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本編
愛玩少女〜最終話〜
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天井から自由に空を見せてもらえる様になった次の日の朝。
「おはよう、桜子。今日も元気にしているかな?」
食事を運んで来たハクがいつも以上に明るく、桜子のテンションも上がる。朝から好きな人の素敵な笑顔を見られるというのは、本当に気分のいいものだ。
「おはようございます。はい、体調に問題はないですよ」
可愛らしい笑顔で応えてもらえ、ハクの心が再び弾んだ。前の日にくだらない話をしたばかりだったが、どうやらこの様子だと今日も記憶の回復は無いみたいだと思うと、より嬉しくなった。
「何か良い事でもあったんですか?」
ベッドの上でちょこんと座る桜子がハクに問いかける。
真っ白なワンピースを着ていて、今日もとても愛らしく、朝食がのったトレーをテーブルに置いたハクが感極まって彼女の頭を優しく撫でた。
「わかる?今朝早くにね、やっと注文していた品が届いたんだ」
いつもの椅子に座り、「はい、あーんして?」とハクが今日も桜子に食事を与える。それと同時に話も続けた。
「後で持って来るね、君への贈り物だからさ」
「そ、そんな…… これ以上は申し訳ないです」
部屋を見渡し、桜子が今着ている服を軽く掴む。
「こんなに色々して頂いているのに、そこまでしてもらう訳には」
「何度も言っているだろう?僕が、したいんだって。はい、あーんは?」
「あ、あーん」
控えめに口を開け、温野菜のサラダを口に入れて咀嚼する。照れ臭そうにしながらモシュモシュと食べる桜子の姿がまるでウサギさんみたいで、ハクがほんわかした気持ちになった。
「僕色に染まっていく君が愛おしくてならないんだよ。さ、あーんってしてね」
あーんとしながらも、桜子の顔は林檎並みに真っ赤だ。好きだと認識している相手に『僕色に染まる』だ『愛おしい』などと言われて、平常心など保てるはずが無かった。
「…… どうしたの?熱でもある?」
心配そうに首を傾げるハクに向かい、ブンブンと首を横に振る。
今にも額に手を当てて熱でも測ってきそうな動作をされてしまい、桜子は逃げ出したい気持ちでいっぱいに。そこまでされたら心臓が止まってしまう。愛おしいと言われて幸せなのに、今はこんな事で死ぬ訳になどいかないのだ。
「そ?ならいいんだけど…… じゃあ、朝食を済ませてしまおうか」
「は、はい」
ただでさえ毎度毎度恥ずかしい気持ちで食べさせてもらっているのに、今日は胸がいっぱいになってしまい、桜子は此処に来て初めて完食する事が出来なかった。
◇
「今戻ったよ、僕の可愛い小鳥」
桜子の休む部屋の扉が開き、大きな荷物と紙袋を抱えたハクが戻って来た。
彼の白い頰が今はちょっと桜色に染まっていて、彼女が喜んでくれるに違いないという期待感を隠し切れていない。そんな彼が可愛いなぁと思いながら、桜子がベッドの端に腰掛けて細い脚をぶらんとさせた。
「前々から注文していたんだけど、随分かかってしまってごめんね」
そう言って、大きな荷物を彼女のベッドの上に置き、紙袋の方は部屋の隅に。
「コレは、何ですか?」
和紙に包まれた細長い物を見て、桜子が不思議そうな顔をした。
「開けていいよ」
ほら、早く早く、とハクが催促する横で、包み紙を開き、桜子が中を確認した。
「…… 着物?」
「そうだよ、君の為だけに作らせた特注品だ。是非一緒に入っている袴もセットで着て欲しいな」
真っ白な着物を先に手に取り、桜子が「わぁ…… 」と感嘆の息を吐く。
絹で作られた着物はとても滑らかな触り心地で、よくみると同系色で花の刺繍が入っている。遠目では目立ちはしないが、控えめな美しさだった。
「何の花か、気になる?」
ハクに訊かれ、桜子が頷く。
「芍薬の花だよ。とても綺麗だろう?花言葉は『清浄』だったかな。今の君にぴったりだね」
「…… この花が、シャクヤク」
「うん。本当は生花を見せてあげたかったんだけど、季節じゃなかったんだ。ごめんね」
「そんな、充分です。本当に…… 綺麗」
着物を広げ、うっとりと見詰める。丸みを帯びた花はとても綺麗なラインをしていて可愛らしい。花の刺繍を見ているだけで、部屋の中に甘い香りがする気がした。
「早速着てみる?」
「い、い、いいんですか?こここ、こんな、高そうな着物なのに」
動揺し、言葉が吃る。
「贈り物だと言っただろう?コレは君の物なんだから、着るなり、気に入らないなら捨てるなり、好きにしていいんだよ」
「捨てるだなんて!一生の、宝物です…… 」
そう言って、桜子がギュッと腕に抱く。瞼を閉じて肌に触れる感触をも楽しむと、そっと頬をすり寄せた。
「予想したよりも…… ずっと、ずっと可愛いな…… 」
喜ぶ桜子の姿に打ち震え、ハクが服の胸元をギュッと掴む。心臓が煩いくらいに騒いでいて、呼吸まで苦しい。
「えっと、着物の着方は覚えているかな」
「…… いえ」
「まぁそうだよね。じゃあ教えてあげるから、床に立ってもらっていいかい?」
「まさか、ぬ、脱ぐんですか⁉︎」
その様子を想像し、ボンッと桜子の頭から湯気が立つ。
「いいや。大丈夫だよ、そんな事をせずとも教えられるからね」
「そ、そうですよね」と答え、ほっと安堵しつつも、ちょっとだけ残念に思った自分の頬を桜子が両サイドからパチンッと叩いた。
「ど、どうしたの⁉︎」
「…… 何でも、ないれふ」
叩いた理由など、素直に言えるはずが無かった。
◇
「き、着られました!」
一時間程が経ち、立ち姿の美しい桜子がくるんっとハクの前で回って見せた。白い着物の上には紺色に赤いグラデーションの入った袴を穿いており、明治期の女学生や大学などの卒業式みたいな姿になっている。
「よくここまで頑張ったね。着物だけの姿も綺麗だったけど、袴を重ねた姿も予想以上にとても素晴らしいよ。生地に入る桜の柄がまた君にとても似合っているなぁ。それを選んで本当によかった。薄っすらと引いた唇の紅もまた、とても艶かしいね…… あぁ、本当に綺麗だ…… 」
ここに今カメラでもあったら連写し続けそうなくらい瞳を輝かせながら、ハクが褒めに褒める。
「て、照れます…… そんなに褒めないで下さい」
着物の裾で顔を隠し、桜子がもじもじと体を捩る。まだ着付け時に使った半端なサイズの鏡でしか今の格好を見ていないので、全像が掴めていないのに絶賛されても反応に困ってしまう。口紅や髪を整えた後は全く鏡を見せてもらえていないので、尚更だった。
「可愛いよ、本当に、あぁ…… すごく可愛いね、まるで天使みたいだよ。こんなに愛らしい人が地上に居るだなんて、信じられないくらいだ」
あわわっ、と言いながら、桜子がまた着物で顔を隠す。
そんなやりとりを、彼らはその後もダラダラと五分ほど繰り返した。
「——と、流石にそろそろ気持ちを切り替えないとだね」
コホンと咳払いをし、ハクが仕切り直す。
「お風呂場で鏡を見て来たらいいよ。ここにある鏡もそれなりには大きいけど、全身までは分からなくって勿体ないだろう?」
「そうですね…… そうします」
褒められ過ぎて、気力も体力もほぼゼロになっている桜子が、よろよろとした足取りで風呂場に移動する。そんな彼女の姿もまた可愛くって、ハクは口元を綻ばせた。
「わぁ…… 」
自身の姿にうっとりとしてしまい、感想が上手く出てこない。着物を着た経験が今まであったのか定かではないが、思うにここまで上質な物は初めてに違いない。着心地もよく、しっかり着付けてあるのに軽くて動きやすい。つい嬉しくて、鏡の前でくるんと回ってしまう。上半身だけ見ると、着ている着物が白い生地な為『まるで花嫁衣装みたいだなぁ』と桜子は思った。
(こんな綺麗な白無垢を着て、隣にはハクさんが居てくれたら…… どんなに幸せだろうか)
そんな事を考えただけで、鏡に映る自分の姿がより特別で素晴らしいものに思えてくる。『もしかしてハクさんも多少は思ってくれていたりとかしないかなぁ』とも一瞬考えたが、部屋に並ぶ家具の色を思い出して『いや、違うかぁ』と残念ながら気が付いてしまった。
「どうだい?とっても似合いっているだろう?」
「そうですね、自分じゃないみたいです」
照れ臭そうに答えた桜子の後ろにハクが立つ。後ろから彼女の手を取り、軽く持ち上げると、そっと手の甲に口付けを贈った。
「大丈夫。この姿は紛れもなく、僕の可愛い桜子だよ」
耳元で囁かれ、桜子の腰が砕けそうだ。
「狭いけど、ちょっと踊らない?」
「え?わ、私…… ダンスなんて踊れませんよ?」
「僕もちゃんとは知らないよ。でも適当でも何とかなるって、多分ね」
ニコニコと笑うハクが桜子の手を取ったまま腕を引き、腰を抱く。急に視界が回り、「わぁ!」と桜子が大きな声をあげたが、彼はそのままの足取りで風呂場を出て、洗面所を通り、メインの部屋へと移動して行った。
「あはは!この部屋は狭いし今は音楽も無いから、踊るというよりは、ただ部屋の中を二人で回っているだけみたいになっちゃうね」
そう言うハクの顔は、今までで一番楽しそうだ。そんな彼の様子を見上げているだけで嬉しくって堪らなくなり、桜子の胸の中に宿る恋心がどんどん大きく花開き、次の瞬間には——
「…… 好きです」
と、口に出して言ってしまった。
「…… え?」
ピタッとハクの足が止まり、きょとんとした顔で桜子の顔を見下ろす。距離がかなり近く、今の今まで踊っていたので抱き締めているに近い状態のままだ。そのせいで桜子の早い心音が直でハクに伝わる。握り合う手の中はちょっと汗ばんでいて、早く離してしまいたいような、このままでいたいような、複雑な心境だ。
「ハ、ハクさんが、好きです」
もう一度言い、顔を真っ赤にした桜子が口元を引き絞った。
返事を求めいるわけではないが、何でもいいから反応は欲しい。サラッと流されてしまうのが一番モヤモヤとしてしまって辛いからだ。だが聞くのも怖い。どうして勢いで言ってしまったのだろうかと思いつつも、言えた事でスッキリもしていて、もう自分で自分の心中がぐちゃぐちゃ過ぎて気持ちの整理が追いつかない。
「僕も好きだよ」
ニコッと爽やかな笑顔でハクが答えた。
「ほほほほほほほ、本当ですか⁉︎」
「え。むしろ、僕に嫌われているかもとか、思われていたのだったら逆にショックなんだけど」
「あ、いえ…… そうは流石に思ってはいませんでしたけど、で、でも…… 」
「もう一度言った方がいいかな?桜子が、好きだよって。君だけが僕の大事な人だよ」
口元に優しい笑みを浮かべ、ハクがまた桜子へ思いを告げた。
「ハクさんっ!」
嬉しさで全身が震え、桜子がハクの手を離し、胸に強く抱きついた。
「そんなに嬉しかったの?今までも、沢山伝えているつもりだったんだけど…… 」
言葉が途切れ、「そうか、コレでもまだ足りないのか…… 。もっと、もっと閉じ込めて、縛り付けないとダメなのかな」と呟いたハクの小さな声は、桜子の耳には届かなかった。
好きで好きで好きで、桜子の高鳴る気持ちが抑え切れない。応えてくれた嬉しさから、もっと側に近付きたいと思ってしまって我慢出来ない。こ、これが『“好き”のその先を求めるって感情なのね』と感じ、ハクに引かれてしまうのを覚悟で強く瞼を瞑り、彼を見上げた。
プルプルと体を震わせて、誰がどう見ても間違いなく完全にキスを催促している。そんな桜子を前にして、ハクが険しい顔になった。
「…… そんな、身売りするような真似なんかしなくてもいいんだよ」
桜子の肩にそっと手を置き、ハクがゆるゆると首を横に振る。
「み、身売り?私は別に、そんなつもりは——」
「安心してね、桜子。僕は絶対に君に怖い思いは、させないから」
いつもの穏やかな笑顔なのに、桜子はその顔を見て二人の間に距離を感じた。
「僕は絶対に桜子を傷付けない。全てのものから君を守ると誓うよ」
…… 自分からをも、含めて。
絶対に手出しはしない、深くなど触れない、自分が桜子を傷付ける事などあり得ない。
こんな無垢な少女は僕が守らなければ。
その為だったら、この手がどんなに赤く染まろうとも一切構わない。
彼女の前にゴミのような存在は一切不要なのだから。
ありとあらゆる汚れから遠ざけ、美しいままであっておくれ…… 僕の、僕だけの可愛い小鳥。
腰を抱いていた腕を離し、桜子の前にハクが跪く。彼女の白く小さな手を取ると、その手に彼は己の額を重ねた。
「愛しい人。僕だけを見てくれてありがとう。僕は全身全霊を持ってして、その想いをも含めて大事にするね」
そう言って、桜子を見上げる瞳は泉の様に澄んでいて、とても純粋だ。そんな彼の瞳を見詰めるうち、彼女はやっと一つの事に気が付くことが出来た。
ハクさんが向けてくれている感情は、愛玩物へのモノ…… では?
あらゆる危険から守り、食事を与え、安全に眠れる場所を用意し、愛情を持って接する。それだけでは、保護者や飼い主となんら変わりがないではないか。
——だが……
「嬉しいです、ハクさん」
桜子は言葉通り嬉しそうに微笑むと、足元に跪くハクの頭を優しく撫でた。
「ずっと…… 二人で、一緒にいましょうね」
「あぁ、もちろんだよ。僕はこの手を離さないから安心していてね」
(君がどんなに僕から逃げたくなったとしても…… ね)
目をすっと細め、再び桜子の手の甲に額を触れさせ、ハクがニタリと笑う。
「はい、ありがとうございます」
彼がこれまでに何をし、この先どう行動してでも桜子を側に置き留めておくつもりなのかも知らぬまま、彼女は頷いて応えた。
今のままではまだ、自分は愛玩対象でしかないかもしれない。
でも、私の生活を縛り、この部屋へ閉じ込めておこうとする彼もまた…… 私という檻に囚われているのだ。ならば時間はたくさん、たくさん、あるではないか。
私は貴方に恋心を贈りましょう。
だから次は…… ハクさんが、私の為にその身を捧げてくださいね?
【終わり】
「おはよう、桜子。今日も元気にしているかな?」
食事を運んで来たハクがいつも以上に明るく、桜子のテンションも上がる。朝から好きな人の素敵な笑顔を見られるというのは、本当に気分のいいものだ。
「おはようございます。はい、体調に問題はないですよ」
可愛らしい笑顔で応えてもらえ、ハクの心が再び弾んだ。前の日にくだらない話をしたばかりだったが、どうやらこの様子だと今日も記憶の回復は無いみたいだと思うと、より嬉しくなった。
「何か良い事でもあったんですか?」
ベッドの上でちょこんと座る桜子がハクに問いかける。
真っ白なワンピースを着ていて、今日もとても愛らしく、朝食がのったトレーをテーブルに置いたハクが感極まって彼女の頭を優しく撫でた。
「わかる?今朝早くにね、やっと注文していた品が届いたんだ」
いつもの椅子に座り、「はい、あーんして?」とハクが今日も桜子に食事を与える。それと同時に話も続けた。
「後で持って来るね、君への贈り物だからさ」
「そ、そんな…… これ以上は申し訳ないです」
部屋を見渡し、桜子が今着ている服を軽く掴む。
「こんなに色々して頂いているのに、そこまでしてもらう訳には」
「何度も言っているだろう?僕が、したいんだって。はい、あーんは?」
「あ、あーん」
控えめに口を開け、温野菜のサラダを口に入れて咀嚼する。照れ臭そうにしながらモシュモシュと食べる桜子の姿がまるでウサギさんみたいで、ハクがほんわかした気持ちになった。
「僕色に染まっていく君が愛おしくてならないんだよ。さ、あーんってしてね」
あーんとしながらも、桜子の顔は林檎並みに真っ赤だ。好きだと認識している相手に『僕色に染まる』だ『愛おしい』などと言われて、平常心など保てるはずが無かった。
「…… どうしたの?熱でもある?」
心配そうに首を傾げるハクに向かい、ブンブンと首を横に振る。
今にも額に手を当てて熱でも測ってきそうな動作をされてしまい、桜子は逃げ出したい気持ちでいっぱいに。そこまでされたら心臓が止まってしまう。愛おしいと言われて幸せなのに、今はこんな事で死ぬ訳になどいかないのだ。
「そ?ならいいんだけど…… じゃあ、朝食を済ませてしまおうか」
「は、はい」
ただでさえ毎度毎度恥ずかしい気持ちで食べさせてもらっているのに、今日は胸がいっぱいになってしまい、桜子は此処に来て初めて完食する事が出来なかった。
◇
「今戻ったよ、僕の可愛い小鳥」
桜子の休む部屋の扉が開き、大きな荷物と紙袋を抱えたハクが戻って来た。
彼の白い頰が今はちょっと桜色に染まっていて、彼女が喜んでくれるに違いないという期待感を隠し切れていない。そんな彼が可愛いなぁと思いながら、桜子がベッドの端に腰掛けて細い脚をぶらんとさせた。
「前々から注文していたんだけど、随分かかってしまってごめんね」
そう言って、大きな荷物を彼女のベッドの上に置き、紙袋の方は部屋の隅に。
「コレは、何ですか?」
和紙に包まれた細長い物を見て、桜子が不思議そうな顔をした。
「開けていいよ」
ほら、早く早く、とハクが催促する横で、包み紙を開き、桜子が中を確認した。
「…… 着物?」
「そうだよ、君の為だけに作らせた特注品だ。是非一緒に入っている袴もセットで着て欲しいな」
真っ白な着物を先に手に取り、桜子が「わぁ…… 」と感嘆の息を吐く。
絹で作られた着物はとても滑らかな触り心地で、よくみると同系色で花の刺繍が入っている。遠目では目立ちはしないが、控えめな美しさだった。
「何の花か、気になる?」
ハクに訊かれ、桜子が頷く。
「芍薬の花だよ。とても綺麗だろう?花言葉は『清浄』だったかな。今の君にぴったりだね」
「…… この花が、シャクヤク」
「うん。本当は生花を見せてあげたかったんだけど、季節じゃなかったんだ。ごめんね」
「そんな、充分です。本当に…… 綺麗」
着物を広げ、うっとりと見詰める。丸みを帯びた花はとても綺麗なラインをしていて可愛らしい。花の刺繍を見ているだけで、部屋の中に甘い香りがする気がした。
「早速着てみる?」
「い、い、いいんですか?こここ、こんな、高そうな着物なのに」
動揺し、言葉が吃る。
「贈り物だと言っただろう?コレは君の物なんだから、着るなり、気に入らないなら捨てるなり、好きにしていいんだよ」
「捨てるだなんて!一生の、宝物です…… 」
そう言って、桜子がギュッと腕に抱く。瞼を閉じて肌に触れる感触をも楽しむと、そっと頬をすり寄せた。
「予想したよりも…… ずっと、ずっと可愛いな…… 」
喜ぶ桜子の姿に打ち震え、ハクが服の胸元をギュッと掴む。心臓が煩いくらいに騒いでいて、呼吸まで苦しい。
「えっと、着物の着方は覚えているかな」
「…… いえ」
「まぁそうだよね。じゃあ教えてあげるから、床に立ってもらっていいかい?」
「まさか、ぬ、脱ぐんですか⁉︎」
その様子を想像し、ボンッと桜子の頭から湯気が立つ。
「いいや。大丈夫だよ、そんな事をせずとも教えられるからね」
「そ、そうですよね」と答え、ほっと安堵しつつも、ちょっとだけ残念に思った自分の頬を桜子が両サイドからパチンッと叩いた。
「ど、どうしたの⁉︎」
「…… 何でも、ないれふ」
叩いた理由など、素直に言えるはずが無かった。
◇
「き、着られました!」
一時間程が経ち、立ち姿の美しい桜子がくるんっとハクの前で回って見せた。白い着物の上には紺色に赤いグラデーションの入った袴を穿いており、明治期の女学生や大学などの卒業式みたいな姿になっている。
「よくここまで頑張ったね。着物だけの姿も綺麗だったけど、袴を重ねた姿も予想以上にとても素晴らしいよ。生地に入る桜の柄がまた君にとても似合っているなぁ。それを選んで本当によかった。薄っすらと引いた唇の紅もまた、とても艶かしいね…… あぁ、本当に綺麗だ…… 」
ここに今カメラでもあったら連写し続けそうなくらい瞳を輝かせながら、ハクが褒めに褒める。
「て、照れます…… そんなに褒めないで下さい」
着物の裾で顔を隠し、桜子がもじもじと体を捩る。まだ着付け時に使った半端なサイズの鏡でしか今の格好を見ていないので、全像が掴めていないのに絶賛されても反応に困ってしまう。口紅や髪を整えた後は全く鏡を見せてもらえていないので、尚更だった。
「可愛いよ、本当に、あぁ…… すごく可愛いね、まるで天使みたいだよ。こんなに愛らしい人が地上に居るだなんて、信じられないくらいだ」
あわわっ、と言いながら、桜子がまた着物で顔を隠す。
そんなやりとりを、彼らはその後もダラダラと五分ほど繰り返した。
「——と、流石にそろそろ気持ちを切り替えないとだね」
コホンと咳払いをし、ハクが仕切り直す。
「お風呂場で鏡を見て来たらいいよ。ここにある鏡もそれなりには大きいけど、全身までは分からなくって勿体ないだろう?」
「そうですね…… そうします」
褒められ過ぎて、気力も体力もほぼゼロになっている桜子が、よろよろとした足取りで風呂場に移動する。そんな彼女の姿もまた可愛くって、ハクは口元を綻ばせた。
「わぁ…… 」
自身の姿にうっとりとしてしまい、感想が上手く出てこない。着物を着た経験が今まであったのか定かではないが、思うにここまで上質な物は初めてに違いない。着心地もよく、しっかり着付けてあるのに軽くて動きやすい。つい嬉しくて、鏡の前でくるんと回ってしまう。上半身だけ見ると、着ている着物が白い生地な為『まるで花嫁衣装みたいだなぁ』と桜子は思った。
(こんな綺麗な白無垢を着て、隣にはハクさんが居てくれたら…… どんなに幸せだろうか)
そんな事を考えただけで、鏡に映る自分の姿がより特別で素晴らしいものに思えてくる。『もしかしてハクさんも多少は思ってくれていたりとかしないかなぁ』とも一瞬考えたが、部屋に並ぶ家具の色を思い出して『いや、違うかぁ』と残念ながら気が付いてしまった。
「どうだい?とっても似合いっているだろう?」
「そうですね、自分じゃないみたいです」
照れ臭そうに答えた桜子の後ろにハクが立つ。後ろから彼女の手を取り、軽く持ち上げると、そっと手の甲に口付けを贈った。
「大丈夫。この姿は紛れもなく、僕の可愛い桜子だよ」
耳元で囁かれ、桜子の腰が砕けそうだ。
「狭いけど、ちょっと踊らない?」
「え?わ、私…… ダンスなんて踊れませんよ?」
「僕もちゃんとは知らないよ。でも適当でも何とかなるって、多分ね」
ニコニコと笑うハクが桜子の手を取ったまま腕を引き、腰を抱く。急に視界が回り、「わぁ!」と桜子が大きな声をあげたが、彼はそのままの足取りで風呂場を出て、洗面所を通り、メインの部屋へと移動して行った。
「あはは!この部屋は狭いし今は音楽も無いから、踊るというよりは、ただ部屋の中を二人で回っているだけみたいになっちゃうね」
そう言うハクの顔は、今までで一番楽しそうだ。そんな彼の様子を見上げているだけで嬉しくって堪らなくなり、桜子の胸の中に宿る恋心がどんどん大きく花開き、次の瞬間には——
「…… 好きです」
と、口に出して言ってしまった。
「…… え?」
ピタッとハクの足が止まり、きょとんとした顔で桜子の顔を見下ろす。距離がかなり近く、今の今まで踊っていたので抱き締めているに近い状態のままだ。そのせいで桜子の早い心音が直でハクに伝わる。握り合う手の中はちょっと汗ばんでいて、早く離してしまいたいような、このままでいたいような、複雑な心境だ。
「ハ、ハクさんが、好きです」
もう一度言い、顔を真っ赤にした桜子が口元を引き絞った。
返事を求めいるわけではないが、何でもいいから反応は欲しい。サラッと流されてしまうのが一番モヤモヤとしてしまって辛いからだ。だが聞くのも怖い。どうして勢いで言ってしまったのだろうかと思いつつも、言えた事でスッキリもしていて、もう自分で自分の心中がぐちゃぐちゃ過ぎて気持ちの整理が追いつかない。
「僕も好きだよ」
ニコッと爽やかな笑顔でハクが答えた。
「ほほほほほほほ、本当ですか⁉︎」
「え。むしろ、僕に嫌われているかもとか、思われていたのだったら逆にショックなんだけど」
「あ、いえ…… そうは流石に思ってはいませんでしたけど、で、でも…… 」
「もう一度言った方がいいかな?桜子が、好きだよって。君だけが僕の大事な人だよ」
口元に優しい笑みを浮かべ、ハクがまた桜子へ思いを告げた。
「ハクさんっ!」
嬉しさで全身が震え、桜子がハクの手を離し、胸に強く抱きついた。
「そんなに嬉しかったの?今までも、沢山伝えているつもりだったんだけど…… 」
言葉が途切れ、「そうか、コレでもまだ足りないのか…… 。もっと、もっと閉じ込めて、縛り付けないとダメなのかな」と呟いたハクの小さな声は、桜子の耳には届かなかった。
好きで好きで好きで、桜子の高鳴る気持ちが抑え切れない。応えてくれた嬉しさから、もっと側に近付きたいと思ってしまって我慢出来ない。こ、これが『“好き”のその先を求めるって感情なのね』と感じ、ハクに引かれてしまうのを覚悟で強く瞼を瞑り、彼を見上げた。
プルプルと体を震わせて、誰がどう見ても間違いなく完全にキスを催促している。そんな桜子を前にして、ハクが険しい顔になった。
「…… そんな、身売りするような真似なんかしなくてもいいんだよ」
桜子の肩にそっと手を置き、ハクがゆるゆると首を横に振る。
「み、身売り?私は別に、そんなつもりは——」
「安心してね、桜子。僕は絶対に君に怖い思いは、させないから」
いつもの穏やかな笑顔なのに、桜子はその顔を見て二人の間に距離を感じた。
「僕は絶対に桜子を傷付けない。全てのものから君を守ると誓うよ」
…… 自分からをも、含めて。
絶対に手出しはしない、深くなど触れない、自分が桜子を傷付ける事などあり得ない。
こんな無垢な少女は僕が守らなければ。
その為だったら、この手がどんなに赤く染まろうとも一切構わない。
彼女の前にゴミのような存在は一切不要なのだから。
ありとあらゆる汚れから遠ざけ、美しいままであっておくれ…… 僕の、僕だけの可愛い小鳥。
腰を抱いていた腕を離し、桜子の前にハクが跪く。彼女の白く小さな手を取ると、その手に彼は己の額を重ねた。
「愛しい人。僕だけを見てくれてありがとう。僕は全身全霊を持ってして、その想いをも含めて大事にするね」
そう言って、桜子を見上げる瞳は泉の様に澄んでいて、とても純粋だ。そんな彼の瞳を見詰めるうち、彼女はやっと一つの事に気が付くことが出来た。
ハクさんが向けてくれている感情は、愛玩物へのモノ…… では?
あらゆる危険から守り、食事を与え、安全に眠れる場所を用意し、愛情を持って接する。それだけでは、保護者や飼い主となんら変わりがないではないか。
——だが……
「嬉しいです、ハクさん」
桜子は言葉通り嬉しそうに微笑むと、足元に跪くハクの頭を優しく撫でた。
「ずっと…… 二人で、一緒にいましょうね」
「あぁ、もちろんだよ。僕はこの手を離さないから安心していてね」
(君がどんなに僕から逃げたくなったとしても…… ね)
目をすっと細め、再び桜子の手の甲に額を触れさせ、ハクがニタリと笑う。
「はい、ありがとうございます」
彼がこれまでに何をし、この先どう行動してでも桜子を側に置き留めておくつもりなのかも知らぬまま、彼女は頷いて応えた。
今のままではまだ、自分は愛玩対象でしかないかもしれない。
でも、私の生活を縛り、この部屋へ閉じ込めておこうとする彼もまた…… 私という檻に囚われているのだ。ならば時間はたくさん、たくさん、あるではないか。
私は貴方に恋心を贈りましょう。
だから次は…… ハクさんが、私の為にその身を捧げてくださいね?
【終わり】
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