22 / 75
第22話 魂の傷跡 (3)
しおりを挟む
――リチェルに名を呼ばれた。
自分でも滑稽なほど、それだけの事実を嬉しく思った。
狼狽を押し隠し、アルキバは自分に喝を入れ、一瞬で態度をつくろった。大舞台で勝ち抜いてきた剣闘士、緊張をねじ伏せ自分も観客も騙すのは得意である。
ごく冷静な声と表情で言った。
「起きたか。痛みはないか?ここは俺の友人のロワって魔術師の家だ」
リチェルは自分の腹をさすり、驚きの声を漏らす。
「傷が消えている」
「ロワが治してくれた」
「その者に礼を言わねば……。待て、まさか、アルキバが私をここまで運んでくれたのか?」
「もちろんそうだ」
リチェルは信じられない、という顔でアルキバを凝視した。
「なぜ……?」
「なぜって言われてもな」
リチェルはまだ困惑した様子で尋ねる。
「一体、どういう状況だったのか、教えてもらえるだろうか」
「護衛はあんたを刺した後、俺に罪を被せて殺そうとした。俺は護衛を返り討ちにして、あんたを抱えてここまで逃げてきた」
リチェルは息を呑み、しばし沈黙した。
「……ヴィルターを殺したのか」
「ああ」
「そうか……」
「すまん」
アルキバは頭を下げた。
リチェルは生気の宿らない顔で、ゆっくりと首を横に振った。そして何かに納得したように、落ち着いた声音になる。
「いいや、謝らねばならないのは私だ。ひどい目に合わせたな、殺人の濡れ衣を着せられるところだったなんて。我々の事情にそなたを巻き込んですまなかった。私がそなたのヴィルターへの正当防衛を証言しよう」
「助かるよ。王子様が一晩戻って来なくて、城は大騒ぎになってるんじゃないのか?」
「私が無断で外泊することはよくある。誰も心配などしていない」
「とんだ放蕩息子だな」
「そうだな」
リチェルは自嘲気味に言うと、毛布を外し、ベッドから立ち上がった。
「城に帰らねば」
脇をすり抜けようとしたリチェルの腕を、アルキバはつい掴んでしまった。
「待て!」
「なん……だ」
リチェルがアルキバを見上げる。その瞳が明らかに恐怖に揺れていて、アルキバは慌てて腕を離した。
昨日と同じガウン姿が、生々しくベッドの上の出来事を思い出させた。
「か、勘違いするな!昨日は悪かった。俺が大人気なかった。反省してる。本当に……悪かった」
リチェルが驚いた様子でアルキバを見る。
謝罪されると思っていなかったのだろう。謝罪しただけで驚かれるとは。自分はどれだけ酷い印象を与えてしまったのだろう。
「ごめんな。それだけ謝りたかった」
リチェルはうつむいた。そしてポツリ、と呟く。
「やはり優しいな、アルキバは」
「は?」
予想外のことを言われてアルキバの目が点になる。
リチェルは気まずそうに髪をかき上げた。
「罰を下してくれてありがとう。いや、罰も未遂だったな。ちゃんと罰を受けろと言われるのかと思ったのに、まさか謝られるなんて」
アルキバは苦笑する。
「いや、俺は地獄の番人じゃないから……」
あんな風に絶叫する相手をどうこうすることなど、できない。
しかしどうやら罰と思われているらしい。
まあアルキバ自身がそのように言ったのだが、「仕置き」だの「罰」だのと。なぜか複雑な心地がした。
「私はずっと、最低なことをしていたな。恥ずべきことをしている自覚はあったんだ。でも止められなかった」
「まあ、金と権力を持つあんたに魔が差すのも分からなくはない。剣闘士は所詮は奴隷だからな。反省して、二度とやらなければもうそれでいい、俺は」
「奴隷……。亡き母上は、この国の奴隷制度は野蛮だといつも言っていた。世の中には奴隷のない国が沢山あるのに、と。幼い頃、私もその通りだと思っていたはずなのに。いつの間にか私はこれ程、野蛮な人間に成り下がっていたんだな……」
アルキバの口元が緩む。
「案外、真面目なんだな。立派な王子様じゃないか」
リチェルの顔ばせに、すっと憂いが差す。
「まさか、私はただの落ちぶれた、奴隷以下の何かだ」
「そいつは自虐が過ぎるんじゃないか?」
言いながら、アルキバの脳裏に先ほど聞いた傷病歴の話がよみがえり、苦いものがこみあげた。
「もう投資主はやめる、二度と剣闘士の尊厳を傷つけることはしないと誓う」
「ああ、あんなこと続けるもんじゃない、あんた自身の為にもな。いままで俺以外に狼藉者がいなかったことが奇跡だ」
リチェルはうんとうなずいた。
アルキバは不愉快な気分でヴィルターの顔を思い浮かべる。
剣闘士と細身の王子を二人きりにして閉じ込めて、ヴィルターは毎度、期待をしていたことだろう。いつか王子を犯そうとする剣闘士が現れるはずだ、と。それに乗じて王子を殺せると。
ところで、とアルキバは言葉を続ける。
「あんたの兄貴たちのことなんだが……」
「なんだ?」
リチェルは無表情にたずねる。底に何かを沈めて隠す、ひんやりとした「無」がそこにある。
「その、あんたまだ……、やられてんのか?」
リチェルは静かに首を振った。
「いいや。一年前までの話だ。今は何もない」
「そう……か」
二人の間にしじまが降りる。
「では、世話になった」
言って、リチェルは寝室を出た。
自分でも滑稽なほど、それだけの事実を嬉しく思った。
狼狽を押し隠し、アルキバは自分に喝を入れ、一瞬で態度をつくろった。大舞台で勝ち抜いてきた剣闘士、緊張をねじ伏せ自分も観客も騙すのは得意である。
ごく冷静な声と表情で言った。
「起きたか。痛みはないか?ここは俺の友人のロワって魔術師の家だ」
リチェルは自分の腹をさすり、驚きの声を漏らす。
「傷が消えている」
「ロワが治してくれた」
「その者に礼を言わねば……。待て、まさか、アルキバが私をここまで運んでくれたのか?」
「もちろんそうだ」
リチェルは信じられない、という顔でアルキバを凝視した。
「なぜ……?」
「なぜって言われてもな」
リチェルはまだ困惑した様子で尋ねる。
「一体、どういう状況だったのか、教えてもらえるだろうか」
「護衛はあんたを刺した後、俺に罪を被せて殺そうとした。俺は護衛を返り討ちにして、あんたを抱えてここまで逃げてきた」
リチェルは息を呑み、しばし沈黙した。
「……ヴィルターを殺したのか」
「ああ」
「そうか……」
「すまん」
アルキバは頭を下げた。
リチェルは生気の宿らない顔で、ゆっくりと首を横に振った。そして何かに納得したように、落ち着いた声音になる。
「いいや、謝らねばならないのは私だ。ひどい目に合わせたな、殺人の濡れ衣を着せられるところだったなんて。我々の事情にそなたを巻き込んですまなかった。私がそなたのヴィルターへの正当防衛を証言しよう」
「助かるよ。王子様が一晩戻って来なくて、城は大騒ぎになってるんじゃないのか?」
「私が無断で外泊することはよくある。誰も心配などしていない」
「とんだ放蕩息子だな」
「そうだな」
リチェルは自嘲気味に言うと、毛布を外し、ベッドから立ち上がった。
「城に帰らねば」
脇をすり抜けようとしたリチェルの腕を、アルキバはつい掴んでしまった。
「待て!」
「なん……だ」
リチェルがアルキバを見上げる。その瞳が明らかに恐怖に揺れていて、アルキバは慌てて腕を離した。
昨日と同じガウン姿が、生々しくベッドの上の出来事を思い出させた。
「か、勘違いするな!昨日は悪かった。俺が大人気なかった。反省してる。本当に……悪かった」
リチェルが驚いた様子でアルキバを見る。
謝罪されると思っていなかったのだろう。謝罪しただけで驚かれるとは。自分はどれだけ酷い印象を与えてしまったのだろう。
「ごめんな。それだけ謝りたかった」
リチェルはうつむいた。そしてポツリ、と呟く。
「やはり優しいな、アルキバは」
「は?」
予想外のことを言われてアルキバの目が点になる。
リチェルは気まずそうに髪をかき上げた。
「罰を下してくれてありがとう。いや、罰も未遂だったな。ちゃんと罰を受けろと言われるのかと思ったのに、まさか謝られるなんて」
アルキバは苦笑する。
「いや、俺は地獄の番人じゃないから……」
あんな風に絶叫する相手をどうこうすることなど、できない。
しかしどうやら罰と思われているらしい。
まあアルキバ自身がそのように言ったのだが、「仕置き」だの「罰」だのと。なぜか複雑な心地がした。
「私はずっと、最低なことをしていたな。恥ずべきことをしている自覚はあったんだ。でも止められなかった」
「まあ、金と権力を持つあんたに魔が差すのも分からなくはない。剣闘士は所詮は奴隷だからな。反省して、二度とやらなければもうそれでいい、俺は」
「奴隷……。亡き母上は、この国の奴隷制度は野蛮だといつも言っていた。世の中には奴隷のない国が沢山あるのに、と。幼い頃、私もその通りだと思っていたはずなのに。いつの間にか私はこれ程、野蛮な人間に成り下がっていたんだな……」
アルキバの口元が緩む。
「案外、真面目なんだな。立派な王子様じゃないか」
リチェルの顔ばせに、すっと憂いが差す。
「まさか、私はただの落ちぶれた、奴隷以下の何かだ」
「そいつは自虐が過ぎるんじゃないか?」
言いながら、アルキバの脳裏に先ほど聞いた傷病歴の話がよみがえり、苦いものがこみあげた。
「もう投資主はやめる、二度と剣闘士の尊厳を傷つけることはしないと誓う」
「ああ、あんなこと続けるもんじゃない、あんた自身の為にもな。いままで俺以外に狼藉者がいなかったことが奇跡だ」
リチェルはうんとうなずいた。
アルキバは不愉快な気分でヴィルターの顔を思い浮かべる。
剣闘士と細身の王子を二人きりにして閉じ込めて、ヴィルターは毎度、期待をしていたことだろう。いつか王子を犯そうとする剣闘士が現れるはずだ、と。それに乗じて王子を殺せると。
ところで、とアルキバは言葉を続ける。
「あんたの兄貴たちのことなんだが……」
「なんだ?」
リチェルは無表情にたずねる。底に何かを沈めて隠す、ひんやりとした「無」がそこにある。
「その、あんたまだ……、やられてんのか?」
リチェルは静かに首を振った。
「いいや。一年前までの話だ。今は何もない」
「そう……か」
二人の間にしじまが降りる。
「では、世話になった」
言って、リチェルは寝室を出た。
13
あなたにおすすめの小説
【完結】薄幸文官志望は嘘をつく
七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。
忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。
学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。
しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー…
認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。
全17話
2/28 番外編を更新しました
秘匿された第十王子は悪態をつく
なこ
BL
ユーリアス帝国には十人の王子が存在する。
第一、第二、第三と王子が産まれるたびに国は湧いたが、第五、六と続くにつれ存在感は薄れ、第十までくるとその興味関心を得られることはほとんどなくなっていた。
第十王子の姿を知る者はほとんどいない。
後宮の奥深く、ひっそりと囲われていることを知る者はほんの一握り。
秘匿された第十王子のノア。黒髪、薄紫色の瞳、いわゆる綺麗可愛(きれかわ)。
ノアの護衛ユリウス。黒みかがった茶色の短髪、寡黙で堅物。塩顔。
少しずつユリウスへ想いを募らせるノアと、頑なにそれを否定するユリウス。
ノアが秘匿される理由。
十人の妃。
ユリウスを知る渡り人のマホ。
二人が想いを通じ合わせるまでの、長い話しです。
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる