『クラスで一番モテない男が、幼なじみと“仮恋人契約”したら、本物の恋に気づいてしまった件』~報酬はプリン100個。彼女が部屋でだけ甘えん坊

月下花音

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第8話 真夜中の来訪者と震える手

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 ピンポーン。

 二度目のチャイムが鳴り響いた。
 無機質な電子音が、狭い部屋の空気を切り裂く。
 それはまるで、さっきまでの甘い時間を嘲笑うかのようなタイミングだった。

 玲奈の顔色は、一瞬で真っ白になっていた。
 俺の腕を掴む指先が、痛いほど食い込んでいる。
 小刻みに震えているのが、肌越しに伝わってくる。

「……出なくていい」

 玲奈は掠れた声で言った。

「居留守を使おう。……お願い」

 彼女の瞳が揺れている。そこにあるのは、明らかに「知っている恐怖」だった。
 医学部の先輩? ストーカー?
 そんな生易しい言葉では片付けられない何かが、ドアの向こうにいる。
 だが、ここで怯えていては、男が廃る。

 俺は玲奈の肩を抱き寄せ、耳元でやさしく囁いた。

「大丈夫だ。俺がいる」

 安心させるように背中をポンポンと叩き、そっと体を離す。
 玲奈が小さな悲鳴を上げた。

「健!」
「確認するだけだ。チェーンは外さないし、危なそうならすぐ警察を呼ぶ」

 俺は平静を装って玄関へと向かった。
 心ノ像はバクバクといやな音を立てている。
 靴を履かず、タタキに降りて、息を殺してドアに近づく。

 覗き穴(ドアスコープ)に目を当てた。

 魚眼レンズ越しに、廊下の風景が歪んで見える。
 薄暗い蛍光灯がチカチカと明滅し、どこかの部屋の換気扇から夕飯のカレーの匂いが漂っている。
 生活感のある、いつもの廊下だ。
 そこに立っていたのは――。

「……誰もいない?」

 俺は眉をひそめた。
 誰もいない。
 薄汚れたコンクリートの床が続いているだけだ。
 いたずらか? それとも、もう立ち去ったのか?

 ガチャ、と音を立てないように慎重に鍵を回す。
 チェーンをかけたまま、少しだけドアを開けた。
 隙間から、ヒヤリとした冷たい夜風が吹き込んでくる。

「誰ですか?」

 声を張り上げてみる。
 返事はない。
 静寂だけが広がっている。
 やはり、たちの悪いいたずらか。

 俺がドアを閉めようとした、その時だった。

 カラン。

 足元で、何かが転がる乾いた音がした。
 俺は視線を落とす。

 そこには、手のひらサイズの小さなガラス瓶が転がっていた。
 中には、ドロリとした赤い液体が入っている。
 そして、瓶には一枚のメモ用紙が、雑にセロハンテープで貼り付けられていた。

『嘘つき』

 殴り書きの文字。
 赤いインク。いや、この色と粘度は――。

 俺は背筋が凍るのを感じた。
 全身の毛穴が開くような悪寒。
 これは警告だ。明確な悪意を持った、宣戦布告。

 だが、次の瞬間、俺はそれをポケットにねじ込んだ。
 見せてはいけない。
 あそこで震えている彼女に、これを見せるわけにはいかない。

 俺は深呼吸を一つして、強張った頬を無理やり緩めた。
 慌ててドアを閉め、鍵をかけ、チェーンを確認する。

「……健?」

 部屋の奥から、玲奈の不安そうな声がした。
 俺はポケットの中の冷たい感触を握りしめながら、振り返った。
 できるだけ明るく、少し呆れたような声を作る。

「……誰もいなかったよ。上階の酔っ払いが、部屋間違えて寄りかかっただけみたいだ」

「酔っ払い……?」

「ああ。ドアノブにコンビニの袋が引っかかってコケた痕跡があった。迷惑な話だよな」

 嘘だ。
 でも、今の彼女に必要なのは真実じゃない。安心できる日常だ。
 俺はベッドに戻り、小さくなっている玲奈の頭を撫でた。

「ほんと……?」

「ほんとだって。もう静かになっただろ?」

 玲奈は俺の顔をじっと見つめ、それから安堵したように大きく息を吐いた。

「よかった……」

 彼女の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
 張り詰めていた糸が切れたのだろう。
 玲奈は俺に飛びつき、胸に顔を埋めて泣き出した。

「怖かった……すごく、怖かったの……」

「ごめんな。怖がらせて」

 俺は彼女を抱きしめ、背中をゆっくりと撫でた。
 腕の中に感じる体温。サラサラの髪。甘いシャンプーの匂い。
 この温もりは、何があっても守らなきゃいけない。
 
(大丈夫だ。たぶん、ただの質の悪い嫌がらせだ)

 俺は自分自身にそう言い聞かせる。
 だが、ポケットの中の小瓶は、まだ冷たく、重いままだ。
 『嘘つき』というメッセージ。
 これは、俺たちの「契約」が見透かされているということなのか。
 あるいは――玲奈が俺についている「嘘」に対する警告なのか。

 敵は、すぐ近くにいる。
 そして、そいつは俺たちの「秘密」を知っている。

「……もう、今日は俺から離れるな」

 俺が少し強く言うと、玲奈は涙に濡れた顔を上げ、コクンと頷いた。
 そして、すがるように俺のTシャツの裾を握りしめた。

 甘いラブコメの時間は続いている。
 俺がこの「嘘」を守り通す限りは。
 そう、これは俺たちの日常を守るための、優しい戦いなのだ。

(続く)
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