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9.林檎

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「殿下! お待たせしました!! ……あれ? 公爵閣下?」

 怪訝な顔をするレビンに、ヴァンテルが落ちついて言った。

「殿下が林檎をとろうとして、あやうく雪を被られるところだったのだ」
「ああ! 帽子もお持ちすればよかった。これをもう一枚、お召しください」

 レビンが差し出した毛皮に、私は首を振った。

「レビン、もう十分温かい」
「……それは、そうでしょうけれど。ずっと、そこにいらっしゃるのですか?」

 レビンが、ぱちぱちと目を瞬いた。向けられた視線の先を見て、はっとする。

 ヴァンテルの服を、ずっと掴んだままだった。そして、彼は何の躊躇もなく、そんな私を腕の中に抱いたままだった。慌てて手を離した私を見て、ヴァンテルは微笑む。

「レビン、雪の中では身を寄せ合った方が温かい。そうだろう?」
「え? ……お、仰る通りです」
「も、もういい」

 何といっていいかわからなくて、ヴァンテルから離れようと胸を押す。その時、丁度、庭師が鋏と籠を抱えて戻ってきた。

 低い枝を選んで、一つ一つ晶林檎を収穫していく。少し高い枝は、ヴァンテルが手を伸ばして引っ張ってくれた。籠の中が、宝石のような実で一杯になって、満ち足りた気持ちになる。

「折角だから、叔父上にも召し上がっていただこう」
「叔父上?」
「ああ、スヴェラからギュンター王配殿下がいらしている」

 籠から目を上げると、ヴァンテルは眉を顰めている。咄嗟に、叔父の言葉を伝えてはいけないと思った。
 ヴァンテルの望みは、私が凍宮にいることだったはずだ。

「……久しぶりに帰国なさったから、私の顔を見に来たのだと仰っていた」
「左様ですか。では、私もご挨拶に参ります」




「公爵家は、いつの間にか代替わりしていたというわけか」

 ヴァンテルの挨拶を、叔父は鷹揚に受け止めた。手には、私が摘んできた晶林檎がある。珍しいものをと喜んで、手の中でひとしきり眺めていた。椅子に深く座り、微笑む姿は優美だとしか言いようがない。私は叔父の隣に座り、跪くヴァンテルを見つめていた。

「父も齢と共に床に伏せることが多くなり、所領でゆっくり過ごすことを望みました。若輩ながら、私が公爵家の家督を譲り受けた次第です」
「……ふん。宮中伯は並大抵の心構えでは務まらぬ。昔から、地位と富を得る代わりに命を削ると言うからな。……だが」

 宝石のように輝く瞳が、ヴァンテルを射た。

「父の代わりに宮中伯となり、筆頭の地位も得た者が何故、北の果てにいる? 身を挺して陛下にお仕えせねばならぬ身ではないのか?」

 柔らかな態度なのに、叔父の言葉はヴァンテルへの糾弾しかなかった。

「……もとより、その覚悟にございます。所用も片付きましたので、急ぎ王都に戻ろうと考えております」

 ──王都へ。

 ヴァンテルが、王都へ戻る。その言葉に、想像していたよりも衝撃が走った。

「ならば、安堵した。国王陛下のご容体は悪化を辿るばかり。お目通りは叶ったが、お言葉を賜ることは叶わなかった。世継ぎの王子を亡くした上に、秘蔵っ子の王子までが廃嫡とは、お気の毒でならぬ」

 びくりと体を震わせた私を、叔父は抱き寄せた。安心させるように、何度もゆっくりと背を撫でる。

「どうか御安心なされませ。殿下に非などあろうはずもない。宮中伯たちの策謀は昔からこの国の得意とするところです。罪なき者に罪を着せ、罪人が平気で宮中を闊歩する。そうであろう、公爵?」

 ヴァンテルは、うつむいたまま一言も発さず、彫像のように動かない。

「其方らの思惑は私の関与するところではない。もう、この国の者ではない身だ。ただ……」

 私の髪を、叔父は愛おし気に撫でた。

「アルベルト殿下の行く末だけが、気にかかる」
「叔父上……」

「……小鳥をいくら囲っても、翼がある限り羽ばたこうとするものだ。必ずな」

 叔父の静かな言葉だけが、部屋に響いていた。
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