美しい世界を紡ぐウタ

日燈

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第三章 冬の休暇、別荘合宿

十七

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 その日は三人だけの晩餐だった。アルシャたちはまだ戻って来ない。いつもより静かなダイニング。流れる時間がゆっくりに感じた。

「アルシャって、いつカムナギになったんだ?」

 おれはふと口を開く。

「一学年のときです。今の君と同じときですよ」

 さすがのアルシャ。カムナギになれる最年少のときにしっかりなっていた。

「学生のうちは、それでも正式なカムナギではないのです。フィーデルでしっかりと学位を修めて初めて、一人前になれるそうで」

 だから学業もおろそかにできないのだとレルヒは語った。

「兄上やオルキさんも同じです。侍人ではありますが、まだ正式な文官や武官ではありません」

 そうだったのか。まだまだ知らないことがたくさんある。それが他人事ではないので、おれは神妙な顔つきになってしまった。
 こちらを向いて、ラルジュが口を開く。

「カムナギ試験を受けるには、学年一位の成績を取らなくてはならないという話はしたね」

 おれはこくりと頷く。

「それだけでは試験は受けられないんだ」
「え?」
「大抵、学年一位を取るような人は周りに認められている。だから大した問題ではないんだけどね」
 
 ラルジュはひょいと眉を上げて続けた。

「試験を受ける権利を得ると、全校生徒の前で発表されるんだけど」

 その時、拍手をして送り出されればいいのだが、拍手があまりなかったりすると、その権利は取り消されてしまのだという。
  おれはギクリと固まる。

「頭脳やウタの技術だけふさわしくても駄目ということさ。皆から快く応援されるような人でなくてはね」

 それで「みんなを虜にすればいい」とアルシャが言っていたのか。ようやくその意味を知ったおれである。それにしても、とても切実な問題ではないか。

「みんなから快く思われているかどうかは空気でわかるだろう。それでもう、場合によっては、なかったことになる」

 今の自分がもし学年一位となり発表の時が来たとして、はたして皆は快く送り出してくれるだろうか。今のおれには、自信をもって大丈夫とは、とても言えない。

「君の印象は徐々によくなっている。成績と同じさ。最後の試験までに、ふさわしいと思われるようになっていればいい」

 ポンと頭に手を置かれた。穏やかな糸目には、焦りの欠片すら見当たらない。おれは息を吐いて肩の力を抜くと、くっと口角を上げて見せた。

「後期はちゃんと意識する」

(カムナギになる)

 それだけを思えば、例えば言葉遣いや服装や受講態度など、ほんの些細なことだ。妙なこだわりを持っていたことがおかしく思えるくらい、ほんの些細なこと。そう思えるくらいには、おれは自分を受け入れられるようになっていた。
 おれが余裕のある表情をしていたからか、レルヒが目を瞬く。ラルジュはうっかり開眼していた。

「あんたの言った通りだった」

 おれは皮肉な笑みを浮かべる。やっとわかった。会ったばかりのころにラルジュから言われたこと。

「あの頃は、カムナギになる覚悟なんてなかった。なれるわけないと思ってたんだ」

 こんな自分がなれるはずがない。心のどこかでずっと、そう思っていた。なりたいと思う気持ちのままに突っ走る度胸も覚悟も、ぜんぜん足りなかった。自信がなかったのだ。だから、弱くて脆い心を必死に守っていた。とっつきにくい雰囲気で、すぐに相手に突っかかって、傷つくのを恐れていた。

「今ならわかる」

 誰に何を言われても、自分で自分を受け入れて認めていれば、心が傷つくことはないし、相手に言い返す必要もない。
 自分に確信があるから。誰がなんと言おうと、この胸の奥にある輝きが褪せることなどあり得ない。傷つけられるはずがない。誰の言葉より、この輝きが真実だと感じている。その輝きのままにあれば、恐れるものなど何もない。

「……大きくなりましたね、リュエル」

 どこかぼんやりした顔でレルヒが呟くので笑ってしまう。

「そんなに大きくなったか?」

 おれは頭の上に手をやって前後に振った。

「っ違います。いえ、そうですね…。身長の方も、出会った頃より伸びたかもしれません」

 言われてみればそうかもしれない。しげしげと眺めてくるレルヒの顔を、以前より近くに感じる気がする。

「おそるべし、成長期だね」

 ラルジュがぼそりと落とした。おれは目を瞬いて、ふっと笑む。

「強い味方がいるからな」

 真実の光に気づかせてくれたのはネージュだが、心の持ちようについて、だいたいはラルジュから学んだ気がする。ラルジュは言葉だけではない。本当にそれを体現していたから。そういえば、エレミアもそうだった。首席を取るような聖武科生はみんな頼もしい。……いや、ランザームは微妙だが。

「まいったね」

 ――想像を遥かに超えたスピードで成長してゆく我が君に、ラルジュは降参とばかりに肩をすくめた。


 お風呂に入ってあとは寝るだけとなったおれ。机でうんと伸びをする。

「この辺にしておくか」

 復習で間違えた問題を見直して、いまいち覚えきれていない聖紋を書いて。いつもならアルシャがそろそろ戻って来る時間。まだ、その姿はない。
 夜には戻ると言っていたのに。おれは静けさの中、ぼんやりと虚空を眺める。
 カムナギになる決意を抱かせたのはおれだと、アルシャは言った。初めて会ったあのときから、おれのことを思っていたのだという。

(ずっと、嫌なことばかりに目が向いてた)

 そんな日々の中にも、あの出会いのように素晴らしいことだってあったのに。どうして忘れることができたのだろう。こんなに強烈な記憶――。不思議でならない。

(嫌な記憶こそ、すぐに忘れたいのにな)

 おれは小さく息を吐く。
 ふと、昼間のラルジュが頭をよぎった。誰かを守って死ぬために生きていたラルジュ。その強さはたった一人を守るためのもの。守っていつか死ぬためのものだった。

(死を思いながら生きるって、どんな感じだろう?)

 死について、おれは深く考えたことがなかった。遠いいつかの話だと思っていたのだ。いつか、誰もがみんな死ぬ。自分だって。そんなわかりきったことを、改めて考えてみると、なんだか切なくなった。神なる自分という存在は永遠だとネージュは話してくれたが、このおれはいなくなる。

『もし、死ぬとき君も連れて行きたいって言ったらどうする?』

 どうしてアルシャはあんなことを突然言ったのだろう。アルシャも、死を思いながら生きているのだろうか。儚い笑みを浮かべていた。

『大切なひとの死ぬときがわかったらどうする?』

(どうしようもないじゃないか)

 しかし、黙って受け入れるなんておれにはできない。もしアルシャの死期がわかったら、その理由がわかったら、どうにかして回避できないか全力で考えるだろう。

(もし…)

 “もし” なんて、あるはずないと思うけど。考えるだけで胸が苦しくなって、シャツの胸元を掴んで俯く。

「まだ起きていたのかい?」

 後ろからかかった声にハッとした。

「アルシャ」

 振り返る。いつもの優しい微笑みにホッとした。

「何かあったの?」

 今の平穏を壊したくなくて、おれは首を振る。

「疲れているなら、早くおやすみ」
「アルシャも」

 疲れているのは務めがあったアルシャの方ではなかろうか。アルシャは目を瞬いて、ふっと笑む。

「一緒に寝ようか」

 そうして二人、ベッドに沈んだ。

「アルシャ…、突然いなくなったりしないよな?」
「どうしたんだい? 急に」
「……いや、いい。なんでもない」

 先ほど浮かんだ思考がまだ心に重く漂っている。おれはアルシャの方に身を寄せて、そんな思考を蹴散らすようにぎゅっと目を閉じた。

「おやすみ、リュエル」
「……」

 おやすみ。
 そのときのおれは、どうしてかその言葉が言えなかった。
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