『クラスで一番モテない男が、幼なじみと“仮恋人契約”したら、本物の恋に気づいてしまった件』~報酬はプリン100個。彼女が部屋でだけ甘えん坊

月下花音

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第27話 帰郷と変わらない部屋

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 駅のホームに降り立つと、懐かしい空気が肌に纏わりついた。
 都会の乾燥した空気とは違う、少し湿度の高い、草いきれの混じった盆地の風。
 見慣れた山並み。錆びついた看板。
 時間が止まっているような、この街特有の静けさ。

「帰ってきたね」
「ああ、そうだな」

 俺たちは駅前からバスに乗り、住宅街へと向かった。
 窓の外を流れる景色は、高校時代と何も変わっていない。
 俺の実家と玲奈の実家は、通りを挟んで向かい合っている。
 文字通りのスープの冷めない距離。
 かつては、この距離が近すぎて恥ずかしかったが、今はそれが救いのように思える。

「じゃあ、また後でね」
「うん。夕飯食べたら行くよ」

 それぞれの家の前で別れる時、玲奈は名残惜しそうに俺の袖を掴んだまま離さなかった。
 数秒の見つめ合い。
 それだけで、濃密な空気が流れる。
 「早く会いたい」という無言のメッセージを受け取り、俺は頷いた。

 実家の玄関を開ける。
 線香の匂いと、夕飯の煮物の匂いがした。

「ただいまー」
「あらお兄ちゃん! お帰り!」
「元気だったか、優奈」

 妹の優奈が出迎えてくれた。
 一つ下の高校三年生。受験生のはずだが、相変わらずジャージ姿で元気そうだ。
 手には参考書ではなく、漫画雑誌を持っている。

「お兄ちゃん、なんか雰囲気変わった? 垢抜けたっていうか……なんか疲れてる?」
「そうか? 大学で揉まれたからな」
「へー。……なんか、色気ついたっていうか。彼女でもできた?」

 鋭い。
 女の勘というやつか。それとも俺から玲奈の匂いがしているのか。
 俺は言葉に詰まったが、隠しても仕方ない。

「まあ、な」
「えっ!? 嘘、お兄ちゃんに!? まじで!? 誰!?」
「……玲奈だ」

 優奈の動きが止まった。
 持っていた漫画雑誌を取り落としそうになり、口を半開きにして俺を見ている。

「え……玲奈さんって、あの向かいの? 先輩の白石先輩?」
「ああ」
「……ハァ!?」

 優奈の反応が変だ。
 普通なら「すごいじゃん! 美人ゲットしたね!」とか冷やかすところだが、彼女はなぜか眉をひそめ、真剣な顔になった。

「……大丈夫なの?」
「何がだよ」
「いや、だって……玲奈さん、高校の時……」

 優奈が何か言いかけた時、母親が奥から出てきたことで話は中断された。
 「健! 元気だった?」という母の声に、優奈は口をつぐんだが、その視線はずっと俺を案じるように見ていた。

 夜。
 実家の布団の匂いに包まれながらスマホを見ると、玲奈からのメッセージが入っていた。
 『部屋にいる。来て。今すぐ』
 時刻は22時。
 俺は音を立てないように階段を降り、サンダルを履いて外に出た。

 向かいの家の呼び鈴を鳴らす。
 すぐにドアが開き、エプロン姿の玲奈のお母さんが出てきた。

「あら健くん! 久しぶりねえ。上がって上がって」
「お邪魔します」

 玲奈の部屋は二階だ。
 勝手知ったる他人の家。
 階段を一段ずつ上がるたびに、心臓の鼓動が早くなる。
 高校時代、何度も通ったこの階段。
 突き当たりの、ピンク色のプレートが掛かったドア。

 コンコン。

「……どうぞ」

 ドアを開けると、そこには時間が止まったような空間があった。
 パステルカラーのカーテン。綺麗に整頓された本棚。ベッドの上に並べられた古いぬいぐるみたち。
 玲奈はベッドの縁に座り、膝を抱えていた。
 部屋着のショートパンツから伸びる白い足が、薄暗い部屋の中で発光しているように見える。

「久しぶりだね、この部屋」
「うん……」

 玲奈は俺を見ても微笑まなかった。
 どこか落ち着かない様子で、シーツをギュッと握りしめている。
 その指の関節が白くなっている。

「どうした? 具合悪いのか?」
「ううん。……ただ、思い出しちゃって」
「何を?」
「……一人ぼっちだった時のこと」

 彼女は顔を上げ、俺を見た。
 その目は、いつもの強気なクイーンではなく、迷子の子供のようだった。
 黒い瞳の奥に、深い孤独の色が見える。

「この部屋で、ずっと待ってたの。……いつか、健が来てくれるのを。……誰もいない部屋で、ずっと」

 過去形だが、まるで今の話をしているようだ。
 俺は彼女の隣に座り、華奢な肩を抱いた。
 身体が小刻みに震えているのが伝わってくる。

「もう一人じゃないだろ」
「……うん。健がいる」
「俺はずっとここにいるよ。東京でも、ここでも」

 俺が言うと、玲奈は泣きそうな顔で笑い、俺の胸に頭を預けた。
 
「……絶対、いなくならないでね」
「ああ」
「約束破ったら、許さないから」

 その言葉は、冗談めかしていたが、声は震えていなかった。
 俺たちは静かに抱き合った。
 窓の外では、虫の声が合唱している。
 この部屋の空気が、少しだけ重たく、そして甘く感じられたのは、きっと夏の熱気のせいだけではなかった。
 過去という亡霊が、この部屋の隅にまだ住み着いている。俺はそんな予感を抱きながら、彼女の髪を撫で続けた。
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