
『それで…… 秀一さんを、醜男だと』
『守る為だ、もちろん本心なわけがない』
すぐに納得出来た。そして、とても賢明な判断だとも思う。彼の為にも、周りの人達の為にも。
あれだけの美丈夫であれば皆が放っておいてくれるはずがない。男女問わずに惑わされ、一方的に恨みを買う事にもなろう。
身近な者を例として考えたって簡単に想像がつく。それこそ私の義母が秀一さんの素顔を知ったら、父とは離婚してでもすぐに押し掛けて「私こそが妻に相応しい!」と騒ぎ立てるに違いない。女中達だって何をしでかすか想像もしたくないし、嫉妬に押しつぶされ、自分だって何を仕出かす事か。
『でも、秀一さんは、ご自分を醜男であると本気で信じているように見えましたが…… あれは一体?』
秀一さんが私に向かって深々と土下座をし、ガタガタと肩を震わせている今朝の姿を思い出し、胸が痛んだ。とてもじゃないがあれが演技だったとは思えない。どう見たって本当に自分は醜男なのだと考えている者の態度だった。
『義姉さんは、私の事をどう見ているかな?』
いきなり何を?と思いつつも、きっと無駄な問いではないに違いない。
『体格の立派な男性だな、と』
うん、と頷き、弘和さんが話を続ける。
『兄さんはね、俺達や父の様な、いかにもな風貌の者を美しいとみなしているんだ。高身長、筋肉質で、ガタイがよく、なんというか…… そう!ヒグマみたいな感じの男に憧れているんだよ』
…… ご自分達を、ヒグマとは。
的を得過ぎていて、逆にコメント出来ない。
『兄弟で共に体を鍛え、武道を長年学んできたが、兄さんだけが体格には恵まれず、無駄の無い海外の彫刻みたいな体にしかなれなかったせいで、自己評価が異常なまでに低くてね。そのせいで、悪意から守る為に使っていた“醜男”という言葉が、兄さんの中では事実になってしまったんだ』
『秀一さんの体型も、充分しっかりとしていますが…… でも確かに、ヒグマに囲まれた豹といった雰囲気ですよね』
言ってしまった後で、しまった!と思ったが、弘和さんはちょっと嬉しそうだ。
『忌憚の無い返答をしてくれたね。家族だと認めてもらえたみたいで嬉しいよ』
『あ、ありがとう…… ございます』
『兄さんは商才もあり、顔だけじゃなくって頭も良い。謙虚ででしゃばらないのに、仕事となると率先して先導していくだけの度量もある。卑屈になっている部分を見せない様にもしていて、優しく、家族思いで——』と、兄を褒め称える言葉がしばらく続いた。
『つまりは、素晴らしい方なのですね』
秀一さんへの評価の高さから家族間の仲の良さが垣間見れる。昨日会ったばかりの夫なのに、まるで自分の事を褒められたみたいな気持ちになった。
『だけどね…… それでは補えない程の欠陥も併せ持っているから、義姉さんはこの先気を付けた方がいいよ』
弘和さんの顔から笑顔が消え、すごく冷めたものに変わってしまった。
『——ところで、兄さんはまだ寝室に?寝ているのかな』
『いいえ、風呂で頭を冷やすと言っていました』
『え…… 。何かあったの?』
『…… えっと』
言ってもいいのだろうか?これは夫婦の問題なのでは?
だが、どう対応していいのか困っていた事でもあった為、私はおずおずとしながらも、今朝の出来事を弘和さんに話す事にした。
『謝られて、しまいました。醜男なのに、顔を晒してしまいすまない、と。嫌われるかも、離縁されてもやむなしだとか、そもそも自分が他人から愛されるはずが無いと…… 』
『よくないな、それは』
『え?』
『今すぐにでも、本心を伝えた方がいい。離縁を望むなら放置するべきだけど。もし、そうではないなら、ね』
い、今すぐ?
でも、秀一さんは風呂場なのに?
言葉にせず戸惑っていると、弘和さんは私の肩を強く掴み、『後悔したくないなら、絶対に今すぐ会いに行った方がいいよ』と断言してくる。
『兄さんはね、一度思い込むと書き換えの出来ない人間なんだ。自分の物だと深く思った物は、それが壊れようが端切れだけになろうが離そうとしない。嫌いだ、嫌われたと思えば死んでも会わない。たとえそれが間違った情報が元だったとしても、強くそれを信じてしまえば、どんなに周りが違うと説明しようが修正出来ない欠陥があるんだ』
『でもそれだと…… お仕事にも支障があるのでは?』
『そんなすぐにそうなるわけじゃないから、今のところは仕事上の問題は起きていない。元来思慮深いタチでもあるおかげで、考えに考えてからその状態に陥るのだけが唯一の救いだけど…… このまま兄さんを放置していたら、絶対に君から離れて行くよ』
そんなの、絶対に嫌だ。
そう思った時にはもう足が勝手に動き、私は風呂場の位置もわからぬまま駆け出していたのだった。
そして、布団の上で私はまた正座をしており、視線の先には熟睡中の旦那様が横なっている。
…… 醜男の定義って、何だっけ?
辞書にはどうか言ってあっただろうか?後でちゃんと調べないと。
というか、彼を『醜男だ』と初めて言った者は、きっと目が腐っていたのね。
体は汗や卑猥な液体の残滓やらで気持ち悪いはずなのに、すやすやと満足そうな顔で眠る夫の顔を見て考えるのはそんな事ばかりだ。
だけど…… じゃあ自分が、『夫はとても美しい人だ』と周囲に話して、あらぬ誤解を解きたいという気になれないのは、私の心が醜いからなんだろうか。そう思うと、申し訳ない気持ちのせいかチリッと胸の奥が痛んだ。
それからもしばらくの間ずっと正座をしたまま秀一さんの顔を見ていたのだが、驚く程に飽きない。彼は今で言うところのイケメンという存在で、贔屓目に見ずとも、世が世なら確実にモデルやアイドルとして世の名声を欲しいままにしていたであろうレベルである。そんな彼の寝顔を間近で見る事が出来ているのだから、此度の結婚は素晴らしい選択であったと言えよう。貪るように何時間もこの身を求められ、女として生まれた喜びをたった一晩で私に叩き込んだ様な人だ。たとえ実際にはどんな性格をしていようが、今更離れる事など出来そうに無いな、とも思う。
そろそろ流石に起こそうか?
きっともう朝ご飯を食べた方がいい時間だ。そういえば私はどうしたらいいのだろう?家事を手伝った方がいい事はわかるが、広い屋敷なので台所がどこかもわからない。匂いをたどって探せば見付かるだろうか?いや、勝手も知らぬ屋敷を昨日今日嫁に来たばかりの者にウロウロされては気分を害するかもしれないから、家人の指示を仰いでから行動しよう。
『…… 秀一さん。朝ですよ?』
声を掛けたが、無反応だ。相当眠りが深いのだろう。昨夜はその…… す、すごく、そりゃもう比較対象の無い私でもわかるくらいに相当激しかったので、無理もない。私だって疲労感やら違和感やらで疲労困憊中なので、すぐにでも二度寝したいくらいだし。
嫁として気に入ってくれたから、激しく抱いてくれたのだったらいいけど…… 。
『秀一さん。起きて下さい。まずは少しでも朝食を召し上がらないと』と言い、そっと彼の頬に触れた瞬間、ぐわっと秀一さんは目を見開き、私の顔を見上げ——
何故かいきなり、彼は私に向かって土下座をしてきたのだった。
◇
『おはよう。おやおや、案の定ひどい寝不足の様だね』
居間で一人寂しく朝食を頂いていると、秀一さんの弟である、猫田弘和さんが部屋まで来て、私に声を掛けてきた。
“漢”という言葉がよく当てはまる風貌の彼は、男女ともに低身長の者ばかりだった当時ではあり得ない体格の持ち主で、三国志の呂布を連想させる程だ。だが性格はいたって温厚らしく、話してみると第一印象ほど怖い人では無かった。
『おはようございます。挨拶もなしにお食事を頂いてしまい、申し訳ありません』
即座に箸を置き、頭を下げて詫びを口にすると、『この屋敷ではそう気を張らずに。私の事は気にせず、食べて食べて』と言ってくれた。
『…… では、ありがたく』
再び箸を手にし、用意してもらった食事を口に運ぶが…… すぐ側に弘和さんがドンッと座り、じっとこちらの様子を見てくる。何か言いた事があるならさっさと言ってくれ!とも思うが、下手な発言をして即離縁に繋がってしまっては悲し過ぎる。ひとまずは、食べてという指示に従おうと考えて食事を続けていると、彼がやっと口を開いてくれた。
『兄さんの顔は、見られたかい?』
崩した脚に頬杖をつき、すっと瞳を細めながらそう訊かれた。
『…… 』
最適解がわからない。彼らがもし何かを隠しているのならば“見ていない”と告げるべきだが、初夜まで過ごした新妻である私がそう答えるのはあまりにも不自然だ。そうなると、“見た”と答えるべきなのだろうかと悩み、声が喉の奥で詰まった。
『兄さんは淡白そうに見えて意外にも激しかっただろうからね。だから、見たでしょ。素顔』
にっと笑われ、私の顔が一気に赤くなった。まさか昨夜の営み…… いや、もう痴態に近いアレを聞かれていたのか?と考えただけで居た堪れない気持ちになってくる。空腹だったはずなのにもう食べ物は喉を通らなくなり、私はそっと箸を置いた。
『あんな、頭からただ被っただけの布が激しく動いても落ちないなんてあるはずが無いからね。あぁ、だたそうかなと思っただけで、別に聞き耳を立てていたわけじゃないので安心して、綾子義姉さん』
義姉さん…… 。
じわりと胸に沁みる言葉を聞き、目の前が涙で霞む。弟達からは一度も呼ばれてこなかった呼び方なせいか、次々に涙が溢れ出し、頬を伝って手に甲を濡らした。
『ど、どうしたの?まさか…… 聞いていて欲しかったとか⁉︎』
『違いますよ!』
大きな声で即答すると、男らしい笑みを浮かべ、子供みたいに頭をガシガシと力強く撫でられてしまった。
『ただ、義姉として呼んで頂けた事が嬉しかっただけです。こんな、年下の小娘でしかない、私を』
『兄の嫁さんなら、その人が何歳であろうが義姉さんだからね』
『ありがとうございます。…… でもあの、そろそろ頭から手を離してもらえますか?』
多少水浴びはしたが、風呂までは借りていないので髪が綺麗だとは言い難い。それにいくら義弟であろうが彼は男性だ、節度ある距離を保たねば。
『あぁ、そうだね』と手を離し、弘和さんが手を元の位置に戻す。そして、『——で?』の一言で答えを求められた。
『…… み、見ました』
『正直な話、どう思った?』
『…… お綺麗だな、と』
視線を逸らし、真っ赤に染まる頬を両手で隠しながらポツリと呟く。すると弘和さんはまたニッと笑みを浮かべ、『だよねぇ!』とキッパリ言い切った。
『私もそう思うよ。というか、両親も、下の弟達もみんなそうだと思っている』
『え…… 。じゃあ何で、あんな…… 醜男だなんて、悪い噂が?全くの誤解じゃないですか』
根も葉もない、完全に悪口でしかない言葉が一人歩きし、私みたいな者しか嫁に貰えない程になっている現状が理解出来ない。何故彼らは噂を払拭しないのだろうか?
『“傾国の美女”って言葉を、綾子義姉さんは知っているかな?』
『はい。その魅力で、王族などを夢中にさせて国を傾かせてしまう程の美人の事ですよね』
『正解。兄さんは…… そうだな、その男性版といったところかなぁ』
『…… 傾国の美丈夫、という感じですか?』
『うん。人はあまりにも美しいとね、周囲に与える影響が強過ぎるんだよ。手に入れよう、自分だけの者にと誘惑も多くなるし、ロクな事にならないからね。実際、兄さんは幼少期の頃に何度も誘拐されかけたり、金を積んで、幼児だろうが一向に構わないから今すぐにでも愛人にしたいと懇願してくる巫山戯た馬鹿共まで過去にはいたんだ』
荒唐無稽な話だと思いたいが、弘和さんの苦々しい表情を見ていると嫌でも事実だとわかる。ロクでない大人には慣れているつもりではいたが、上には上がいたのかとかなり驚いた。多分今は話していないだけでもっと色々なトラブルが秀一さんの周囲では起きていたのだろう。でなければ敢えて長男の評判を落とす必要なんか、商人である彼らにあるはずがない。
『それで…… 秀一さんを、醜男だと』
『守る為だ、もちろん本心なわけがない』
すぐに納得出来た。そして、とても賢明な判断だとも思う。彼の為にも、周りの人達の為にも。
あれだけの美丈夫であれば皆が放っておいてくれるはずがない。男女問わずに惑わされ、一方的に恨みを買う事にもなろう。
身近な者を例として考えたって簡単に想像がつく。それこそ私の義母が秀一さんの素顔を知ったら、父とは離婚してでもすぐに押し掛けて「私こそが妻に相応しい!」と騒ぎ立てるに違いない。女中達だって何をしでかすか想像もしたくないし、嫉妬に押しつぶされ、自分だって何を仕出かす事か。
『でも、秀一さんは、ご自分を醜男であると本気で信じているように見えましたが…… あれは一体?』
秀一さんが私に向かって深々と土下座をし、ガタガタと肩を震わせている今朝の姿を思い出し、胸が痛んだ。とてもじゃないがあれが演技だったとは思えない。どう見たって本当に自分は醜男なのだと考えている者の態度だった。
『義姉さんは、私の事をどう見ているかな?』
いきなり何を?と思いつつも、きっと無駄な問いではないに違いない。
『体格の立派な男性だな、と』
うん、と頷き、弘和さんが話を続ける。
『兄さんはね、俺達や父の様な、いかにもな風貌の者を美しいとみなしているんだ。高身長、筋肉質で、ガタイがよく、なんというか…… そう!ヒグマみたいな感じの男に憧れているんだよ』
…… ご自分達を、ヒグマとは。
的を得過ぎていて、逆にコメント出来ない。
『兄弟で共に体を鍛え、武道を長年学んできたが、兄さんだけが体格には恵まれず、無駄の無い海外の彫刻みたいな体にしかなれなかったせいで、自己評価が異常なまでに低くてね。そのせいで、悪意から守る為に使っていた“醜男”という言葉が、兄さんの中では事実になってしまったんだ』
『秀一さんの体型も、充分しっかりとしていますが…… でも確かに、ヒグマに囲まれた豹といった雰囲気ですよね』
言ってしまった後で、しまった!と思ったが、弘和さんはちょっと嬉しそうだ。
『忌憚の無い返答をしてくれたね。家族だと認めてもらえたみたいで嬉しいよ』
『あ、ありがとう…… ございます』
『兄さんは商才もあり、顔だけじゃなくって頭も良い。謙虚ででしゃばらないのに、仕事となると率先して先導していくだけの度量もある。卑屈になっている部分を見せない様にもしていて、優しく、家族思いで——』と、兄を褒め称える言葉がしばらく続いた。
『つまりは、素晴らしい方なのですね』
秀一さんへの評価の高さから家族間の仲の良さが垣間見れる。昨日会ったばかりの夫なのに、まるで自分の事を褒められたみたいな気持ちになった。
『だけどね…… それでは補えない程の欠陥も併せ持っているから、義姉さんはこの先気を付けた方がいいよ』
弘和さんの顔から笑顔が消え、すごく冷めたものに変わってしまった。
『——ところで、兄さんはまだ寝室に?寝ているのかな』
『いいえ、風呂で頭を冷やすと言っていました』
『え…… 。何かあったの?』
『…… えっと』
言ってもいいのだろうか?これは夫婦の問題なのでは?
だが、どう対応していいのか困っていた事でもあった為、私はおずおずとしながらも、今朝の出来事を弘和さんに話す事にした。
『謝られて、しまいました。醜男なのに、顔を晒してしまいすまない、と。嫌われるかも、離縁されてもやむなしだとか、そもそも自分が他人から愛されるはずが無いと…… 』
『よくないな、それは』
『え?』
『今すぐにでも、本心を伝えた方がいい。離縁を望むなら放置するべきだけど。もし、そうではないなら、ね』
い、今すぐ?
でも、秀一さんは風呂場なのに?
言葉にせず戸惑っていると、弘和さんは私の肩を強く掴み、『後悔したくないなら、絶対に今すぐ会いに行った方がいいよ』と断言してくる。
『兄さんはね、一度思い込むと書き換えの出来ない人間なんだ。自分の物だと深く思った物は、それが壊れようが端切れだけになろうが離そうとしない。嫌いだ、嫌われたと思えば死んでも会わない。たとえそれが間違った情報が元だったとしても、強くそれを信じてしまえば、どんなに周りが違うと説明しようが修正出来ない欠陥があるんだ』
『でもそれだと…… お仕事にも支障があるのでは?』
『そんなすぐにそうなるわけじゃないから、今のところは仕事上の問題は起きていない。元来思慮深いタチでもあるおかげで、考えに考えてからその状態に陥るのだけが唯一の救いだけど…… このまま兄さんを放置していたら、絶対に君から離れて行くよ』
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