【短編】白髪のイブから、青海苔の初詣まで 〜45歳、底辺同士の生存確認〜

月下花音

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第3話:忘年会スルー残業

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 12月29日。
 世間は仕事納めを終えて忘年会ラッシュらしいが、フリーランスにそんな節目はない。
 私は自宅のリビングで、ノートPCと睨めっこしていた。
 某企業の社内報の原稿締め切りが、明日の朝なのだ。
「……終わらない」
 目がショボショボする。
 肩が岩のように硬い。
 湿布を貼りたいけど、背中の変な位置が凝っていて自分じゃ貼れない。
 こういう時、独り身(実質)の不便さを痛感する。

『ピロリロリン!』
 スマホが鳴る。
 夫からだ。
『ごめん。トラブル発生で今年は帰れそうにない。正月明けに休み取って帰るわ』
 ……はい、予想通り。
「ごめん」のスタンプ一つで済ませる神経が太い。
『了解。体調気をつけて』
 こっちも事務的に返す。
 本当は「ふざけんな」と言いたいけど、帰ってこられても食事の世話が増えるだけだから、正直ホッとしている自分もいる。
 これが熟年夫婦のリアルだ。
 続けて、娘からもLINE。
『カウントダウン、友達とディズニー行くから! そのまま初日の出見てくる!』
『パパからもらったお年玉でチケット買ったから!』
 ……はい、こっちも予想通り。
 親より友達。
 親より彼氏。
 正しい成長の証だけど、大晦日に母親を一人にする罪悪感のカケラもないのが清々しい。

 午後10時。
 ようやく原稿の目処がついた。
 夕飯を食べていないことに気づく。
 キッチンに行く気力もない。
 食品棚を漁って、カップヌードル(シーフード味)を見つけた。
 お湯を注ぐ。
 3分待つ間に、鏡を見る。
 酷い顔だ。
 化粧は崩れてるし、髪はボサボサだし、また新しい白髪が一本ピンと立っている。
「……お疲れ、私」
 誰に向けてでもなく呟く。

 カップ麺をすすりながら、田中からのLINEを開く。
『生きてる?』
 またこれだ。
 生存確認botかよ。
『瀕死。今仕事終わった』
『お疲れ。俺も今帰ってきて一人酒。暇ならZoom飲まね?』
 Zoom飲み。
 はやり病ので流行ったやつだ。
 今更? と思ったけど、チャットで文字打つのも面倒だったので承諾した。
 PCでZoomを立ち上げ、URLをクリックする。

 画面に映し出されたのは、カオスだった。
 田中の背後に、洗濯物の山が見える。
 脱ぎ捨てられたジーンズ、干しっぱなしのタオル、そして読みかけの漫画の山。
「……ちょっと、部屋汚すぎない?」
 第一声で突っ込んだ。
『うるせーよ。男の一人暮らしなんてこんなもんだろ』
 田中は缶ビール片手に笑っている。
 Tシャツ姿だ。
 首元がヨレヨレの、ユニクロのやつ。
「背景ぼかしなさいよ。生活感で目が潰れるわ」
『お前の部屋こそ、後ろに湿布の箱見えてるぞ』
「……あ」
 慌てて隠す。
 お互い様だ。
 底辺の映像交換会。

「で、どうよ最近。更年期」
 田中がデリカシーのない質問を投げてくる。
「最悪よ。のぼせるし、イライラするし、夜中目覚めるし」
「俺もさ、最近ここがやばくて」
 田中が頭頂部をカメラに向ける。
 薄い。
 確実に薄くなってる。
「……育毛剤、送ってやろうか?」
「余計なお世話だ。まだ産毛が生えてる可能性にかけてるんだよ」
「無駄な抵抗ね」

 お互いの老化現象を報告し合って、ゲラゲラ笑う。
 仕事の愚痴、子供の愚痴、老後の不安。
 Zoom越しに乾杯する。
 私はシーフードヌードルの残り汁をアテに、田中は柿の種をボリボリ食べながら。
 色気も何もない。
 でも、不思議と落ち着いた。
 夫との会話(業務連絡のみ)より、娘との会話(金くれのみ)より、この薄毛の男との無意味な会話の方が、よっぽどキャッチボールになっている気がする。

「……なぁ、大晦日どうすんの?」
 2缶目のビールを開けながら、田中が聞いた。
「一人よ。夫は帰らないし、娘はディズニー」
「マジ? 奇遇だな。俺も一人」
「知ってるわよ」
「だからさ、家来ない? 年越しそば食おうぜ」
「……は?」
「Zoomじゃ味気ねーし。スーパーの安いそば買ってあるから」
 誘われた。
 男の家。
 大晦日。
 20代なら「えっ、どうしよう♡」ってなるところだけど、45歳の私は冷静に計算を始めた。
 移動時間30分。
 交通費往復600円。
 リスク……特になし(田中だし)。
 メリット……孤独死回避、食費浮く、話し相手確保。
「……部屋、掃除しといてよね」
「え、来るの?」
 田中が驚いた顔をした。
 断られると思ってたらしい。
「汚部屋で新年迎えたくないから。ルンバかけといて」
「ルンバなんかねーよ。クイックルワイパーかけるわ」

 通話を切る。
 画面が真っ暗になり、そこに映った自分の顔が、さっきより少しだけマシに見えた。
 口角が上がってる。
 年越しそばか。
 悪くないかもしれない。
 どうせ一人で紅白見て寝るだけなら、汚いアパートで文句言いながらすする蕎麦の方が、少しは味がするかもしれない。
 湿布を貼るのを諦めて、私はもう一杯、ワインを注いだ。

(つづく)
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