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本編

【第五話】森への旅路

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 あれから各人準備を万全に整え、ロシェルとレイナードは昼食後にはシュウと共にサビルィとも合流し、二人と二匹のパーティーで黒竜の鱗探しの旅へ出発する事にした。
 神殿の住居スペース側にある玄関ホールへと集合し、メンバー全員が顔を合わせる。その頃にはもうロシェルはいつも通りのとても穏やかな雰囲気に戻っており、レイナードを少し安堵させた。影を感じたのは自分の気のせいか、もしくは旅に対しての不安が表に出ていただけだったのかもしれないとも考えた。
「準備はいいか?ロシェル」
 イレイラの用意してくれた、無駄に勇者感たっぷりの濃紺色をした鎧に身を包み、肩には重量のある野営道具一式が入る鞄を引っ掛けたレイナードがロシェルへ訊いた。
 同じく母に用意してもらった白いローブを着込んだロシェルが、嬉しそうにレイナードを見上げ「もちろんよ、いつでも行けるわ」と両手をギュッと握りながら明るく答える。
 レイナードの鎧と対になる様デザインされたローブは、白を基調とし濃紺色の糸で竜や狼の刺繍が袖や裾に施されていた。頭を覆うフード部分には羊の角が両サイドに銀糸で大きく刺繍されてあり、カイルの娘である事を連想させた。ローブの下に着る同色の長いワンピースは胸元が少し大きく開かれており、背の高いレイナードの視界に谷間がバッチリ見えてしまう。ロシェルの方を見るたびに、彼女の綺麗な谷間が視界の端で自己主張し、彼は少し困った。
 以前見た淫夢を少し思い出してしまい、無駄に咳き込む。
「だ、大丈夫?シド」
 そんな彼を心配し、側へと駆け寄るロシェル。腕にしがみつき、体がレイナードの鎧に触れる。鎧越しでは彼女の体温や柔らかさを感じられず、彼は少しガッカリした気持ちになってしまい、そんな自分に驚き、更に激しく咳き込んでしまった。
「ははは!とんだアホだな、お主は!」
 首に二人と揃いの、濃紺色をしたスカーフを巻いた白梟のサビィルが羽音もたてずに天井近くをくるくる飛びながら笑っている。同じスカーフを巻いたシュウは、ロシェルの頭の上で不思議そうな顔をしながらレイナードを見詰めていた。
「だ、大丈夫だ」
 喉を押さえ、少し涙ぐみながら答えた。咳払いをし、色々誤魔化すように背筋を正す。『では、行こうか』とレイナードが言おうとした時、神殿内へと続く廊下の方から賑やかな声が聞こえてきた。
「何かしら?」
 物音に対し同時に気が付いたロシェルが、声のする方へ顔を向ける。同じ様にレイナードもそちらに視線をやると、驚きに目を見開いた。
 カイルとイレイラ。それ以外にも、神官や使用人達がゾロゾロと大所帯でやって来たのだ。
「見送りに来たの、いいでしょう?」
 そう言ったのはイレイラだった。カイルに横抱きにされ、ニコニコと笑っている。
 足でも痛いのか?大丈夫だろうか。
 心配そうな顔でレイナードが二人を見ていると「父が離さないの」とロシェルが彼の頭の方へ精一杯背伸びして、耳元にはとどかないまま小声で教えた。
「『少しでも近くに居たい』を、体現した夫婦なのよ」
「生活しづらくないのか⁈」
 子供が内緒話をするように、二人で顔を寄せ合って言葉を交わす。
「確かに。母さんは少し大変そうね。父さんは……見ての通りよ」
 苦笑いしながらロシェルが両親の方を見やる。その先では、カイルが幸せそうな顔でイレイラの頭に頬擦りし続けていた。
「ははは……」と、レイナードが乾いた笑い声をあげた。
「両親みたいな夫婦は色々難しいだろうけど、あんなふうに深く愛し合う夫婦にはなりたいわ」
「……夫婦」
 そうだった、ロシェルはいずれ数ある縁談から結婚相手を選ばねばならない事を忘れていたレイナードがその事実を思い出し、一気に複雑な心境になった。でも、そんな事を思ってしまう理由がわからぬまま、レイナードはカイル達を見詰めた。
「いいよな……」
 ボソッと出た呟きは、紛れも無い本心だ。互いに愛し合う夫婦の姿はまさにレイナードの理想だった。だが、いつか自分もとは彼は今思ってはいない。でも、ロシェルには、その憧れを叶えてもらえれば……。
 彼女の隣に、自分の知らぬ者が並ぶ。そう考えると顔付きが自然と険しくなった。
「気を付けて行って来てね。無茶はしないでよ?」
「わかっているわ、母さん」
 ロシェルとイレイラが言葉を交わす。
「娘を頼むね、レイナード。何かあっても、怒ったりしないから僕達の事は気にしないで好きにして!」
 その言葉を聞き「ちょっとカイル!」とイレイラが彼の胸をパシッと叩いた。
「あまり直球な事は言うなって言っておいたじゃないっ」
「え、この程度じゃ絶対に伝わってないって」
 横抱きで距離が近い事を最大限に利用して、ロシェル達に聴こえぬ声でコソコソと内緒話を夫婦が交わす。
「そうかもしれないけど!」
 何かを小声で話しあっているカイル達を不思議に思いながらロシェル達が首を傾げっていると、神官・エレーナが助け舟を出した。このままにしていては、いつまで経っても出発できない。
「さぁ、あまり遅くなっては大変ですわ!もう出発しませんと」
「そうだね、行ってらっしゃい二人共」
 カイルが優しい笑みを浮かべ、送り出す。
「行って来ます。母さん、父さん!」
「では、お預かりいたします」
 ロシェルに続き、レイナードが皆に向かい軽く頭を下げる。
「お帰りをお待ちしております。お怪我の無いように」
 神殿へ残る者達が皆、口を揃えてそう言い頭を下げた。そんな彼等に向かい、二人とシュウが手を上げて応えながら玄関ホールを出て外門へと向かう。
 サビィルも「行ってくるぞ!」と、庭で待機していた番の梟と子供達に大声で告げ、ロシェル達の後へと続いた。

 大きな門から彼女達が出立する様子をじっと見ていたカイルとイレイラ。
「ねぇ、あの二人今回の旅でくっつくと思う?」
「どうかしら……明らかに一目惚れ同士なのに、どっちも気が付いていないものね」
 イレイラがボヤき、息を吐いた。
「レイナード様にいたっては、どうも自分の容姿を気にして何歩もロシェルから引いてる感じがするし」
「え?そうなの?何で?」
「元の世界の美的基準が私達と違う……とか?」
 うーんと唸りながら答えの出ぬ話を始めたカイル達を見て、エレーナがクスッと笑った。
「それに関しては、思い当たる事がございますわ」
 そう言ったエレーナに向かい、カイルがイレイラごと体を向ける。
「セナがこの間『同性にモテ過ぎて、過剰に守られていたのでは?』と話していましたわ」
「あー…」と声をあげる男性陣。
 使用人達まで『わかるわー』と言いたげに頷いている。
「まあ、ただ単に流行とは違うからではないかしら?と私は思いますけどね。レイナード様、とっても素敵な方ですけど、特化型ですから」
「あー…」と今度は使用人も含んだ女性陣が一斉に声をあげた。
「そのへんの真相は確かめようがありませんが、あのお二人が上手くいく旅となれば良いですわね」
 そう言い、話をまとめたエレーナの言葉に一同ただただ頷くばかりだった。

       ◇

「まずは、転移ポータルへ行くぞ」
 この世界を一番旅し慣れているサビィルが、二人と一匹に最初の目的地を伝える。
 転移ポータルは神々が残した古代遺産の一つで、この広過ぎる世界の主要都市の付近には必ずある転移魔法ポイントだ。未開拓の地が圧倒的に多いこの世界では、国家間の移動は主にこの遺跡を使用する。
 巨大な六角柱の姿をしたそのポータルは古代文字が彫られた黒曜石で作られており、管理者から行き先を示す文字の描かれた鍵を受け取り遺跡に触れれば、目的地まで一瞬で飛ぶ事が出来る。鍵の保有者と紐などで繋がっていれば、馬車などの同時移動も可能な優れものだ。
「神殿の側にも転移ポータルはあるんだ。神殿は特別な場所だからな。そこから最北の都市バルドニスを目指す」
「ポータルまではどのくらい?」
「十分程度だ。近いぞ、良かったな」
 サビィルとロシェルのやり取りを、シュウとレイナードが不思議そうな顔で聞いている。さっぱり意味がわからなかった彼等だが、訊いてもわかる気がしない。知らなくても問題無いだろうとただ森の中をロシェルに寄り添って歩いた。
「シド、転移ポータルでの移動経験はある?元の世界では……どうなのかしら」
 ロシェルの発した言葉の語尾が少し暗くなった。彼の帰るべき場所を思うと、気持ちが落ち込む。
「魔法自体が無い世界だからな。転移ポータルってやつも無かった」
「それは不便だな!ここでは私のような梟族でも使う程、当たり前の物なのに」
 サビィルが驚いた声をあげた。
「移動手段は主に馬車か徒歩などだな」
「街へ着いてからは、私達もそうなるぞ。森までは馬で行く。そこからは徒歩で鱗を探す」
「鱗?誰の鱗を探すの?」
 ロシェルがそう問うと「知らずに来たのか!」とサビィルが叫んだ。
「黒竜の鱗が必要らしい。住処のある森まで探しに行くのが、今回の目的だ」
「それで、シドが何度も危険だと言っていたのね」
 サビィルが「今更か!相変わらずだな、ロシェル」と声をあげて、レイナードの肩へと留まった。呆れたと言いたげに頭を振り、顔を翼で隠す仕草はまるで人間の様だ。
「ご……ごめんなさい。シドと一緒に行きたい一心で他の事まで、知ろうとする余裕が——」
「おぉ、愛されてるな!レイナード!」
「あぃ⁈」
 レイナードが驚き、サビィルへ顔をやる。
 ロシェルは思いもよらぬ言葉にただ「……え?」と声をこぼしただけだった。
「お、見えてきたぞ。あれだ」
 そんな二人をサラッと流し、サビィルが言った。
「街と違って、ここは並ばずに使えるのがいい」
 サビィルが頭を縦に振って、うんうんと言いたげな仕草をする。
「この転移ポータルは、神殿に勤めている者か私達家族しか使えないの。神殿の中にも、他の神殿へ移動出来るポータルの様な移動用魔法陣があるわ。互いが繋がっていれば、だけど」
「べ、便利だな」
 レイナードは声が上擦りながらもそう感心してみせたが、先程のサビィルの言葉が頭に引っかかり離れない。何を戯言をとは思うのだが、なかなか気持ちが切り替えられない。
「鍵は持ってきたわ、これよ」
 ロシェルは腰につけたベルトポーチから緑色に薄っすらと光る鍵を取り出す。その鍵を手に握ると、レイナードへ向けて空いている手を差し出した。
「て……手を握って、シド」
 そう言うロシェルの顔が赤い。先程のサビィルが言った一言は、彼女の心にも引っかかったままだったのだ。
「あぁ」と答え、レイナードがロシェルの差し出す手に手を重ねる。無意識にギュッと握り、彼は手に感じる体温に安らぎを感じ、ふっと笑みをこぼした。
 その表情を見て、カーッとロシェルの顔が更に赤くなった。あわぁぁと、言葉にならない無音に近い音がロシェルからあがる。
 そんな二人の初心過ぎるやり取りにサビィルは呆れた顔をし「もう時間の無駄だ!行くぞ!」と叫び、レイナードの背中に向かい飛んで蹴りを入れた。
 突然の事にバランスを崩すレイナード。前へと倒れる体を支えようと、彼は咄嗟に転移ポータルへ手を伸ばした。その手が石へと触れる前にサビィルは彼の肩へと再びしがみ付き、シュウはロシェルのフードの中へと潜り込み、鍵を持つロシェルは反射的に倒れこんで行くレイナードの体へと抱き着いた。
 そんな混乱状態の中、レイナードの手が転移ポータルに触れた瞬間、彼等は一瞬にして目的地である『最北の都市バルドニス』へと移動して行った。

       ◇

「……——シド、シド」
 何度も声をかけるが、彼が目を開ける気配がない。
 都市バルドニス近郊にある転移ポータルがある広場の木陰の下。等間隔に並ぶベンチの一つに私は今座っている。隣に横たわるシドは、私の膝に頭を預けて眠り、シュウとサビィルはそんなシドのお腹の上で彼につられてお昼寝中だ。
 私の膝枕で規則的な呼吸を繰り返すシドの顔をじっと見詰めていると、心臓が少しだけ鼓動を早めた気がした。
 苦労を重ねてきたからなのか、眉間にいつもシワが入った表情をしているシドは、眠ると少し子供っぽい雰囲気になると初めて知った。左目の上には大きな切り傷が残っていて痛々しいが、彼には妙に似合っていてカッコイイなとも思ってしまう。よく見ると小さな傷跡が他にもあって、戦争をしていたと話していた彼の言葉を嫌でも思い出させた。
 そっと彼の頰に触れると、シドが少しだけピクッと震えたが目を開ける事は無かった。
 全く知らない世界にいきなり引っ張られてしまったのだ、日々の疲れが出たのもあるかもしれない。それが自分の我儘のせいだと思うと心が痛んだが、事故でもこの出逢いには感謝しかない。『言ってもわかってはもらえない』と気遣いながら話さなくてもいい相手に逢えたから……だけ、なんだろうか?わからない。
 彼の肌に触れ、自分とは違う硬い質感をこっそり堪能していると、ギュッと胸が苦しくなり口元がふにゃぁと緩む。短く切りそろえてあるシドの髪に触れると、意外に柔らかくて、いつまででも撫でていたくなる。
 膝に感じる重さは、私に彼が側に居る事の安心感を与えると同時に一人の異性である事を意識させた。
 貴方は……使い魔では無く、一人の人間なのね。
 父からシドは『召喚に巻き込まれただけだ』と聞いた時は、本当にショックだった。
 じゃあ、何故彼は私の使い魔のフリをしてくれているのか、と。
 会ったその日に『友達が欲しい、だから使い魔を召喚してもらった』なんて話した事が原因だとしか思えない。私の子供じみた望みを叶えようとしてくれているシドの優しさは、私の心を締め付ける。
 呼吸が苦しくなったり、胸が痛くなったり、口元が変に緩んだり……随分と私の体が騒がしい。
この感じは何なんだろうか?
 答えがわからないまま彼を見ていると、シドの口元がほんの少し開いた。口の中の白い歯がチラッと見えて、無性に触れたくなってきた。止める者が居ないのを良い事に、指先でシドの赤い唇をつぅとなぞる。温かな吐息を指に感じ、しっとりとした唇がやけに美味しそうな果実の様に思えてきた。どんな味がするの?なんて、不謹慎な事を考えてしまいながら指先で彼の唇を撫で続ける。人差し指、中指、薬指……と、指頭や手の甲で撫でていると、私が彼に愛撫でもされているみたいな雰囲気になってきた。
 何をしているんだ、私は。
 そう思うのに、心地よくて堪らず止められない。先程の比では無い程呼吸が乱れ、無意識のまま私がシドの唇へ顔を寄せたその時だ——
 シドの目がパチッと見開かれ、至近距離で目が合った。
 無言のまま見詰め合うシドと私。
 彼は状況を掴めず、私は自分の行いの不謹慎さに固まってしまい動けないといった感じだ。
「……ロシェル?」
 か細い声で呼ばれ、私は慌てて上体を起こし唇から手を離した。
 後ろめたさから私は降参のポーズをとり、何もしていないアピールをする。口元を引き結び、羞恥に耐えた。
 お願い!何をしていたのかなんて気が付かないで!
 必死に心の中で叫んでいると、シドが「ここは?」と視線だけ周囲にやりながら訊いてきた。
「さ、最北の都市バルドニス近郊にある転移ポータル広場です。シドは魔法酔いしたみたいで、ここへ飛んですぐにフラついた足取りでベンチまで行き、眠ってしまったんですよ」
 声が上ずってしまったが、その事は追求しないで欲しい。
「……魔法酔い?」
「えぇ。魔力にあまり触れていない者がたまになる現象です。シドはまだ魔力不足なので、転移ポータルの魔力に酔ってしまったのでしょうね」
「なるほどな」
 シドが納得したという声色でそう言うと、自分の腕を目の上に置いた。まだ少し気持ち悪いのかもしれない。
「水でも飲みますか?」
「いや、大丈夫だ。もう少しこのままで……」
 あら、このままでいいの?嬉しいわ。
 そう思って微笑むと、シドが「……ん?このまま?」と小声で言った。そっと目元を隠していた腕を動かし、私を見上げる。再び目が合い照れ臭い気持ちになっていると、シドの顔色が急激に悪くなっていった。
 さっと頭を動かし彼が私のお腹を見た瞬間、シドは慌てて上体を起こし「すまない!こんなっ‼︎」と周囲に迷惑だと思う声で叫んだ。
「ぎゃっ!」
「ビャッ!」
 シドの上で寝ていたサビィルとシュウが同時に声をあげ、彼のお腹から地面に転げ落ちた。
「大丈夫?二人とも!」
 サビィルはすぐに体勢を立て直し「急に飛び起きるとは何事かっ」と文句を言ったが、シュウは地面でベタッと倒れたまま不貞腐れた様な雰囲気を漂わせている。
「悪い、つい」
 首の後ろをさすりながら、シドが謝罪する。
「どれくらい寝ていた?」
 周囲を見ながらシドが私に尋ねた。
「二、三十分程度ですよ」
「そんなにか!」
 彼がそう叫んだと同時に顔が真っ赤に染まり、林檎の様になった。……可愛い。
「本当にすまない、重かっただろ?」
「いえ、心地よかったわ」
 シドを安心させたくて微笑みながらそう言うと、彼が「こ、ここちいぃって!」なんて言葉をこぼしながら口を手で素早く塞いだ。
 何を慌てているのかしら?もしかして、私が沢山シドに触れていた事に気が付かれた?
 そう思うと変な汗が額から滲み出る。
「もう動けるか?動けるならもう行くぞ、暗くなる前には森の前までつかねば」
 すっかりリーダー役となったサビィルがそう告げたが、欠伸をしていてまだ眠そうだ。
 シュウは機嫌を持ち直したのか、私の肩へと飛び乗り、フード越しに頭を擦り付けてきた。
「あぁそうだな。すまない俺のせいで」
「いいのですよ、無理はいけませんから」
 私の言葉にシドが微笑んで返してくれ、キュッと私の胸の奥を掴まれた気がした。
 彼がベンチの側に置いてあった大きな荷物と大剣を持ち上げ肩に掛けると、サビィルがシドの頭へと留まった。
「転移ポータルの近くには必ず、馬車を貸し出す店や旅路を支える商店などが並んでおる。そこへ行き馬車を借りるぞ。金の心配は無い、全て主人あるじ持ちだ!」
 梟なのに踏ん反り返ってみせる姿が愛らしい。が、費用が全て父の負担であるという事はこんなに威張って言う程の事なのだろうか。
「わかった。旅慣れしていてお前は頼もしいな」
「ふふん。そうじゃろうそうじゃろう?お礼に撫でてくれても良いのだぞ?」
「あぁ、わかったよ。後でな」
 ムフムフと変な笑い声をあげるサビィル。彼が両親以外にここまで懐くのは珍しいので、見ていてちょっと楽しかった。
「さて行きましょうか。馬車屋はあちらみたいですよ」
 転移ポータルの前に出来ている順番待ちの人垣の奥に、それっぽい看板が見えたので私はそれを指差した。
「よし、じゃあ行ってみるか」
 シドの言葉に同意し、私達は店の立ち並ぶ方へと歩き始めた。


 呼び込みの声が通り中に響いていて、とても賑やかだ。転移ポータル付近は自然と人が集まるので、商店も必然的に多く賑やかになる。逸れては大変なので、私はそっとシドの持つ鞄を掴んだ。
「こう多くては、どこがいいのか迷うな」
 周囲を見渡しながら、シドがボヤいた。
 サビィルも流石に店には詳しくないらしく、肩の上で「好きにしろ、どこもサービスはいい」と言い欠伸をするばかりで、選ぶ事に関与する気は無いらしい。自分も絞る基準を持っている訳ではないので黙って彼について行く。全く役に立っていない事に、少し不安になってきた。
 せめて自分も何か出来ないかと周囲を見ていると「あら!そこのローブ姿の可愛いお嬢さんウチへ寄って行きなさいな!ウチの子はみんな勇敢な子ばっかりよー」と声をかけられた。
 気さくな店主の雰囲気に、その店はどうだろうか?と思い私はシドの鞄を引っ張った。
「ん?どこかあったのか?」
 立ち止まり、私の方へと振り返るシド。
「あの店はどうかしら?」
 私を指定して声をかけてきた店の方を指差すと、店主が手をふってこちらに合図をしてくれている。恰幅がよく、ザ・オカンな彼女が「ほら!こっちよー」と声をあげた。
「そうだな、そうしようか」
 断る理由が無かったのかシドは簡単に同意してくれ、私達は一緒にその馬車屋へと向かった。
「いらっしゃい!お似合いの夫婦ね、可愛らしい奥さんを連れて新婚旅行かしら?あ、お探しは馬車?それとも、馬だけかしら?」
「新婚⁈」
 顔を真っ赤にして、シドと私は同時に叫んだ。そんな私達の声のせいで周囲が一瞬静かになったが、すぐに喧騒が戻った。
「あ、あの私達べ、別に新婚では……」
「彼女は俺の主人であって、俺達は新婚という訳では」
 言葉が被さる事も気にせず否定する私達に向かい、不思議そうな顔を向ける店主だったのだが、「あぁ!身分差の恋で駆け落ちなのかい?」と的外れな事を言い出した。
「ち、ちがっ!」
 またも同時に叫んだが、ずっと大人しくしていたサビィルが口を挟んできた。
「もう良いではないかそれで。サッサと借りてもう行くぞ!女将、度胸のある馬を一頭頼む。森まで行くからな」
「あいよ。ここいらでも一番ガタイのいい子がウチにはいるよー。ウチの店を選んで良かったわね!」
 ドンッと胸を叩き豪快に笑う店主。誤解が解けないまま彼女は店の裏へと行き、馬の用意を始めてくれた。


 サビィルと店主が支払い等のやり取りをしている間に、シドが借りる事になった赤毛の馬に荷物を縛り付ける。私が乗馬は得意では無いのを知っているサビィルの配慮で一頭しか頼まなかった事は理解できるのだが、新婚だなんて勘違いをされた後に二人で乗るのだと思うと、妙にソワソワしてしまった。
「あ、あのね……シド」
「ん?」
「私達って、傍から見ると……新婚に見えるのかしら?」
「あ、あれは、あれだ。えっと……常套句なんじゃないか?男女がいればこう言うみたいな」
 なんだ……そうなの。ちょっとその事に対し、何故か残念に思った。
「なるほど」
 納得し、頷く。そういう事か。
 本気で勘違いされた訳では無いのなら、わざわざ店内に戻って弁解する必要は無いだろう。
「しかし、サビィルは本当にすごいな。支払いの手続きまでやってのけるとは」
「彼が父の使いなのは商人達の間では周知の事なので、請求はそっちにねで済むとはいえ、確かにスゴイですよね。私も尊敬します。出る幕無しですもん私」
 肩をすくめて苦笑いしてしまう。鍵を受け取って来た以外まだ何も出来ていない事が気になって仕方がない。
「俺もまだ何もしていないな」
 そう言ったシドが、私の方へ近づき「気にする事は無い」と笑いながら後ろ頭をポンッと軽く叩いた。
「ロシェルは……俺に膝を貸してくれたじゃないか。充分助かったよ、ありがとう」
 照れくさそうな声色で言われたが、振り返った時にはもう顔を逸らされてしまっていて表情を見る事は出来なかった。でも、耳が赤くなっていたのでもしかしたら真っ赤な顔をしていたのかもしれない。

 ロシェルとシドがそんなやり取りをしていた時、サビィルも去った後の店内からそっとこちらの様子を見ていた者が居た。
「全くお二人ときたら……もっと押さないといけませんね」
 舌打ちをし、そう呟いた彼に向かい店主が声をかけてきた。
「あれで良かったのかい?もっと言ってあげたかったけど、私は役者じゃないからねぇ」
「ありがとうございます。無理を頼み、申し訳ありませんでした」
「いいのよぉ、楽しかったしね」
 丁寧に頭を下げる男に向かい店主が機嫌よくそう答えていた事を、ロシェル達はこの先も知る事は無かった。


「お前はバカなのか!」
 サビィルがシドに向かい大きな声で罵った。
「いや、だがしかし……」
 シドがひどく困った顔でサビィルに反論しようとしたが、彼の勢いに負けて口を噤む。
「急いでおると言っただろうが!一緒に乗る!早くっ!」
 バッと羽を広げて、抗議の声をあげるサビィル。シュウは馬の頭の上で尻尾を揺らし、出発はまだかとソワソワしている。
 私といえば、さて困ったわと思いながら一人馬に乗っている状態だ。
「ロシェルが一人で馬に乗ればいい、俺は走るから!」
「鎧を着て馬と並走し続けるとか、無理に決まっておろうがぁぁぁ!」
 怒りがピークに達したのか、サビィルがシドに向かい飛び蹴りを入れる。全く痛くは無さそうなのだが、シドは心の方へかなりダメージを受けたみたいだった。
「わ、わかった、わかったからそこまで怒るな!」
 何度も何度も飛んでは蹴りを入れ続けるサビィルを宥めるように、シドが言った。
「分かれば良いのだ」
 フンッと鼻息を荒げている様に見えるサビィルと、困惑顔のままのシド。そんな二人を、まだですか?と思いながら見ていると、シドが降参したと言いたげな顔でため息つを吐いた。
 口を引き結び、俯くシド。そのまま数秒硬直したと思ったら、覚悟を決めた顔で私の待つ馬の鞍へ足をかけて彼も乗ってきた。
「手綱をくれるか?」
 私の後ろに座ったシドがそう言ったので、私は言われるままに彼へ手綱を渡す。それを受け取ると彼は、私の背を包みこむような状態のまま馬を走らせ始めた。背中に当たる鎧の硬い感触。耳元には何となく彼の早い鼓動が聞こえる気がする。
 サビィルは怒り疲れたと言いたげな顔で私の前に座り、溜め息をついた。
 こんな大所帯を乗せても平然と速度を上げる馬はすごいなと称美したくなる。
「ここからしばらくは、森に向かってただ進むだけだ。道なりに行けば良いから迷う事も無いだろう」
 瞼を閉じてそう教えてくれたサビィルはもう寝る気満々にようだ。シュウは馬の頭の上で景色の変化を楽しむようにキョロキョロと周りを見ている。シドはというと、普段の険しい顔が悪化していて、眉間のシワがいつもより深い気がする。何をそんなに嫌がっているんだろうか?
「あの……シド。私、何かしましたか?」
 背後に顔を向けて、問いかける。やっと出発出来ても、気不味いままの旅など御免だ。
「……え?何故だ?」
「だって、一緒に馬に乗るのをとても嫌がっていたから」
「そ、それは……ロシェルが」
「私が?」
 やはり、私が一緒なのが問題なのか。
「あまり、俺が近いのは……嫌なんじゃないかと。近いから、かなり」
 そんな事?私から何度も腰や首に抱きついたりしているのに、どうして背中から抱かれるみたいになる体勢を嫌がるだなんて思う……ん?『抱かれるみたいな体勢』?
 あー‼︎
 それは、だ、大問題だった!
 やっと気が付いた。
 私今、シドにのかっ!
 あくまでも“みたい”であって実際に抱きつかれている訳ではないのだが、大差はない。この状態のまま森までの数時間をすごすのか!自分からじゃない、彼からだと思うと、擬似的抱擁に心臓が一気に五月蝿く騒ぐ。自分からだと巨大なクマのぬいぐるみに抱きつくくらいの気持ちだったのに、彼からだと意識しただけでそれが異性との抱擁に思えてきてしまい、顔が赤くなってきた。フードを被っているので、シドには顔が見えないのが救いだ。
「ロシェル、嫌ならやはり俺は——」
 これは『降りる』と続けようとしたと察知した私はすかさず「嫌じゃないです!時間も勿体ないですし、このまま行きますよ!」と自分に言聞かせる様に叫んだ。
 側にいて欲しく無いとか有り得ない。むしろずっと側に居たいと思うからこその、この旅だ。嫌がっているとか微塵も思われたくなど無い。
 背後から私の前にある手綱を掴んでいるシドの腕に、自分の手を置いてギュッと力を入れた。
「このまま、行きますよ!」
 大事な事なので、二度言ってみた。
 この状況を私は、『シドと離れたく無い』と願った事が叶った結果なのだと思う事にした。恥ずかしいとか、緊張するとか、そういった類の物はそっと胸に奥に仕舞い込んで。

 シドの視界に、常に私の谷間が入ってしまう事に気が付かないまま。私達は黒竜の住む森へと道中をひた走る事となった。
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