同僚がヴァンパイア体質だった件について

真衣 優夢

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56話 精神の痕

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 意識を取り戻した時、オレは白い部屋にいた。
 ぼうっとする頭が、ここは病院だと理解するまで数分。
 すぐ脇には、ベッドに突っ伏して眠っている桐生。


 ……?


 状況が飲み込めない。病院? 何故?
 体を起こそうとしたら、ずきん! とあちこちが痛んだ。
 交通事故にでも遭ったのだろうか。全身が痛む。……と思ったら、痣らしきものはどこにもない。
 不自然なまでに無傷な体。違和感を覚えた。
 オレはあちこちに傷があったはずだ。……傷?


「令一!?」


 いつの間にか桐生が起きていた。
 オレに驚いて、ほっとして泣きそうに笑って、大声で「溝口先生! 令一が起きました!」と叫んだ。
 あの病院か。
 型破りとは思っていたが、ナースコールくらいつけたらどうだ。たとえナースがいない病院でも。


 早足で溝口医師が病室に現れる。


「おお、目が覚めたか。気分はどうじゃ?」


 彼らしい飄々とした口調。
 オレは「体があちこち痛い」と正直に答えた。
 溝口医師が、「ちょっと触るぞい」と言って触診しようとオレに触れた。その瞬間。


「…………っ!!」


 オレは溝口医師の手を激しく払っていた。
 汗が吹き出した。呼吸が、うまくできな、視界がゆがんで、苦し、


「過呼吸じゃな。
 こいつを口に当てて、しばらくゆーっくり息をせい。
 深く吐いて、自分の息を吸え」


 顔の前に当てられたのは紙袋。
 回らない頭で、オレは言われたとおり深い呼吸を繰り返した。
 寝ぼけていた頭が、ようやく全てを把握する。


「下坂、は」


 オレは溝口医師ではなく、桐生に尋ねた。
 桐生の姿は紙袋で見えない。


「もう襲ってくることはないよ」

「そう、か」


 桐生の言葉に安心すべきなのに、心臓がどくどく脈打ち始めた。
 汗が引かない。目に入ってしみる。寒気がするのに熱い。寒い。熱い。


 ふっと脳裏に、金髪の下卑た笑顔がよぎる。
 オレは紙袋を投げ捨てて悲鳴を上げた。
 自分が何をしているのかわからない。オレは悲鳴を上げ続けた。


 オレの手を、あたたかいものが握った。
 強くも弱くもない力。オレはその温度で叫ぶのをやめたようだ。自分が制御できない。
 桐生の両手が、オレの手を包んで。
 祈るような姿の桐生は、今にも泣きそうだった。


「……あ。
 すまん、騒いで。
 その、オレは平気だ。記憶もちゃんと」


 オレは、椅子に縛られた感触を急に思い出した。
 桐生の手がロープの拘束に感じられ、オレは桐生の手を払った。無意識に自分を庇った。


「…………あ、ちが、」

「……。
 溝口先生、僕は部屋を出ています」

「まて、桐生。さっきのは、」


 溝口医師がオレの目の前にずいと近づいたから、オレは、立ち去る桐生の背中も見えなかった。
 足音だけで、桐生が病室を出て行ったのがわかった。
 そんなつもりはなかった。オレは桐生に手を握られて安心して、嬉しかった。なのに。
 どうなっている、オレは。おかしい。
 オレが、おかしい。


「お前さんな、まる三日間、眠り姫だったんだぞい。
 失血と打撲はもちろんじゃが、今のお前さんは自分で思っとる以上に精神にきとる。
 延々とうなされておったからな。
 まずは時間が必要じゃ。
 もうしばらく、ここで安静にしておくといい」

「オレはもう大丈夫です。
 体の傷も治っているし、動くのに支障は」


 体の傷。
 二の腕に食い込む牙の感触を思い出した。
 オレは、ベッドにうずくまってがたがた震えた。
 どうなってしまったんだ、オレは。
 桐生が来るまでオレは耐えきった。オレの勝ちだった。
 オレは勝ったのに、嫌だ、いやだ、これ以上噛まないでくれ、もう嫌だ……!!


 どれくらいそうしていたのか。
 呆然と顔を上げると、変わらぬ様子の溝口医師と目が合った。


「心の傷は、自力でどうこうできん。
 時間が必要じゃ。
 お前さんが、お前さん自身に、もう安全で安心だと理解させるまでな」

「オレは、そんなに……?」

「自覚のあるなしも、人それぞれじゃからなあ」


 呼べばすぐ来ると言い残して、溝口医師は部屋を出て行った。
 個室にひとり残される。
 オレは、……。


 耐えきったと思っていた。
 終わりの見えない拷問に、オレは最後まで屈服しなかった。
 あの言葉を言えば終わっただろう。あいつは満足し、大笑いしただろう。
 だから絶対に、絶対に、嫌だった。
 桐生を信じた。耐えていれば必ず、あいつは来てくれると思った。
 信じたとおり桐生は現れた。オレは解放された。


 なのに。
 まだあの男は、オレを苛んでいるというのか。
 終わりだと思っていたのに。
 あの恐怖が、屈辱が、痛みが、……ああ、ああ、あああ!!


 スマホが鳴った。
 唐突な日常音で、オレは現実に引き戻された。
 画面を見ると、桐生からだった。


「もしもし、……桐生?」

『電話しちゃった。
 声なら大丈夫かなって』


 スマホの音声とともに、少し離れた廊下から、桐生の肉声が小さく聞こえる。
 桐生はすぐ近くにいる。
 けれど、部屋にはこない。


「桐生」


 情けなくぼろぼろこぼれる涙をぬぐいながら、電話の向こうに話しかける。
 桐生は『うん』と返事した。
 桐生の声だ。
 桐生の声がする。


「桐生がいる」

『うん、いるよ。
 すぐ近くにいるんだよ』

「肉声、ちょっと聞こえるから、わかる」

『え、ほんとに?
 それは恥ずかしいかも』


 何気ない会話。
 オレは泣き続けた。しゃくりながら電話し続けた。
 耳元で聞こえる桐生の声が嬉しくて、こわばった体から力が抜ける気がした。


「お前に触れたい。抱き締めて欲しい。お前に、そばに、いて、ほしいのに」

『うん、僕もだよ。
 ゆっくり、ね。ゆっくりやろうね』


 オレの心は、あの男に踏みにじられた。
 その痕跡を和らげるには時間がかかると、桐生は遠回しに説明してくれた。
 オレは三日間、まったく意識がなかったわけではなく、うっすらと目覚めてはパニックになって昏倒したそうだ。
 桐生は、体格のいい長身の成人男性だ。そのシルエットだけで今は刺激になるらしい。


「くやしい」


 泣きじゃくりながら桐生に伝えると、桐生は、『うん』と、すべてを受け止めるように頷いた。
 電話の向こうで、桐生も鼻声だった。


 近くにいるのに、触れられない。
 今、一番傍にいてほしい人を見ることができない。
 そんなことってあるか!!


『時間が、一番の薬になるんだって。
 だから、ゆっくりいこうね。
 僕はいつまでも令一を待ってる。大丈夫だよ』


 西村先生のはからいで、一週間か10日くらいは学校を休んでも問題ないこと。
 不安定な状況が続くようなら、溝口医師がカウンセラーを紹介してくれること。
 桐生も学校を休んでいて、こうしていつでも話せること。


 長く長く話した。
 話題が尽きて、くだらない日常の話になっても、話し続けて。
 いつの間にか寝落ちたオレのスマホは、桐生がそっと切ってくれたらしい。




「溝口先生。オレは肉体的には問題ないんだな。
 問題は精神だけだな。
 肉体は退院可能な状態なんだな」

「ふむ? 朝っぱらからどうした。
 体は元気になっとるよ。軽い痛みはあるじゃろうが」


 外注で取り寄せているらしい入院食を食べながら、オレは溝口医師に確認した。
 朝食を一気にかきこむ。オレは、桐生に頼んで用意してもらったジャージに着替えた。


「走ってくる」

「走るんかい、お前さん!?」

「このオンボロ病院、周囲になにもないだろ。
 ランニングにはちょうどいい」


 オレは靴紐を強めに結び、病院の周辺を軽く5周した。
 精神にダメージがあるならば肉体を動かせばいいと、どこかで聞いた気がする。
 病室に戻ったら腕立て伏せに腹筋背筋、スクワットだ。
 あの男の痕跡になぞ屈してやるものか!!


「お前さん、ふだん運動しておったかね」

「ほとんど……」

「筋肉痛で熱を出されては困るわい。
 ほどほどにせい、ほどほどに」


 次の日、ベッドに突っ伏しているオレは湿布だらけになっていた。
 微熱はだるかったが、がむしゃらに運動して発散したせいか、心は少し軽かった。
 何かの拍子に、あのニタニタした顔を思い出す。屈辱を思い出す。
 苦しい。強い動悸がする。溝口医師からもらった安定剤を口に放り込んで横になる。
 深呼吸する。……うん、いける。最初の大パニックから、オレは着実に抜け出しつつある。


 オレと桐生は毎日電話した。
 相変わらず、桐生の肉声が漏れてくる距離。
 ぽろっと桐生が口にした。桐生も怪我をしていたらしい。
 慣れない素手格闘をして、手足や腱にダメージがきたんだとか。
 今回だけは叱るのを許してやったが、自分を大事にしてきちんと治すよう、しっかり言い含めた。
 オレの前で、痛みを我慢する素振りをしたら許さないと。
 桐生は苦笑して誤魔化したから、そこは叱っておいた。


 眠ったままの三日。
 ひたすら筋トレで頭をクリアにした三日。
 オレはパニックをコントロールできると判断され、溝口医師から退院の許可が下りた。
 最後のテストをクリアしたら、退院できる。


「令一、入るよ」




 

 
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