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第三章 冬の休暇、別荘合宿
十九
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「あら、リュエル。何かいいことがあったんですか?」
二人での勉強を再開するや否やつっこまれ、肩をすくめる。
「隣の別荘の人と会ったんだ」
「隣の別荘、ですか」
レルヒは目を瞬いた。
「境目のドアが開いてて、入っちまって」
まさか自分と会いたくて開けられていたとは思うまい。レルヒが目を丸くしているので、おれは小首を傾げる。
「レルヒ?」
「いえ、隣の別荘は長らく使われていないようでしたので、ちょっと驚きました」
たしかに、通ってしまったのは古びた扉だった。
「どのような方でしたか?」
「銀髪だった。兄貴がいたら、こんな感じかもなっていう」
彼は初対面なのに身内のような気がした。そんな相手に会うのは初めてだったから、未だに不思議な気分でいる。
「銀髪の貴族の噂は聞いたことがありました。まさか隣の別荘にいらっしゃるとは、思いもしませんでしたよ」
レルヒはそう言って肩をすくめた。
――ここのところ、リュエルはどこか深刻な雰囲気があった。それがなくなり、内心でホッとする。妙な話をしてしまったからと、ラルジュも気にしていた。たまに聖界以外の人間と話すのは、気分転換になっていいかもしれない。
「フラム以外にも銀髪っているんだな」
「ええ。金髪もルーマ家だけではないでしょう?」
そういえば、メルも淡い金髪だ。
「フラム家が聖界から追放されて、ずいぶん減ったようですけどね」
それはかつて、フラムが栄華を誇っていた証。
「今後は、また見られるようになるのでしょう」
おれがカムナギとなりフラムの復任が認められたら、親類に産まれた銀髪の子も、望むなら聖界に入れるだろう。その道は、おれよりずっと楽なはずだ。それだけでなく、イヴオンのような者も貴族の世界で堂々と振る舞えるようになる。
こうして考えてみると、おれの肩には、フラムの縁者の運命が託されているということだ。
「だからといって、気負うことはありません。カムナギになりたい、ウタが好きという気持ちだけで充分です。変に構えていては、疲れてしまいますからね。動機はシンプルなもので良いのです」
「……ああ」
自分の立場を知るほど重く感じる責任。おれは短く息を吐き、努めて肩の力を抜くようにした。
その日から、ちょくちょくイヴオンと会うようになった。イヴオンは家族に放置された代わりに町の人たちに育てられたと言うだけあり、ラフにしていると近所の兄ちゃんといった感じだ。
「支持するカムナギのこと、我が君って言うんだろ? 俺の我が君はリュエルだな」
立てた膝に肘を置き、イヴオンはくっと笑む。
「……まだカムナギでもないけど」
「君ならすぐだ」
頭をぽふぽふ撫でられ、ちょっと照れる。誤魔化すように視線を外した。
「なぁ、よく緑の中で紡いでるだろ。ここでも紡いでいいんだぜ?」
翡翠の瞳が悪戯に煌めいた。気恥ずかしくてそっぽを向いてしまったが、おれはささやかに紡ぎ始める。
~~ホィスモッ゙ ビェナ~ォイ゙メシ゚~~
久々に、フラムのウタを。最初に聞いてほしいウタを思ったとき、やはり頭に浮かんだのはこれだった。イヴオンは静かに耳を傾けている。
紡ぎ終えたおれは、窺うようにイヴオンへ目をやった。予期せず穏やかな翡翠と絡み合う視線。
「君は本当にウタが好きなんだな」
頬を撫でる手は、ポケットに仕舞われていたため温かい。
「かつて不条理な理由で聖界を追い出されたのに。そんなやつらの所に、どんな気持ちで戻ろうなんて思ったのか」
――イヴオンはそれが知りたかった。自分なら、そんなところに行きたいなんて思わないだろう。もしかして、フラムの復任のために担ぎ出されたんじゃないか。それとも、貴族の地位を取り戻したいという権威欲なのか。フラム家の銀髪の少年がフィーデルへ入学したと知ったとき、色々考えたものだ。
ウタを聞いてわかった。そんなことは、リュエルにはどうでもいいことだったのだ。
「ますます気に入ったぜ。君のこと」
(この澄んだ瞳)
綺麗なセレストは、リュエルの心そのものなのだろう。それは周りから守られ、保たれてきたものではない。不遇な環境においても失わず、己の力で、意思で、貫いてきたことだ。綺麗で、強かで。
「ウタ、聞かせてくれてありがとな」
(優しいやつ)
お礼にと、イヴオンは美しい瞳を抱く目許へ口付ける。リュエルは目を丸くして、次には耳を赤くした。
「おれが、紡ぎたくなったから」
「俺のために、だろ?」
笑顔で頭を撫でれば、リュエルは言葉を失っていた。
「ウタもよかったが、もっと色んな声が聞きたい」
色んな表情が見たい。欲求のままに草原に押し倒すと、リュエルはキョトンとした。
「無防備だな。そんなに俺のこと信頼してるんだ」
イヴオンはクスリと笑い、すっかり晒された額に口づける。唖然とした顔がおかしい。
「誰かいい人でもいるのか?」
途端に顔を赤くしたので驚いた。
「なんだ、もういるのかよ」
イヴオンは肩をすくめて、悪戯に美しい銀髪へ指を通す。リュエルは小さく息を吐き、まっすぐにイヴオンを捉えた。
「あんたのこと、ホントの兄貴みたいに思ってる」
するとイヴオンはリュエルの上から退き、後ろ手をついて足を伸ばした。
「気が変わったら、いつでも誘えよ」
リュエルもむくりと身体を起こす。
「……あんたはいつもそうなわけ」
「そうって?」
「……簡単に、誘うようなこと言って…」
「そんな相手に出会うことは滅多にない」
するとリュエルは眉根を寄せた。
「だから滅多にしないってのか? だけど、そんな相手にはいつもするって言うなら、簡単にするってことになる」
「そう、滅多にないことなんだ」
鮮やかな翡翠を向けられて、リュエルは息を呑む。
「君とどうこうなりたいなんて思ってない。共にいるとき、俺を見てくれればいい」
それ以外はどうでもいいと、イヴオンは言った。
「どうでもって…」
「俺は縛られるのが嫌いだ。過去も未来も信じない」
思い描いていた未来と現実の解離。いつか弟ができたら殺されるかもしれないと思いながら生きていた。優秀だったら生かされるかもしれないと思い、勉学に励み、懸命にそれらしく振る舞った。見向きもされなくて、肩の力が抜けた。
逃げるように館を抜け出し、庶民と言葉をかわすようになった。よくしてくれた人がいた。しかし、跡取りとして家族から捉えられ始めたら、急によそよそしくなって、疎遠になった。
イヴオンは未来のために足掻くのも、過去に囚われるのもうんざりだった。
「次はどうなるかなんてわからねえ。だから考えない」
家族から必要だと思われた理由は銀髪だから。それはかつて、いらない理由だったもの。戯れに変わる価値観に弄ばれる人生――。
「やりたいことをやってやるのさ。みんな、それでいいと思ってる」
予想外な展開がまた来ても、この命がいつ終わっても、イヴオンは後悔する気などない。
「わかる? 君の優しさにつけこんでんの、俺。もう関わりたくないと思うなら拒絶しろよ」
リュエルなら全部受け止めて、受け入れてくれるのではないかと思った。だからイヴオンはこんな話をしてしまったのだ。
「……本気でそう思ったら、とっくにしてる。わかってんだろ」
眉根を寄せ、それでもしっかりとそのセレストにイヴオンを映して、リュエルは言った。イヴオンの口角が上がる。
「ああ、もちろん」
嫌悪を抱くことしかなかった銀髪を愛しく思う自分に笑う。
「嘆くなよ。そこが君のいいところだ」
イヴオンは冷たい頬を冷えた手で包み込む。
「この弱さが?」
「ばーか。懐の広さだっつの」
くっと笑って、美しい銀髪をわしゃわしゃ撫でた。
「っ、」
「君の側は心地がいい」
こうしてまっすぐに向き合ってくれたのは、リュエルが初めてだ。それは縛られるのが嫌いだと、イヴオンが豪語していたからでもあるが。
「じゃあな」
「……またな」
そろそろ戻る時間になると、おれはイヴオンを一睨みして踵を返した。
イヴオンには兄のような親しみを感じている。出会って、こんなに親しくなって、ここでいきなりサヨナラなんて考えられない。
(また会って、とりとめのない話をしたい。側にいるだけでもいい)
イヴオンもラルジュもレルヒやアルシャも。家族でないのに、こんなに親しみを感じている。そこには血の繋がりのような確かなものはない。
だからだろうか。失いたくないと思うのは。失うのが怖いと、思うのは――。
二人での勉強を再開するや否やつっこまれ、肩をすくめる。
「隣の別荘の人と会ったんだ」
「隣の別荘、ですか」
レルヒは目を瞬いた。
「境目のドアが開いてて、入っちまって」
まさか自分と会いたくて開けられていたとは思うまい。レルヒが目を丸くしているので、おれは小首を傾げる。
「レルヒ?」
「いえ、隣の別荘は長らく使われていないようでしたので、ちょっと驚きました」
たしかに、通ってしまったのは古びた扉だった。
「どのような方でしたか?」
「銀髪だった。兄貴がいたら、こんな感じかもなっていう」
彼は初対面なのに身内のような気がした。そんな相手に会うのは初めてだったから、未だに不思議な気分でいる。
「銀髪の貴族の噂は聞いたことがありました。まさか隣の別荘にいらっしゃるとは、思いもしませんでしたよ」
レルヒはそう言って肩をすくめた。
――ここのところ、リュエルはどこか深刻な雰囲気があった。それがなくなり、内心でホッとする。妙な話をしてしまったからと、ラルジュも気にしていた。たまに聖界以外の人間と話すのは、気分転換になっていいかもしれない。
「フラム以外にも銀髪っているんだな」
「ええ。金髪もルーマ家だけではないでしょう?」
そういえば、メルも淡い金髪だ。
「フラム家が聖界から追放されて、ずいぶん減ったようですけどね」
それはかつて、フラムが栄華を誇っていた証。
「今後は、また見られるようになるのでしょう」
おれがカムナギとなりフラムの復任が認められたら、親類に産まれた銀髪の子も、望むなら聖界に入れるだろう。その道は、おれよりずっと楽なはずだ。それだけでなく、イヴオンのような者も貴族の世界で堂々と振る舞えるようになる。
こうして考えてみると、おれの肩には、フラムの縁者の運命が託されているということだ。
「だからといって、気負うことはありません。カムナギになりたい、ウタが好きという気持ちだけで充分です。変に構えていては、疲れてしまいますからね。動機はシンプルなもので良いのです」
「……ああ」
自分の立場を知るほど重く感じる責任。おれは短く息を吐き、努めて肩の力を抜くようにした。
その日から、ちょくちょくイヴオンと会うようになった。イヴオンは家族に放置された代わりに町の人たちに育てられたと言うだけあり、ラフにしていると近所の兄ちゃんといった感じだ。
「支持するカムナギのこと、我が君って言うんだろ? 俺の我が君はリュエルだな」
立てた膝に肘を置き、イヴオンはくっと笑む。
「……まだカムナギでもないけど」
「君ならすぐだ」
頭をぽふぽふ撫でられ、ちょっと照れる。誤魔化すように視線を外した。
「なぁ、よく緑の中で紡いでるだろ。ここでも紡いでいいんだぜ?」
翡翠の瞳が悪戯に煌めいた。気恥ずかしくてそっぽを向いてしまったが、おれはささやかに紡ぎ始める。
~~ホィスモッ゙ ビェナ~ォイ゙メシ゚~~
久々に、フラムのウタを。最初に聞いてほしいウタを思ったとき、やはり頭に浮かんだのはこれだった。イヴオンは静かに耳を傾けている。
紡ぎ終えたおれは、窺うようにイヴオンへ目をやった。予期せず穏やかな翡翠と絡み合う視線。
「君は本当にウタが好きなんだな」
頬を撫でる手は、ポケットに仕舞われていたため温かい。
「かつて不条理な理由で聖界を追い出されたのに。そんなやつらの所に、どんな気持ちで戻ろうなんて思ったのか」
――イヴオンはそれが知りたかった。自分なら、そんなところに行きたいなんて思わないだろう。もしかして、フラムの復任のために担ぎ出されたんじゃないか。それとも、貴族の地位を取り戻したいという権威欲なのか。フラム家の銀髪の少年がフィーデルへ入学したと知ったとき、色々考えたものだ。
ウタを聞いてわかった。そんなことは、リュエルにはどうでもいいことだったのだ。
「ますます気に入ったぜ。君のこと」
(この澄んだ瞳)
綺麗なセレストは、リュエルの心そのものなのだろう。それは周りから守られ、保たれてきたものではない。不遇な環境においても失わず、己の力で、意思で、貫いてきたことだ。綺麗で、強かで。
「ウタ、聞かせてくれてありがとな」
(優しいやつ)
お礼にと、イヴオンは美しい瞳を抱く目許へ口付ける。リュエルは目を丸くして、次には耳を赤くした。
「おれが、紡ぎたくなったから」
「俺のために、だろ?」
笑顔で頭を撫でれば、リュエルは言葉を失っていた。
「ウタもよかったが、もっと色んな声が聞きたい」
色んな表情が見たい。欲求のままに草原に押し倒すと、リュエルはキョトンとした。
「無防備だな。そんなに俺のこと信頼してるんだ」
イヴオンはクスリと笑い、すっかり晒された額に口づける。唖然とした顔がおかしい。
「誰かいい人でもいるのか?」
途端に顔を赤くしたので驚いた。
「なんだ、もういるのかよ」
イヴオンは肩をすくめて、悪戯に美しい銀髪へ指を通す。リュエルは小さく息を吐き、まっすぐにイヴオンを捉えた。
「あんたのこと、ホントの兄貴みたいに思ってる」
するとイヴオンはリュエルの上から退き、後ろ手をついて足を伸ばした。
「気が変わったら、いつでも誘えよ」
リュエルもむくりと身体を起こす。
「……あんたはいつもそうなわけ」
「そうって?」
「……簡単に、誘うようなこと言って…」
「そんな相手に出会うことは滅多にない」
するとリュエルは眉根を寄せた。
「だから滅多にしないってのか? だけど、そんな相手にはいつもするって言うなら、簡単にするってことになる」
「そう、滅多にないことなんだ」
鮮やかな翡翠を向けられて、リュエルは息を呑む。
「君とどうこうなりたいなんて思ってない。共にいるとき、俺を見てくれればいい」
それ以外はどうでもいいと、イヴオンは言った。
「どうでもって…」
「俺は縛られるのが嫌いだ。過去も未来も信じない」
思い描いていた未来と現実の解離。いつか弟ができたら殺されるかもしれないと思いながら生きていた。優秀だったら生かされるかもしれないと思い、勉学に励み、懸命にそれらしく振る舞った。見向きもされなくて、肩の力が抜けた。
逃げるように館を抜け出し、庶民と言葉をかわすようになった。よくしてくれた人がいた。しかし、跡取りとして家族から捉えられ始めたら、急によそよそしくなって、疎遠になった。
イヴオンは未来のために足掻くのも、過去に囚われるのもうんざりだった。
「次はどうなるかなんてわからねえ。だから考えない」
家族から必要だと思われた理由は銀髪だから。それはかつて、いらない理由だったもの。戯れに変わる価値観に弄ばれる人生――。
「やりたいことをやってやるのさ。みんな、それでいいと思ってる」
予想外な展開がまた来ても、この命がいつ終わっても、イヴオンは後悔する気などない。
「わかる? 君の優しさにつけこんでんの、俺。もう関わりたくないと思うなら拒絶しろよ」
リュエルなら全部受け止めて、受け入れてくれるのではないかと思った。だからイヴオンはこんな話をしてしまったのだ。
「……本気でそう思ったら、とっくにしてる。わかってんだろ」
眉根を寄せ、それでもしっかりとそのセレストにイヴオンを映して、リュエルは言った。イヴオンの口角が上がる。
「ああ、もちろん」
嫌悪を抱くことしかなかった銀髪を愛しく思う自分に笑う。
「嘆くなよ。そこが君のいいところだ」
イヴオンは冷たい頬を冷えた手で包み込む。
「この弱さが?」
「ばーか。懐の広さだっつの」
くっと笑って、美しい銀髪をわしゃわしゃ撫でた。
「っ、」
「君の側は心地がいい」
こうしてまっすぐに向き合ってくれたのは、リュエルが初めてだ。それは縛られるのが嫌いだと、イヴオンが豪語していたからでもあるが。
「じゃあな」
「……またな」
そろそろ戻る時間になると、おれはイヴオンを一睨みして踵を返した。
イヴオンには兄のような親しみを感じている。出会って、こんなに親しくなって、ここでいきなりサヨナラなんて考えられない。
(また会って、とりとめのない話をしたい。側にいるだけでもいい)
イヴオンもラルジュもレルヒやアルシャも。家族でないのに、こんなに親しみを感じている。そこには血の繋がりのような確かなものはない。
だからだろうか。失いたくないと思うのは。失うのが怖いと、思うのは――。
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