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第32話 捏造された聖域
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夕暮れ時。
ヒグラシの鳴き声が響く中、玲奈に誘われて、俺たちは地元の古い神社に来ていた。
長い石段を登りきると、境内からは町が一望できる。
子供の頃、よく遊びに来た場所だ。
茜色に染まる空の下、街並みが影絵のように黒く沈んでいく。
「懐かしいね、健」
「ああ。ここでよく缶蹴りしたな」
玲奈は古びた鳥居の柱に手を触れ、愛おしそうに目を細めた。
夏祭りの残り香だろうか、微かに火薬の匂いがする。
「覚えてる? ここで、健がいじめっ子から私を助けてくれたこと」
「ん?」
まただ。
玲奈の「知らない思い出」話。
ショッピングモールの時に続いて二回目。
「中二の夏。私が一人で泣いてたら、悪い先輩たちに絡まれて……。そしたら健が飛んできて、『俺の玲奈に触るな!』って彼らを追い払ってくれたの」
「……」
「あの時の健、本当にかっこよかった。……私、あの瞬間に決めたの。一生この人についていこうって」
玲奈は陶酔した表情で語る。
まるで、美しい映画のワンシーンのように。
彼女の瞳には、その光景がありありと映っているのだろう。
――だが、それは嘘だ。
決定的な嘘だ。
中二の夏。俺はおたふく風邪をこじらせて、一週間ほど入院していた。
家から一歩も出ていないどころか、ベッドの上で高熱にうなされていたのだ。
そんな事件、物理的に起きるはずがない。
俺の中で、パズルのピースが不気味な音を立てて組み上がっていく。
玲奈の語る「思い出」のいくつかは、彼女の妄想だ。
おそらく、孤独だった彼女が、心を保つために作り上げた「聖域(ファンタジー)」。
辛い現実、孤独な時間、いじめられた記憶。それらを塗り替えるために、『私は愛されている』『健が守ってくれる』という救済の物語を脳内で捏造し、それを何度も反芻することで、真実だと信じ込んできたのだ。
これは、ストーカーの心理構造に近い。
一方的な理想の押し付け。
記憶の改竄。
彼女の愛の根幹にあるのは、この「捏造された過去」なのだ。
「……ねえ、覚えてるでしょ? 健」
玲奈が俺を見上げる。
その瞳は澄んでいて、疑うことを知らない。
もしここで「違う、それは嘘だ」と否定したら?
彼女の「聖域」は崩壊する。
自分の人生を支えてきた柱を失い、昨夜のように、彼女は完全に壊れてしまうだろう。
俺は息を吸い込んだ。
肺の奥まで、夕暮れの重たい空気が入ってくる。
そして、吐き出した。
正常な判断力と共に。
「……ああ、そうだったな」
俺は肯定した。
彼女の嘘を。彼女の妄想を。彼女の病理を。
そのすべてを受け入れる覚悟を決めた。
「あの時、玲奈が泣いてたから……放っておけなかったんだ」
「うん、うん……! やっぱり、健だね」
玲奈は嬉しそうに俺に抱きついた。
「よかった、覚えててくれて」と囁く声が震えている。
俺は彼女の背中を撫でながら、空を見上げた。
夕焼けが血のように赤い。カラスが鳴きながら山へ帰っていく。
俺は共犯者になった。
過去を捏造し、彼女の狂気を肯定する、世界でただ一人の共犯者に。
この瞬間、俺たちの関係は「恋人」という枠組みを超えた。
「教祖」と「信者」であり、「患者」と「主治医」であり、そして同じ地獄へ落ちる「道連れ」だ。
奇妙で、歪で、これ以上なく強固な運命共同体。
「大好きだよ、健」
「俺もだよ、玲奈」
嘘で塗り固められた聖域で、俺たちは愛を誓い合った。
それは真実の愛よりもずっと甘く、麻薬のように俺たちの心を蝕んでいく。
もう後戻りはできない。
俺はこの嘘を、一生つき続けると決めたのだから。
ヒグラシの鳴き声が響く中、玲奈に誘われて、俺たちは地元の古い神社に来ていた。
長い石段を登りきると、境内からは町が一望できる。
子供の頃、よく遊びに来た場所だ。
茜色に染まる空の下、街並みが影絵のように黒く沈んでいく。
「懐かしいね、健」
「ああ。ここでよく缶蹴りしたな」
玲奈は古びた鳥居の柱に手を触れ、愛おしそうに目を細めた。
夏祭りの残り香だろうか、微かに火薬の匂いがする。
「覚えてる? ここで、健がいじめっ子から私を助けてくれたこと」
「ん?」
まただ。
玲奈の「知らない思い出」話。
ショッピングモールの時に続いて二回目。
「中二の夏。私が一人で泣いてたら、悪い先輩たちに絡まれて……。そしたら健が飛んできて、『俺の玲奈に触るな!』って彼らを追い払ってくれたの」
「……」
「あの時の健、本当にかっこよかった。……私、あの瞬間に決めたの。一生この人についていこうって」
玲奈は陶酔した表情で語る。
まるで、美しい映画のワンシーンのように。
彼女の瞳には、その光景がありありと映っているのだろう。
――だが、それは嘘だ。
決定的な嘘だ。
中二の夏。俺はおたふく風邪をこじらせて、一週間ほど入院していた。
家から一歩も出ていないどころか、ベッドの上で高熱にうなされていたのだ。
そんな事件、物理的に起きるはずがない。
俺の中で、パズルのピースが不気味な音を立てて組み上がっていく。
玲奈の語る「思い出」のいくつかは、彼女の妄想だ。
おそらく、孤独だった彼女が、心を保つために作り上げた「聖域(ファンタジー)」。
辛い現実、孤独な時間、いじめられた記憶。それらを塗り替えるために、『私は愛されている』『健が守ってくれる』という救済の物語を脳内で捏造し、それを何度も反芻することで、真実だと信じ込んできたのだ。
これは、ストーカーの心理構造に近い。
一方的な理想の押し付け。
記憶の改竄。
彼女の愛の根幹にあるのは、この「捏造された過去」なのだ。
「……ねえ、覚えてるでしょ? 健」
玲奈が俺を見上げる。
その瞳は澄んでいて、疑うことを知らない。
もしここで「違う、それは嘘だ」と否定したら?
彼女の「聖域」は崩壊する。
自分の人生を支えてきた柱を失い、昨夜のように、彼女は完全に壊れてしまうだろう。
俺は息を吸い込んだ。
肺の奥まで、夕暮れの重たい空気が入ってくる。
そして、吐き出した。
正常な判断力と共に。
「……ああ、そうだったな」
俺は肯定した。
彼女の嘘を。彼女の妄想を。彼女の病理を。
そのすべてを受け入れる覚悟を決めた。
「あの時、玲奈が泣いてたから……放っておけなかったんだ」
「うん、うん……! やっぱり、健だね」
玲奈は嬉しそうに俺に抱きついた。
「よかった、覚えててくれて」と囁く声が震えている。
俺は彼女の背中を撫でながら、空を見上げた。
夕焼けが血のように赤い。カラスが鳴きながら山へ帰っていく。
俺は共犯者になった。
過去を捏造し、彼女の狂気を肯定する、世界でただ一人の共犯者に。
この瞬間、俺たちの関係は「恋人」という枠組みを超えた。
「教祖」と「信者」であり、「患者」と「主治医」であり、そして同じ地獄へ落ちる「道連れ」だ。
奇妙で、歪で、これ以上なく強固な運命共同体。
「大好きだよ、健」
「俺もだよ、玲奈」
嘘で塗り固められた聖域で、俺たちは愛を誓い合った。
それは真実の愛よりもずっと甘く、麻薬のように俺たちの心を蝕んでいく。
もう後戻りはできない。
俺はこの嘘を、一生つき続けると決めたのだから。
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