12 / 12
サイドストーリー
日本人形
しおりを挟む
綺麗な黒い髪、白い肌、細く小さな身体。
この世に生を受け、身体を自由に動かせるようになった事から、絶対に手放さなかった物があると母から聞いた事がある。それは、庭に咲く綺麗な桜をイメージして織られた布で作った着物を着た、美しい日本人形だ。僕は常にその人形を放す事無く、必ず一緒にいたそうだ。
そんな僕を見て祖母は『この子はきっとお嫁さんも大事にする子になるだろうね』と、両親に話していた事があったらしい。
大事だった。本当に大事だったんだ。あの日、君に出会うまでは。
「随分小さな着物ですね、子供用……にしても小さ過ぎるし、赤ちゃん用ですか?あれ、でも赤ちゃんの百日で着る物ももっと大きかったですよね?」
最近使っていなかった部屋の隅に置かれていたタンス。
その中を久しぶりに整頓しようと思い立ち、中に入ったままになっていた着物を手に取り、ぼんやりと昔を色々と思い出しながら見ていると、後ろから那緒に声をかけられた。
意識が思い出の中に入り込んでしまっていたせいか、返事も出来ないまま、那緒の方を座ったまま見上げる。
「綺麗な柄ですね、桜の柄が本当に素敵」
微笑みながら着物の柄を褒め、僕の横に那緒が座った。
一呼吸おき「庭の桜をね、イメージして作らせた品らしいですよ」と、手に持ったままの着物に視線を落としながら、そう返事をする。
「特注品でしたか……すごいですね」
「随分前の話らしいですけどね。それこそ僕の祖父達ですら『先代から聞いた話だが——』と言いながらこの着物の事を教えてくれたくらい、前の話らしいです」
「……由緒ある品なのですね」
「どうなんでしょう?たいした価値のない、ただの骨董品かもしれませんよ。でも、僕にはとても大事な品です」
そう言いながら絹で織られた布地を、優しく撫でる。すると那緒が「私も触っていいですか?」と、遠慮がちに訊いてきた。
「もちろんですよ、これはもう君の物でもあるんですから」
「私の物?」
「那緒は僕の奥さんでしょう?夫婦は全てを共有する存在ですよ」
ニコッと優しい笑顔でそう言うと、那緒が頬を着物に描かれた桜のように染める。その初々しさに、胸に嬉しさが込み上げてくる。
「こ、これは誰の物だったんです?とても小さいですけれど」
照れくささを誤魔化すように、那緒が着物を撫でながら訊く。
「僕のとても大事だった存在の物だったんです」
「……大和さんの、大事な……者?」
「誤解しないで下さいね、『者』じゃないですよ。無機物です。人形の着物ですよ」
「やだ……ごめんなさい」
「一瞬だけれど、嫉妬しましたね?その様子は」
那緒の頬にそっと手を添えながらそう訊くと、すまなそうな表情で俯き、彼女の顔が悲しげな表情になってしまった。
「と、当然です。大和さんの大事な存在の物だったなんて聞いて、平常心でいられるわけがないじゃないですか」
ああ、なんと可愛い人なのでしょうね君は。また直ぐに食べてしまいたくなるじゃないですか。
「那緒に初めて会った日にも持っていたのですが、覚えてはいないでしょうね。まだとても小さかったですし」
「ごめんなさい……あの日の大和さんの顔は今でも覚えてますけど、持っていた物まではさすがに……」
「いいんですよ。あの日以来一度も那緒の前に出した事もなったですしね、覚えてなくて当然です」
「どこにしまってあるんですか?私もきちんと見てみたいです」
キョロキョロと那緒が周囲を見回す。
だけれども、この部屋には人形の為に織られた着物の入った古い和箪笥しか置いてはおらず、人形の姿はどこにもない。
そう、もうどこにもないのだ。
僕のせいで。
「いくら周囲を見てもここにはありませんよ」
「何故です?誰かにあげたんですか?」
「……いいえ」
話したら、君はどういう顔をするでしょう?そんな事可笑しいって、笑うでしょうね。僕だって、今でも可笑しな話だと思ってますよ。
あんな理由で、大事な人形を手放してしまうなんて——
「気になります?」
「そりゃぁ気になりますけど、でも大和さんが話したくない事だったら訊くつもりはありません」
「那緒は優しいですね。話したくない内容ではないですよ。でも、那緒でも笑うかもしれません。『そんなの可笑しい』ってね」
持っていたままの小さな着物を綺麗にたたみ、和箪笥の前に置くと、僕は那緒を人形でも乗せるように彼女を自分の膝の上へと誘導し、座らせた。
小さな那緒の身体から、微かに香る花の匂いに心地よさを感じながら、ゆっくりと彼女の肩を抱き寄せる。
「埋めてしまったんです」
小さく、低い声で、耳元で囁く。
「君と会ったあの日、あの夜の、丑三つ時にね」
「何故です?大事な物だったんじゃないですか?」
驚いた顔で那緒が僕を見上げる。
「そうですね、とても大事でした。僕だけでなく、きっと僕に譲ってくれた叔母様も大事な品だったでしょうね」
「何でそんな事したんですか!大事な物を……自分で埋めちゃうなんて、タイムカプセルのつもりだったとか言わせませんからね!」
「タイム……また随分懐かしい単語ですね。あれ、まだやってる人いるんでしょうか?」
「どうでもいいです!そんな事は。問題は大事なのに何故埋めたかって事でしょう!?」
「ああ、そうでしたね」
大事な物を、自分に会った日に埋めた事が相当気になるようですね。話そうと思ったのは失敗だったでしょうか。
「ちゃんとね、僕なりの理由があって埋めたんですよ。なのであまり興奮しないで」
ニコッと笑いながら、頭を撫でると、納得出来ないといった顔をされてしまった。
これはきっと理由を話しても納得なんかしてくれませんね。
軽くため息をつき、『そんな理由でっ』と一蹴されてしまいそうな内容の話をする事にした。
「夢をね、見たんですよ。彼女が『もう放して』ってあの桜の木の下に立ちながらそう言う夢を」
「……夢ですか」
「はい、夢です。現実味のあるもので、一瞬本当に人形が動いたのかと思ったくらいにとてもリアルなものでした」
◇
夜桜の下に立つ、、綺麗な着物姿の僕の可愛い人形。その口がゆっくりと開き、言った言葉は『もう我を放してくれぬか』だった。
すごくショックだった。大事に大事に、子供だった僕ですらこの人形は大事にしないといけないんだと、子供なりに大事にして一緒に成長してきたというのに。
きっと酷い顔をしていたと思う。悲しくて、悔しいくて、そう言わせてしまった自分に腹が立った。
すると、いつの間にか僕の側まで着ていた人形が、母のような優しい手つきで僕の頭に触れた。
『御主にも、大事な出逢いがあったのだ、もう私を側に置く理由は無いじゃろう?』
『大事な出逢い?那緒の事ですか?』
『ああ、それ以外に誰が居る?』
『………』
黙ったままでいると、また人形は樹の下へと移動していた。そして、愛おしそうに桜の木に寄り添う。
『我もな、もういい年じゃ。そろそろ奴の側に居たいと思ってな』
『奴?』
『コヤツじゃよ』と言いながら、桜の樹を見上げる人形。
僕には、人形が恋人を愛しむような眼で樹を見詰めるのが不思議でならなかった。
『ずっと一緒にこの家に居るのにな、滅多に会えなかったのじゃ。互いに自由のきく身ではないしな』
『桜の樹と恋人なのですか』
『古い物には魂が宿るとよくお前の祖母が話していたろう?我らの話じゃろうな、きっと』
『何度か聞かされてはいましたが……事実を語ってたのですか』
夢とも現実とも判断しかねるが、とりあえずそう返事をする。
『愛しい者の側に居たい……そろそろ人形でしかない我でも、そのくらい願ってもいいのではないか?御主ならもうそういった感情、理解できよう?』
『出来ますが……でも、だから僕ににどうしろと』
『埋めてくれ』
ハッキリと決意に満ちた目で言われ、驚いた。
『埋める!?待って下さい、貴女は代々受け継がれてきた品ですよ?そんな事したら何て言われるか——』
『誰かにどうこう言われて諦めれる様な想いではないのじゃ』
『でも……』
『何百年も添い遂げれない気持ち、御主にわかるか?』
わかるはずがないでしょう、たかが十数年しか生きてない僕に。
『好きな時に会える訳でもなく、ただ互いに遠くから見詰めるだけでこの先も生きていくくらいなら、我はこの身を失うほうがよい』
『何故、頼むのが僕なんです?今までだって誰かに頼む事は出来たでしょうに』
僕が出来るわけがないでしょう?どれだけ貴女を大事に思ってきたと思うんですか、物心つく前から一緒だというのに。
『御主にも、我以上の存在になりうる存在が現れたからじゃ』
那緒の事か。
確かに、綺麗な子だとは思いましたが……彼女はまだ子供じゃないですか。年齢も離れすぎてますし、そんな子供に僕がどうしろというんです?
『我にとっても御主は大事な主じゃ。だがな、もう互いに子離れ、親離れする時期ではないか?御主ももう元服を迎えたのであろう?』
『元服っていつの時代の話をしているんですか。今はそんな事やりませんよ』
『だが、人形に現を抜かす年齢ではないはずじゃ』
確かに…まぁそうですが。反論も出来ず、言葉に詰まる。
『器量のよい娘じゃないか。よい女子に成長するぞ、あれは』
ニコッと微笑む人形。今まで一度も見た事のない笑顔に、少し不思議な気分になった。
『……貴女によく似ていますね、那緒は』
『そうか?そうかもしれぬな。そう思うと、ますます成長が楽しみじゃ。……我が人間に生まれるとああなのかと思うと、不思議な気持ちじゃな』
『人間に生まれたかったですか?』
『まさか!一度も思った事もないわ。奴と一緒に居るほうが我には大事じゃからな。桜である奴と同じ時間を生きる事が出来るこの身の方が、我には人間よりもずっと価値がある』
『……好き、なのですね本当に』
『当然じゃ。もういつからなのか、何故なのかもわからぬがな……。でもそんな事はどうでもいい。寄り添って居たい、それだけじゃよ』
深くため息をつき、僕は人形の立つ樹の側まで近寄った。
『絶対に怒られますよ、僕』
側にしゃがみ、困り顔を見せてみた。
『ああ、だろうな。頑張れ』
『他人事なんですから……これは貴女の望みだというのに』
『我には何も出来ん。そうだな、奴等の夢にでも出て怒るなとでも言っておいてやろうか』
『それでもいいですからお願いしますよ。忘れずにやって下さいね』
そう言いながら、桜の樹の根元を手で掘リ始めた。スコップでもあればいいのだが、この辺りに置いてあった記憶はない。
夢なのだし、きっとすぐに掘り終えるだろうと安易な気持ちで始めたが、人形一体分がまるまる入る穴を掘るのは案外大変で、なかなか終わらなかった。
じっと側にしゃがみ、穴を見詰める人形。これから自分が入る穴を見るというのはどんな気分なのだろう?
『手伝ってはくれないのですか?』
指先を土で真っ黒に汚し、珍しく額に汗かきながら穴を掘る事に疲労を感じながらそう言ったが、首を横に振られた。
『こんな手では折れてしまうかもしれぬからな』
『じゃあせめて貴女の彼に手伝わせて下さいよ。貴女を譲るというのに、姿も見せないじゃないですか』
『照れ屋だからな、奴は。今夜の礼に、毎年綺麗に花を咲かせるから許せと言っておるよ』
『じ、自分勝手なカップルですねぇ……全く』
土が思ったよりも柔らかいのが救いではあるが、掘っても掘っても人形が満足してくれずただひたすら、黙々と掘り続けた。
『このくらいじゃな』
人形がそう言ってくれた頃には、もう始めて1時間は経過していた。
『…二度と掘るものか』
何だってこんなに深くする必要があるっていうんですか、全く。
『ああ、そうしてくれ。出る気もない』
『よいしょ』と言いながら、自分から穴に落ちようとする人形。
真っ黒い手で慌てて着物を掴み、それを止める。
『ここまでして今更埋めぬとは言わないじゃろうな』
キッと睨みつけられると、さすが日本人形だ。ちょっと怖い。
少女というよりは僕と同じくらいの女性をイメージして作られているので、頬の腫れぼったい感じのある人形ではないが……それでも、ホラー映画にでも出てきそうな表情に少し握る手から力が抜けた。
『別れくらいはしようとか思いませんか。十年以上一緒だったというのに』
『……永劫の別れでもないだろう?存在が消えるわけではないのじゃ。我はここに居る』
『でも、もう触れる事は僕には出来ません』
『そうじゃな。でもな、我はここに居る。御主の思い出の中にもな』
そうですけど、それでも僕はやっぱり……。
『では、この着物を残していこう。帯をといてはくれぬか?』
穴の横にそっと下ろし、言われるままに帯を解き、言われるまま人形の着物を脱がせる。下には何も着せてはいなかったので、人形特有の可笑しな間接のある身体が露になった。
こんな姿のままこんな土の中に?
流石にそれには抵抗を感じたので、僕の使っていた帯を解き、それで人形の身体をそっと包んでやった。
『どうせ土の中では動けないのだし、帯で包むくらい平気でしょう?』
『そうじゃが……これでは自分で穴にも入れぬ』
『僕が入れてあげますから』
両手で包むこむ様に持ち上げ、軽い身体を穴の中へと入れる。冷たい土の上に置き、ゆっくりと、名残惜しむように手を離した。
『……本当にいいのですか?』
『自分で願った事。悔いなどあるはずがない』
帯を奥からくぐもった声が聞こえる。
『わかりました。今までありがとう、本当に……僕は大好きでしたよ』
『我もじゃ。今までの主の中で、御主が一番じゃったよ』
その言葉に、少し満足したものを感じた。大事にした甲斐はあったようだ。
幼馴染を失うような、家族を失うような複雑な気分の中、帯に包まれた人形に自分からゆっくりと土をかける。
かける度に奥から聞こえる『ありがとう』の声。
どんどん小さくなる声。
今でも時々思い出す、気高く美しい声。
その後、自分がどうやって部屋に戻ったのかは覚えていない。気がついた時には自分の布団の中で、彼女の小さな着物を握り締めていた。手は指の先もすっかり綺麗になっており、土を1時間も掘ったようにはとても見えなかった。
人形を埋めた事が現実の話だったのかもわからないが、その日以来どこにも人形の姿はなかったのできっと本当に埋めたのだと…思う。
彼女と言葉を交わしながら埋めたのは、きっと夢か何かだろうが。夢と現実と願望が交差して、嘘の様な不思議な体験となったのだろう。
きっとそうだ。でないと、人形と言葉を交わすなんて可笑しな事、あるはずがないのだから。
◇
「と、いう訳なのですよ。変な話でしょう?」
クスクスと笑いながらそう話を締め那緒を見ると、僕の胸にしがみ付き、鼻をすすっている。
「……何故泣いているんです?」
「だって、私のせいじゃないですか。大事な人形とお別れしないといけなくなったのって」
「確かに大事ではありましたが、今那緒が泣くほどの壮大な別れではありませんよ?」
頭を撫でながらそう言ったが、首をブンブンと横に振られた。
「年的にもね、手放す時期だったんですから気にする事はありません。それにね——」
開いたままの襖の方へ視線をやり、隙間から見える庭の桜の樹を見る。
「今でもよく彼女の夢を見るんですよ」
「どんな夢です?」
「月明かりに照らされた夜桜の枝に座ってね、嬉しそうにこっちらへ微笑みかけてくれている夢です。桜自身も嬉しそうに枝を揺らしてて、まるで二人で話でもしているようなのですよ」
「後悔はしていないのですか?埋めた事」
「しましたよ、ものすごく親戚一同に怒られましたから」
「……やっぱり」
「でもね、譲ってくれた叔母様だけは許してくれました。微笑みながら『お前は出来たのね、偉いわ』ってね」
「え?」
「叔母様もね、何度も『埋めてくれ』と言われる夢を見た事があったらしいですよ。それがきっかけで僕に人形を譲ったのだとも話していました。『私には埋めれなかった』とも」
「不思議な話ですね、同じ夢を見てたなんて」
「そうですね、本当に……。そのせいで僕は、まだあのやり取りが夢だったのか現実だったのか判断出来ないでいるんです。可笑しな話でしょう?」
「いいえ、素敵な話じゃないですか。埋めてしまわないといけなかったのは残念ですが、あの桜の樹が、今は夫婦として寄り添っているのだと思うとロマンチックだなと思います」
一蹴されると思っていたのに、優しい子ですね那緒は。
「でも一目見てみたかったなぁ、お人形さん」
「鏡を見るといいですよ。丁度今の那緒くらいの雰囲気でしたから」
「え?……そ、そうなんですか?」
「そうですよ。白い肌も、整った顔立ちも、美しい黒い髪も……全てね」
「私は、その人形に似ていたから好きになってもらえたって事でしょうか?」
しゅんとした顔をして那緒が俯く。
そんなはずもないのに、何をそんな。とは言っても、そう思われても仕方ないですよね、存在が先であったのは人形の方なのですから。
「いいえ。でも、どちらも僕の好みの姿であった事だけは確かですね」
ギュッと少し強めに那緒の華奢な身体を抱きしめる。それに応えるように、彼女も僕の着物を掴んできた。
「大丈夫ですよ、僕には那緒しかいません」
言い聞かせるように、囁く。
「愛していますよ、那緒だけを。今までも、これからもずっと」
一呼吸おき、言葉を続けた。
「命果てようとも、側に居ると誓いますよ」
瞼を閉じ、那緒の唇へ誓うように口付ける。舌をも入れたい衝動が沸き起こるが、それはグッと堪えた。
いつも性欲に任せていては、大事にしたい気持ちが疑われる気がしたので。
「僕には那緒しか愛せません。それだけは、絶対に疑わないで下さいね。那緒は僕の全てなのですから」
抱きしめたままそう言う声に、那緒が嬉しそうに軽く微笑んだが、すぐに少し困ったような顔になった。
「……どうしました?」
キョトンとした声で訊いても、答えが返ってこない。ただ黙ったまま身体をもじもじとさせるだけだ。……まさか。
「抱きしめて欲しかったりします?」
意地悪い声色で、そっと耳元にそう囁く。
すると、桜色だった頬が林檎の様に真っ赤に染まり、逃げるように僕の腕の中から必死にもがいて出て行こうとした。
抱き締める腕に力を入れ、それを止める。
「いけない子ですね、那緒は」
小さな声でそう言い、軽く耳を噛んだ。
「んあっ」
可愛い声が漏れ、抑えようとしていた熱い衝動が胸に沸き起こる。
「那緒は愛情を身体に教えて欲しいタイプなのですね」
「ちがっ」
「違わないでしょう?僕はこんな事しようとは思ってなかったのに」
「だ、だっていつもこういう時って大和さん……今日はまだだし……キスとかするし……」
真っ赤になりながら、必死に言い訳の言葉を探す那緒が、可愛くてしょうがない。
「毎日抱いて欲しいという事ですね、わかりました」
「っち、ちがうの!」
「じゃあ、抱いて欲しくはないと?」
「……いえ」
ため息をつき「素直じゃありませんねぇ」とぼやいて見せると、必死に僕の首に腕を回し抱きついてくる。
「す、す……」
「すす?」
「す……すすす」
何が言いたいのかはわかるが、緊張し過ぎて言葉に出来ないといった感じだ。相変わらず言葉にするのが苦手なようですね、身体は正直だというのに。
「『好き』ですか?」
「それです!」
「僕も大好きですよ、那緒」
気持ちを確認するように唇を重ね、舌を絡めた深い口付ける。漏れ聞こえる互いの声が部屋に響き、気分を高揚させた。
「くふぅ……んっ……ふぁ」
何度交わしても呼吸を上手く出来ないでいる那緒が、苦しそうに口を離した。うっとりした表情で、力なく僕の腕に身を預ける。
「ここでは背中が痛くなってしまいますね、僕の部屋に行きましょうか」
その言葉に、コクッと頷く那緒をお姫様抱っこで抱え、小さな和箪笥だけが置かれた部屋を後にする。
縁側を通り自分の部屋へと向う時、一瞬刺さるような視線を感じ、即座にその視線の感じた方向を見た。
客?
そう思ったが、見た感じ誰もその方向には居ない。
「……大和……さん?」
睨みつけるような表情をしている僕に、那緒が不安げな声をかけてきた。
答える事無く視線の正体を確認しようと思ったが、何度見回しても、そこにあるのは桜の樹と小さな植木や花壇のみ。
気のせいですかね……。
「すみません、何でもありませんよ」
那緒を安心させるように微笑みながらそう答え、自分の部屋へと歩く。
……やっぱり視線を感じる。でも、最初よりも優しい感じだ。何か、見守られているような。夢の中で感じるような、暖かな眼差し。
『 ほどほどにな 』
「え?」
立ち止まり、そう声を漏らすと那緒がビックリした顔をした。
「どうしました?」
「今、何か言いましたか?」
「私がですか?……いいえ、何も」
じゃあ、幻聴ですかね……。
「ごめんなさい。気のせいだったようです」
そう言いながら、那緒に襖を開けてもらい部屋の中へ入る。襖を閉めた時、少し強めの風が外で吹き、木々の枝が揺れた。
その木々の揺れる音が、懐かしい声でクスクスと笑う声に聴こえ、那緒を畳へと下ろそうとしていた動きが止まった。
那緒の顔に不安げな表情が浮かぶ。
当然といえば当然か、明らかにさっきから挙動不審なのだから。
「……からかわれている気がしてなりません」
「まさか、人形に……ですか?」
「人形と桜の両方にです」
眉間にシワをよせそう言ってしまったが、変な事を言うやつだと気味悪がられてしれないと、今更後悔した。
だが那緒は心配そうな顔で「やめましょう?見られてるみたいで気になるでしょうし」と真剣に答えられてしまった。
「変な奴だとは思わないんですか?」
「大和さんが何かを感じるなら、それは本当に起こってる事です。私には感じないからそんな事は有り得ないだなんて思ったりなんかしませんよ。見えなくても存在するものの方が遥かに多いのですから」
見えなくても存在する。そうですね……僕が好きなった人が、貴女であって本当によかった。そう思う心も気持ちも、そういえば、目に見える物ではないのですものね。でも、確かに存在する。
愛しい気持ちも、触れたくてしょうがないと感じる衝動も、全て存在するんだ。
「見せ付けてやりましょう」
「はい?」
「奴等にですよ。もう見てられないと思うまで、見せ付けてやりましょう」
那緒を部屋の畳の上にそっと下ろし、閉めていた襖を開ける。
「い、嫌ですよ!誰かに見せ付けるだなんて」
慌てて立ち上がり、那緒が必死に襖の方へと腕を伸ばして閉めようとする。
「那緒は何も感じていないのでしょう?なら気にする必要はないじゃないですか。これは僕の自己満足ですよ」
「誰か来たらどうするんですか!勝手に上がって来そうな友人が大和さんには大量に居るのにっ」
「見せてやればいいじゃないですか。那緒は僕のものだって皆知っているのだし」
「いっいやですっ‼︎」
「嘘ですよ、友人になんか絶対に大和のいい顔なんか見せてあげません!」
ギュッと那緒の身体を抱き締め、頬に口付ける。首筋をゆるりと指で撫でながら、なぞるように舌を這わせた。
吐息を漏らしながら背を反らせる那緒が倒れないよう支えながら、白い鎖骨を撫でる。
「一番綺麗な顔も、可愛い顔も全て僕だけのものですよ。誰にも渡しません」
鎖骨を撫でていた指を下へ下へとおろし、服の上から胸の硬く突起した部分に触れた。
「僕以外の誰かになんか、絶対に触らせてはいけませんよ?そんな事したら……いくら君でも、どうしてしまうか僕にもわかりませんから」
漏れる吐息をおでこに感じながら、手をどんどん下へと這わせる。
「お願いです、襖をしめ……て」
泣きそうな声で那緒が懇願する。
「どうぞ」
動きを止める事無く許しを与えると、腕を伸ばして那緒が部屋の襖を閉めた。それを機に畳の上へと彼女を押し倒し、覆いかぶさるように身体を寄せる。
身体のラインを確認するように手を這わせ、下へ下へと移動させたが、肝心の事を忘れていた事に今更気がついた。
「……そういえば、布団がまだでしたね」
ぼそっと呟くと、那緒が状況に似合わない声で笑い出した。
「そんな声で笑わなくてもいいじゃないですか」
少し拗ねた顔で、下にいる那緒に言う。
「ごめんなさい。こんな時でも気遣ってくれてるのが嬉しかったんですが、嬉し過ぎて変な声で笑っちゃいました」
「嬉し過ぎて大笑いって……変な子ですね、那緒は」
「大和さんはありません?嬉しいと笑っちゃう事」
「気持ちはわかりますが、今の状況でその大笑いはさすがにありませんね」
「やだ……本当にごめんなさい……私ったら」
右手で口元を隠し、申し訳なさそうな顔をする。
「怒ったりなんかしてませんよ。ちょっと驚いただけです。まだまだ知らない一面がある事にね」
「ふふ、私は奥深いですよ?死ぬまで全部なんか見せてあげないんですから」
「何故です?僕は那緒の全てを知りたいのに」
「女に秘密は付き物です。その方がきっと楽しいですよ」
「暴いていくのが楽しいかもしれませんね」
「でしょ?私も今日は大和さんの不思議な一面が見られて嬉しかったですし」
「不思議……でしたか」
「人形とお話した話しでしたからね、男性からはなかなか聞ける話じゃないですよ」
「まぁ……確かに」
「ずっと一緒に居るせいか、あまり互いの会う前の話とかってしないでしょう?それを聞けた事も嬉しかったです」
ニコッと那緒が微笑む。
「やっぱり那緒は、有り得ない話だと否定はしないんですね」
「しませんよ、大和さんの言葉は全て信じていますから」
「那緒は僕の嬉しい言葉ばかりを僕にくれますね」
「大和さんも、私の嬉しい言葉しかくれませんよ」
「意地悪い言葉も?」
那緒の額に額を重ね、クスッと笑いながらおう言うと、照れくさそうに「そうですね、それも含めてです」と答えてくれた。
上半身をゆっくり起こし、那緒に手を差し出す。
少しきょとんとしか顔をされたが、差し出す手に手を重ね、掴んでくれたので、身体を起こしてあげた。
「今日は、もっと色々話しませんか?肌を重ねて伝えられる事も多いですが、言葉ではないと伝えられない事もいっぱいありますからね」
「萎えちゃいましたか」
「そういう言葉は言っちゃいけませんよ」
口元に人差し指をあてながらそう言うと、那緒が少し肩を竦めた。
「僕の前以外では、ね」
それからは、一緒に料理をして、それを晩御飯代わりにつまみながら、夜中まで色々な話をした。
思い出話や二人が会う前の事。
大学や職場での経験。
こんなにじっくり腰をすえて話したのは、もしかしたら初めてだったかもしれない。互いを意識し始めてからは、何となく話す事を避けるような事も多かった。
声を出せば、自分の気持ちが相手にバレてしまう気がして怖かったから。
想う気持ちが大きくなり過ぎていて、自分の中で爆発してしまいそうだったから。
決して想いを打ち明けてはいけない、してはいけない存在だと思っていたから……。
縁側に座る僕の膝を枕代わりに、規則的な寝息をたてる那緒。そんな彼女の頬をそっと優しく撫でると、葉桜になっている桜の樹に誰かの気配を感じた。
驚く事無く顔を上げると、小さな人影がそこのはあった。
「こんばんは、久しぶりですね」
少し遠いが、那緒を動かしてまで側に寄ろうという気にもなれずその場で声をかける。
「覚えていてくれていたのじゃな」
「何度も夢に見てますからね、忘れようがありません。忘れたりなんかもしませんよ。そうであるうちは、貴女は僕の側にいてくれている事になるんでしょう?」
「そんな必要はないじゃないか、御主にはもうかけがえのない存在がおるというのに」
「ええ。貴女の言うとおり、とても美しい女性に成長しましたよ」
「そうでなくとも、愛したであろう?それほどまでに内面に惹かれておるのだから」
「言うまでもありませんね、那緒だから愛したのですから」
「そうか……安心した」
そう優しく微笑む笑顔が、何だか子供を見守る母親のように見えた。
「貴女は、幸せですか?」
「言うまでもなくな」
今度は嬉しそうな微笑を見せてくれ、ホッとした気分になった。
「お前達と同じくらいは幸せだよ」
「じゃあ相当幸せだという事ですね、安心しました。手放した甲斐があります」
「御主は変わらないな」
「ありがとうございます。褒め言葉として受け取っておきますよ」
「……いつまでも、幸せにな」
「まるで……最後のお別れみたいな言い方をしますね」
「ああ、もう会うのはこれっきりにしようと思ってな。残念か?」
「そうですね、少し」
「悪いな、あまり気にかけ続けると奴が拗ねるんだ。御主ならわかるだろう?」
少し困った顔をしているが、でもその奥には幸せそうな感情を見て取れる。嫉妬されて嬉しい、そんな感じが伝わってきた。
「なるほど。じゃあ僕ももう、二度と今日みたいには邪魔をされないという事ですね」
「ああ、そうなるな。しかしあれ程度に気がつくとは、相変わらず凄いな御主は」
「何がどう凄いのかはわかりませんが、邪魔されない事だけは嬉しく思っておきますよ」
クスッと小さな微笑を浮かべると、人形が桜の樹に触れた。
「見守っているよ、いつまでも。御主達『家族』をな。一生ここで、二人で」
「……ありがとう」と言いながら軽く手を上げると、それに答えるように人形も片手をあげてくれた。
あの日、別れ際に巻いた帯と同じ柄の地味な着物姿で。
——ゆっくり瞼を開けると、膝の上には穏やかな寝息の那緒が居る。
夢とも現実ともつかぬ、不思議な感覚だった。
人形を埋めたあの日みたいな感覚が、身体に残っている。
確認する手段はない、する気もない。でもきっと、もう二度とあの人形の夢をみる事はないのだろうなとだけ心の中で感じだ。
だけど悲しいとかは思ったりしない。何よりも大事な存在が僕にはいるのだから。
人形相手なんかじゃ出来ない事が一緒に出来る、貴重な存在が。
笑い、悲しみ、時には苛立ちを感じる事もあるかもしれないけれど、一緒に年を重ねていける存在が。
「好きでしたよ、でもさようなら。そして……僕達家族の側に、居てくれてありがとう」
ボソッと小さく呟き、那緒の頬へと口付けを落とす。
「でも、那緒の方は手放しませんからね、絶対に」
口付けた頬をそっと撫でながら、そう呟く。すると、風も吹いてないというのに桜の枝がざわざわと揺れた。
その音に混じり『 お幸せに 』と、男性の様な声が混じって聴こえた気がしたが……その事は、きっと那緒が目を覚ましても話す事はないだろう。
僕にも、君のように秘密があった方が楽しいでしょうからね。
【終わり】
この世に生を受け、身体を自由に動かせるようになった事から、絶対に手放さなかった物があると母から聞いた事がある。それは、庭に咲く綺麗な桜をイメージして織られた布で作った着物を着た、美しい日本人形だ。僕は常にその人形を放す事無く、必ず一緒にいたそうだ。
そんな僕を見て祖母は『この子はきっとお嫁さんも大事にする子になるだろうね』と、両親に話していた事があったらしい。
大事だった。本当に大事だったんだ。あの日、君に出会うまでは。
「随分小さな着物ですね、子供用……にしても小さ過ぎるし、赤ちゃん用ですか?あれ、でも赤ちゃんの百日で着る物ももっと大きかったですよね?」
最近使っていなかった部屋の隅に置かれていたタンス。
その中を久しぶりに整頓しようと思い立ち、中に入ったままになっていた着物を手に取り、ぼんやりと昔を色々と思い出しながら見ていると、後ろから那緒に声をかけられた。
意識が思い出の中に入り込んでしまっていたせいか、返事も出来ないまま、那緒の方を座ったまま見上げる。
「綺麗な柄ですね、桜の柄が本当に素敵」
微笑みながら着物の柄を褒め、僕の横に那緒が座った。
一呼吸おき「庭の桜をね、イメージして作らせた品らしいですよ」と、手に持ったままの着物に視線を落としながら、そう返事をする。
「特注品でしたか……すごいですね」
「随分前の話らしいですけどね。それこそ僕の祖父達ですら『先代から聞いた話だが——』と言いながらこの着物の事を教えてくれたくらい、前の話らしいです」
「……由緒ある品なのですね」
「どうなんでしょう?たいした価値のない、ただの骨董品かもしれませんよ。でも、僕にはとても大事な品です」
そう言いながら絹で織られた布地を、優しく撫でる。すると那緒が「私も触っていいですか?」と、遠慮がちに訊いてきた。
「もちろんですよ、これはもう君の物でもあるんですから」
「私の物?」
「那緒は僕の奥さんでしょう?夫婦は全てを共有する存在ですよ」
ニコッと優しい笑顔でそう言うと、那緒が頬を着物に描かれた桜のように染める。その初々しさに、胸に嬉しさが込み上げてくる。
「こ、これは誰の物だったんです?とても小さいですけれど」
照れくささを誤魔化すように、那緒が着物を撫でながら訊く。
「僕のとても大事だった存在の物だったんです」
「……大和さんの、大事な……者?」
「誤解しないで下さいね、『者』じゃないですよ。無機物です。人形の着物ですよ」
「やだ……ごめんなさい」
「一瞬だけれど、嫉妬しましたね?その様子は」
那緒の頬にそっと手を添えながらそう訊くと、すまなそうな表情で俯き、彼女の顔が悲しげな表情になってしまった。
「と、当然です。大和さんの大事な存在の物だったなんて聞いて、平常心でいられるわけがないじゃないですか」
ああ、なんと可愛い人なのでしょうね君は。また直ぐに食べてしまいたくなるじゃないですか。
「那緒に初めて会った日にも持っていたのですが、覚えてはいないでしょうね。まだとても小さかったですし」
「ごめんなさい……あの日の大和さんの顔は今でも覚えてますけど、持っていた物まではさすがに……」
「いいんですよ。あの日以来一度も那緒の前に出した事もなったですしね、覚えてなくて当然です」
「どこにしまってあるんですか?私もきちんと見てみたいです」
キョロキョロと那緒が周囲を見回す。
だけれども、この部屋には人形の為に織られた着物の入った古い和箪笥しか置いてはおらず、人形の姿はどこにもない。
そう、もうどこにもないのだ。
僕のせいで。
「いくら周囲を見てもここにはありませんよ」
「何故です?誰かにあげたんですか?」
「……いいえ」
話したら、君はどういう顔をするでしょう?そんな事可笑しいって、笑うでしょうね。僕だって、今でも可笑しな話だと思ってますよ。
あんな理由で、大事な人形を手放してしまうなんて——
「気になります?」
「そりゃぁ気になりますけど、でも大和さんが話したくない事だったら訊くつもりはありません」
「那緒は優しいですね。話したくない内容ではないですよ。でも、那緒でも笑うかもしれません。『そんなの可笑しい』ってね」
持っていたままの小さな着物を綺麗にたたみ、和箪笥の前に置くと、僕は那緒を人形でも乗せるように彼女を自分の膝の上へと誘導し、座らせた。
小さな那緒の身体から、微かに香る花の匂いに心地よさを感じながら、ゆっくりと彼女の肩を抱き寄せる。
「埋めてしまったんです」
小さく、低い声で、耳元で囁く。
「君と会ったあの日、あの夜の、丑三つ時にね」
「何故です?大事な物だったんじゃないですか?」
驚いた顔で那緒が僕を見上げる。
「そうですね、とても大事でした。僕だけでなく、きっと僕に譲ってくれた叔母様も大事な品だったでしょうね」
「何でそんな事したんですか!大事な物を……自分で埋めちゃうなんて、タイムカプセルのつもりだったとか言わせませんからね!」
「タイム……また随分懐かしい単語ですね。あれ、まだやってる人いるんでしょうか?」
「どうでもいいです!そんな事は。問題は大事なのに何故埋めたかって事でしょう!?」
「ああ、そうでしたね」
大事な物を、自分に会った日に埋めた事が相当気になるようですね。話そうと思ったのは失敗だったでしょうか。
「ちゃんとね、僕なりの理由があって埋めたんですよ。なのであまり興奮しないで」
ニコッと笑いながら、頭を撫でると、納得出来ないといった顔をされてしまった。
これはきっと理由を話しても納得なんかしてくれませんね。
軽くため息をつき、『そんな理由でっ』と一蹴されてしまいそうな内容の話をする事にした。
「夢をね、見たんですよ。彼女が『もう放して』ってあの桜の木の下に立ちながらそう言う夢を」
「……夢ですか」
「はい、夢です。現実味のあるもので、一瞬本当に人形が動いたのかと思ったくらいにとてもリアルなものでした」
◇
夜桜の下に立つ、、綺麗な着物姿の僕の可愛い人形。その口がゆっくりと開き、言った言葉は『もう我を放してくれぬか』だった。
すごくショックだった。大事に大事に、子供だった僕ですらこの人形は大事にしないといけないんだと、子供なりに大事にして一緒に成長してきたというのに。
きっと酷い顔をしていたと思う。悲しくて、悔しいくて、そう言わせてしまった自分に腹が立った。
すると、いつの間にか僕の側まで着ていた人形が、母のような優しい手つきで僕の頭に触れた。
『御主にも、大事な出逢いがあったのだ、もう私を側に置く理由は無いじゃろう?』
『大事な出逢い?那緒の事ですか?』
『ああ、それ以外に誰が居る?』
『………』
黙ったままでいると、また人形は樹の下へと移動していた。そして、愛おしそうに桜の木に寄り添う。
『我もな、もういい年じゃ。そろそろ奴の側に居たいと思ってな』
『奴?』
『コヤツじゃよ』と言いながら、桜の樹を見上げる人形。
僕には、人形が恋人を愛しむような眼で樹を見詰めるのが不思議でならなかった。
『ずっと一緒にこの家に居るのにな、滅多に会えなかったのじゃ。互いに自由のきく身ではないしな』
『桜の樹と恋人なのですか』
『古い物には魂が宿るとよくお前の祖母が話していたろう?我らの話じゃろうな、きっと』
『何度か聞かされてはいましたが……事実を語ってたのですか』
夢とも現実とも判断しかねるが、とりあえずそう返事をする。
『愛しい者の側に居たい……そろそろ人形でしかない我でも、そのくらい願ってもいいのではないか?御主ならもうそういった感情、理解できよう?』
『出来ますが……でも、だから僕ににどうしろと』
『埋めてくれ』
ハッキリと決意に満ちた目で言われ、驚いた。
『埋める!?待って下さい、貴女は代々受け継がれてきた品ですよ?そんな事したら何て言われるか——』
『誰かにどうこう言われて諦めれる様な想いではないのじゃ』
『でも……』
『何百年も添い遂げれない気持ち、御主にわかるか?』
わかるはずがないでしょう、たかが十数年しか生きてない僕に。
『好きな時に会える訳でもなく、ただ互いに遠くから見詰めるだけでこの先も生きていくくらいなら、我はこの身を失うほうがよい』
『何故、頼むのが僕なんです?今までだって誰かに頼む事は出来たでしょうに』
僕が出来るわけがないでしょう?どれだけ貴女を大事に思ってきたと思うんですか、物心つく前から一緒だというのに。
『御主にも、我以上の存在になりうる存在が現れたからじゃ』
那緒の事か。
確かに、綺麗な子だとは思いましたが……彼女はまだ子供じゃないですか。年齢も離れすぎてますし、そんな子供に僕がどうしろというんです?
『我にとっても御主は大事な主じゃ。だがな、もう互いに子離れ、親離れする時期ではないか?御主ももう元服を迎えたのであろう?』
『元服っていつの時代の話をしているんですか。今はそんな事やりませんよ』
『だが、人形に現を抜かす年齢ではないはずじゃ』
確かに…まぁそうですが。反論も出来ず、言葉に詰まる。
『器量のよい娘じゃないか。よい女子に成長するぞ、あれは』
ニコッと微笑む人形。今まで一度も見た事のない笑顔に、少し不思議な気分になった。
『……貴女によく似ていますね、那緒は』
『そうか?そうかもしれぬな。そう思うと、ますます成長が楽しみじゃ。……我が人間に生まれるとああなのかと思うと、不思議な気持ちじゃな』
『人間に生まれたかったですか?』
『まさか!一度も思った事もないわ。奴と一緒に居るほうが我には大事じゃからな。桜である奴と同じ時間を生きる事が出来るこの身の方が、我には人間よりもずっと価値がある』
『……好き、なのですね本当に』
『当然じゃ。もういつからなのか、何故なのかもわからぬがな……。でもそんな事はどうでもいい。寄り添って居たい、それだけじゃよ』
深くため息をつき、僕は人形の立つ樹の側まで近寄った。
『絶対に怒られますよ、僕』
側にしゃがみ、困り顔を見せてみた。
『ああ、だろうな。頑張れ』
『他人事なんですから……これは貴女の望みだというのに』
『我には何も出来ん。そうだな、奴等の夢にでも出て怒るなとでも言っておいてやろうか』
『それでもいいですからお願いしますよ。忘れずにやって下さいね』
そう言いながら、桜の樹の根元を手で掘リ始めた。スコップでもあればいいのだが、この辺りに置いてあった記憶はない。
夢なのだし、きっとすぐに掘り終えるだろうと安易な気持ちで始めたが、人形一体分がまるまる入る穴を掘るのは案外大変で、なかなか終わらなかった。
じっと側にしゃがみ、穴を見詰める人形。これから自分が入る穴を見るというのはどんな気分なのだろう?
『手伝ってはくれないのですか?』
指先を土で真っ黒に汚し、珍しく額に汗かきながら穴を掘る事に疲労を感じながらそう言ったが、首を横に振られた。
『こんな手では折れてしまうかもしれぬからな』
『じゃあせめて貴女の彼に手伝わせて下さいよ。貴女を譲るというのに、姿も見せないじゃないですか』
『照れ屋だからな、奴は。今夜の礼に、毎年綺麗に花を咲かせるから許せと言っておるよ』
『じ、自分勝手なカップルですねぇ……全く』
土が思ったよりも柔らかいのが救いではあるが、掘っても掘っても人形が満足してくれずただひたすら、黙々と掘り続けた。
『このくらいじゃな』
人形がそう言ってくれた頃には、もう始めて1時間は経過していた。
『…二度と掘るものか』
何だってこんなに深くする必要があるっていうんですか、全く。
『ああ、そうしてくれ。出る気もない』
『よいしょ』と言いながら、自分から穴に落ちようとする人形。
真っ黒い手で慌てて着物を掴み、それを止める。
『ここまでして今更埋めぬとは言わないじゃろうな』
キッと睨みつけられると、さすが日本人形だ。ちょっと怖い。
少女というよりは僕と同じくらいの女性をイメージして作られているので、頬の腫れぼったい感じのある人形ではないが……それでも、ホラー映画にでも出てきそうな表情に少し握る手から力が抜けた。
『別れくらいはしようとか思いませんか。十年以上一緒だったというのに』
『……永劫の別れでもないだろう?存在が消えるわけではないのじゃ。我はここに居る』
『でも、もう触れる事は僕には出来ません』
『そうじゃな。でもな、我はここに居る。御主の思い出の中にもな』
そうですけど、それでも僕はやっぱり……。
『では、この着物を残していこう。帯をといてはくれぬか?』
穴の横にそっと下ろし、言われるままに帯を解き、言われるまま人形の着物を脱がせる。下には何も着せてはいなかったので、人形特有の可笑しな間接のある身体が露になった。
こんな姿のままこんな土の中に?
流石にそれには抵抗を感じたので、僕の使っていた帯を解き、それで人形の身体をそっと包んでやった。
『どうせ土の中では動けないのだし、帯で包むくらい平気でしょう?』
『そうじゃが……これでは自分で穴にも入れぬ』
『僕が入れてあげますから』
両手で包むこむ様に持ち上げ、軽い身体を穴の中へと入れる。冷たい土の上に置き、ゆっくりと、名残惜しむように手を離した。
『……本当にいいのですか?』
『自分で願った事。悔いなどあるはずがない』
帯を奥からくぐもった声が聞こえる。
『わかりました。今までありがとう、本当に……僕は大好きでしたよ』
『我もじゃ。今までの主の中で、御主が一番じゃったよ』
その言葉に、少し満足したものを感じた。大事にした甲斐はあったようだ。
幼馴染を失うような、家族を失うような複雑な気分の中、帯に包まれた人形に自分からゆっくりと土をかける。
かける度に奥から聞こえる『ありがとう』の声。
どんどん小さくなる声。
今でも時々思い出す、気高く美しい声。
その後、自分がどうやって部屋に戻ったのかは覚えていない。気がついた時には自分の布団の中で、彼女の小さな着物を握り締めていた。手は指の先もすっかり綺麗になっており、土を1時間も掘ったようにはとても見えなかった。
人形を埋めた事が現実の話だったのかもわからないが、その日以来どこにも人形の姿はなかったのできっと本当に埋めたのだと…思う。
彼女と言葉を交わしながら埋めたのは、きっと夢か何かだろうが。夢と現実と願望が交差して、嘘の様な不思議な体験となったのだろう。
きっとそうだ。でないと、人形と言葉を交わすなんて可笑しな事、あるはずがないのだから。
◇
「と、いう訳なのですよ。変な話でしょう?」
クスクスと笑いながらそう話を締め那緒を見ると、僕の胸にしがみ付き、鼻をすすっている。
「……何故泣いているんです?」
「だって、私のせいじゃないですか。大事な人形とお別れしないといけなくなったのって」
「確かに大事ではありましたが、今那緒が泣くほどの壮大な別れではありませんよ?」
頭を撫でながらそう言ったが、首をブンブンと横に振られた。
「年的にもね、手放す時期だったんですから気にする事はありません。それにね——」
開いたままの襖の方へ視線をやり、隙間から見える庭の桜の樹を見る。
「今でもよく彼女の夢を見るんですよ」
「どんな夢です?」
「月明かりに照らされた夜桜の枝に座ってね、嬉しそうにこっちらへ微笑みかけてくれている夢です。桜自身も嬉しそうに枝を揺らしてて、まるで二人で話でもしているようなのですよ」
「後悔はしていないのですか?埋めた事」
「しましたよ、ものすごく親戚一同に怒られましたから」
「……やっぱり」
「でもね、譲ってくれた叔母様だけは許してくれました。微笑みながら『お前は出来たのね、偉いわ』ってね」
「え?」
「叔母様もね、何度も『埋めてくれ』と言われる夢を見た事があったらしいですよ。それがきっかけで僕に人形を譲ったのだとも話していました。『私には埋めれなかった』とも」
「不思議な話ですね、同じ夢を見てたなんて」
「そうですね、本当に……。そのせいで僕は、まだあのやり取りが夢だったのか現実だったのか判断出来ないでいるんです。可笑しな話でしょう?」
「いいえ、素敵な話じゃないですか。埋めてしまわないといけなかったのは残念ですが、あの桜の樹が、今は夫婦として寄り添っているのだと思うとロマンチックだなと思います」
一蹴されると思っていたのに、優しい子ですね那緒は。
「でも一目見てみたかったなぁ、お人形さん」
「鏡を見るといいですよ。丁度今の那緒くらいの雰囲気でしたから」
「え?……そ、そうなんですか?」
「そうですよ。白い肌も、整った顔立ちも、美しい黒い髪も……全てね」
「私は、その人形に似ていたから好きになってもらえたって事でしょうか?」
しゅんとした顔をして那緒が俯く。
そんなはずもないのに、何をそんな。とは言っても、そう思われても仕方ないですよね、存在が先であったのは人形の方なのですから。
「いいえ。でも、どちらも僕の好みの姿であった事だけは確かですね」
ギュッと少し強めに那緒の華奢な身体を抱きしめる。それに応えるように、彼女も僕の着物を掴んできた。
「大丈夫ですよ、僕には那緒しかいません」
言い聞かせるように、囁く。
「愛していますよ、那緒だけを。今までも、これからもずっと」
一呼吸おき、言葉を続けた。
「命果てようとも、側に居ると誓いますよ」
瞼を閉じ、那緒の唇へ誓うように口付ける。舌をも入れたい衝動が沸き起こるが、それはグッと堪えた。
いつも性欲に任せていては、大事にしたい気持ちが疑われる気がしたので。
「僕には那緒しか愛せません。それだけは、絶対に疑わないで下さいね。那緒は僕の全てなのですから」
抱きしめたままそう言う声に、那緒が嬉しそうに軽く微笑んだが、すぐに少し困ったような顔になった。
「……どうしました?」
キョトンとした声で訊いても、答えが返ってこない。ただ黙ったまま身体をもじもじとさせるだけだ。……まさか。
「抱きしめて欲しかったりします?」
意地悪い声色で、そっと耳元にそう囁く。
すると、桜色だった頬が林檎の様に真っ赤に染まり、逃げるように僕の腕の中から必死にもがいて出て行こうとした。
抱き締める腕に力を入れ、それを止める。
「いけない子ですね、那緒は」
小さな声でそう言い、軽く耳を噛んだ。
「んあっ」
可愛い声が漏れ、抑えようとしていた熱い衝動が胸に沸き起こる。
「那緒は愛情を身体に教えて欲しいタイプなのですね」
「ちがっ」
「違わないでしょう?僕はこんな事しようとは思ってなかったのに」
「だ、だっていつもこういう時って大和さん……今日はまだだし……キスとかするし……」
真っ赤になりながら、必死に言い訳の言葉を探す那緒が、可愛くてしょうがない。
「毎日抱いて欲しいという事ですね、わかりました」
「っち、ちがうの!」
「じゃあ、抱いて欲しくはないと?」
「……いえ」
ため息をつき「素直じゃありませんねぇ」とぼやいて見せると、必死に僕の首に腕を回し抱きついてくる。
「す、す……」
「すす?」
「す……すすす」
何が言いたいのかはわかるが、緊張し過ぎて言葉に出来ないといった感じだ。相変わらず言葉にするのが苦手なようですね、身体は正直だというのに。
「『好き』ですか?」
「それです!」
「僕も大好きですよ、那緒」
気持ちを確認するように唇を重ね、舌を絡めた深い口付ける。漏れ聞こえる互いの声が部屋に響き、気分を高揚させた。
「くふぅ……んっ……ふぁ」
何度交わしても呼吸を上手く出来ないでいる那緒が、苦しそうに口を離した。うっとりした表情で、力なく僕の腕に身を預ける。
「ここでは背中が痛くなってしまいますね、僕の部屋に行きましょうか」
その言葉に、コクッと頷く那緒をお姫様抱っこで抱え、小さな和箪笥だけが置かれた部屋を後にする。
縁側を通り自分の部屋へと向う時、一瞬刺さるような視線を感じ、即座にその視線の感じた方向を見た。
客?
そう思ったが、見た感じ誰もその方向には居ない。
「……大和……さん?」
睨みつけるような表情をしている僕に、那緒が不安げな声をかけてきた。
答える事無く視線の正体を確認しようと思ったが、何度見回しても、そこにあるのは桜の樹と小さな植木や花壇のみ。
気のせいですかね……。
「すみません、何でもありませんよ」
那緒を安心させるように微笑みながらそう答え、自分の部屋へと歩く。
……やっぱり視線を感じる。でも、最初よりも優しい感じだ。何か、見守られているような。夢の中で感じるような、暖かな眼差し。
『 ほどほどにな 』
「え?」
立ち止まり、そう声を漏らすと那緒がビックリした顔をした。
「どうしました?」
「今、何か言いましたか?」
「私がですか?……いいえ、何も」
じゃあ、幻聴ですかね……。
「ごめんなさい。気のせいだったようです」
そう言いながら、那緒に襖を開けてもらい部屋の中へ入る。襖を閉めた時、少し強めの風が外で吹き、木々の枝が揺れた。
その木々の揺れる音が、懐かしい声でクスクスと笑う声に聴こえ、那緒を畳へと下ろそうとしていた動きが止まった。
那緒の顔に不安げな表情が浮かぶ。
当然といえば当然か、明らかにさっきから挙動不審なのだから。
「……からかわれている気がしてなりません」
「まさか、人形に……ですか?」
「人形と桜の両方にです」
眉間にシワをよせそう言ってしまったが、変な事を言うやつだと気味悪がられてしれないと、今更後悔した。
だが那緒は心配そうな顔で「やめましょう?見られてるみたいで気になるでしょうし」と真剣に答えられてしまった。
「変な奴だとは思わないんですか?」
「大和さんが何かを感じるなら、それは本当に起こってる事です。私には感じないからそんな事は有り得ないだなんて思ったりなんかしませんよ。見えなくても存在するものの方が遥かに多いのですから」
見えなくても存在する。そうですね……僕が好きなった人が、貴女であって本当によかった。そう思う心も気持ちも、そういえば、目に見える物ではないのですものね。でも、確かに存在する。
愛しい気持ちも、触れたくてしょうがないと感じる衝動も、全て存在するんだ。
「見せ付けてやりましょう」
「はい?」
「奴等にですよ。もう見てられないと思うまで、見せ付けてやりましょう」
那緒を部屋の畳の上にそっと下ろし、閉めていた襖を開ける。
「い、嫌ですよ!誰かに見せ付けるだなんて」
慌てて立ち上がり、那緒が必死に襖の方へと腕を伸ばして閉めようとする。
「那緒は何も感じていないのでしょう?なら気にする必要はないじゃないですか。これは僕の自己満足ですよ」
「誰か来たらどうするんですか!勝手に上がって来そうな友人が大和さんには大量に居るのにっ」
「見せてやればいいじゃないですか。那緒は僕のものだって皆知っているのだし」
「いっいやですっ‼︎」
「嘘ですよ、友人になんか絶対に大和のいい顔なんか見せてあげません!」
ギュッと那緒の身体を抱き締め、頬に口付ける。首筋をゆるりと指で撫でながら、なぞるように舌を這わせた。
吐息を漏らしながら背を反らせる那緒が倒れないよう支えながら、白い鎖骨を撫でる。
「一番綺麗な顔も、可愛い顔も全て僕だけのものですよ。誰にも渡しません」
鎖骨を撫でていた指を下へ下へとおろし、服の上から胸の硬く突起した部分に触れた。
「僕以外の誰かになんか、絶対に触らせてはいけませんよ?そんな事したら……いくら君でも、どうしてしまうか僕にもわかりませんから」
漏れる吐息をおでこに感じながら、手をどんどん下へと這わせる。
「お願いです、襖をしめ……て」
泣きそうな声で那緒が懇願する。
「どうぞ」
動きを止める事無く許しを与えると、腕を伸ばして那緒が部屋の襖を閉めた。それを機に畳の上へと彼女を押し倒し、覆いかぶさるように身体を寄せる。
身体のラインを確認するように手を這わせ、下へ下へと移動させたが、肝心の事を忘れていた事に今更気がついた。
「……そういえば、布団がまだでしたね」
ぼそっと呟くと、那緒が状況に似合わない声で笑い出した。
「そんな声で笑わなくてもいいじゃないですか」
少し拗ねた顔で、下にいる那緒に言う。
「ごめんなさい。こんな時でも気遣ってくれてるのが嬉しかったんですが、嬉し過ぎて変な声で笑っちゃいました」
「嬉し過ぎて大笑いって……変な子ですね、那緒は」
「大和さんはありません?嬉しいと笑っちゃう事」
「気持ちはわかりますが、今の状況でその大笑いはさすがにありませんね」
「やだ……本当にごめんなさい……私ったら」
右手で口元を隠し、申し訳なさそうな顔をする。
「怒ったりなんかしてませんよ。ちょっと驚いただけです。まだまだ知らない一面がある事にね」
「ふふ、私は奥深いですよ?死ぬまで全部なんか見せてあげないんですから」
「何故です?僕は那緒の全てを知りたいのに」
「女に秘密は付き物です。その方がきっと楽しいですよ」
「暴いていくのが楽しいかもしれませんね」
「でしょ?私も今日は大和さんの不思議な一面が見られて嬉しかったですし」
「不思議……でしたか」
「人形とお話した話しでしたからね、男性からはなかなか聞ける話じゃないですよ」
「まぁ……確かに」
「ずっと一緒に居るせいか、あまり互いの会う前の話とかってしないでしょう?それを聞けた事も嬉しかったです」
ニコッと那緒が微笑む。
「やっぱり那緒は、有り得ない話だと否定はしないんですね」
「しませんよ、大和さんの言葉は全て信じていますから」
「那緒は僕の嬉しい言葉ばかりを僕にくれますね」
「大和さんも、私の嬉しい言葉しかくれませんよ」
「意地悪い言葉も?」
那緒の額に額を重ね、クスッと笑いながらおう言うと、照れくさそうに「そうですね、それも含めてです」と答えてくれた。
上半身をゆっくり起こし、那緒に手を差し出す。
少しきょとんとしか顔をされたが、差し出す手に手を重ね、掴んでくれたので、身体を起こしてあげた。
「今日は、もっと色々話しませんか?肌を重ねて伝えられる事も多いですが、言葉ではないと伝えられない事もいっぱいありますからね」
「萎えちゃいましたか」
「そういう言葉は言っちゃいけませんよ」
口元に人差し指をあてながらそう言うと、那緒が少し肩を竦めた。
「僕の前以外では、ね」
それからは、一緒に料理をして、それを晩御飯代わりにつまみながら、夜中まで色々な話をした。
思い出話や二人が会う前の事。
大学や職場での経験。
こんなにじっくり腰をすえて話したのは、もしかしたら初めてだったかもしれない。互いを意識し始めてからは、何となく話す事を避けるような事も多かった。
声を出せば、自分の気持ちが相手にバレてしまう気がして怖かったから。
想う気持ちが大きくなり過ぎていて、自分の中で爆発してしまいそうだったから。
決して想いを打ち明けてはいけない、してはいけない存在だと思っていたから……。
縁側に座る僕の膝を枕代わりに、規則的な寝息をたてる那緒。そんな彼女の頬をそっと優しく撫でると、葉桜になっている桜の樹に誰かの気配を感じた。
驚く事無く顔を上げると、小さな人影がそこのはあった。
「こんばんは、久しぶりですね」
少し遠いが、那緒を動かしてまで側に寄ろうという気にもなれずその場で声をかける。
「覚えていてくれていたのじゃな」
「何度も夢に見てますからね、忘れようがありません。忘れたりなんかもしませんよ。そうであるうちは、貴女は僕の側にいてくれている事になるんでしょう?」
「そんな必要はないじゃないか、御主にはもうかけがえのない存在がおるというのに」
「ええ。貴女の言うとおり、とても美しい女性に成長しましたよ」
「そうでなくとも、愛したであろう?それほどまでに内面に惹かれておるのだから」
「言うまでもありませんね、那緒だから愛したのですから」
「そうか……安心した」
そう優しく微笑む笑顔が、何だか子供を見守る母親のように見えた。
「貴女は、幸せですか?」
「言うまでもなくな」
今度は嬉しそうな微笑を見せてくれ、ホッとした気分になった。
「お前達と同じくらいは幸せだよ」
「じゃあ相当幸せだという事ですね、安心しました。手放した甲斐があります」
「御主は変わらないな」
「ありがとうございます。褒め言葉として受け取っておきますよ」
「……いつまでも、幸せにな」
「まるで……最後のお別れみたいな言い方をしますね」
「ああ、もう会うのはこれっきりにしようと思ってな。残念か?」
「そうですね、少し」
「悪いな、あまり気にかけ続けると奴が拗ねるんだ。御主ならわかるだろう?」
少し困った顔をしているが、でもその奥には幸せそうな感情を見て取れる。嫉妬されて嬉しい、そんな感じが伝わってきた。
「なるほど。じゃあ僕ももう、二度と今日みたいには邪魔をされないという事ですね」
「ああ、そうなるな。しかしあれ程度に気がつくとは、相変わらず凄いな御主は」
「何がどう凄いのかはわかりませんが、邪魔されない事だけは嬉しく思っておきますよ」
クスッと小さな微笑を浮かべると、人形が桜の樹に触れた。
「見守っているよ、いつまでも。御主達『家族』をな。一生ここで、二人で」
「……ありがとう」と言いながら軽く手を上げると、それに答えるように人形も片手をあげてくれた。
あの日、別れ際に巻いた帯と同じ柄の地味な着物姿で。
——ゆっくり瞼を開けると、膝の上には穏やかな寝息の那緒が居る。
夢とも現実ともつかぬ、不思議な感覚だった。
人形を埋めたあの日みたいな感覚が、身体に残っている。
確認する手段はない、する気もない。でもきっと、もう二度とあの人形の夢をみる事はないのだろうなとだけ心の中で感じだ。
だけど悲しいとかは思ったりしない。何よりも大事な存在が僕にはいるのだから。
人形相手なんかじゃ出来ない事が一緒に出来る、貴重な存在が。
笑い、悲しみ、時には苛立ちを感じる事もあるかもしれないけれど、一緒に年を重ねていける存在が。
「好きでしたよ、でもさようなら。そして……僕達家族の側に、居てくれてありがとう」
ボソッと小さく呟き、那緒の頬へと口付けを落とす。
「でも、那緒の方は手放しませんからね、絶対に」
口付けた頬をそっと撫でながら、そう呟く。すると、風も吹いてないというのに桜の枝がざわざわと揺れた。
その音に混じり『 お幸せに 』と、男性の様な声が混じって聴こえた気がしたが……その事は、きっと那緒が目を覚ましても話す事はないだろう。
僕にも、君のように秘密があった方が楽しいでしょうからね。
【終わり】
11
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
冷淡だった義兄に溺愛されて結婚するまでのお話
水瀬 立乃
恋愛
陽和(ひより)が16歳の時、シングルマザーの母親が玉の輿結婚をした。
相手の男性には陽和よりも6歳年上の兄・慶一(けいいち)と、3歳年下の妹・礼奈(れいな)がいた。
義理の兄妹との関係は良好だったが、事故で母親が他界すると2人に冷たく当たられるようになってしまう。
陽和は秘かに恋心を抱いていた慶一と関係を持つことになるが、彼は陽和に愛情がない様子で、彼女は叶わない初恋だと諦めていた。
しかしある日を境に素っ気なかった慶一の態度に変化が現れ始める。
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
一条さん結婚したんですか⁉︎
あさとよる
恋愛
みんなの憧れハイスペックエリートサラリーマン『一条 美郷(※超イケメン)』が、結婚してしまった⁉︎
嫁ラブの旦那様と毒舌地味嫁(花ちゃん)....とっ!その他大勢でお送りしますっ♡
((残念なイケメンの一途過ぎる溺愛♡))のはじまりはじまり〜
⭐︎本編は完結しております⭐︎
⭐︎番外編更新中⭐︎
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
五年越しの再会と、揺れる恋心
柴田はつみ
恋愛
春山千尋24歳は五年前に広瀬洋介27歳に振られたと思い込み洋介から離れた。
千尋は今大手の商事会社に副社長の秘書として働いている。
ある日振られたと思い込んでいる千尋の前に洋介が社長として現れた。
だが千尋には今中田和也26歳と付き合っている。
千尋の気持ちは?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる