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第30話:ずっと、好きだった。君の全てが
しおりを挟む彼女との関係は、一言で言えば、複雑だった。
付き合っては、別れる。その振り子のような運動を、僕たちは何度も、何度も繰り返した。
別れを切り出すのは、いつも彼女の方からだった。
「ごめんなさい。やっぱり、無理みたい」
その一言で、僕たちの世界は、呆気なく終わりを告げる。そうやって、僕は彼女に、数えきれないほどのさよならを言われ続けた。
それでも、僕は彼女を想うことをやめられなかった。
理由は、驚くほど単純だ。
彼女が好きだった。彼女の、その全てが、どうしようもなく好きだったのだ。
そんな歪な関係が、五年も続いた。
季節が五回巡る間に、僕たちは、まるで潮の満ち引きのように、結ばれては離れていった。その度に「今度こそ、本当に終わりなんだ」と自分に言い聞かせた。だが、忘れた頃に、必ず彼女から連絡が来るのだ。
「ごめんなさい。……もう一度だけ、会えませんか」
そして僕は、抗うこともできずに、また彼女の元へ戻ってしまう。
不思議なことに、彼女は、別れの本当の理由を、いつも再会した後に教えてくれた。まるで、僕が戻ってくることを確信しているかのように。
一度目の別れは、彼女の家庭の問題が原因だった。両親が離婚し、精神的に追い詰められた彼女は言った。「こんな時に、あなたに迷惑はかけられない」と。僕は、ただ彼女の手を握りしめて答えた。「迷惑なんかじゃない。俺は、お前のそばにいたい」。そして彼女は、僕の元へ帰ってきた。
二度目の別れは、仕事の挫折だった。望まない部署への異動と、理不尽な給与カット。自信を失った彼女は「私って、本当にダメな人間なんです」と俯いた。僕は、その顔を両手で包み込み、まっすぐ目を見て言った。「そんなことない。お前は、俺が知る中で、最高の女だ」。そして彼女は、また僕の元へ帰ってきた。
三度目は、健康問題だった。医者に、子どもを産むのは難しいだろうと告げられた夜。彼女は「あなたに、家族を残してあげられない」と言って、僕の前から姿を消した。僕は、彼女が入院していた病室を探し出し、泣きながら懇願した。「子どもなんていらない。俺には、お前だけでいい」。そして彼女は、三度、僕の元へ帰ってきた。
四度目は、人間関係だった。唯一の親友と些細なことで断絶し、深い孤立感に苛まれた彼女は「私は、世界で一人ぼっちなんです」と震えていた。僕は、言葉もなく、ただ強く彼女を抱きしめた。「一人じゃない。俺がいるだろう」。そして、彼女は四度、僕の腕の中へ帰ってきた。
だが、五度目の別れは、これまでとは違った。
別れを告げた後、彼女からの連絡は、ぷっつりと途絶えた。
一ヶ月が過ぎ、三ヶ月が過ぎ、季節が変わり、一年が経った。
その一年間、僕の時間は止まっていた。
何をしても、どこにいても、頭の中は彼女で一杯だった。今、何をしているんだろう。誰かと一緒にいるんだろうか。ちゃんと、笑えているだろうか。街で彼女に似た後ろ姿を見かけるたびに、心臓が凍りつくような思いがした。連絡先を何度も消そうとしては、その指が動かなかった。僕の人生は、完全に彼女という存在に支配されていた。
一年が過ぎた、ある春の日。
ポストに、見慣れた彼女の文字で書かれた、一通の手紙が届いていた。
『ずっと、申し訳ないと思っていました。
何度もあなたを突き放しては、また甘えて戻っていく。そんな身勝手な私を、なぜ許してくれるのか、ずっと分かりませんでした。
理由は、単純です。私が、弱かったから。
あなたを失うのが怖くて、でも、あなたに愛されている自信もなくて。だから、あなたを試すようなことばかりしてしまいました。
この一年間、初めて、あなたなしで生きてみる努力をしました。
一人で立ち、一人で歩けるようにならなければと。
そして、気づいたんです。
私が本当に欲しかった答えは、たった一つだけだったのだと。
それは、「あなたは、本当に、私を愛してくれているのか」という、どうしようもなく切実な問いの答えでした。
別れるたびに、私は祈っていました。あなたが探しに来てくれることを。あなたが、また私を受け入れてくれることを。そしてあなたは、いつも、必ず戻ってきてくれました。
だから、ようやく、分かったんです。あなたは、本当に、私を愛してくれていたんだって。
だから、もう、別れません。
もう、あなたを試すような真似はしません。
ただ、あなたと一緒に、歩んでいきたいです。
ずっと、ずっと。』
手紙を読み終えた時、僕の目からは、涙が止めどなく溢れていた。
五年という、長くて、苦しくて、それでも愛おしかった時間の全てが、そのインクの滲みに溶けているようだった。
駅前のベンチで再会した彼女は、少し痩せていた。
だが、その瞳には、以前のような不安の影はなく、澄み切った、新しい光が灯っていた。
「ごめんなさい」
彼女が、何度目になるか分からない謝罪を口にする。
だが、その響きは、これまでとは全く違っていた。
「もう、いいんだ」
僕は、その言葉を遮るように言った。
「お前が納得するまで、俺は何度でも待つつもりだったから」
彼女は、子供のようにわっと泣き出し、僕の胸に顔を埋めた。
「本当……?」
「本当だ。お前のことが、どうしようもなく好きだから」
その夜、僕は彼女に指輪を渡した。
「結婚しよう」
すると彼女は、涙で濡れた顔を上げて、小さく首を振った。
「……違う。私から、言わせてください」
彼女は、僕の手をぎゅっと握りしめ、震える声で言った。
「私と、結婚してくれますか?」
僕は、その問いに、五年間分の全ての想いを込めて答えた。
「ああ。喜んで」
結婚式の朝。
ウェディングドレス姿の彼女は、美しかったが、どこか不安げだった。
「……本当に、逃げ出したりしない?」
僕は、その手を優しく握った。
「逃げ出す理由が、一つもない。俺は、お前の全てを愛しているから」
彼女は、ようやく、心の底から笑った。
それは、五年間の全ての雨上がりに見る、最高の虹のような笑顔だった。
「なぜ、あんな私を、何度も許してくれたんですかTakuya?」
後日、彼女にそう聞かれた時、僕は迷わず答えた。
「君の全てが好きだったからだよ。君の弱さも、君の不安も、君が抱える面倒な部分も、全部含めて、君だから」
彼女の目から、また涙がこぼれた。
だが、それはもう、別れの痛みを知る涙ではなかった。
五年の回り道の果てに、僕たちは、ようやく、本当の意味で一緒になった。
もう、試す必要などない。ただ、信じあう愛として。
この手を、もう二度と離さないと、心に誓って。
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