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追憶
愛玩少年・①(ハク談)
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僕は、義理の母と共に森の奥深くにある大きな洋館の中で育った。義母なので当然血の繋がりは無く、どこか遠くから、綺麗な人形を買い取る様な感覚で引き取られてきた事を薄っすらと覚えている。
『あぁ、今日もなんてお前は可愛いの…… 。それに引き換え、私は、私は——あぁぁぁぁ』
毎日毎日、挨拶の様に言われ続けた言葉だ。
義母はとても美しい人だったが、随分前に事故に合い、その時の後遺症で歩けなくなってしまって以来、自分の容姿が目に見えて衰えていく事を日々嘆いていた。同時期に最愛の夫も失っていたので、きっと心を病んでいたのだろう。
病んだ心は僕に深く依存し、屋敷に閉じ込め、『可愛い、可愛い』と言いながら、他の全てを排除していった。
『あの女は、私の可愛いハクに色目を使ったわ!クビしてちょうだい』
そう言って、若いメイド達は全て解雇され、寡黙な老婆だけになった。
『あの教師ったら…… ウチのハクが可愛いからって、手を出そうとしていたわ。気味が悪いからもう来ないで!』
そう言って、男だろうが女だろうが、こんな山奥まで来てくれていた家庭教師達も来なくなった。
『学校?あんな場所へ行ったら、可愛い貴方が汚れてしまうわ。恐ろしい場所よ、美しいからと嫉妬から虐められてしまうかもしれないわ!』
そう言って、学校とかいう教育機関には一度も通わせてもらえなかった。
母と僕。世界にはもう二人しか居ないみたいだった。
街まではひどく遠くて子どもの足では好奇心から見に行ってみる事も出来ず、そもそも屋敷の玄関には鍵がかかっていて外に出られない。広い屋敷の中だけが僕の自由に動ける空間で、全てだった。
書庫の本を読み、何とか自力で様々な知識を身に付けはしたが、絵や写真だけで見る世界はとても平面で想像が膨らまない。そのせいか、屋敷の外に憧れを抱く事も無く、僕は母が与えてくれる息苦しいくらいの愛をただ受け取り続けた。
血の繋がりなどは義母には関係なかったみたいで、可愛い可愛いと常に頭を撫でてくれる。犬や猫がいてくれたら代わりを頼みたいなと思う程、長い時間ただじっと撫でてもらう時間は、正直ちょっと退屈だった。それならば見慣れた屋敷内を探索したり、本を読んでいたい。そう思っても、全てを与えてくれている義母には逆えず、僕はずっといい子でいる事を選んだ。
◇
僕が多分十八歳くらいになったであろう時期、急に世界が一転した。
『母さん、おはようございます。朝食を食べに、食堂へ行きましょうか』
扉をノックし、いつもの様に義母の部屋に入る。
車椅子に乗った母を食堂まで連れて行くのはいつも僕の役目だ。なのに、義母がどこにも居ない。起きてからの着替えなどはもう済ませているとメイドから聞いていたのだが、どうしたのだろうか。
『…… どこに行ったんだろう?』
不思議に思いながらトイレの扉をノックしてみたが、返事は無い。続いて浴室とセットになっている洗面所を確認したが、そこにも姿がなかった。だけど…… 車椅子だけが転がる様にして残っている。
『母さん?』
半開きになっている浴室のドアが目に入り、嫌な予感がした。スカートの裾が床の上にちらりと見えているせいで、心臓が鼓動を早める。
『どう、したの?転んじゃった?…… 無理をしないで、僕を呼んで——』
途中で言葉が、消えた。
外から微かに聞こえていた小鳥の囀りも、自分の心臓の音も、全てが消えた、無音の世界。
母が…… 死んでいたのだ。
自殺だと、一目瞭然でわかる終わり方だった。お湯の張られた湯船に、横一直線に深い切り傷のはいった手首が沈んでいる。浴室の鏡が割れていて、義母の両手にはガラスの破片がまだ刺さったままだった。思うに、衝動的に自分の姿に苛立ちを覚え、ガラスを叩き割り、その破片で手首を切ったのだろう。
『歩けないくせに…… 無茶をして、全く』
真っ赤に染まる浴室を前にしても、何故?だとか、悲しいや辛いとかではなく、真っ先に出た言葉はこれだった。
『呼んでくれたら手伝ったのに。もっと綺麗に飾ってあげる事だって、僕なら出来たよ?済んでしまった後に言っても無駄、か。えっと…… この場合は、現場保存をしておかないといけないのかな』
美意識の塊だった割には、死に方が衝動的で雑だった事に呆れる事しか出来ない。
無理に床を這ったせいで服は水とシワとでぐちゃぐちゃだし、下半身の動かぬ身で無理矢理湯船に腕を沈めようとしたせいか、体勢がとても不自然だ。
勿体ない…… この人には、もっと綺麗な終わり方が似合っていただろうに。
『救急車を呼ばないと』
ため息を吐きつつ、義母の部屋を後にする。この時初めて、僕は義母を愛していた訳ではなかったのだなと改めて気付いた。
【続く】
『あぁ、今日もなんてお前は可愛いの…… 。それに引き換え、私は、私は——あぁぁぁぁ』
毎日毎日、挨拶の様に言われ続けた言葉だ。
義母はとても美しい人だったが、随分前に事故に合い、その時の後遺症で歩けなくなってしまって以来、自分の容姿が目に見えて衰えていく事を日々嘆いていた。同時期に最愛の夫も失っていたので、きっと心を病んでいたのだろう。
病んだ心は僕に深く依存し、屋敷に閉じ込め、『可愛い、可愛い』と言いながら、他の全てを排除していった。
『あの女は、私の可愛いハクに色目を使ったわ!クビしてちょうだい』
そう言って、若いメイド達は全て解雇され、寡黙な老婆だけになった。
『あの教師ったら…… ウチのハクが可愛いからって、手を出そうとしていたわ。気味が悪いからもう来ないで!』
そう言って、男だろうが女だろうが、こんな山奥まで来てくれていた家庭教師達も来なくなった。
『学校?あんな場所へ行ったら、可愛い貴方が汚れてしまうわ。恐ろしい場所よ、美しいからと嫉妬から虐められてしまうかもしれないわ!』
そう言って、学校とかいう教育機関には一度も通わせてもらえなかった。
母と僕。世界にはもう二人しか居ないみたいだった。
街まではひどく遠くて子どもの足では好奇心から見に行ってみる事も出来ず、そもそも屋敷の玄関には鍵がかかっていて外に出られない。広い屋敷の中だけが僕の自由に動ける空間で、全てだった。
書庫の本を読み、何とか自力で様々な知識を身に付けはしたが、絵や写真だけで見る世界はとても平面で想像が膨らまない。そのせいか、屋敷の外に憧れを抱く事も無く、僕は母が与えてくれる息苦しいくらいの愛をただ受け取り続けた。
血の繋がりなどは義母には関係なかったみたいで、可愛い可愛いと常に頭を撫でてくれる。犬や猫がいてくれたら代わりを頼みたいなと思う程、長い時間ただじっと撫でてもらう時間は、正直ちょっと退屈だった。それならば見慣れた屋敷内を探索したり、本を読んでいたい。そう思っても、全てを与えてくれている義母には逆えず、僕はずっといい子でいる事を選んだ。
◇
僕が多分十八歳くらいになったであろう時期、急に世界が一転した。
『母さん、おはようございます。朝食を食べに、食堂へ行きましょうか』
扉をノックし、いつもの様に義母の部屋に入る。
車椅子に乗った母を食堂まで連れて行くのはいつも僕の役目だ。なのに、義母がどこにも居ない。起きてからの着替えなどはもう済ませているとメイドから聞いていたのだが、どうしたのだろうか。
『…… どこに行ったんだろう?』
不思議に思いながらトイレの扉をノックしてみたが、返事は無い。続いて浴室とセットになっている洗面所を確認したが、そこにも姿がなかった。だけど…… 車椅子だけが転がる様にして残っている。
『母さん?』
半開きになっている浴室のドアが目に入り、嫌な予感がした。スカートの裾が床の上にちらりと見えているせいで、心臓が鼓動を早める。
『どう、したの?転んじゃった?…… 無理をしないで、僕を呼んで——』
途中で言葉が、消えた。
外から微かに聞こえていた小鳥の囀りも、自分の心臓の音も、全てが消えた、無音の世界。
母が…… 死んでいたのだ。
自殺だと、一目瞭然でわかる終わり方だった。お湯の張られた湯船に、横一直線に深い切り傷のはいった手首が沈んでいる。浴室の鏡が割れていて、義母の両手にはガラスの破片がまだ刺さったままだった。思うに、衝動的に自分の姿に苛立ちを覚え、ガラスを叩き割り、その破片で手首を切ったのだろう。
『歩けないくせに…… 無茶をして、全く』
真っ赤に染まる浴室を前にしても、何故?だとか、悲しいや辛いとかではなく、真っ先に出た言葉はこれだった。
『呼んでくれたら手伝ったのに。もっと綺麗に飾ってあげる事だって、僕なら出来たよ?済んでしまった後に言っても無駄、か。えっと…… この場合は、現場保存をしておかないといけないのかな』
美意識の塊だった割には、死に方が衝動的で雑だった事に呆れる事しか出来ない。
無理に床を這ったせいで服は水とシワとでぐちゃぐちゃだし、下半身の動かぬ身で無理矢理湯船に腕を沈めようとしたせいか、体勢がとても不自然だ。
勿体ない…… この人には、もっと綺麗な終わり方が似合っていただろうに。
『救急車を呼ばないと』
ため息を吐きつつ、義母の部屋を後にする。この時初めて、僕は義母を愛していた訳ではなかったのだなと改めて気付いた。
【続く】
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