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第38話:子どもが産まれて、君が泣いた
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分娩室の外の待合室。
朝の五時から、ずっと待ち続けていた。
妻・恵美は、十二時間陣痛と闘い続けている。最初の数時間は、彼女の声が廊下まで聞こえてきた。だが、この二時間は、静寂が続いている。その静寂が、むしろ不安だった。
壁時計が、五時三十分を指している。
医者が出てきた。
「もうすぐです。準備してください」
その言葉を聞いた時、初めて現実が僕に押し寄せてきた。
(俺たちの子どもが。生まれる)
その事実が、頭の中で何度も繰り返される。九ヶ月前の妊娠発覚から、毎月毎月。その全ての時間が、この瞬間に凝縮されている。
分娩室に入った。
恵美は、汗びっしょりだった。医学書には書かれていない、自然な苦しみの形がそこにあった。
「大丈夫。もう大丈夫」
僕は、妻の額の汗を拭いた。彼女の手を握った。
「痛い」
小さな声が出た。彼女はいつも強い。だが、この時だけは、彼女は弱さを見せていた。そして、その弱さに、僕は彼女の本当の勇敢さを見た。
「一度、強くいきんでください」
医者が言った。
恵美は、全力を尽くしていきんだ。顔が赤くなる。手が僕の手を握る力がいっそう強まる。
その瞬間、赤ちゃんの泣き声が聞こえた。
真新しい泣き声。世界で初めて聞く、その声。
「おめでとうございます。女の子です」
医者が言った。
その瞬間、何かが変わるのを感じた。今までの人生。恵美との出会い。付き合い。結婚。妊娠。全部が、ここにつながっていた。
赤ちゃんが、僕に渡された。
小さくて。温かくて。重くて。軽くて。
その矛盾した感覚が、同時に存在していた。
こんなに小さい生き物。こんなに大きな存在。
その時、恵美が泣いた。
大声で、涙を流しながら泣いた。
分娩の苦しみからの解放。新しい命への喜び。それら全てが、彼女の涙に変わっていた。
「恵美」
「ああ、ごめんなさい。嬉しくて」
妻は、赤ちゃんを見つめた。
「こんなに。可愛いですか?」
「ああ。こんなに可愛い」
赤ちゃんの顔は、恵美に似ていた。小さなまぶた。か細い鼻。そして、かすかに歪んだ口。その全てが、この世で最高に美しく見えた。
その後、部屋に戻った。
僕は、赤ちゃんを抱きながら、夜明けの朝日が差し込むベッドの横に座った。
恵美は、疲れのあまり、すぐに眠りについた。だが、その寝顔は、穏やかで、幸せそうだった。
赤ちゃんは、時々、小さな声で鳴いた。その度、恵美が瞼を開け、赤ちゃんを見つめた。
その無限ループ。
愛する者を見つめて。また眠って。また見つめて。
何時間も、僕は赤ちゃんを抱いていた。
その間、母親から電話が来た。「生まれた?」
父親からも。友人からも。
だが、僕の耳には、何も入ってこなかった。
ただ、赤ちゃんの小さな呼吸音。恵美の優しい寝息。その二つの音だけが、聞こえていた。
朝になった。
窓から朝日が差し込んだ。その光が、赤ちゃんの顔を優しく照らした。
恵美が目を覚ました。
「まだ、抱いてくれてるんですか?」
「ああ。ずっと」
「ありがとうございます」
彼女は、赤ちゃんを僕から受け取った。そして、優しく頭をなでた。
「我が子」
その二つの言葉が、彼女の口から出た時、恵美は、また泣いた。
人生は、新しい命を迎えることで、新しい意味を持ち始める。
その命を見つめる親の顔。その顔が、人生最高の表情だ。
赤ちゃんの手。その手が、僕たちの人生を、永遠に変えたのだ。
朝の五時から、ずっと待ち続けていた。
妻・恵美は、十二時間陣痛と闘い続けている。最初の数時間は、彼女の声が廊下まで聞こえてきた。だが、この二時間は、静寂が続いている。その静寂が、むしろ不安だった。
壁時計が、五時三十分を指している。
医者が出てきた。
「もうすぐです。準備してください」
その言葉を聞いた時、初めて現実が僕に押し寄せてきた。
(俺たちの子どもが。生まれる)
その事実が、頭の中で何度も繰り返される。九ヶ月前の妊娠発覚から、毎月毎月。その全ての時間が、この瞬間に凝縮されている。
分娩室に入った。
恵美は、汗びっしょりだった。医学書には書かれていない、自然な苦しみの形がそこにあった。
「大丈夫。もう大丈夫」
僕は、妻の額の汗を拭いた。彼女の手を握った。
「痛い」
小さな声が出た。彼女はいつも強い。だが、この時だけは、彼女は弱さを見せていた。そして、その弱さに、僕は彼女の本当の勇敢さを見た。
「一度、強くいきんでください」
医者が言った。
恵美は、全力を尽くしていきんだ。顔が赤くなる。手が僕の手を握る力がいっそう強まる。
その瞬間、赤ちゃんの泣き声が聞こえた。
真新しい泣き声。世界で初めて聞く、その声。
「おめでとうございます。女の子です」
医者が言った。
その瞬間、何かが変わるのを感じた。今までの人生。恵美との出会い。付き合い。結婚。妊娠。全部が、ここにつながっていた。
赤ちゃんが、僕に渡された。
小さくて。温かくて。重くて。軽くて。
その矛盾した感覚が、同時に存在していた。
こんなに小さい生き物。こんなに大きな存在。
その時、恵美が泣いた。
大声で、涙を流しながら泣いた。
分娩の苦しみからの解放。新しい命への喜び。それら全てが、彼女の涙に変わっていた。
「恵美」
「ああ、ごめんなさい。嬉しくて」
妻は、赤ちゃんを見つめた。
「こんなに。可愛いですか?」
「ああ。こんなに可愛い」
赤ちゃんの顔は、恵美に似ていた。小さなまぶた。か細い鼻。そして、かすかに歪んだ口。その全てが、この世で最高に美しく見えた。
その後、部屋に戻った。
僕は、赤ちゃんを抱きながら、夜明けの朝日が差し込むベッドの横に座った。
恵美は、疲れのあまり、すぐに眠りについた。だが、その寝顔は、穏やかで、幸せそうだった。
赤ちゃんは、時々、小さな声で鳴いた。その度、恵美が瞼を開け、赤ちゃんを見つめた。
その無限ループ。
愛する者を見つめて。また眠って。また見つめて。
何時間も、僕は赤ちゃんを抱いていた。
その間、母親から電話が来た。「生まれた?」
父親からも。友人からも。
だが、僕の耳には、何も入ってこなかった。
ただ、赤ちゃんの小さな呼吸音。恵美の優しい寝息。その二つの音だけが、聞こえていた。
朝になった。
窓から朝日が差し込んだ。その光が、赤ちゃんの顔を優しく照らした。
恵美が目を覚ました。
「まだ、抱いてくれてるんですか?」
「ああ。ずっと」
「ありがとうございます」
彼女は、赤ちゃんを僕から受け取った。そして、優しく頭をなでた。
「我が子」
その二つの言葉が、彼女の口から出た時、恵美は、また泣いた。
人生は、新しい命を迎えることで、新しい意味を持ち始める。
その命を見つめる親の顔。その顔が、人生最高の表情だ。
赤ちゃんの手。その手が、僕たちの人生を、永遠に変えたのだ。
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